第5話 外へ

「じゃあ、この時に私はおばあちゃんから叡知を受け取ったというの?」

「ああ、きっとそうだ。君は確かに、叡知を持っている。今はただ、眠っているだけで」

「眠っている?」

「ああ、そうだ。叡知は受け取っただけでは意味がない。受け取るに値する継承者を選ばなければいけないのも勿論だがそれだけではいけない。叡知を手にして正気でいられるだけの強さを持たなければ叡知は表に出てこない。叡知を受け取ったことにすら気づかない。………だからね、ティーナ。僕は君をここから連れ出そうと思うんだ」

 そう言ったと同時に、ガンと鈍い音が響く。ガン、ガンと響く音に怯えてティーナが目線を上に上げれば、ガシャンと鉄格子に手がかけられた。

 ヒッと息を飲めば、鉄格子は勢いよく引きはがされた。次いで、ひょこりと男が顔をのぞかせた。酷い顔だった。喉まで出かかった悲鳴を必死で食い止める。自分は決して彼を傷つけはしない。大きな布に覆われてほとんど陰になっているが、それでもその異質さはありありと分かる。でも、大丈夫。ティーナは半ば言い聞かせるようにしながらルークに向かって笑みを浮かべた。

「貴方が、ルークね」

 ぽっかりと空いた入り口から、飛び降りてきたルークを目の前にしてティーナは言った。ルークは少し困ったように笑う。残念ながら彼の表情をはっきりと読み取ることは難しかったが、雰囲気からそうしたように思えたのだ。

「ああ、そうだ。こんな姿で、君に会いたくはなかったけれど。きっと、君にはいつか僕の本当の姿を見せてあげられると信じられたから、勇気を出せた。さあ、どうか、僕と一緒に来てくれないか」

 跪き、恭しくティーナの手を取る姿は本当に王子様のようだった。誰かに見られたら滑稽だと嘲笑われてしまうだろう。ゴーレムが薄汚いボロ布を纏ったみすぼらしい少女に傅く様子なんて、言い笑いものだ。でも、ティーナにとってはルークの誘いは、白馬に乗ってやって来る王子様からのダンスの誘いよりずっとずっと魅力的な物に思えた。

「ええ、勿論」

 そう言って、もう片方の手でルークの手を包み込んだ。ルークはゆっくり頷くと軽々とティーナを抱き上げる。そのまま勢いよく飛び上がると、出口に足をかけた。ティーナが思っていた以上に、鉄格子は大きな物だったようだ。ルークに担がれながらも、ティーナは少し頭をかがめるだけで難なく外の世界へ逃げ出せた。



 どこへ行こうか、なんて考えている暇はなかった。とにかく二人は、人目についてはいけなかった。出来るだけ、遠くへ。遠くへ。そうやって辿り着いたのは森をぐねぐねと彷徨った先にある可愛らしい家。御伽噺に出てくる、木こりが住んでいるのはこんな家に違いないとティーナは心を躍らせた。

「さあ、どうぞ。決して美しいとは言いがたい所だけれど、今の僕が用意できる一番素晴らしい家なんだ。気に入って貰えると良いのだけれど」

「気に入らないはずがないわ。だって、こんなに素敵な所に住めるなんて! ………こう言っては貴方に失礼かも知れないけれどちっとも思っていなかったものだから」

 ルークは笑って、ティーナを家の中へと招き入れた。

 家の中も、想像していた通りの内装だ。簡素ではあるがしっかりとした作りの家具が並んでいる。ティーナがソファーに腰掛けるとルークもその隣に座り二人で暖炉の火に手をかざした。

「………こういっては何だけれど、君が迷い無く僕についてきてくれるなんて思っていなかった。いくら、君が外の世界に焦がれていようと僕はこんな状態だろう? 今まで色々話をしてきたとはいえ、いざこの姿を見せると言うことに怯えていた自分が恥ずかしくて仕方が無いよ」

 家の中にいるというのに、顔を隠したままのルークに徐ろに近づいたティーナはえいっとその顔を覆う布を取り去った。慌てて布を奪い返そうとするルークだがそれより先に、遠くへ放る。何をするんだ、と少し厳し声で言うルークのゴツゴツとした頬をティーナは両手で包み込んだ。

「私は、貴方と仲良くなれたつもりでいたわ。だって、沢山お話をしたし、こうして夢にまで見た外の世界に連れ出してくれた。そんな貴方を嫌う理由が私にあると思う? それにね、私、貴方に苦しんで欲しくないの。ずっと顔を隠して、身体を隠して。それってとても苦しいことなのだと思うわ。そうしていると、きっとどんどん自分自身のことが分からなくなってしまうと思うの。恐ろしく変貌した自分の身体を嫌う内に、いつのまにか本当の自分自身まで嫌うようになってしまうかも知れない。それは、絶対に駄目。駄目よ、ルーク。私が、大好きな貴方をそんな辛い目に会わせたり何てしないわ」

 愛おしむようにルークの頬を撫でながら、ティーナは言った。

 ルークは涙を流しそうになる。きっと、このような身体でなければ声を上げて泣いていたかも知れない。だから、しっかりとティーナの手を握りしめた。ありがとう、と震えながらに呟かれた声をティーナはしっかり受け取り微笑んだ。

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