第3話 赤髪少女


「なっ……!?」


 何が起きた!?

 俺を抱きしめてくれた片方の腕が、無残にも重力に引かれぼとりと地に落ちる。

 信じがたい光景を目の当たりにした俺は、すぐさま二人の方へ駆け寄る。アイルも異常事態に気づき、うずくまるエリシアさんに声を上げる。

 

「エリシア!? しっかりしてエリシア!!」


「エリシアさん、大丈夫かよ!? 何で腕が……きゅ、救急車を」


「も、問題ありません。それより」


 問題しかねぇと思ったが、ツッコむ暇などなかった。傷口を見ると何かに斬られたようだったが、何故か血は出ていなかった。

 

 エリシアさんは悲痛な表情を前方に向けている。視線の先……少し離れた場所に、血の滴るナイフを持った少女が立っていた。

 

「……!? え、あいつがやったのか?」


「……」


 エリシアさんがうなずくと、俺はゴクッと生唾を飲む。

 一体どんな方法を使えば、たかがナイフで人の腕を斬り飛ばせるとせるというのだ。ここからは少し距離もあるし……しかもよく見たら、あいつ中学生くらいの女の子だぞ。

 少女は長袖のシャツとハーフパンツという動きやすそうな服装で、特徴的なのがショートカットの赤髪、そして黒いニット帽とマフラーという装飾であった。一見すると愛らしく活発的な容姿をしているが、その碧色の瞳を見た俺はすぐさま察知する。

 

「……」


 コイツはやばい。

 赤髪の少女は目に光がなく、無表情のまま瞳孔を開いてこちらを見ている。

 少女が一歩こちらに足を踏み出すと、エリシアさんを介抱していたアイルが立ち上がった。


「そっか……あの子がエリシアを……」


 ゾッと背筋に悪寒が走る。

 アイルを見上げてみると、とてつもない憎悪と殺意をむき出しにしている。アニメ話をしていた時の無邪気なアイルとはまるで別人であった。

 ドス黒い凶悪な空気が辺りを包み込み、駅周辺にいた通行人たちもざわつきはじめる。


「いけません姫様! ノア様もここから離れて!」


「……のあ?」


 エリシアさんの言葉に反応した赤髪の少女が、俺の名をつぶやく。そして少女と目が合った瞬間、凄まじいスピードで地を這うようにこちらへ駆けてきた。


『あっ、やば──』


 右手に持った血まみれのナイフが俺の目に写る。

 

 これは殺される。

 

 理由もわからず、会った覚えもない少女に……

 何の覚悟もないまま、凶人の顔が目前に迫ってきている。

 もうダメだ……

 死への恐怖から目を閉じると……どういう訳か、地面から轟音が鳴り響いた。


「ぐがっ!?」


 少女の鈍い悲鳴が耳に入る。

 何が起きたのかと目を開けると、またも衝撃的な光景を目にする。


「…………は?」


 アイルが………………

 アイルが赤髪少女の顔面を掴み、地面に叩きつけていたのだった。


「ぎぎっ……!!」


 赤髪少女は頭から大量の血を流し、アイルを睨みつけている。

 普通の人間なら病院送り、下手したら死ぬレベルの攻撃を受けたにも関わらず、まだ明確に意識がある。つーか俺がショックで倒れそうだった。

 

「……へえ、結構固いね。L’assassin de demon vous ?  En est venu a me tuer ?」


「……」

 

 アイルが赤髪少女に話しかける。しかし何のリアクションもない。

 途中から異国の言葉を喋っていたので意味はわからなかったが、無機質で静かな口調と憎悪に満ちた彼女を見て、俺は茫然自失となっていた。

 

 いやいや……何だよその力と威圧感。

 あんたさっきまで迷子で泣いてたやん……


 レンガで舗装された道は大きくヒビ割れ、赤髪少女が見事にめり込んでいる。アイルが片手で少女を引きずり出すと、少女のニット帽とマフラーを強引に引き剥がす。

 

「……あれ? あなたどこかで……」


「……tuez-moi」


「えっ?」


「チッ!!」


 舌打ちをした赤髪少女が、アイルに向けてナイフを鋭く振り抜く。が、アイルは赤髪少女から手を離し、その斬撃を難なくかわす。

 自由になった凶人は瞬時に後退し距離を置き、ナイフを構え牽制している。かなりのダメージを負っているはずなのに、動きはなおも俊敏である。

 野次馬をしていた通行人たちも危機を察したのか、一目散に逃げ出したり警察に通報したりと、駅周辺は慌ただしい様子になっていた。


「くっ……あまり人に見られては不味い……!!」


 エリシアさんが苦悶の表情でそう言った後、アイルの話していたであろう異国の言葉を小さくつぶやく。

 

 すると光の円が地面から浮き出てくる。

 円には星の形や外国語のような文字が書かれていた。


「なんだこれ……うおっ!?」


 言うやいなや、俺とアイルとエリシアさんは円から放たれた強い光に包まれる。

俺はあまりの眩しさに目をくらませてしまった。




 光はすぐに収まり、何が起きたのかと辺りを見回すと、そこは先程までいた駅前ではなく森の中であった。少し先を見ると外灯に照らされたアスファルトの道路があり、更に先に古い自動販売機が置かれていた。

 

「ここは……近所の裏山じゃねーか」


 普段からこの山で友だちと冒険ごっこなどして遊んでいており、あの自動販売機もよく利用していたため、ここが見知った場所であるとすぐにわかった。


「何で駅からこんな所に……どうなってんだ、これ?」


「ノア!!」


 後ろからアイルに大声で呼びかけられる。

 振り向くと血相を変えたアイルに肩を掴まれる。


「大丈夫!? ケガはない!?」


「お、おう。何ともねーけど」


 先程までの怒りと憎しみは消えており、アイルは出会った時のようにまた涙ぐんでいる。側にいるエリシアさんも心配そうな顔でこちらを見ていた。


「ごめんねノア……私のせいで、危険な目に合わせてしまって……」


「私からも謝罪します。大変申し訳ございませんノア様……あなたを巻き込むことになってしまうとは……」


「いや、別に生きてりゃどうってことねえけどよ」


 駅前で見知らぬ少女に襲われ、不思議な光りに包まれて、気付いたら山の中……疑問に思うことがいくつもあったが、そんなことよりアイルとエリシアさんの状態が気になった。


「つーか二人こそ大丈夫なのかよ? エリシアさんなんて腕が……」


「私の身ならご心配なく。姫様がすぐに治癒魔法を掛けて下さいましたから、もう痛みはありません」


「ちゆ……魔法……?」


 魔法ってあれか? ゲームとかに出てくる……んなアホなと眉をひそめると、アイルは地面に座り俺の膝に手を当てる。


「何やってんだアイル?」


「少し待ってねノア、ここ少し擦りむいてるから」

 

 アイルがそう言うと、手の平から柔らかな光が溢れ出す。やけに温かく心地のいい感覚であった。光はすぐに収まり、冬でも半袖短パンの俺はケガをしていた膝を見て驚愕した。

 

「うおっ!? マジかよ、治ってるぞ!」


 擦り傷は完全に消えており、手で膝をペシペシ叩いても特に痛みはなかった。


「すげーなアイル、お前魔法使えるのかよ!?」


「う、うん。エリシアから習ったの」


「マジで!? エリシアさんも使えるのかよ!?」


「は、はい。得手不得手はありますが……」


 現実では見たこともない魔法を目にし、俺は思わずテンションを上げてしまう。興奮状態の俺を見たせいか、魔法使いの女子二人は若干引いていた。とりあえず冷静になって状況を整理しようと試みる。


「えっと……じゃあ駅前からこの山まで瞬間移動したのも魔法なのか?」


「はい、先程使った魔法は【転移魔法】と言います。魔法陣の中に入っている者を任意の場所へ飛ばすことができます」


「魔法陣……そういやあの時、確かにそれっぽいのが地面から浮き上がってたな」


 あの時……赤髪殺人鬼のことを思い出す。

 今頃警察に捕まっていたらいいのにと淡い希望を抱くが、あの異常なまでの強さと速さだ。たぶん普通の人間じゃ無理だろうなと数秒で諦める。


「……あれ? もしかしたらあの赤髪女、俺たちを追ってくるんじゃねのーか? 駅から結構離れちゃいるけど、こんな所にいて大丈夫か?」


「ご心配なく。この辺りに魔力感知不可かつ頑強な結界魔法を張っております。彼女は突破するどころか、我々を見つけることすらできないでしょう」


「はあ……とりあえずスゲーバリアが張られてるってことか。そういや冬の山ん中なのに全然寒くねーな」


「はい。私の結界は温度や湿度を調整できますので、快適空間をお届けすることもできます」


 まじか。エリシアさんの結界めっちゃ便利やん。

 エアコンいらずで夏も冬も電気代の心配をせずにすむ……母ちゃんが狂喜乱舞しそうな魔法だと思った。


「なら安心して話せるな。それで二人は何者なんだ? あとあの赤髪女のことも」


「んーっと……じゃあ私から。こんなこと言っても信じてもらえないかもだけど……」


 アイルはコホンと一つ咳払いをし、少しためらいながらも覚悟を決めて言い放つ。



「私ね……魔王の孫なの」



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