第4話 求む叡知は

「君、なんだ」

 続けられたルークの言葉に、耳を疑った。

「……どういう意味?」

 咄嗟に聞き返せば、ルークは戸惑うのも当然だという風にもう一度ゆっくり繰り返す。

「君なんだよ、ティーナ。叡知の持ち主は、君なんだ」

 幼子に言い聞かせるようにゆっくりと言葉が紡がれる。ティーナは、首を振りながら口元を抑える。答える声が震える。違うに決まっていると力強く否定できないのは、ルークが余りにも弱々しい声で話すからだろう。彼がやっと見つけた、希望の光。それを無碍に否定することなどティーナには出来なかった。

「私、これまで不思議な力なんて使えたことはないわ。………本当にその人は、私だと言ったの?」

 ティーナは自分の掌を見つめた。何の変哲もない、いつもと変わらない掌だ。水仕事のせいで少し荒れていて、料理を運ぶのに苦労する小さな手。………誰かを救えるような力なんて何も持たない。持てない。使用人の努めすら満足に果たせない出来損ないの手。こんな自分が叡知を持っている何てそんなはずはないとルークに問いかける。弱々しく、ルークを疑うような口調になってしまったのは心苦しかったが、そうとしかいえなかった。

 ドン、と石壁が叩かれる音。

 思わず、方をすくませると壁の向こう側で縋るような悲痛な声が響いた。

「クリスティーナ・ヘルキャット。……君の、名前だろう。ティーナ」

 バクバクと心臓が音を立てて拍動する。フルネームを呼ばれたのなんて、いつぶりだろうか。少なくとも、家族と離れてからは呼ばれることのなかった名前だ。この屋敷では、自分は使用人のティーナでしかなかったのだから。

 ゆっくりと深呼吸をする。そして、答えた。

「ええ、そうよ。間違いないわ」

「それなら、きっと君は受け取っているはずだ。君のおばあさんから」

 家族との記憶なんて、ほとんど残っていない。しっかりと記憶しておくには余りにティーナは幼すぎた。おばあちゃんの顔も、朧気で不確かにしか思い出せない。でも、もしかしたら。おばあちゃんから託された何かを思い出すことが出来れば、ルークを救えるかも知れない。自分は、知らないうちに何かを受け取っていたのかも知れないとティーナはゆっくり記憶を辿った。

 思い出の中のおばあちゃんはロッキングチェアに腰掛けて、うとうとと微睡んでいる。たまに重い腰を上げては、温かいココアを入れてくれる。おばあちゃんとの思い出は、どれも暖かくほっとするものだ。おばあちゃんは目一杯私を愛おしんでくれた。大切に、大切に。………いつも。ううん。違う。たった一度だけ。

「そういえば……」



「ティーナ。ティーナ。大切なお話しがあるのよ。こちらへいらっしゃい」

 耳に馴染んだ、祖母の優しい声がティーナを読んでいる。ティーナは、ニコニコ笑いながらかけていった。何の用事だろうか。美味しいココアを入れてくれるのだろうか。それとも、昔話を聞かせてくれるのだろうか。ワクワクしながらロッキングチェアに腰掛ける祖母の膝に飛びついた。

「なあに? おばあちゃん」

「ティーナ、よく聞くんだよ」

 ティーナが問いかけ祖母の顔を見上げると、いつもと違い厳しい顔つきをしていた。それを見て、幼いながらにも何かがあると思ったのかティーナも不安そうに表情を歪める。祖母は厳しい表情を崩すことなく、ゆっくり言い聞かせた。

「ティーナ。おばあちゃんの手を握って。そう、離しては駄目よ。貴方の可愛らしい瞳をよく見せて。今日はね、昔話をしようと思うのよ。でも、とてもとても長いお話になってしまうから、貴方は眠っていなさい。おばあちゃんが手を握っていてあげるから」

 お話を聞くというのに、眠っても良いなんて変なことを言うおばあちゃんだなとティーナは首を傾げるが、ぽかぽかと暖かい暖炉の炎が側にあったこともありそのまま眠りについた。ぎゅうっと祖母の手をしっかりと握りしめながら。

 何十分、否何時間だろうか。日もすっかり暮れて空がオレンジ色に染まった後にティーナは目を覚ました。おばあちゃんのお話は終わったのだろうかと、身体を起こすが、そこに、おばあちゃんはもういなかった。どこに行ってしまったのだろうかと、帰ってきた両親に問いかけると二人とも困ったように笑う。

 そうして、二人して目を見合わせてティーナの頭を撫でたのだ。

「よく頑張ったわね。おばあちゃんのしてくれたことは、貴方が大人になってからきっと分かるわ」

「ああ、そうとも。ティーナ、おばあちゃんのしてくれた話を思い出したら、きっとお前にも分かるはずだ」

 ティーナは何故自分が頭を撫でられているのかもよく分からなかったけれど褒められているのは分かったのでにっこり笑った。

 それきり、おばあちゃんとは会えなかった。

 お母さんとお父さんに聞いても、曖昧に微笑まれてそれで終わり。

 そう、この時だ。

 最後におばあちゃんと話をしたこの時だけは、おばあちゃんはいつものような笑顔を浮かべてはいなかった。

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