第6話 魔王アンジェ


「それで俺たちは、これから何をすりゃいいんだ? ルージュと戦うって選択肢はねーと思うけど」


「そうですね……我々はこの場で待機するのが最良かと思います」


「んー。でも待ってるだけじゃ何も解決しないと思うんだが……あいつはどうするんだよ? あのまま放っておくのか?」


「ルージュ様の身柄は、この地域担当の【天使】たちに一任します。街で魔法を使いあれだけ騒ぎを起こしたので、必ず出動しているかと思います」


 天使? あの羽の生えた人間っぽい奴のことか?

 そういやアイルとエリシアさんがコソコソ話してた時、チラッとそんな単語が出てたような……俺の不思議そうな顔を察して、エリシアさんは天使について説明してくれた。


「天使とは天界に住まう神の眷属のことです。存在意義の一つとして、凶行に及ぶ魔界の民から地上を守る警察のような役割を持っています。外見は一般人と何ら変わりはありませんが、彼らの力は魔王並に強大で、高度な魔法を使うことも可能です。ルージュ様は我々を捜索中に、天使によって捕獲されるかと思います」


 なるほど、天国版の警察ってことか。魔界があるのは聞いていたが、天界なんてのもあるんだな。とりあえず、天使がこちらの強力な味方だということはわかった。


「ちなみに天使に捕まるとどうなるんだ?」


「良くてジガン様の元へ強制送還……最悪の場合、魂を消されます」


「は!? マジかよ、魂が消されるって……」


「だからエリシアは単独でルージュを捕らえようとしたのね。天使さんたちの目が届かない宇宙空間で」


 そうか……天使に手伝ってもらうとルージュが殺される可能性があったから、自分一人の力だけで解決しようとしてたのか……しかし天使と名乗るわりには、結構慈悲がなかったりするんだな。


「でもいいのかエリシアさん? このまま待つだけだと、もしかしたらルージュのやつが……あいつ、エリシアさんの友だちなんだろ?」


「……この選択が最も安全で最良だと考えました。あなた方二人とルージュ様を天秤にかけたくはなかったのですが……」


 辛そうに答えるエリシアさんを見て、俺は自分のバカさ加減を悔いる。彼女にとって苦渋の決断だったのに、その悲壮な思いを掘り返してしまった。


「エリシアさん……ゴメンな、バカなこと聞いちまって」


「いえ、お気になさらないください。ノア様が友達思いの優しい心をお持ちだからこそ、その問いかけが出たのだと思います」

 

 エリシアさんは俺にやわらかな微笑みをかける。

 他人からそんな評価なんて受けたことがなかったため、思わずぽーっとしてしまった。照れた俺を見てエリシアさんはまた笑ってくれたが、すぐさまいつもの凛とした表情に戻り、アイルの方へと顔を向ける。


「姫様、お願いがあります。どうかルージュ様の命だけはお許し下さい」


「え? うん、私は別にいいけど」


 さらっとエリシアさんの懇願を受け入れるアイル。

 呆けた状態の俺であったが、一気に目が覚め静かにツッコミを入れる。


「すんげぇあっさり許すんだなアイル……あいつお前を殺そうとしたのに」


「だってエリシアのお友だちなんでしょ? ならもう傷つけられないよ。もし天使さんがルージュを捕まえたら、私からも助けてくれるようお願いしてみるね」


 なんつー大らかな心だ。こいつが天使なんじゃないかとさえ思えてくる。

 この時ばかりは、アイルがドス黒いオーラを放ちルージュの顔面を思いっきり地面に叩きつけて血まみれにしたことなど、完全に忘却の彼方へ消えていた。


「ありがとうございます姫様、そう言っていただけると信じておりました。この御恩はいつか必ず」


「ううん、いいの。しばらくの間、私が城でグータラしてても文句を言わなければ、それでいいの」


「は? いや姫様、それとこれとは話しが別かと」


「ダメ?」


「ダメです」


「むー……今日電気街でたくさんDVD買ったんだけどなあ……」


 重たい空気がアイルの冗談によって大分軽くなった。もしかしたら冗談じゃかったのかもしれないが、この場がとても和んだ事実は変わらなかった。


「それと遅れましたが……もう一点重要なことをお伝えします」


 エリシアさんの思いがけない言葉に、またも空気が一気に重くなる。まだ何かあるのか。短い時間だったな……さらば風船みたいな一時。


「エリシアさん、重要なことって一体何だよ?」


「……ルージュ様には確実に協力者がいます」


「!!」

 

 俺とアイルは絶句する。

 ルージュに仲間がいるってことか……でもどこにも見当たらなかったぞ。

 アイルは冷静にエリシアさんの断言を追求する。


「どうしてルージュが単独犯じゃないって言えるの?」


「なぜなら彼女は高度な治癒魔法を使えないからです。私が負わせてしまった傷はかなり深いものでした。ルージュ様一人で、あんな数分足らずで治療することはまず不可能なのです」


「……行方不明中に治癒魔法の修練をしたとかではないの?」


「いえ、どれだけ鍛えようとも魔法には才能と素質と限界があります。我々と共にしていた過去の時点で、ルージュ様は己の力を最大限まで極めていました。魔界と地上を往来できる転移魔法の最上級【亜空間転移】は使用可能ですが、高度な治癒魔法を使える要素はなかったのです」


「なるほど……うん、大体のことはわかったわ」


 アイルは理解していたが、正直この時の俺はよく分かっていなかった。たまにアホみたいになることもあるけど、アイルのやつ絶対に頭いいよな……難しい言葉もよく知ってるし。

 噛み砕いて言うと、ルージュは随分前からレベルマックス状態だったけど、最高クラスの治癒魔法は覚えられなかった。そしてエリシアさんと戦って大怪我をしたにも関わらず、完治した状態ですぐに俺たちを襲ってきた。ルージュは自分ですぐに完治できる魔法を使えないから、共犯である第三者が存在する。ということだ。 


「その協力者に誰か心当たりはあるのかしら?」


「いえ、皆目検討もございません。我々を敵視している人物なのは間違いないのですが……」


 ルージュを癒やしサポートした協力者は誰か……情報と理解力を全く持っていない俺はすぐに諦めたが、アイルは必死になって考え込んでいた。協力者のことだけではなく、ルージュ本人についても。


「うーん……それにしてもルージュと戦って思ったんだけど、ずいぶん様子が変だったのよね……前からあんな暗くて虚ろな目をしていたの?」


「……お兄様の死が発覚するまでは、とても純粋無垢な瞳と心をお持ちしていました。口下手で少し気弱なところもありましたが、皆に優しかったです」


「そうなの? とてもそんな風には見えなかったけど」


「はい……今は憎しみに飲まれ、心を支配された状態に……」


 再び訪れる沈黙の時。

 心が沈み思考停止状態のエリシアさんに対し、アイルは今もなお冷静にルージュについて分析をしていた。


「……ねえエリシア、どうしてルージュは私たちに姿を見せたのかしら?」


「! それは……」


「私を暗殺するのは無理だと思うけど、その気になればエリシアや私に気付かれることなく、もっと近くまで接近することはできたんじゃない? 転移魔法を使った斬撃も、腕ではなく首を狙えばエリシアを殺すこともできた」


 物騒な単語をポンポンと口にするアイルだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。確かに思い返せば、ルージュの行動は暗殺者としてガバガバなところが多かった気もする。


「それに聞き間違いだと思ってたけど、あの子小さな声で言ったの。『tuez-moi』……『私を殺して』って」


「!!」


「ど、どういうことだ? 『私を殺して』って……ルージュの方から俺たちを殺そうとしてきたのに、何でそんな言葉が出てくんだよ?」

 

 真剣な表情のアイルと戸惑う俺の前で、エリシアさんが口を開く。


「……私は一つの疑念……というか希望を抱いておりました。『この行動はルージュ様の意思ではなく、【操作魔法】によって誰かに操られているのでは』……と」


「!? さ、さっきチラっと出てたけど、【操作魔法】って何だ?」


「【操作魔法】とは生物や物質を自分の意のままに操ることができる魔法です。通常なら支配者側の魔力が見えるためすぐ判断できるのですが、高度なものだと魔力を消されてしまうため判別できないのです。ただの物質ならともかく、魔力耐性の高いルージュ様にはまず効かないので、可能性は低いと思っていたのですが……」


「うん、エリシアの希望は現実かもしれない。エリシアたちを憎んでいるのは本当だけど、殺したくないって気持ちもあるんだと思う。その葛藤が【操作魔法】の綻びを生んで、まともな暗殺行動を取れなかった」


「だとしたら一体誰がルージュを操ったんだ?」


「それは十中八九、ルージュ様の傷を癒やした協力者でしょう。オズワルド家に怨恨があり、かなりの実力持つ魔法使い……もしくは魔族」


「うん、正解だ」


 突如、聞き覚えのない少女の声が耳に入る。そしてすぐさま、ガラスの割れる音が辺りに鳴り響く。すると先程まで暖かかった空間が、野外特有の凍える冷風に襲われた。


「うっ、さむ!!」


「エリシアの結界が破壊された!?」


「こ、この魔力は……!?」


 空を見上げるエリシアさんに続き、俺とアイルも同じ方向へ顔を上げる。

 するとそこには白く輝く三つの珠……そして一人の少女が、その幻想的な光に照らされ宙に浮遊していた。


「いやはや……ルージュを使ってキミたちを葬ろうと思ったが、上手くいかないものだね」


 少女はそう言うと、美しく長い金髪をなびかせゆっくりと地上に降り立つ。

 黒のゴスロリドレスがフワリとなびき、右手に差したアンティーク傘から雪が舞い落ちる。身につけている首飾りはエリシアさんと同じもので、思麗石がほのかに光っている。背丈はガキの俺より少し高く、紅と蒼のオッドアイでこちらを見つめている。その柔らかで無垢な笑顔に敵意は感じられない。美と愛らしさを兼ね備えた、まるで西洋人形のような少女であった。


「こんばんは、久しぶりだねエリシア。私のことを覚えているかな?」


「……ええ、この禍々しくも忌々しい魔力を忘れるはずがないでしょう」


「え、エリシアさん……あいつのこと知ってんのか?」


「はい。彼女こそがルージュ様の協力者……いや、ルージュ様を利用した、此度の襲撃の元凶……彼女は……」


 次の言葉に躊躇いがあるのか、エリシアさんは一度目を閉じ息を飲む。

 そして怨嗟の眼差しで少女を睨みつけ、その名を口にする。



「彼女はかつて魔界を支配していた……魔王アンジェです」




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