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「さて、あのお貴族様はどんなことしてくれちゃうのかな?」
愉快そうに笑いながら、六葉は公爵家の様子を木の上から眺めていた。予告状を出してから予告日の今日まで彼の家に警備隊は一切立ち入っておらず、パンドラの事を外部に漏らした形跡もない。腰掛けた枝の上で足を揺らしながら、六葉は笑い声を少し漏らした。
「予想通り、警備隊に知らせてないようだな」
「そりゃそうだろうね、警備隊呼んだら困るのあっちだし」
幹を挟んだ反対側で木にもたれ掛かる六花の目には、相変わらずいつも通りに巡回を続ける警備員の姿が映る。外から見た限りはいつも通りだが、実際は警備員と別に傭兵を数名雇っているのだと思うと笑えてくる。国に仕える警備隊と違い、傭兵は金さえ払えば余計な詮索などせずルビー・ブラッドの警護にあたってくれる。それ故に、痛い腹を抱える公爵にとっては傭兵が一番使いやすかったのだろう。
「金持ちの考えそうなことだ」
そう吐き捨てた六花は、目の前の葉を二・三枚ちぎり取っては投げ捨てるのを繰り返した。ひらひらと落ちていく葉を見つめながら、手に持った端末の電源を入れて時計に目を落とす。
六時五十分を指している液晶は規則的に点滅を繰り返し、まるで二人を急かすように時を刻んでいた。
「となると、傭兵は無視して大丈夫だね 」
「そうだな……ただの人間だ、たかが知れている」
ふらふらと所在無さげに屋敷内を移動するいくつかの点は、おそらく新しく入った傭兵なのだろう。元からいた警備員の行動が正確だったせいで、急ごしらえで揃えられた彼らが暇を持て余している姿が目に浮かぶ。
「門の所に居るのは普通の人間か……此処からなら入りやすそうだね」
「ああ。警備員の“型番”も特定できた。いつでも行けるぞ」
六花が示した液晶に並ぶのは、Aから始まるいくつかの数字。それは、家庭用アンドロイドの種類を示す数字だ。
生産業から接客業、その他警備から育児まで様々な分野で発達を続け、ガルバを含む様々な都市に普及している高性能アンドロイド、通称RUNA。あらゆるニーズに応える為に増え続けた型の中で、Aから始まるシリーズは工業用アンドロイドと呼ばれ、その肉体の強固さから警護目的としても使用されることが多い。
しかし同じAシリーズとはいえ、その性能には若干の違いがある。腕力・脚力・持久力・
握力など様々な能力を持つアンドロイドの中から環境に応じて提供しされるという柔軟性の高さがRUNAの売りでもある。
「あの家にあるのは瞬発力が高い型だな」
「……へえ」
主に配達業で使用される型で、警備に使用されることが少ない型式に六葉は目を丸くした。瞬発力の代わりに腕力等が犠牲にされたその型式は、悪漢退治に必要な腕力はどの型式よりも遥かに劣る。まさかそんな物を採用しているとは、さすがの六葉でも少しばかり驚いてしまう。
「警備用のシリーズは高いからねー。瞬発力の高い方を多く揃えて、とりあえず数でなんとかしようって感じかな」
「成り上がり貴族は金の使い所がわかってないから、楽でいいけどな」
ガルバに住居を構える特権階級の多くは、機動力の高い型式であるを警備として採用している特徴にある。イズネ公爵の採用している型式十体で一体買えるかどうかというほど高価ではあるが、その実力は折り紙つきである。
本物の、生まれながらの特権階級は教わらずとも理解していた。金額と能力は、比例するのだということを。
そこを理解できず、粗悪品をより高値で売ることを考えていたイズネ公爵は、おそらく数さえ揃えれば何とかなると思っていたのだろう。よく今まで盗賊に狙われなかったものだと、二人は笑いを噛み殺した。
「どうも怪しいわ……あの二人」
パンドラの二人と対面して以来、むくむくと杏の中で肥大を続ける不安が口から漏れた。たしかに常人離れした雰囲気をしていたが、一目見ただけでもわかる体格の貧相さが不安を煽るのだ。そもそもあの二人がパンドラだからといって、信用するべきだったのかどうなのか、それすら危うい。自分で依頼しておいて、我ながら疑り深いなと呆れるしかないと杏は溜息をのみこむ。
悶々と考えながら、彼女は今回のターゲット――イズネ公爵家の近くの茂みの中にいた。パンドラがどのような手口でルビー・ブラッドを奪還するのか、そもそも実行してくれるのか、それが気になって仕方なかったのだ。パンドラの一員として疑われるリスクも十分承知の上だ。
(そもそも依頼主に決行日時を教えるくらいの気遣いはないのかしら)
理不尽に苛立ちを募らせている彼女は、ふと視界の真ん中を通り過ぎる通行人に目がいった。昨日からずっと同じ場所で見張っていた彼女には見慣れたものだったが、目を引いた理由は火を見るより明らかだった。
(花屋の人だ……)
純白の大きなユリの花束を抱えた彼女は、この場所で何が行われるのかを全く知らぬままゆっくりと歩いていた。ただの散歩なのか配達なのかはわからないが、彼女は大きな花束を抱えながら公爵家の前を通りすぎていく。杏はその様子を見ながら、この一件が終わったらあの人の店で花を買い、母の墓前に添えに行こうとぼんやり考えていた。
そうして物思いに耽っていたのはわずか一、二分。杏が門へと視線を戻した時、時計の針は丁度七時を指していた。七時を回った瞬間に単調な電子音が小さく鳴り、杏は携帯のアラームを切っていなかったのかと慌てて取り出す。しかし彼女の端末はアラームどころか電源すら入っておらず、ならば何処から、と草むらの陰からこっそり辺りを見渡した。草むらの影から目線を出した彼女の視界に入ったのは、眼前の門番が意識を失ったように倒れ込み、白磁のような指が彼らの制服から門の鍵と思われる物を抜き取る場面。
丁度、六花と六葉がルビー・ブラッドを盗みに入る瞬間だった。
(来た……!)
「おー、流石によく効く薬だな」
「効いて来るまで約一分四十秒……及第点だ」
すっかり眠り込んでしまった門番の顔を覗き込み、起きる気配を見せない姿に六葉は上機嫌に笑う。観光に来た若者のように驚く程軽装で来た彼らの姿からは、これから天下の公爵家に盗みに入る人間だとは到底思えない。
からからと笑う六葉の隣で掠め取った鍵で門を開こうとする六花の姿は、見ているだけの彼女でも焦りを感じてしまうほどの悠長な動作だ。
(そんなのんびりしてたらカメラに映っちゃうわよ!)
門柱にはお約束とも言える位堂々と監視カメラが設置されており、二人の姿は一部どころか全身がしっかり映ってしまう位置だ。やはりあんな貧相な青年が現れた瞬間に依頼を撤回するべきだったと心中で叫んでいる杏の後悔をよそに、六花は扉に手をかける。
「……六花、三分じゃ無理だったみたい」
扉を開こうとする六花を制し、六葉は深々と溜息をついた。心底残念そうにする彼の表情からは緊張などといった感情は感じられず、どちらかというとゲームに失敗したような印象を受ける。
ハラハラと草陰から盗み見ていた杏は、扉から手を離した六花の目が、いつの間にか自分を見据えていたことに気付く。近くの茂みといっても、彼女は外部からは足元すら見えない程生茂った植木の内側に身を潜めていた。この一帯の何処かにに人が入り込んでいるということすら知らない彼等には見つけられないはずなのだが、確かに彼の目ははっきりと杏のみを捉えている。
(大丈夫……どうせこの植木の向こうに警備隊がいたとかそんなんだわ)
口内に溜まった唾液を飲み込み、杏は静かに詰めていた息を吐いた。本来、依頼主である杏は彼らに見つかったところで何ら問題は無いはずだった。しかし、彼女の中にはこれから罪を犯すという背徳感と、茂みに潜んでいた丸一日晒され続けた緊張のせいで、見つかってはいけないという意識のみが肥大していたのだ。
それまで一切の情報が隠されていた彼らの、実際に依頼をこなす姿を見た人間はどうなるのか。杏はその答えを知らない。
「俺たちは連絡するまで待っていろと言ったはずなんだがな……」
呆れたような言葉と共に投げられた細身のナイフが、杏のすぐ横を掠っていく。僅かな傷すらもつけずに地面に突き刺さっているそれに気を取られていた杏は、いつの間にか近付いて来た六葉に植木から引っ張り出された。
「アンズ……どうして君は大人しく待っていてくれなかったのかな?」
猫のように首根っこを掴まれた杏は、呆れを隠そうともしない六葉を見上げた。今のような表情をしている彼からはゾッとするほどの鋭さは感じられず、杏は胸中で安堵した。少なくとも、またあのような作り物めいた瞳に見据えられては何も話せそうになかったからだ。
「わ、私の大事な母さんの形見を盗んだ奴が、どうやって痛い目を見るのか知りたかったのよ!」
彼らが信用できなかったという事は隠し、嘘の中に多少の本音を混ぜて吐き捨てるように白状する。
信用がなかったのは事実だが、彼女にとってはあの公爵がどのような手口で一泡吹かされるのか知りたかった事の方が比率は高い。そもそも強盗を雇い、他人の命とともに首飾りを奪っていくような輩だ。多少痛い目を見せても罰は当たらないだろう。
「それに……あの首飾りを、どうして盗んでまで手に入れたかったのか……その理由も知りたいの」
彼女の瞳にはわずかに憎悪が滲んでいたが、それよりももっと濃く出ていたのは、ただの“疑問”。理不尽な理由で母を失ってしまった事への疑問がありありと浮かんでいた。
「……わかった。そんなに気になるなら、着いて来たらいいよ」
「六葉、いいのか?」
若干あくどい笑みを浮かべた六葉に、六花は一瞬虚を突かれたように反射的に問いかける。明らかに足でまといでしかない彼女を連れて行くことに、彼は少し否定的である。
もっとも、遊びではなく完全に犯罪行為なのだからそれも当然だろう。
「いいのいいの。万が一ヤバイ事になったら、彼女が罪全部かぶってくれるってさ」
「なるほど」
「なるほど、じゃないわよ!」
さも当然のようにとんでもない事を言いだした六花に杏が上げた抗議の声は、聞く耳を持ちませんとでも言うような態度で再び扉に手をかけた六葉に黙殺された。
依頼主を盾に使って自分達は逃走する便利屋だなんて聞いたことはないが、杏は確信していた。彼らは危険と判断したら、本当に自分を置いて逃走すると。
「しょうがない、面倒だけどRUNAを片っ端から壊していく方向で行こう」
堂々と正面扉を開いて邸内へと入った六葉は、誰もいないロビーを見回しながら誰とはなしに呟いた。
扉をくぐった先に広がるのは、濃紺のカーペットが敷かれ所々に真っ白い石像や石柱が立ち並ぶ大きなエントランス。扉の真正面には悪趣味な花瓶に生けられた花が、お世辞にも美しいとは言い難い公爵夫妻の肖像を一際目立つように装飾している。
「……視覚のテロだな」
うんざりとした口調で呟く、人形のように整った顔の男を見ながら、杏はふといくつかの疑問が浮かんだ。
まず第一に、なぜこうも堂々と侵入しておきながら警備員が駆けつけて来ないのか。仮にも上流階級である彼の屋敷には、それに比例するように相当な人数の警備員がいて然るべきなのだ。にもかかわらず、何故エントランスはこう静まり返っているのか。
そして、先ほどの“RUNA”を壊しながら進むという言葉も彼女にとっては疑問でしかない。RUNAが高機能と言われている所以は、機能だけではなく動力源を含む様々な基本性能が高いからである。
中でも耐久性は工業型などの力を要する分野の専用型番になるほど高く、ナイフはおろか銃弾すら通さない機体もいるのだ。そんなRUNAは破壊しようと思っても簡単に出来る事ではないというのに、一体何を言っているのだろう。
「ちょっと、そんな呑気にしてて良いの?早くどこかに隠れないと見張りが来ちゃうわ」
「……アンズ、君は何がそんなに不安なんだい」
挙動不審気味問い詰める杏に、六葉は何度目かわからない溜息をついた。キョロキョロと辺りを見回す杏の動揺は彼には理解できず、少しは落ち着きを持てと言いたくなってしまう。杏と彼らの間には明らかな感じ方の差が有り、宝石を盗みに入っているにも関わらず観光にでも来たような呑気さが彼女には理解できないでいるのだ。
「自分で依頼したのだから、少しは信用して欲しいものだね」
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