おんぶ坂

@origami063

おんぶ坂

「本当なんだよ」


 小学校からの帰り道、佐々木君は必死の形相で僕たちに詰め寄ってきました。大き目のマスクをつけているせいで、目だけがギラギラとしていて不気味です。

 柴田君と僕は、2人で顔を見合わせます。


「おい、西井」


 柴田君はこっそりと僕の耳元で囁きます。


「佐々木のやつ、おかしいんじゃないのか」

「うん。もしかしたら、あれかも。ひどい風邪を引いたせいで、“ゲンカク”というやつを見ているのかも」

「おい、何をこそこそ話をしているんだい」


 佐々木君は鼻を鳴らすと、ついてこいと言わんばかり顎をしゃくりました。彼は僕たち2人を、普段たまり場にしている児童公園へ連れて行きました。

 師走の風が元気良く木立の合間を駆け抜けていきます。その度に柴田君と僕は亀のように首を縮めましたが、佐々木君は寒さなど感じていないようでした。きっと、興奮していてそれどころではなかったのでしょう。


「うう、寒いな」


 柴田君は僕に目配せをしてきます。こんな話、早く済ませて家に帰ろうというメッセージが、彼の瞳の奥からビーム光線のように放たれています。


「とりあえず、もう1度話を聞かせてよ」


 全員がベンチに腰を下ろしたところで、僕がそう促します。


「言っただろ。僕の背中に、女の人が張り付いているんだ」

「いつから」

「丁度2週間くらい前からだよ。僕、その頃『おんぶ坂』を通ったんだ。だから、きっとおんぶお化けに憑りつかれてしまったんだよ」

「あんなの、嘘っぱちだろ。それに、女の人なんて見えないぜ」


 柴田君が鼻を鳴らすと、佐々木君はきっと柴田君を睨みつけました。


「あの女の人は、僕にしか見えないんだよっ」

「でも、佐々木君もまだ女の人を見たことがないんだろ?」

「そうさ。女の人は僕の背中に張り付いているんだ。だから見ることはできないのさ」

「じゃ、何でいるって分かるんだよ」

「背中が何だかほかほかとして、あったかいのさ!それに、時々声が聞こえるんだ。とても恐ろしい声で、何が呟いているんだよ」

「うーん、なるほどなぁ」


 僕は考え込みました。佐々木君は、自分の背中に女の人がおぶさっていると本気で信じています。それが事実だろうと、そうでなかろうと、その「信じる気持ち」を取り払わないと、佐々木君はいつまでも怯え続けることになるでしょう。

 どうすれば良いのか悩んでいたところで、柴田君が思いついたように口を開きます。


「鏡を使うのはどうだろう?」

「鏡?」

「そうさ。それも、全身が映るようなうんと大きいのを。それを使えば、背中に張り付いているおんぶお化けを見ることができるんじゃないだろうか」


 ああ、その手がありました!

 しかし佐々木君は悲しそうに首を振ります。


「実は、それはもうやってみたんだよ」

「なに!」

「でも、駄目なんだよ。鏡で背中を見ようとすると、おんぶお化けは背中からお腹側に逃げてしまうんだよ」

「そしたら、もう一度正面を向けば良いじゃないか」

「そうすると、また背中側におぶさってしまうんだ」

「ああもう、めんどくせぇな」


 柴田君は苛立たしそうに頭をガリガリと搔きました。これは、柴田君の怒りメーターが徐々に上がっているサインです。早く解決しないと、いつ爆発しないとも限りません。

 僕はうんうん唸りながら頭を捻り、漸く1つの妙案を考え付きました。


「写真を撮るのはどうだろう」

「それだ!心霊写真とかあるだろう。お化けだって、きっと映るはずだぜ」

「でも、普通に背中を撮ってしまっては、鏡の時と同じように身体の反対側に逃げられてしまうんじゃ……」


 佐々木君は不安そうでしたが、柴田君は自信満々です。


「そんなの、両側から同時に撮れば良いだけだろ」


 佐々木君を立たせると、僕と柴田君は彼を挟んで点対称の位置でスマートフォンを構えます。こうして同時に写真を撮れば、いかにおんぶお化けといっても逃げ場所はないでしょう。


「それじゃ、いくよ!せーのっ」


 写真を撮り終えると、僕たちはすぐさま互いの写真を見せ合いました。


「お腹側は……駄目だな、何も映っていない」

「おい!背中側、何か写ってるぞ」


 柴田君のスマートフォンを覗き込むと、なるほど、確かに白い影のようなものが佐々木君の背中にかかっています。見ようによっては、女性のようなシルエットに見えなくもありません。

 その姿を見た途端、佐々木君はがたがたと震え始めました。


「ああ、やっぱりいるんだ!気のせいや、僕の耳がおかしくなったんじゃなくて、やっぱりいるんだ!」


 その尋常ならざる彼の様子と、実際に写真の影を目の当たりにして、僕と柴田君も恐ろしくなりました。どうやらおんぶお化けは実在するようなのです。柴田君は少し佐々木君から距離を取ると、その背中を恐ろしそうに眺めました。


 こうなれば、もう取るべき道は1つしかありません。僕は意を決すると、2人を呼び寄せました。自然、内緒話のように声が低くなります。


「こうなったらもう……おんぶお化けを倒すしかないよ」

「ええっ、何言ってるんだ。そんなことして、俺たちに移ってきたらどうするんだよ」

「そうだよ、西井君。それにもし怒らせてしまったら、僕は一体どうなってしまうのさ」


 柴田君も佐々木君も逃げ腰でしたが、僕は2人の肩をがっちり挟んで逃がしません。


「柴田君、君は友達を見捨てるような薄情な男なのかい。もしそうだとしたら、今後もし僕がピンチになるようなことがあったとして、その時も平然と僕を見捨てるとでもいうのかい」

「うう……仕方ねえな、協力するぜ」

「それから佐々木君、実は君、既におんぶお化けを除霊するためにお祓いとか行っているんじゃないかい。そうしたらもう、おんぶお化けはカンカンになっていて、それこそ明日には君の身体は冷たくなっているかもしれないんだよ」

「そ、その通りさ、実は、もう有名な神主様や祈禱師のお祓いを何度も受けているんだよ」

「ほらごらん。今更僕らがちょっぴり何かしたところで、そう状況は変わらないよ。

ちなみに佐々木君、今までおんぶお化けを退治するためにどんなことしたのか、参考までに教えてくれないかい」

「分かった」


 佐々木君はちらと背後に視線をやりましたが、意を決したように話し始めました。


「まず、水責めをしてやったよ」

「それは、どんな方法で?」

「家でシャワーを浴びている時、背中に冷水をかけ続けてやったのさ。冬場に冷水をかけられ続けたら、流石のおんぶお化けでも我慢できないだろう?」

「そりゃ凄いな!で、どうなった」

「駄目だったよ。どうやらおんぶお化けは、冷たいのには滅法強いらしい。『ク~~~~ッ』っていう気持ち良さそうな声が聞こえてくるだけで、代わりに僕が風邪を引いちゃったよ」

「ふむ、ここ暫くマスクをつけてたのはそういう訳だったのか」


 佐々木君は頷きながら、ゴホゴホと咳き込みます。

 どうやら、おんぶお化けはなかなかに手強いらしい。そう簡単にやっつけることができる相手ではなさそうです。


「で、他は何をやったんだ?」

「次に、釜茹でをしてやったさ」

「おお、それならおんぶお化けも堪らず逃げだすはずだ」

「熱々のお風呂に入って、100秒数えてやったよ。それも、1を『い~~~ち』って具合に、わざと長く数えてやったのさ。

でも、それでも駄目だった。どうやらおんぶお化けは、熱いのにも滅法強いらしい。『ア~~~~~ッ』ていう気持ち良さそうな声が聞こえてくるだけで、代わりに僕がのぼせちゃったよ」

「あのさ……何だか、それ、エッチだな」


 柴田君が照れ臭そうに呟きました。

 確かに、お風呂に知らない女の人と一緒に入るなんて、何だかエッチな感じです。気が付くと、僕たち3人は全員、恥ずかしそうに顔を赤らめていました。


「そ、それにしても、おんぶお化けはとっても我慢強いみたいだね」


 僕の言葉に、2人とも我に返ったように頷きます。


「そうだな。それだけやっても佐々木の背中から離れないなんて」

「それ以外にも、色々試してはみたんだよ。汚い公園の公衆便所に籠って、臭い責めをしてみたり、カラオケで大音量で歌いまくって、音波攻撃を仕掛けてみたり。それでもさっぱり効かないんだ」

「う~ん、これはどうしたものかなぁ」


 柴田君も佐々木君も、難しそうな顔で考え込んでしまいます。

 僕も2人と一緒に退治する方法を考えようとした時、不意にある疑問が頭に浮かびました。それはまるで電球の光のように、暗い頭蓋の内をピカリと照らしました。


「そういえば佐々木君、君……る時って、どんな……なんだい」

「え、……せだけど」

「それだ!」


 急に大声を出したので、柴田君も佐々木君も吃驚した顔をしています。


「何だよ、急に大声を出して」

「やっつける方法が見つかったのさ」

「なにっ、一体どんな方法だっ」

「しーっ、おんぶお化けに聞かれたらまずい。さ、近くに寄って」


 そうして僕は、おんぶお化けを退治する妙案を、2人に語ったのでした。


******


 次の日学校に行くと、柴田君と佐々木君が真っ先に駆け寄って来ました。


「やったよっ、遂に、おんぶお化けをやっつけたっ」

「流石だぜ!西井のアイデアのおかげだっ」


 柴田君と佐々木君は嬉しそうにハイタッチをしています。僕も楽しくなってきて、2人と何度もハイタッチをしました。


 僕たち3人は教室の隅に集まると、佐々木君から結果報告を聞くことにしました。


「もう、女の人の気配とかはないの?」

「うん!声も聞こえないし、背中も何だかスース―するよ」

「良かったな、佐々木」

「で、どんな風に倒したんだ」


 僕が尋ねると、柴田君がきりりと顔を引き締めます。佐々木君も眉間に皺を寄せて、神妙そうな面持ちです。


「あの後家に帰って、いつも通りご飯を食べてお風呂に入った。

そしていよいよ、寝る時間になったんだ。僕は部屋の電気を消すと、ベッドの中に潜り込んだ」

「うん」

「いつもなら5分もしない内に眠ってしまうんだけど、昨日ばかりは必死に耐えたよ。おんぶお化けを騙すために、わざと呼吸を深くして、狸寝入りを決め込んだのさ。

暫くしたら、すやすやと規則的な寝息が聞こえてきた。おんぶお化けも安心して、眠っちゃったのさ。

でも僕は起きていた。この時を待っていたんだ」


 何だか、いつもなよなよとしている佐々木君が格好良く見えます。

 彼は一拍間を置くと、唇をにやりと吊り上げました。


「そして次の瞬間、仰向けに寝返りを打ってやったのさ!

普段はうつ伏せで寝てるから、仰向けは何だかお腹が無防備でむずむずしたよ。でも、これもおんぶお化けを退治するためだと思えば我慢できた。

おんぶお化けは突然のことに吃驚していたよ。『ムギュウッ』って苦しそうに僕の下で呻いてた。あったかい息がうなじに当たって、僕は何だかぞくぞくしたよ。身体の下の方が熱くなって、胸がとってもドキドキした。

気が付いたら、朝になってたよ。どうやらいつの間にか眠っちゃっていたらしいんだ。急いでベッドから出たら、僕のものじゃない、大人の身体の痕がくっきり残ってた。おんぶお化けは、僕とベッドに挟まれて、潰れて消えちゃったんだ」


 話し終わると、佐々木君は深く息を吐きだしました。

 それと同時に、柴田君も僕も我に返ったように呼吸を再開しました。佐々木君の話は臨場感たっぷりで、僕らは2人揃って息をするのも忘れて聞き入っていたのです。


「それにしても、ナイスアイデアだったな」


 柴田君がにやにやしながら肩を小突いてきます。僕は照れ笑いを浮かべました。


「うん。寝てる時におんぶお化けはどこにいるんだろうって、ふと疑問に思ったんだ。僕なんかは仰向けで寝てるけど、その間はお腹側に来てるのかな、なんて。でもおんぶお化けっていうくらいだから、きっと背中の方が居心地が良いんだと思った。

だから、佐々木君がうつ伏せで寝てるっていうのを聞いてピンときたんだ。油断させておいて寝返りを打ってやれば、おんぶお化けを潰すことができるんじゃないかって」

「本当に有難う、西井君。僕、感謝してもし切れないよ」


 その後チャイムがなり、僕たちは座席に戻りました。


 ホームルームで先生の退屈な話を聞きながら、僕は窓の外を眺めます。

 結局、おんぶお化けとは何だったのでしょう。正直、佐々木君の話を聞いていて、僕はちょっぴり羨ましくなりました。僕に憑りついていたのなら、やっつけようなんて考えず、そのままにしていたかもしれません。背中におぶさってくれるなら、冬場など寒い時にほかほかして良いではありませんか。


 それに……1度で良いから、どんな顔をしていたのか見てみたかったものです。


 あれから、『おんぶ坂』の怪談は聞いていません。

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