第二章 日常風景

第9話 いつも通りの朝


「…………!!」


 見知った天井が見える。

 俺は目を覚まし、今までの出来事が夢であったと認識する。全身汗でびっしょりになっており、長時間睡眠をしたにも関わらず、疲れは全く取れていなかった。


「はあ……まーたこの夢か……相変わらず長かったなー……」


 あれから約六年後の七月中旬。いつも通りの朝。すずめが鳴き、部屋の小窓から木漏れ日が射し込んでくる。トランクス一丁でベッドから起き上がり、時計を見るとまだ七時前であった。俺はよく寝坊をするため、遅刻の心配がないことにほっと一安心する。再びベッドにゴロンと寝転ぶと、夢の続き……アンジェの【深淵魔法】に飲まれた後のことを思い出す。

 

 あの夜……正直自分は完全に死んだと思っていたが、気付いたら病院のベットの中にいた。近くに母ちゃんと父ちゃんがいて、俺が意識を取り戻したらいきなり泣いて抱きついてきた。医者曰く、俺のケガは軽い打撲で、病院に連れてきてくれた人物はアイルとエリシアさんのようであった。

 どうやってあの底なし沼から脱出できたのかは未だにわからないが、おそらく二人が何らかの手を使って助けてくれたのであろう。

 

「……アイルとエリシアさんには感謝しねえとな」


 しかし何だろうな……どうも俺には、同じ夢を何度も見てしまう性質があるようだ。まあ、この夢のおかげでアイルとの思い出が風化しないから良いんだけどさ。ちなみに他にも、上空から家の庭に落下する夢もよく見る。たまには痛みを感じない夢を見てみたいもんだ。


「ふああ……」


 あくびをしながら更にあの夜のことを思い出す。

 俺はその日のうちに退院して車で家へ帰ることになった。そんで車内で母ちゃんに謝ったんだ。アイルとの約束だったからな。ついでに運転席の父ちゃんにも謝った。『お金勝手に使って……ゴメン母ちゃん。あと心配かけて……ゴメン父ちゃん』って言ったんだ。そしたらこの両親、とんでもないリアクションを俺に返してきやがった。


「パパ聞いた!? この子私に謝ったわ!! 生まれて初めて謝罪したわ!!?」


「ああ……偉いぞノア。素直な子に育って、父ちゃんうれしいぞ」


「はっ!? まさか……どうしよう、もしかしたらこの子、頭打って人格が崩壊したのかも!!?」


「何っ!? それは大変だ、もっと詳しくお医者様に診てもらわないと!」


 車は急いでUターンし病院へと向かっていった。再検査の結果、やはり俺は軽い打撲だったそうだ。あの時は本気でグレてやろうかと思ったが、何とかギリギリ思いとどまった。普段の行いがアレとはいえ、息子を何だと思っているんだこの親は。


「それにしてもありゃ何だったんだろうなぁ……」


 不思議な夜だった。

 あの時の出来事を両親に伝えたが、まるで信じてはくれなかった。

 魔界のお姫様と出会ってヲタ話をし、魔法使いのお姉さんに抱きしめられ、悲劇の少女と元魔王の人形に殺されかける……そりゃ普通は信じないわな。俺は夢のような思い出に対し、少し干渉に浸りつつ現実に目を向ける。


「はあ……学校だりいな……サボるか」


 幸いにも昨日から父が海外出張で母も同行しており、この家には俺一人しかいない。一ヶ月は帰ってこないらしいから、その間好き放題できるのだ。つーか息子を置いて父に同行する母ってどうなんだと思うが、それは仕方のないことなのだ。父ちゃんは炊事洗濯といった生活力が皆無な上、性格がいい人過ぎて詐欺師に狙われやすい。海外で一人暮らしをするなど自殺行為に等しいのだ。よって母ちゃんは平静に判断を下した。オレを一人で家に置いておく方がまだマシだと。

 ちなみに息子も一緒に連れて行く、という選択肢は金銭面の都合により即抹消されていた。


「よし……二度寝だな」


 至高の幸福……それが二度寝である。

 願わくば今度は別のエロチックな夢を見たいものである。

 さあ夢の中へいざダイブ……そんな思いを描いている最中、階段を勢いよく駆け上がる足音が聞こえる。そしてノックもなしに俺の部屋のドアがいきなり開かれた。


「おーい、ノア。起きろボケ。朝食できたでー」


『げっ、ひまり!?』


 セーラー服の上から母ちゃん愛用のエプロンを付けた少女が、気だるげに俺を呼びかけている。こいつは幼馴染その1・真桜院まおういんひまり。栗毛のツインテールで、かなりのチビであるがオレと同い年である。


 見た目は小悪魔的でキュートな美少女であるが、騙されてはいけない。性格、身体能力は地獄の悪魔そのもので、不良の多いうちの高校を入学三日後に拳一つで制圧していた。身長2メートル越えの番長をケタケタ笑いながら片手でぶん投げる様はまさに圧巻であった。てかドン引きしたわ。正直その細腕で何故あんな馬鹿力を出せるのかはなはだ疑問である。


 一応彼女が不良たちをフルボッコにしていた理由は、純然たる正義があってのことなのだが……ううっ、あの時のことは思い出したくねえなあ……

 

 あと非情にどうでもいい話だが、そんな乱闘騒ぎを起こした結果、苗字が『真桜院(まおういん)』なのもあり、ひまりは学校の不良どもから『魔王様』と呼ばれるようになっていた。本人は嫌がっていたが、ぶっちゃけアイルやアンジェ以上にしっくりくる敬称だと俺は思った。


「ったく。おばちゃんの頼みとはいえ、何でうちが起こさなアカンねん」


 ひまりは小さい頃に関西地方からここ関東地方へと引っ越して来ており、今なお関西弁を使い続けている。いい加減標準語に染まれよと思うのだが、『この喋り方がうちのアイデンテテェやねん!』とよくわからんことをのたまっている。

 どうやら俺が学校サボることを見越して、母ちゃんがひまりに起こしてくれるよう頼んでいたようだ。まったく余計なことを……


「ほら、はよ起きいや」


 ひゅっ! ペチン!!


「!?」


 風切音と共に、俺の頬へいきなり鋭いビンタが飛んでくる。

 その威力に思わず声を上げそうになるがなんとか耐えきる。

 しかしなんという無慈悲な起こし方だろう。体を揺すったり優しく頭をなでたりと色々パターンはあるだろうに、年頃の女子がいきなりビンタという手段を選ぶか普通。

 

「今のはレベル1や。次はレベル2な」


 え? この人何言ってんの? 

 今俺の永久歯が飛びそうになったんだけど……え? 今のが1?


「フン!!」


 シュッ!! スパーーーーン!!!


「んぶっ!!?」


「おっ今ちょっと声出しよったな。ほらノア、おはようさん」


「…………」 


「そっかー……うん、ようわかったわ。んじゃ次はレベル3な」


 築二十年の洋風一軒家から、銃声のような音が何発もこだまする。

 レベル12くらいからだろうか……俺は睡魔ではなく痛みにより意識がなくなりそうになる。鏡で今の自分の顔を見たら、原形がわからないくらいパンパンにふくれあがていることであろう。


「ぬー……ちょっとやりすぎたかな。ノアー、おい、いつまでも狸寝入りすんなや。ええ加減にせんとパンツ剥いでチン毛むしるぞコラ」


 とんでもない発言が出てきたが、ひまりの口は殺人鬼ばりに悪く、罪深い。この程度の下劣な脅迫は日常茶飯事なのだ。


「んーでもなぁ……パンツ剥ぐ所で起きて『この変態!!許してほしくばお前のパンツをよこせ!!』とか脅されそうやしなぁ」


 誰がいるかお前のパンツなど。

 しかしその手は使えるな。万が一寝込みを襲われそうになったら、パンツ以外のものを要求しよう。


「せや! ええこと思いついたわ!」


 そう言うとひまりは軽い足取りで一階へと下りていく。

 イヤな予感しかしなかったが、ここで起きては今までの苦労と苦痛が全て無駄になってしまう。俺には耐えるという選択しかなかった。


「ま、これなら起きるやろ」

 

 俺は完全に目を閉じているため、ひまりの様子はわからない。

 わかっていたら、この段階で飛び起きていたと思う。

 チョロチョロという水音が聞こえたと同時に、俺の大切な部分に衝撃が走った。


「…………? !! ほ、ほあああああぁあああぁあぁああ!!!??」

 

 俺はカッと目を見開き、近所迷惑確定クラスの叫び声をあげる。

 こ……こいつ、やりやがった。

 少量ではあったが、アツアツおでんクラスの熱湯が俺の股間に注がれたのだ。


「ぴゃあああああっ!!?? あっ!! あっ!! はいいいい!!? ぱあぁああぁあ!!?」


「ぶはははははは!! なんやねんそのピチピチした跳ね方!! まるで陸に揚がった魚みたいや!! てゆーかノア、おねしょしたみたいになっとるやんけ!! よっしゃ記念に写真撮ったろ!! だはははははははは!!!」


 ひまりはポットをテーブルに置き、ベッドで悶え苦しむ俺の姿を、ピロリロリ~ン♪ という軽快な音とともにスマホへ納めていく。魔界に住む悪魔でもこんな酷い仕打ちはしないんじゃないだろうか。お湯のかかったパンツは熱を失うことなく、俺の一物を問答無用で侵食している。

 ダメだ……これ以上はダメだ……もう我慢できず、なりふり構っていられなかった俺は最後の手段に打って出る。現役JKひまりの前で、急いで己のパンツを脱ぎ捨てたのだった。


「ぎゃああああ!!? ちょっとノア!! あんたレディの前で何いきなりスッポンポンになっとんねん!!?」


「うるっせーよ!! 今すぐレディの意味辞書で調べてこいよ!! つーかこちとらデリケートゾーンを軽く湯通しされたんだぞ!? 脱ぎたかねーけど、すぐにでも熱を冷まさねーとヤベーんだよ!! 俺の代わりはいくらでもいるけど、俺の息子はこいつしかいねーんだよ!!!」


 俺はあられもなもない姿で、ひまりの足元に自身のパンツを叩きつける。

 ひまりは数秒ほど顔を赤くさせていたが、すぐさま冷静になる。こんな感じのハプニングは毎月何度もあるため、ひまりにとって俺のツンポコなど見慣れたもの、野に咲く名もなき花と同レベルなのであった。


「ま、ええわ。せっかくやしあんたの愚息も撮っとくな。はい、ち~ず♪」


 俺は全裸で満面の笑顔とダブルピースサインをひまりのスマホに向ける。


 ピロリロリ~ン♪


「ってバカ!! お前ホントバカな!! 俺も大概だけどさ!! 消せ!! 今すぐそのデータ消せ!!!」


「うーむ……この画像うちのSNSに上げたらどうなるかなあ……」


「は!? 何、そんな簡単なこともわかんないの!? 俺の人生が終わる!! 以上!! ネットの海をなめんなよ!? 然る所に目を付けられたら、速攻で特定されるんだからな!!? だからバカなマネは止めろよ!? 絶対だぞ!!?」


「……何やそれ、やってもええ前フリ?」


「ちっげーよ!! んなわけねーだろ!!! もうガキじゃねーんだから、やっていいことと絶対やったらダメなことの線引くらいできんだろ!!?」


「なはは、せやな。うちもちょっと悪ふざけがすぎたかな。まあ美味しい朝食用意しとるから、はよ一階に行くで~」


「待て!! とりあえず俺の丸出しダブルピース画像は消せ!!」


「わかっとるって~、はい、ぽちぽちと」


 笑顔でスマホをイジりながら階段を下っていくひまり。

 口でぽちぽち言ってたが、あいつホントに俺の痴態写真消したんだろうな……。


「はあ……朝から疲れる……」


 ただでさえあの夢を見た後は、寝た気がしないくらい疲れるってのに……朝一でこんな台風直撃を食らったんじゃ、昼まで体力もたねーよ……

 ため息を吐きつつ、俺はいそいそと新しいパンツに履き替える。そして夏用の制服を着用し、ひまりの待つ一階のリビングへと歩を進めた。



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