第7話 復讐



「こいつが……魔王アンジェ?」


 彼女がエリシアさんの言っていた、魔界に住む多くの民を虐殺した冷酷なる魔王……女なのは聞いていたが、こんなにも小さく華奢な少女だとは思いもしなかった。うちの電気街を歩いていたら、稀代のゴスロリ美少女として崇められ、その道に精通した者たちから写真を何枚か撮られていたことであろう。


「はじめまして、アイル=オズワルド」


「…………」


 黒のスカートを少したくし上げ、にこやかに挨拶をするアンジェ。

 アイルは小声で何かを呟きながら、ルージュと闘った時に見せた……いや、それ以上の強大な敵意をアンジェにぶつけている。


「それと久しぶりだね、ノア」


「…………は? 久しぶり? いや待て、俺はお前と会ったことなんかねーぞ?」


「フフッ、そうだね。残念なことに、キミは色々なことを忘れているみたいだから」


 忘れているって……まあ記憶力に自信はねーけど、こいつ魔王アンジェだろ? 会ったことはおろか、存在自体さっき初めて知ったんだが。いきなり身に覚えのない言葉をかけられ混乱している中、エリシアさんがアンジェに激しい剣幕を見せる。


「何故だアンジェ!? 貴様……何故生きている!? 貴様はあの時、我々の手で確かに抹消したはずだ!!」


「アハハ、その答えは教えられないな。知りたければ自分で見つければいいさ」


 そうだ、魔王アンジェはエリシアさんたちによって倒されたはずだ。それなのに今、何でこうもピンピンとしているのだ。謎が増え続ける中、エリシアさんとアンジェの対話はなおも続く。

 

「クッ……しかし私の高位結界をこうも容易く破るとは……」


「高位ねえ……まあ上手く風景と同化してたから、少しはわかりにくかったかな。そこは誉めてあげるよ。でも硬度は私にしてみれば、飴細工のように脆かったからね。もっと腕を上げないとダメだよ?」

 

「……お二人とも下がってください! 奴は今ここで始末します!」


「エリシア一人で私を? アハハ、キミは魔界から地上に来る際、かなりの魔力を消耗しただろう? しかも今は隻腕だ。どう足掻いても私に勝ち目はないさ」


「戯言を……貴様こそ、以前よりかなり魔力量が落ちているではないか! 完全に力を取り戻せていない今、貴様を討つ!!」


 エリシアさんの右手に凍える冷気が集まる。するとみるみるうちに氷の剣が形成されていく。そして疾風のごとくアンジェの元へ駆け出し、彼女に向かって剣を横一閃に鋭く薙ぐ。その刹那、辺りに鈍い金属音が響き渡った。


「なっ!?」

 

 俺は思わず驚嘆の声をあげる。

 信じられないことにアンジェは笑顔のまま、左手で軽くエリシアさんの斬撃を止めていた。


「!? これは、まさか!?」


「フフッ、遅いよ」


 何かに感づいたエリシアさんの後方から、見覚えのある魔法陣が浮き出てくる。


「あれは……転移魔法!? エリシアさん、後ろ!!」


「!!?」


 魔法陣から現れたのは――赤髪の少女ルージュだった。上半身だけ出現しており、素早く無言でエリシアさんの方へ手を伸ばす。


「ルージュ様!!? しまっ――」


 ルージュがエリシアさんに触れたと同時に、魔法陣からまばゆい光が放たれる。光は瞬時に消失し、先程までいたはずの二人の姿もそこにはなかった。


「お、おいこら!! エリシアさんとルージュをどこへやった!?」


「さあ、どこだろうね。この地球上にいないことは確かだろうけど」


 まさか、また宇宙まで飛んでいったのか? クソッ、何にせよ二人とも無事だといいんだが……降雪と風がなくなった森の中、俺は怒りをあらわにし、アンジェに対し声を荒げる。


「てめえ!! 何でアイルやエリシアさんを傷つけようとする!? 何でルージュを操ってこんな酷いことするんだ!!」


「その答えは単純明快だよ、ノア。私にとって彼女たちは敵だからさ。オズワルドの者たちは私の同包を数多く葬った。私自身、一度殺されかけたしね。復讐をしたいって気持ちになるのは当然じゃないかな?」


「お前が魔界の人たちをたくさん傷つけたり殺したりしたからだろ!? 自業自得じゃねーか!!」


「うーむ、このやり取りは埒が明かないね……まあいいか。次はルージュを操った理由だけど、そうだなあ……まず前提として私にはね、『オズワルド家の者たちは最上級の苦痛を与えて殺したい』っていう願望があるんだ」


「!!?」


「フフッ、とても絶望的だろう? かつては仲間であり、家族であった者から殺されるだなんて……その駒としてルージュを選んだ。それだけさ。ただキミたちが推測した通り、ルージュにはまだ『キミたちを殺したくない』という思いが強く残っている。だから完璧には操作できなかった。普段は私に従順なんだけどね。まあ今の状態でも、エリシアの足止めくらいはできるかな」


 こいつ……とんでもなく人格が歪んでやがる。母ちゃんから『人を見た目で判断するな』って教えられたけど、まさにその通りだった。

 アンジェは一歩ずつ、ゆっくりとこちらへ向かって歩きだす。魔力が溢れているからか、アンジェの通った足跡は黒い炭になっていた。


「…………」


 今まで小声で何かブツブツ呟いていたアイルだが、ここにきて無言になる。

 普通の少女なら怯え涙してもおかしくない状況だが、アイルは臆することなくアンジェを真っ直ぐ見ている。思い返してみるとアイルは尋常じゃなく強かった。現在の堂々とした姿も納得できる。しかし、相手は戦闘経験が豊富であろう元魔王だ。いくらなんでも、年端もいかぬ少女が勝てる訳がないと俺は判断した。


「よーし、逃げるぞ。アイルは転移魔法って使えるのか?」


「うん、少しは……でも今はダメ。さっきアンジェがこの周辺に特殊な結界を張ったから、私の転移魔法じゃ突破できないの」


「ま、マジか。いつの間に……確かに上の方で黒いモヤがかかってるな。雪も風も止んでるし」


「この結界は天使さんたちでも破るのは難しくて……だから彼らの応援も期待できないの」


 ヤバイ、詰んだ。RPGでよくある『ボス戦は逃げられないの法則』をまさか現実でもくらうことになるとは……


「本当にごめんなさい、ノア……私のせいで、こんな恐い思いさせて……」


「何回謝ってんだ。別に恐かねーし。つーかアイルのせいじゃねーって何度も言ってるだろ?」


 強がってはいたが、俺の足は滅茶苦茶に震えていた。

 徐々に近づいてくるアンジェに、恐怖心がどんどん大きくなっていく。

 するとアイルは、今にも失禁しそうな俺に対し優しい声で話しかけてきた。


「ねえノア、さっき私に1つ約束してくれたよね? 『この騒動が終わったら電気街を案内してやる』って」


「え? お、おう。任せろ。このピンチを乗り越えたらアニメ・ゲームショップはもちろん、メイド喫茶や美味いラーメン屋にも連れていってやるさ。あんまこういうこと言うと死亡フラグっぽくなるけどな。でも俺は約束だけは守るから安心しろ」


「フフッ、うん、ありがとう。じゃあ私からもノアに1つ約束するね」


「ん? 何だ?」


「……私の命と魂にかけて、あなたを守るから」


 その言葉と微笑みの中に、強い覚悟が見えた。

 何をする気だと聞こうとした瞬間、俺の前に光の壁が現れる。箱状に囲まれていて、強く叩いてもビクともしなかった。


「何だコレ!? おいアイル!! どうなってんだこりゃ!?」


「……私もね、結界魔法は使えるんだ。その中にいれば安全だから、少しだけ待っててね」


 光の壁は薄い透明状のため、かろうじて外の様子を見ることができた。アイルは一歩ずつ、ゆっくりと歩きだす。こちらへ向かっているアンジェの元へ。

 

「あ、アイル!! 何やってんだ!! まさかお前一人で戦う気か!? バカ!! 危ねえからそっち行くな!!」


「…………」


「フーン。なるほど、さっきから詠唱していた魔法はその硬質結界だったのか。うん、中々頑丈そうだね。壊すのに時間がかかりそうだ」


 冬山の木々が囲まれた中で対峙する二人の少女。

 互いの威圧感により大地がざわつく。アイルの結界越しでも、その張りつめた重苦しい空気はビリビリと感じ取れた。


「三つ答えてアンジェ。一つ、私は当然として、ノアまで殺す必要はあるの?」


「うん、もちろん。ノアの死は私にとってメリットがあるからね。少しお話した後、剥製にして私の館にでも飾ろうと思ってるよ」


 待て……俺、剥製にされんのか? 俺を殺して自宅で飾ることに何の得があるのかはわからない。ただアンジェは性格と同様、超絶に趣味も悪い女だと思った。


「……じゃあもう一つ、個人的な恨み以外で、私たちの命を狙う理由はある?」


「そうだね……とりあえず戦争を起こしたいからかな。私の復活とキミたちの死がジガンに伝わったら、確実に魔界全土で大規模な闘争が始まるからね。フフッ、楽しみだなあ」

  

 エリシアさんの言っていた通り、やはりアンジェは戦うことが好きらしい。戦争なんか起こしたら大勢の人間が傷つくってのに……こいつは他人の不幸など考えられないのだろうか……いや、考えてるからこそ殺戮を楽めるのだろうか。いずれにせよ殺人狂の思考なんて理解できないし、したくもなかった。


「最後の一つ……本当にあなたが私のパパとママを殺したの?」


「ゼルとクレアのことかい? ああ、うん。私が殺したね。ゼルは勇敢で気高く、いい腕を持った魔法使いだった。クレアは天使の血が流れているにも関わらず、魔界にかなり適応していたね。二人とも強かったよ」


 アイルの問いかけに終始にこやかに答えるアンジェ。

 アイルの母ちゃんは天使なのか……? てことはアイルは……

 俺にはアイルの小さな背中しか見えない。今、どんな表情をしているのかはわからない。ただ肩を震わせ、拳を強く握りしめている。悔しさをにじませているアイルに対し、アンジェは更なる追い打ちをかける。


「まあ最期はみっともなく涙を流していたけどね。覚悟を決めていたとはいえ、やはり娘に会えなくなるのが辛かったみたいだ。二人ともか細い声で君の名を呼んでいたよ。『アイル……アイル……』ってね」


「……!!」


「ハハハ! いやあ、その姿は実に不快で滑稽で鬱陶しかったよ。だから私は二人の頭をね、こうやって潰してやったのさ!!」


 アンジェは片足を上げ強く地面へと踏み込む。すると凄まじい轟音とともに大きな衝撃波が発生した。


「うわっ!!?」


 驚きの声を上げた俺は、危うく腰を抜かしそうになる。

 アイルの結界がなければ、間違いなく吹き飛ばされていたことであろう。辺りは土煙が立ち、よく見ると地割れが発生している。まさか地面を踏みつけただけでこんなことになるとは……そして俺は更に驚きの状況を目にする。あんな激震があったにも関わらず、アイルはその場から微動だにしていなかったのだ。そして何ごともなかったかのように、静かにアンジェに声をかける。


「……よかったわ、アンジェ」


「何がよかったんだい、アイル?」


「あなたに復讐できる理由が、ちゃんとできたもの」

 

 黒く凶々しいオーラが、アイルの全身から勢いよく発生する。

 ルージュと闘った時にも見た、憎悪から生み出されたもの……アイルの魔力だ。

 そしてアイルの足元に、白い輝きを放った魔法陣が浮かび上がる。漆黒の魔力は優しい光りへと変化し、その身を包んでいく。いくつもの粒子が夜空に消えていき、光の収まりと共に俺は視認する。彼女の背に存在する、人間にはないものを。

 

 アイルは、光状の美しい翼をなびかせていた。



 

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