第3話 情報屋
「今日も、来てくれたのね」
そう言って、ティーナは耳を澄ませる。
ここ最近は毎日夜になると壁の向こう側にやってくる英雄の話を聞くのが日課になっていた。
「ああ、今日も話そう。聞いてくれるかい?」
ええ、勿論。そう言って頷けば、ルークは語り始める。
遂に、英雄の身体は完全に悪魔に乗っ取られてしまった。人であった頃の姿に戻れなくなってしまったのだ。岩のような肌が、元の滑らかな人間のそれに戻ることはない。美しかった青々とした海原も、恐ろしい炎に覆い尽くされて姿を現すことはない。日のある内は、外に出ることさえ叶わなくなってしまった。醜い姿を表にさらさぬように、身を隠すことを第一に考えていた。暗くなってから、闇に紛れながら元に戻る方法を探る。何とか元に戻る方法はないかと街を歩き回る。酒場の裏手で耳を澄ましたり、古い文献を漁ってみたり。でも、駄目だった。呪いという物にそもそも詳しくない英雄は当てもなく闇雲に探すことしか出来ない。どうやったって、英雄に掛かった呪いについて手掛かりすら掴めなかった。
そもそも、英雄自身も分かっていなかった。
これが、呪いなのか。それとも、元々自分が生まれ持っていたものなのか。厳しい戦いの中酷使した肉体が、悲鳴を上げた末の結果なのか。
いよいよ、手詰まりになった英雄は情報屋に頼ろうと決心した。
法外な報酬を要求する代わりに、確かな情報を持って来てくれると以前耳にした事を思い出したのだ。文机の引き出しを引っ繰り返して探し出した地図を片手に、小路の数を数えながら歩く。青い屋根が二つ連なった家屋から数えて五つ目の道。その路地裏に入ってすぐにある酒場に足を踏み入れる。店主は英雄の姿を見るやいなや、渋い顔をしたが情報屋に会いに来たのだと告げれば気の毒そうな顔をして奥の部屋へ通してくれた。
「おや。おやおやおや。これはこれは。お目に掛かるのは初めてですかな。英雄殿。勇者様。この国の、救世主」
暖炉の前のソファーに丸まるようにして腰をかけた猫背の男が、くつくつと笑いながらしゃがれ声で言った。ぶすぶすと消えかけの暖炉の炎が不気味に男の顔を浮かび上がらせている。
「………調べて欲しいことがある。僕が僕である為に、どうしても必要な事だ」
英雄が、ゆっくりと顔に巻き付けた布を取り去る。
英雄の醜く変わり果てた容姿を、舐めるように見回した男はにいっと口の両端を持ち上げて笑った。
「成る程、成る程。詳しく聞かなくても、十分に理解できる。わざわざ口に出して貰わずとも結構。だがしかし、対価は用意できるのかね? 生憎、ただ働きはごめんなのでね。最近の客は、物の道理が分かっていないから困ってしまうよ。せっかく極上の情報を用意してもいざ披露しようとすれば対価が払えないという。情報は塵芥同然になり、犯した危険は無駄になる。なんとも、恐ろしい話しだとは思わないか? え?」
全くもって納得がいかないという風に情報屋が、身体を揺らす。不気味なその姿に気圧されながらも、英雄は懐から大粒の宝石を取り出す。それは目を見張るほどに美しい深い青色のサファイアだった。精緻な細工が施された美しいブローチ。英雄の数え切れない冒険譚の内の一つを終えた時に王から賜った物だ。
「これで足りないというのであれば、幾らでも持って来よう。宝石も、宝剣も望む物を全て。しかし、残念ながら僕は現金を用意することが出来ない。勿論、ある程度なら蓄えはあるが恐らくそれは貴方が望む額ではない。雀の涙にも満たないだろうから。価値ある物なら、持っている。それが貴方の対価と認められるのであれば依頼を受けて頂きたい」
サファイアを受け取り、じいっと見つめた男はひっひっひっと魔女を思わせる引きつった笑い声を上げる。大切そうにサファイアを懐にしまい込んだ。
「十分、嫌。十二分だ。王から賜った宝物など幾らでも買い手はつく。いいだろう。いいだろう。依頼を受けようではないか。そうさな、これの他にも宝石をいくつか。それと、貴方が持つ物の中で一等大切にしている物で手を打ちましょうか。いかがかな?」
願ってもない提案に迷わず頷けば、男はもう話は終わりだと言わんばかりに眠りにつこうとさらに身体を丸めた。慌てて声を掛ければ、不機嫌そうに僅かに身体を持ち上げた。
「待ってくれ、僕はまだ何を調べて欲しいか言っていない」
「愚問だな。生まれたばかりの赤子でも分かることだ。今の貴方が、全てを投げ打ってまで知りたいと思うことなど一つしかないだろう」
情報屋は、英雄の真っ赤に染まった瞳をじいっと覗き込みながら笑った。
「そうして英雄は待った。情報屋からの連絡を今か今かと待っていた。そして遂に、麗しい満月の晩に手紙が届いた。希望を胸に抱きながら僕は情報屋のいる酒場に向かった。店主は僕の顔を見ると、なにも言わずに奥へ通した。赤々と燃える暖炉の前に変わらずに情報屋の男は座っていた。僕は、男に対価を差し出した。宝石を5つと最後に王から賜った宝剣を一降り。男はそれを見て、満足そうに頷くとひきつったしゃがれ声でこう言ったんだ。貴方が毎夜通っている屋敷。そこに全てを知るものがいる。世界の全てを知り、全てを見、全てを予見する叡知がそこにある。姿形は分からない。ある時は分厚い書物であるし、ある時は年老いた老婆でもある。叡知は脈々と受け継がれ、今の持ち主はその屋敷にいる。その叡知ならば知り得るだろう。………その人物にならば、僕のこの姿から逃れる術を知っていると、そう言ったんだ」
ティーナは静かにルークの話を聞いていた。
いつものような語り口調ではなく、僅かな惑いを感じさせる声に寂しさを覚える。
「ルーク。私に、その叡知を探してきて欲しいって言いたいの?」
ルークの力になりたくないわけではない。しかし、ティーナは使用人。加えて、余り優秀な使用人とは言えない為、幾度となくこうして塔に幽閉されている。実を言えば、ほとんど塔に幽閉されて過ごしていると言っても過言ではないほどなのだ。屋敷で仕事をしている時間より、塔の中で膝を抱えている時間の方がずっと長いのだから。自分では、彼の役に立てそうにないとティーナが肩を落とす。
「いいや、違うんだ。ティーナ」
重苦しい声でルークが言った。
ルークの赤い瞳には爛々と輝く満月がしっかりと映り込んでいた。
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