第2話 従者エリシア


 それから数十分後……俺とアイルはひたすらアニメの話をしていた。

 

「それでね、聞いてよノア! あの回は作画はもちろん演出も神がかっていて、もうスタッフの原作に対する愛が半端ないの!!」


 アイルは目を輝かせ、鼻をふくらましながら大声で主張している。マンガやゲームも多少嗜んでいたみたいだが、最も好きなのはアニメのようだった。

 

「あはは、お前のアニメに対する情熱も半端ねーけどな!」


「だってアニメってすごいじゃない! 魔法も使ってないのに、人の手だけであんな楽しい世界を創り出しているんだよ!!」


 こんな感じで、二人してずっとハイテンションでくっちゃべっていた。警官に補導されてもおかしくなかったのだが、運よく見逃されたようだった。

 うれしそうに喋るアイルとの会話は、そりゃもう時間を忘れるくらい楽しかった。ただアイルは自分が迷子だってことも完全に忘れてたよな……思い出すとまた泣くかもしれねーから言わなかったけども。

 さて次はどんなタイトルの話題を振るかなー……などと考えていると、急いでこちらへ向かってくる足音が聞こえてきた。


「姫様!」


「あっエリシア!」


 俺たちの前に長い黒髪のお姉さんが現れる。

 おそらく十代後半くらいだろうか。切れ長の目と青い瞳を持つ美白美人で、モデルのように背が高く足も長い。紺のロングコートを羽織っており、その下のセーターから二つの大きな果実が垣間見える。デカい。その谷間にあるのは、ネックレスにあしらわれた紅の宝石。長く美しい足を更に魅力的にしているのが、ミニスカートと黒ニーソという黄金コンボ。どうやらこの絶世の美女が、アイルの待っていた従者のようであった。


「もー、どこ行ってたの!? 急にいなくなってビックリしたんだから!」


「申し訳ありません姫様、少々野暮用ができてしまいましたので……合流が遅くなったことも含め、深くお詫びします」


 アイルが待ち人と会えたことに俺はひとまず安心する。

 しかし姫様って……アイルはどこかの国のお姫様なのか?

 たしかに顔の可愛さはお姫様って感じだが……まあいい。そんなことよりエリシアって人、おっぱいでかいな。見ているだけで冷え込んでいた身体が温まるってもんだ。


「えっと……そちらの少年は?」


「ノアっていうんだよ。私がここで待っている間、話し相手になってくれたの」


「あ、どうも」


 軽く会釈をする。

 胸をマジマジ見ていたせいか、若干曇った表情を俺に向けている。


「アニメに詳しくて楽しいお話しをたくさんしてくれたんだよ!」


「そ、そうですか……姫様がお世話になったようで感謝します」


「いや、俺もいい暇つぶしになったし。よかったなアイル、エリシアさんと会えて」


「うん、ありがとうノア!」


 アイルのフォローもあってかエリシアさんの警戒心が解かれる。

 しかしアイルの笑顔は眩しいな……

 俺の知っている数少ない女たち……母ちゃんと幼馴染のひまりは悪魔みたいな性格だからか、アイルと接していると癒やし効果が半端なかった。

 のほほんとしていると、エリシアさんから丁寧な口調で質問が飛んでくる。


「えっと、その……一つお伺いしたいのですが、あなたのお名前は『ノア』なのですか?」


「え? うん、そうだけど」


「そうですか……ノア……いや、まさかそんなはずは……」


「?」


「しかし似ている……」


「???」


 エリシアさんは何かを考え込みながら俺の顔をジッと見てくる。

 そしてゆっくり近づくと、いきなり俺の身体へ手を伸ばす。


「少し失礼します」


「え……はうっ!?」


 多少のことでは動じない自信を持っていたが、この時ばかりは心臓が飛び出るかと思った。

 

 突然、エリシアさんにぎゅっと優しく抱きしめられたのである。


「うん……抱き心地もそっくりですね……」


「はっ!? えっ、いや、ちょっと……」


 今まで感じたことのない柔らかな感触と、甘美な香水の匂いが俺の世界に広がる。

 コート越しにも関わらず、エリシアさんの体温がわかってしまう。

 俺は今まで知らなかった……女性というものが、こんなにも温かく人を包み込んでくれるということを。


 とまあ今でこそ冷静な表現ができるが、当時の俺は違った。


『いかん、やらかい!!

 なんか、もう、いろいろとやーらかい!!

 あと、いいにおい!! なにこれ、しゅごぉおおい!!』


 こんな感じであった。

 この時も小さなガキだったが、更に幼児退行する俺であった。


「あはは、ノアったら顔真っ赤だよ」


「ぬぅ……」


 仕方ないだろう、こちとら健全な男子やぞ。

 こんな美人にいきなり抱きしめられたら誰だって赤くするわ。


「すみません、どうしても確かめたくて……ノア様が昔の友人に似ていたものですから」


「よくわからんけど、とりあえずありがとうございます」


 俺は深々とお辞儀する。

 とびきりの幸せを与えてくれた彼女に対し、思わず敬語が出てしまった。


「どうでしょう姫様、ノア様を一度城へお連れするのは。身体調……でなく、助けていただいたお礼を」


「ええっ!? いや、そうしたいけど……でも勝手に地上の人を魔界へ連れていったら、天使さんたちに怒られちゃうよ?」


「あっ……そ、そうですね。私としたことがそんな基礎的なことを……」


 城? 地上? 魔界? 天使さんたち?

 んー……またアニメかゲームの話か?

 何やら二人でコソコソ話しているが、よくわからんのでスルーした。


「ではノア様、姫様と楽しい時間を過ごしていただき、本当にありがとうございました。このお礼はいつか必ず返させていただきます」


「んなもんいらないよ。俺も楽しかったし。つーか礼ならさっきのハグでお腹いっぱいだ」


「フフッ、私からもありがとうノア! またたくさんアニメのお話しましょうね」


「おう、アイルの方が詳しかったから俺も負けずに見ておくわ」


 チェックするアニメが増えるな……あとアイルのこと、ひまりや勇介にも紹介しなくちゃな。


 それからエリシアさんにうちの住所を聞かれる。

 後日、どうしても俺の家へ伺ってお礼をしたいのだそうだ。別にいいのに。まあ友だちの家族になら住所くらい教えても大丈夫だろう。


「いつかノアのお家で遊んでみたいな~」


「おう、いつでも遊びに来い。あ、お前んちここから遠いんだろ? もし家に来たらお泊り会でもやろーぜ。友だちともよくやってんだ。夜は布団の中でアニメ見たりゲームやったりしてさ」


「わあっ、楽しそう! うん、絶対お泊まり会やる!!」


「フフッ……では名残惜しいですが……行きましょう姫様」


「うん、またねノア!」


「おう、またな~」


 別れの時だったが、またすぐに会えるのだろうと思ったので別段寂しさは感じなかった。寒空の下、人のあまりいない駅前で穏やかな空気が流れていた。


 そう……ここは治安が良く、大きな事件など滅多におきない平和な街だ。

 俺自身、アニメやドラマでしか『惨劇』というものを見た覚えがない。

 母ちゃんに殺されるとか散々言ってきたが、あんなもんただの冗談だ。


 だから想像もつかなかった。

 アイルとエリシアさんが振り返り、一歩進もうとしたその時だった。



「っ!!?」



 何の音も前触れもなく──────エリシアさんの左腕が宙を舞っていた。



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