第8話 夢の終わり
魔法陣の光がなくなった後も、アイルの持つ一対の翼は淡い輝きを放っていた。辺りにいくつもの羽が舞い落ち、深い宵闇に消えていく。その様子を見ていたアンジェは、唇に指を当て不敵な笑みを浮かべた。
「へえ……まだ幼いのに、もう【天翼魔法】が使えるんだ。すごいね、それかなり高難度の魔法なんだけど。結界魔法の他にそんなものまで詠唱していたんだね。もしかして、他にもまだあるのかな?」
「……行け」
アンジェの言葉を無視し、アイルは小声で何かに対し命令する。次の瞬間、光の翼から出現した数百の羽が、とてつもない速さでアンジェを襲った。
「っと!!」
アンティーク傘を閉じたアンジェは素早く飛び上がり、転移魔法を使いながらマシンガンのごとく射出される羽をかわし続ける。命中しなかったものは多くの枯れ木を切断し、大地をえぐりとった。
「フフッ、その魔法はクレアも使っていたね。懐かしいなあ……やっぱりキミには、クレアの血が流れているんだね」
「ママの名を口にするな!!」
アイルは翼を羽ばたかせ、一瞬でアンジェの前まで飛翔する。空中で目にも留まらぬ殴打を幾度となくアンジェに浴びせるが、すんでの所でかわされたり、傘による防御でダメージを与えることができない。しかしその猛攻に耐えきれなくなったのか、アンジェはまたも転移魔法を使いアイルと距離を置いた。
「ふう。天翼魔法の対処法は近距離戦に持ち込んで直接叩くことなんだけど、アイル……キミは随分格闘術も鍛錬したみたいだね。接近戦が苦手だったクレアと違って、隙があまり見えないよ」
「………」
まだまだ余裕を見せつけているアンジェ。
人知を超えた力による二人の激突であったが、ボロボロになっていたのはアイルが付けていたピンクの手袋だけであった。
「ねえアイル、もし今ここで私が命乞いをすれば許してくれるかい?」
「……この世界にはね、『許される罪』と『許されない罪が』あるの。あなたが犯した罪は後者。抵抗せず捕らえられるなら、おじいちゃんの元へ送り届けるまで生かしてあげるわ」
「アハハ、勘弁してくれよ。それどっちにしろ死ぬじゃないか。せっかくジガンのいないタイミングを狙って強襲したのに……あの老人とは会いたくないなあ。今の力だと、自由の状態でも勝てる気がしないもの」
元魔王のアンジェがそこまで言うとは……どうやら今の魔王を務めているだけあって、アイルのじいちゃんは恐ろしく強いようだ。
「……あなたには死よりも重い罰を与えたい」
「……フム。実に強大で質のいい憎悪だ。何より素晴らしいのは、その憎悪を抑えて冷静でいられていること。親の仇敵を見ても心を乱さず、しっかりと魔法を使えている。キミはさぞ強い魔法使いになるだろうね。ジガンの後継者に相応しいよ」
「……行け」
アンジェの評価など意にも返さず、またもアイルの翼から数百の羽が放たれる。
「んー。同じ手ばかりじゃ飽きてしまうよ、アイル」
ここまで何度も使っている転移魔法の魔法陣が現れ、アンジェは別の場所へ移動しようとする。俺も先程と同様の攻撃法かと思ったが、今回は少しだけ異なっていた。アイルは右手をグッと閉じアンジェに向かってこう叫びつけたのだ。
「消えろ!!」
「!?」
アイルの言葉と同時に、アンジェの足元にあった転移魔法の陣が消失する。結果、回避する方法を失ったアンジェは、その身におびただしい数の羽の矢を受けることになった。
「きゃあっ!?」
アンジェは凄まじい勢いで数メートル吹き飛び、そのまま近場の大木に激突する。大木は衝撃により折れ、そのまま森の中へズンと倒れる。土煙と砂埃が巻き起こっている中、彼女の声が聞こえてきた。
「あはは……びっくりした。まさか【消陣魔法】まで使えるなんてね。それはゼルが得意としていた魔法だ。【天翼魔法】もだけど、普通キミくらいの年齢で習得できる魔法じゃない。だからね、正直油断したよ」
煙が晴れると、そこには折れた株に横たわる無残なアンジェの姿があった。
顔はキレイなままであったが、四肢は左腕しか残っておらず、ドレスもボロボロのため、肌がかなり露出していた。アイルは静かにアンジェの元へと歩みを進める。
「いやはや、参ったね。これじゃもう動けないよ。それにせっかくのドレスも台無しだ」
どんな化け物でも瀕死になるはずの重傷。そんな状態にも関わらず、アンジェは平然と笑顔を浮かべている。何かおかしい……目をこらしてよく見ると、腕や足の切断面は空洞になっており、細い金属製のワイヤーが何本も垂れていた。
「! それってまさか……【魔力人形】!?」
「フフッ、よくできているだろう? エリシアもすぐには気付けなかった。そうさ、これは私じゃない。魔力で私の意のままに動くただの金属人形さ」
そうだ、エリシアさんが言っていた……アンジェは金属でできた巨大な魔力人形を使って人々を苦しめていたと。そして今使っているのは自分そっくりの精巧な人形……何も知らない俺は当たり前だが、アイルも同じくその存在に驚いていた。
「そんな……外見も動作も人間と変わらない魔力人形があるなんて」
「何だ、知らなかったのかい? フフッ……本物の私は別の場所にいる。のんびり紅茶を飲みながら、ルージュとこの人形を操作しているよ。私に復讐できなくて残念だったね、アイル」
「……ならせめて、その人形は回収させてもらうわ。あなたを追跡する手がかりになる」
「無駄だよ……どうせキミの命はここで終わるのだから」
笑うアンジェの顔に小さな亀裂が走る。突如、切断されたアンジェの右手が動き出し、アイルの足首を掴んだ。
「!? これは……あっ!!?」
アンジェの右手は黒い液体に変化し、アイルの足を闇色に染め上げる。痛みがあるのか、アイルはその場で膝をつき動かなくなってしまう。
「この魔力人形には七つの魔法を仕込んである。ルージュと人形を操るための【操作魔法】、彼女を癒やした【治癒魔法】、移動や回避手段として使った【転移魔法】、結界内のキミたちを見つけ出す【探査魔法】、結界を破る【破壊魔法】、天使たちを阻害するための【結界魔法】、そして……」
アイルは両手まで地につけ、苦悶の表情を浮かべる。背にあった美しい光の翼も消えてしまった。
「最後の一つは、【深淵魔法】……この闇に触れたものは、身体能力と魔法能力が奪われる」
「……!!」
アンジェは左手からも同じ黒い液体……闇を流れ出していた。アイルとアンジェを含んだ周囲に、円状の黒い水たまりが広がる。その光景を見た俺は、あることに気付き恐怖する。徐々にではあるが、円の中にある全てのものが沈んでいったのだ。
「そしてこの闇はね、泥沼のごとく生命を飲み込むんだよ。落ちたら最後、待っているのは永遠に続く無だ。助け出す術はない。フフッ、物質も音も何もない暗黒世界で発狂して死ぬがいいさ」
「くっ!!」
「アイルーーーーー!!!」
無慈悲にもアイルの体はズブズブと闇の沈んでいく。俺は光の壁を叩いて壊そうとするが、まるでビクともしない。アンジェは横たわっていたため、大半の部分を闇に飲まれていた……そして、今にもこの世界からなくなりそうな彼女から、別れの言葉が飛んできた。
「今回はキミまで手を回せなくて残念だったけど……また会おうね、ノア」
アンジェの人形が底なし沼に消える。二度と会いたくねえと思ったが、今はアンジェのことなんかどうだっていい。アイルを助け出すことが先決だ。俺は渾身の力を込めて壁を殴り、蹴り、頭突きまでかますが、状況は何も変わらなかった。
「だああぁああ!! 畜生!! この結界全然壊れやしねえ!!」
「アハハ……ゴメンねノア。一緒に遊びたかったけど……約束守れそうにないや……」
「ば、バカヤロー!! そんなフラグっぽいこと言うんじゃねえ!! いいから早くこの結界解除しろ!! 絶対俺がお前を助け出すから!!」
「ダメだよ……そんなことしたら、ノアまで死んじゃうもの」
こいつ、自分が死にそうなのに俺の心配なんかしてやがる……!!
俺は己の無力さに絶望し、涙と鼻水を止めどなく垂れ流す。
壁を叩き続けた両手から、わずかながら血がにじみ出た。
くそっ!! 死なせねえ…………絶対死なせねえ!!
誰かのために、こんなにも強く思ったのは生まれて初めてだった…………すると俺の願いが神さまにでも通じたのか、アイルの結界魔法に変化が現れる。光の壁は少しゆらめいた後、白い気体となって俺の両手に流れ込んできたのだ。
「……はあ!? な、なんだこりゃあ!?」
俺の意思とは関係なく、アイルの魔力がどんどん体内に入ってくる。力が溢れ出し、心なしか体のサイズも大きくなった気がした。そして待つこと数秒。俺はついにアイルの結界を吸い尽くしたのだった。
「……うん、よし、まあいいや!! 何かわからんけど、とりあえず結界がなくなったぞ!!」
「う、嘘!? 今のは……何!? 何でノア、私の結界を破れたの!?」
「あ!? 俺が知るわけねーだろ! んなことより今そっち行くから待ってろ!!」
「ええっ!? だ、ダメだよノア!! 来ちゃダメ!!」
「うるせー!! こちとらビビって何もできなかったんだ!! 少しくらいカッコつけさせろ!!」
俺は猛ダッシュでアイルの元へと向かう。四つん這いのアイルは腕と太ももまで闇の液体に沈んでいた。そのままジャンプして飛び込んでやろうかと思ったが、アイルに闇の飛沫がかかる恐れがあったので、俺は静かに彼女の側まで歩み寄った。
「ノア……どうして……」
「なるほど、こりゃ力がでねえわ。よーし……わりいな、アイル。ちょっと体触るぞ」
最初はアイルと一緒に脱出するつもりだったが、闇の侵食により俺の足はもう動かなくなっていた。しかし、手と腰はまだ動く。力もまだまだ残っている。俺はアイルの腰を掴み、闇の沼から引っ張り上げ、円の範囲外にある草むらまで放り投げた。
「があああああああ!!!」
砲丸投げの選手を彷彿とさせる雄叫びをあげる俺。アイルは枯れ葉が溜まっていた所にガサッと落ちる。運よくクッション代わりになってたらいいんだが……
「はあ、はあ……おーい、アイル! 大丈夫かー!?」
「う、うん。ただ闇に侵食されて手も足も動かなくて、魔法も使えなくて……ああ、ノア!!」
うつ伏せになったアイルと目が合う。目立った外傷はないけど、ちゃんと手足が動くようになるのかが心配だった。まあエリシアさんや魔界のじいちゃんならきっと治してくれるだろう。
「だ、誰か!! お願い誰かノアを助けて!! エリシア!! おじいちゃん!! お願い誰か!!! うわあぁあああぁああ!!!」
だーから泣くなって。ったく……女の子の涙って苦手なんだよなー……つーか俺が死にかけるとあんな取り乱すんだな……自分の時は笑ってたくせに……
気付けばもう肩の辺りまで闇に侵されていた。俺は残った力を振り絞り、アイルに伝えたかったことを大声で叫ぶ。
「おいアイル! あんま復讐とか考えるんじゃねーぞ!! お前はアニメ話してる時の方が100万倍カワイイんだからな!!」
「ノア!! ノアーーー!!」
死の際にも関わらず、意外にも俺の心は静かな海のように落ち着いていた。ただし、俺の股間は嵐が巻き起こっており、それはもう悲しいくらいビッチョビチョになっていた。表面上は格好をつけてはいたが、その実、裏ではとんでもないことになっていたのだ。
はあ……まあ、どうでもいいか……つーか腹減ったなあ……最後に母ちゃんの目玉焼きハンバーグ食いたかったなあ……
ついに顔まで沈んでしまった俺は、残った右手でグッドサインを掲げ、深い闇の彼方へと堕ちていった。
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