1-3

 完全に理解できていない杏をよそに、六花と六葉はエントランス正面の階段を上り始める。もともと三分で盗み出す予定だったのだから、彼らの中には地図を含む様々なルートがインプットされている。そのルート通りに歩を進める二人の後を杏が何やら喚きながら着いてくるが、その行為こそ彼女が言う危機感の足りていない行為なのではと二人は辟易していた。

 三人が公爵の家に侵入した頃、件のイズネ公爵はソワソワとルビー・ブラッドの前を歩き回っていた。七時に盗みに入ると書いてあったが、果たして本当に予告通りに来るかどうかは定かではない。

人間の警備兵が頼みにならない代わりに傭兵を雇い、万が一彼らが買収されてしまった時のためにRUNAも数体増やしている。警備体制は磐石のつもりだが、未知の組織を相手にするとあれば彼の心労は然るべきなのだろう。

「旦那様、あの連中が予告した時刻までまだ時間があります、少しお休みになられては……」

「いや、かまわん」

 心配そうに声をかける側仕えに対し声を荒げながら、公爵はぎりりと爪を噛んだ。



 イズネ公爵は、数少ない富裕層の中でもさらに少ない成り上がり貴族だった。長い時間をかけて王家の信と財を蓄えていった彼は、とある事をきっかけに一気に公爵まで伸し上がることとなる。

「そのきっかけが、貴女から母親を奪った事件です」

 何故、母は命を奪われなくてはいけなかったのか。ルビー・ブラッドの保管してある部屋へと向かう途中、杏から漏らされた疑問に答えたのは六葉だった。侵入者に反応して銃を構えた警備用RUNAの頭部を蹴り飛ばしながら、淡々と事実を述べる。

「ルビー・ブラッドは少し特殊な宝石でね、使い方次第で何でも出来る……それこそ、しがない商人から上流貴族に成り上がることだってね」

 扉のセキュリティを破る六花の背中を見ながら紡がれる彼の言葉を、杏は信じられないとでも言うような面持ちで聞いていた。ルビー・ブラッドは確かに高価な宝石ではあるものの、突き詰めれば単なる石ころである。それがたまたま高価だっただけであり、それ自体には何の力もないはずなのだ。

 そもそも母は、ただあの男が貴族に成り上がる為だけに殺されたとでも言うのか。

「嘘よ……そんなっ」

「信じるかどうかは勝手だが、それが事実だ」

 震える手を壁につきながら、杏は項垂れる。とんでもなく理不尽な事だが、それでも彼女は何となく予想してはいた。公爵夫人があの首飾りをしているのを見た時に、首飾りを奪われたあの夜に、気付いていたが心の奥底に沈めていただけ。

「まあ……貴女の母上は無理でも、ルビー・ブラッドは取り返してあげますよ」

 形見ですからね、と笑う六葉の表情からは相変わらず何の感情も見えない。なぜあの事件の詳細を知っているのかという疑問を飲み込み、杏は扉をくぐる六葉の背中を追いかけた。

「六葉……そこの角に一体、次の角に二体ずつ。三つ目の角を右に曲がって」

「はいよ」

 六花のナビに従い、六葉は二人を先導するように前を進む。曲がり角の死角になるような位置に立つRUNAの眉間目掛けてナイフを突き刺す彼の手際は、目で追うのも難しいほどだ。

本来、RUNAが配備されている室内に侵入するのは容易な事ではなく、それらを導入している所としていない所とでは犯罪の被害件数に圧倒的に差がある。何故なら、RUNAに見つかった瞬間に瞳のレンズを通して監視カメラに記録が残る上、型式によってはサーモグラフィまで搭載されているのだ。生身の人間ならばどこにも逃げ場がない。

 今回六葉達のとった行動は、RUNAに対して最も有効で最も困難とされる作戦。それは、見つかる前にRUNAを再起不能にしてしまうこと。

「一、二、三……あと何体?」

 正確に眉間――RUNAの核をナイフで貫きながら、六葉は後ろを歩いてくる六花に声をかける。

ルビー・ブラッドを保管してある部屋へと向かう途中、配置されていたRUNAを片っ端から壊して来たせいで、まるで虐殺現場のようにゴロゴロと機械人形が転がっている光景は異様な雰囲気を放っていた。

「少なくとも、この先にはもういない」

 ゆっくり歩く杏を後ろにくっつけながら、六花は平然と残骸を踏み分けて歩く。RUNAはとても高価なものだと認識している一般市民の彼女にとって、いくら壊れていても踏んで歩くのには些か抵抗があるのだろう。しきりに足元を気にしながら歩いている姿が六葉の瞳に映る。

 広い廊下を見渡しながらRUNAを始末し忘れていないかどうか確認した六花は、片手に間取り図を表示させた端末を持ちながら一つの扉を指差した。

 その扉にはいかにもといった感じの装飾が施されており、イマイチ状況が飲み込めていない杏にもその部屋が何なのか察することができた。

「わかりやすくて何より」

 その扉の先こそが、公爵の自室。そしてルビー・ブラッドが保管されているであろう部屋。

 扉の横についていたセンサーの接続を切りながら、恐ろしく速い動作で部屋と周囲のセキュリティを切断していく六花と、何処に入れていたのかと問いたくなる程の夥しい量のナイフを整理する六葉の姿からは全く緊張感が感じられない。まるでここに居るのが当然とでも言うように、見つかることに警戒していない彼等にはもはや言葉も出ない。

「開いたぞ、六葉」

 開錠音すら響かない扉を見ながら、六花は端末をセンサーから外す。液晶には鍵が外されている事を示す“OPEN”の文字が映されており、開錠だけではなく音声を含む様々な回線が切断されていることを物語る。

平素よりも更に強固なはずのセキュリティをいとも簡単に切断してしまう彼の能力の高さには閉口するばかりだが、先程から見せつけられ続けた常人とは思えない言動のせいで、いまいちインパクトに欠けているような気さえしていた。


「どうもパンドラです、お邪魔しまーす」

 扉の先に見えたのは、驚愕に染まる公爵と側近の顔。彼らを守るように囲む数体のRUNAと、そして――

「母様の……首飾り」

 強固なガラスケースに入れられたルビー・ブラッドは、あの日奪われた時のまま。記憶に染み付いた鮮血の色を写しながら、朝日を受けて輝いていた。

「なっ……貴様らどうやって入ってきた!警備員は……」

「警備員?全員お昼寝中です」

「RUNAの方は二度と起きないがな」

 肩をすくめて平然と言う二人の態度に、公爵の方は口元が僅かに引きつった。パンドラの人間がこんなにもひ弱そうな青年であった事に驚くべきなのか、それともかなりの数を動員したはずのRUNAが一体残らず破壊されていたことに驚くべきなのか――

 様々な思考で処理が追いつかなくなっている彼を庇うように、黒いスーツ姿の青年が前に立つ。おそらく腹心の部下とも呼べるだろう青年の瞳は、六葉達の後ろに立つ少女のみを映していた。

「おや。そちらのお兄さんは、このお嬢さんの事を覚えているようだ」

 人を食らうかのように妖艶で残酷に嗤う六葉の口からこぼれた言葉に、青年はあからさまに反応する。

「さて……イズネ公爵様におかれましては、そろそろ現状を理解していただけたかな?」

 わざとらしいほどに仰々しい動作で公爵に向き直った六葉は、ようやく事態を飲み込み始めた公爵へと声をかける。けして少なくない数のRUNAが存在するこの屋敷を、防犯装置のただ一つにすら発見されることなく無傷でこの場に立っている――それだけで、この危機的状況を察するには十分だったのだろう。

自信と傲慢さに溢れていた公爵の表情は蒼白になり、驚愕に染まっている。

「貴様っ騙したな!あんな予告状を出しておきながら、貴様は……!」

 プリントアウトしたのであろう予告状を地面に叩きつけ、公爵は感情のままに怒鳴り散らす。その言葉を聞いておかしそうに笑ったのは、他でもない六葉と六花。まさかこうまで思惑通りに引っかかってくれたのかと、愉快そうに口を歪める。

「嫌だなあ、騙しただなんて人聞きの悪い……きちんとご連絡しましたよ?七時にお邪魔します――と」

 ひらりと垂らされたのは、たった今公爵が投げ捨てたのと同じ内容の予告状。杏がその文面を見るのは初めてだったが、彼女にもなぜ公爵がそのように怒り狂っているのかが分からない。

 室内の掛け時計も、きちんと七時を指している。

「勝手に誤解したのはお前らだろう?十九時とは、一言も書いていない」

 とても単純な言葉遊びに、公爵も青年もさっと顔色を変える。

 音声ではなく画像として“七時”と明記してある以上、それが午前か午後かはわからないのが自然だろう。しかし二人は改めて確認していないはずなのに、共通して“十九時”であると認識している。それは一体何故か。

 杏が訝しげに眉間にシワを寄せたと同時に、とうとう六葉が耐え切れないとでも言うように声に出して笑い始めた。

「ふ……ふふっ、あはは!噂通り、体格に似合わず臆病な方だ!」

「身の程もわきまえないから、そうしていつまでも怯え続ける事になる」

 ルビー・ブラッドと、十九時。一見何の関係もないように見える二つの言葉だが、それは公爵にとって大きな意味を持つ。何故なら――

「三年前、ルビー・ブラッドを盗み出すために相当時間をかけて計画したようだな。時間も、その時の状況も、何もかも記憶に刻み付けるほどに」

 彼女を失意の底に突き落とした事件が起こった当時、イズネ公爵は商会を営むしがない地方伯の一人だった。貿易により少しずつ財を蓄えた彼だったが、どうしても欲が出てしまう。

 ――公爵になる。それが、事件を引き起こすきっかけとなった彼の欲望。

 たまたま旧華族の女性がルビー・ブラッドを持っていると知った時の、彼の歓喜は計り知れないだろう。使い方次第で巨万の富をも与える価値を持つ代物が、目の前に転がってきたのだから。

しかし何度交渉しても女性は首を縦にふらず、権力をかざそうにも没落したとは言え貴族に名を連ねていた彼女の人脈を考えると迂闊に手を出すことはできない。

 そこで考えたのが、強盗の仕業に見せかけての略奪だった。

「記録に残っていたよ。その時の貴方の行動が、全て」

「もみ消すほどの権力を持たないお前にとって、なんとしても自分だけは容疑者から外れなくてはならない。……だから計画したんだろう?お前にとってろくなメリットのない女との、突然の婚約パーティなんて」

 疑いの目を逸らす為に一番簡単なのは多くの人間に目撃されること。彼は周到に計画を練り、主催として話し始めるのと同じ時刻に、ルビー・ブラッドを盗みに入るよう野盗を仕向けたのだ。物音に気づかれないよう、周囲の喧騒が残る時刻を狙って。

「唯一の誤算が、女性の命を奪ってしまったことだったのでしょう?まあ、実行犯が殺人を犯してしまうのを予測できた気もしますが」

「殺しておかないと厄介だからな。彼女は、宝石目当てに幾度も通いつめた男のことを知っていたのだから」

 ちらりと向けられた視線から、青年は定まらない視線のまま顔をそらす。予期せぬ殺人の記憶とともに染み付いていたのだろう記憶が、たった二つの単語をきっかけに二人の思考を飲み込んでしまう。

周到に、綿密に。そうして決められた決行時間が十九時だったということが、鮮烈に焼きついていた。

「おかげで俺たちはとても侵入しやすかったですよ?なにせ十九時に合わせて防犯プログラムがセットされていたのですから、今はただ歩き回るだけの木偶人形だ」

 バッテリーを維持する為に、十九時に合わせて機能を制限していたのがアダになったのだろう。普段はいつ何が起こるかわからないため常に制限を外しているが、今回は“七時”と初めから予告されていた。それをそのまま信じてしまう彼の無用心さは失笑ものだが、それはそれで楽で助かると彼らは笑った。

 すっかり気落ちしてしまった公爵たちの横を、六葉は悠然と歩く。杏は六花と共に扉の前で待機していたが、その表情は暗い。もうすぐルビー・ブラッドが手元に戻ってくるかもしれないというのに、だ。

(あの時の事は記録になんて全然残ってなかったのに……どうしてこの二人は知っているのかしら……)

 おそらく公爵自身もそう思っているであろう疑問を、杏は胸中で呟く。何といっても三年前の事件である。証拠だってろくに残っていなかっただろう。そもそも依頼を持ちかけたのはわずか数日前のことであり、いくらなんでもそこまで詳しく調べることは不可能に近い。

 じわじわと広がる杏の猜疑心になど気付く様子もなく、六葉はルビー・ブラッドの保管してあるケースへと近づいた。

「それでは、頂いていきます……公爵殿」

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