第7話「虚無感」
「時は金なり」という言葉を初めて聞いた小学生の頃、私は「時間がなぜ金になるんだ。いくらでもあるし、時間は勝手に減る」と思っていた。その頃私は時間を無限に感じ、夏休みが終わりそうになる度にその諺を思い出す程度の感覚でいた。
が、成長していくにつれ、その諺の重みが段々と増してきた。初めて受験を経験した中学3年生の頃、周りは瞬きの瞬間すらも惜しいと言わんばかりに勉強をしていた。
教室中に張り詰めた空気はピリピリと肌を刺激し、楽観的で勉強などしなかった私の肩をギリギリと締め付けていた。
「お前、勉強しないのか?そんなことやってる暇があるなら受験に集中しないと」と友達や先生は私に忠告した。
私は学校の勉強があまり好きではなかったし、人に指図されて何かを始めるのが大嫌いだった。こうなるともう意地になってしまい、普段の授業の時以外は一切勉強に手をつけなかった。
結局一度高校に落ち、2度目に受験した高校で受かることが出来た。高校生になることは出来たが、まだ私は受験のために必死に勉強していた友達の気持ちがわからないままだった。
高校を卒業し、社会人となった私は趣味の創作活動で精神の安定を図っていた。
ある朝、私が会社へ行こうと電車に乗り、つり革に掴まって携帯を開いた。
ぼーっと画面を眺めているうち、気がつくと、電車は目的の駅に到着していた。私は慌てて電車から降り、ほっと一息ついた。しかし、私の心には何かもやもやとしたものが溜まっていた。
電車が目的の駅に到着するまでゆうに15分はある。私はその間一体何が出来たのだろう。
創作のアイデアが思い浮かぶかもしれなかった。アイデアをまとめることが出来るかもしれなかった。考えることが出来たかもしれなかった。
そう考え始めた瞬間、私は言いようのない恐怖に襲われた。虚無的な時間を過ごし、無駄に人生を浪費して私は死んでいくのだろうか。そう思うと、私は今までどれだけ頭を空にした無駄な時間を過ごしたのだろう。
漠然とした恐怖と悔しさを噛み締め、私は会社にたどり着いた。
私は創作活動を始めてからようやく「時は金なり」という諺の真意を知り得たのだ。財産となりうるものを生み出すことが出来る時間を浪費し、何も残らぬ時間を悔やむ。きっとまだ本当の意味を知らない諺もたくさんあるのだろう。
私は足が前へ一歩踏み出す意味すら考え始めてしまった。しかし、「考える」という時間に無駄なものなどないのだろう。
いや、それも私の「無駄などない」と思いたいエゴなのかもしれないが、私の虚無感と悔しさで中身がこぼれてしまった心を満たすには、「考える」他ないのだ。
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