第4話「無知」
私が考えるに、「無知」というものはじわじわと身を蝕む毒である。
私は子供の頃、あまり学校の勉強が好きな方ではなかった。何かを学ぶことは好きだったが、学校の勉強は何が面白いのかよくわからなかった。そこに魅力を感じなければ、学ぶ気も失せてしまう。私の成績はいつも下から10番目以内に入るほどだった。当時は何も気にしてはいなかったし、周りも「将来苦労する」というあやふやな忠告しかしなかった。危機感というものがまるで無かったのだ。
そうしてぼんやりと日々を過ごし、好きなものを見つけてはそれに関する知識を吸収していく人生を送った。こうして私は知識の偏った「子供に尊敬されないタイプの大人」に育ってしまった。そういったことを自覚してもなお、私は「何も死ぬわけじゃない」とたかをくくっていた。じわりじわりと自身を侵していく毒に気づかぬまま、時間だけが過ぎていった。
ある日、私は夕食を食べながらぼんやりとテレビを眺めていた。ゴールデンタイムのクイズ番組で、どれも高校までに習うような問題ばかりだった。私は白飯を頬張りながら、出題された問題を頭の中で答えていた。概ね正解していたので、したり顏のままテレビを見続けた。
次のクイズは県の特徴を出していき、お題が何の県かを当てるというものだった。地理はあまり得意ではなかったが、日本の県庁所在地くらいは全て言える。私は自信満々で問題を聞いた。
結果、私は全くわからないままタイムアップしてしまった。この時、私は漠然とした不安に襲われた。私は自身の頭の出来はわかっているつもりだったが、自信満々で臨んだ問題に敗北した。「わかっていたつもり」だったのだ。
世間に蔓延る詐欺という犯罪も、「わかっているつもりの人間」が対象なことが多い。「自分はひっかからない」と自信たっぷりだった老人がオレオレ詐欺にひっかかる事案は山ほどあるらしい。クイズ番組の問題に敗北した私は、自身が被害者の老人達と同じような部類の「知っているつもりの人間」だということに気がついた。
今までの人生のどこで「知っているつもりの人間」になってしまったのだろうと考えた時、私はふと気がついた。私は子供のころから「知っているつもりの人間」だったのだ。
私は今まで「知らなくても死にはしない」と学校の教科書に目もくれなかったが、死にはしないのは子供のうちだけだったのだ。私が放棄してきたのは「大人になるための勉強」ということだ。それを「知っていたつもり」だったのだ。
私はクイズ番組の内容など、もう目に入っていなかった。冷え切った白飯を口に運び、口の中で数回咀嚼すると、「まるで私の人生のような白飯だ」と自嘲気味に笑った。
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