題名失効
壬光
拠るべく世界の救済者
――死体を運ばせるには、うってつけの連中である。そう真しやかに囁かれる便利屋集団が、ネット上に存在していた。
(本当にあのメールを信用していいのかな……)
少女はふとそんな事を思いながら不安そうに眉をひそめ、読んでいた新聞から顔を上げた。 彼女がいるのは、水都として名高い首都ガルバの中央城下町に位置する小さなオープンカフェ。
今日はここで、ある人物と会う事になっていた。
彼女の名前は、杏。
片田舎の農家の一人娘として生まれ、早くに父を亡くし元華族の母と共に細々と暮らす普通の少女だった。
そんな杏の生活が一変したのは、彼女が十五の頃。彼女の家に強盗が押し入り、祖母の代から受け継がれている宝石のついた首飾りと、不幸にも母の命を失った。行き場の無い憤りを抱えた彼女が彼の人物に会うことを決めたきっかけは、約数ヶ月前。偶然街で見かけた女が、母の首飾りを着けているのを見てしまった時だ。
首飾りも女の顔も、見間違う筈など無かった。
相手が公爵家、しかも証拠が全くない状態では警備隊は話すら聞いてくれやしないだろう。だからこそ非合法な手段に出るしかないと追い詰められた末に、彼女は街中で耳にした噂へと手を伸ばした。
『ある公爵婦人に奪われた首飾りを取り戻して欲しい』
――ネット上からでのみ接触できる、便利屋集団。
“依頼内容を描いたメールをデスクトップに表示させておく”というシンプルかつ不可解な依頼方法を掲げている彼らは、彼女が聞いた限りでは数十年前から存在が囁かれている。
容姿も人数も年齢も一切の情報が不明ながら、報酬さえ出せばペット探しから荒事の解決まで文字通り何でもやる便利屋として、彼らに縋る人間は多いのだという。
半信半疑のままメールを作成した彼女の元に、その連絡が届いたのはおよそ三日後のこと。
『ガルバ国立公園前のオープンカフェ。席についてから三十分後に目の前の花屋で花を買うこと』
黒い画面に白い文字でそれだけが書いてあったメールを見ても、完全に疑念が晴れたわけではない。しかし、藁に縋る思いとはまさにこのこと。杏は自分でもほとんど無意識のまま、ここまで足を運んでしまっていた。
(花なら何でも良いのかな……)
乗りかかった船だと開き直った杏は、期待半分不安半分といった様子で席を立ち、指定された通りに目の前の花屋に花を買いに行く。何を買えば良いという指定は無かったため、一番に目のついた黄色い花を一輪手に取った。
「ラッピングはどうします?」
「あ、そのままで良いです」
プレゼントでもないので必要ないだろうと思いラッピングを断った杏の様子に、その言葉を聞いた店員がわずかに笑う。
「……何か?」
「失礼しました……時々貴女みたいなお客様がいらっしゃるもので」
笑いながら言う店員の言葉に、思わず顔が強張ってしまう。
店員の指す“貴女みたいな”という言葉が、たまたま目に付いた花を買う客のことだとしたら。パンドラの指定した待ち合わせ方法を実行している人間が他にも存在する可能性が、わずかにあった杏の猜疑心を緩和させる。
「ありがとうございました」
そんな店員の声を背に、杏は名も知らない黄色い花を片手に店を出た。
(それにしても、あの人変わった服着てたな……)
ふと気になったことを考えながら席に戻り、再び静かに新聞を手にとる。安息日ということもあって賑わいを見せている市街で、彼女はただ静かに顔の見えない相手を待ち続けていた。在りし日の母の面影を求めながら、同年代の少女たちが楽しそうに談笑するのを聴きながら。
若手の人気歌手が最新曲をリリースしたという見出しが目に入ったのとほとんど同時に、ふと新聞に影がかかる。まさか、と逸る気持ちを抑えながら杏は新聞から目を上げた。
「こんにちは、ミス・アンズ」
ダイヤモンドのようだと、最初に感じた。
黒い髪に黒い外套を纏う彼はそれとは程遠い外見だが、彼の視線が、雰囲気が、まるで何物にも傷つけられることのない硬質なダイヤのようだった。
「パンドラから来ました、
彼から告げられた単語に、杏の目の色が変わる。
『パンドラ』、それは噂で聞いた便利屋集団が唯一名乗る呼称だ。
目の前に立つ彼らは、六花と紹介された青年が偏光グラス付きのヘッドギアを着けていることを除いて、まったく同じ外見をしている。周囲の視線が一気にこちらに集中していることに気づいた杏は、居心地悪そうに肩をすくめた。双子自体はそう珍しくはないが、彼らの場合はそれ以上に人目を惹きつける要因があった。
美しいのだ。それ以外に何の形容詞も浮かばないほど、比べるべくものが何もない程に。生まれて初めて心を奪われるという経験をした杏は、どこか惚けたような掠れた声を上げた。
「パンドラ……の?」
「依頼内容はメールの通りで良いですね?」
自然な動作で目の前に腰掛けた彼等は、メニューをめくりながら談笑でもするかのように本題を切り出してくる。まるでこちらの質問には答えないとでも言うようで、いくら美形でもそれはどうなのかと、わずかに杏の眉間にシワが寄る。
六花は依然何も話さず、ただ六葉の隣に黙して座っていた。
「まあ、今回来ていただいたのは報酬の件なのですが」
笑いながらメニューを閉じた六葉の目が、不意に杏を見据える。真正面から深く暗い黒に捕われ、意図せず彼女の思考が支配される。
彼は本当に、人間なのか――と。
「……パンドラの報酬は決まっていないそうね、今回の場合だといくらなのかしら?」
「そうですね……現金で五千万ユシル、もしくは土地の権利書」
土地の、という言葉で思い当たるのは、母と過ごした小さな家。 彼女の持つ権利書はそれ一つしか無く、彼等が言っているのはそれだろうと容易に想像出来た。しかし、その権利書は所詮片田舎の小さな土地のものでしかなく、五千万程の価値などどう見ても無いとわかりきっている。
「どうして、そんなに価値が違うものを……?」
彼女の問いに、六葉はまたにこりと笑っただけだった。
「お前はただ、どちらにするか選べば良いだけだ」
先程まで黙っていた六花が六葉の代弁でもするかのように口を開き、その白い指を杏に突き出すように二本立てる。
「首飾りを取り戻す代わりに、借金を抱えるか、今は住んでいない家を空け渡すかだ。早く決めろ、俺達はそれほど暇じゃない」
偏光グラスに隠された漆黒の双眸が、射抜くように杏を捉える。 目を合わせているのかもわからないのに、心を覗かれているかのような焦燥に駆られてしまうのは、きっと彼が磁器人形のように無表情だからなのだろう。すべてを見透かしたようなその視線が、杏の心を揺り動かす。
「……土地の権利を渡すわ」
暫くの思案のうちに決めたのは、生家の権利書。もともと手放すつもりでいたそれと引き換えに首飾りが戻って来るのなら、安く済んだ方だろうと思う。法外な値段を吹っかけられることを予想していただけに、むしろ少しばかり拍子抜けしてしまうが。
「契約完了だな」
「報酬は依頼品と引き換えで、場所などはこちらで指定します。それと、受け渡し前に宝石を少し拝見しても?」
「構わないわ」
六葉はいつの間にか運ばれていたカプチーノを口に含み、静かにソーサーへと戻す。隣では六花が携帯用のパソコン端末をヘッドセットに繋ぎ、誰かと会話しているようだ。本当に要件は報酬についてのみだったようで、まるでこれ以上用がないとでも言うように、彼は放置されていたレシートを手にとって立ち上がった。
「それでは準備があるので、これで失礼します」
そのまま背を向ける二人の姿は、杏と同じ歳のような外見であるにもかかわらず、どこか圧倒するかのような雰囲気が感じられる。対面していた時とは違う、どこか排他的な圧力。
何も言えない彼女を背に、六葉はカフェから静かに姿を消した。
「公爵家かー……めんどくさいな」
心底面倒そうにため息混じりに呟く六葉に、六花は端末を懐にしまいながら声をかける。
「六葉、例のものは三日後に公爵家所有の別荘に移されるらしい」
「三日後ね……」
六花の言葉に少し考え込んだ六葉は、癖のように顎に手を当ててふと笑った。
「なら、明後日盗りに行こうか」
軽く言う六葉に、心得たように六花はただ頷いた。公爵家に盗みに入るという行為は、二日もあれば十分だということが彼の様子からにじみ出ていた。
一般市民の家とは比べ物にならない程のセキュリティが張り巡らされていることは容易に想像できるにも関わらず、だ。
「六葉、セキュリティや間取りについてのデータは見るか?」
「見る。で、想定時間は?」
「余計な邪魔が無ければ三分弱ってとこだな」
六花はヘッドセットの耳当て部分に手をやり、片手に持った携帯端末に目を向ける。液晶画面には“K”という人物からのメールが表示されており、名前の下には公爵家のものと思われる間取り図が広がっていた。
図の上を忙しなく動く赤い点は、おそらく警備員の動きなのだろう。
「なんだ、意外と簡単そうだな」
六花の端末を覗き込んだ六葉は悪戯を思いついた子供のような顔で笑い、彼の一歩前を歩きはじめた。そんな六葉のあとを追うように、六花も端末から目を離さずに歩を進める。
端末上を歩く警備員達は全く無駄の無い動きをしているが、良くも悪くも正確すぎるのだと、含み笑いを漏らす。。
「六花、その公爵の所に手紙出しといてよ」
“――明後日、貴殿の所有する【ルビー・ブラッド】を頂きに参ります。”
『パンドラ』
そんな電子メールが彼のもとに届いたのは、夕食を済ませて自室に戻った直後のこと。七を示す時計のモチーフが文面の舌で静かに存在を主張しており、それを目にした彼はさっと表情を変える。
ルビー・ブラッドとは、彼こと首都ガルバの有力貴族でもあるイズネ公爵の所有する首飾りだ。価値はまさにピンからキリまで存在するが、彼の所有するそれの価値は貨幣にして約七千四百万ユシル。一般的に高給とされる首都勤務警備隊員の、約数十年分の給料に相当する。
そんな物を堂々と盗みに来ると宣言されたのだ。当然、公爵は警備体制を厳しくするべく各方面へと連絡を取り出した。
「おい、警備隊の本部に連絡を入れろ!このパンドラとかいうふざけた連中をさっさと捕まえさせるんだ!」
怒り心頭の様子の公爵の言葉に、年若い側近の青年は複雑そうな表情を浮かべた。主の言葉に何を躊躇しているのかと公爵が睨みを聞かせれば、青年は一瞬の戸惑いの後に口を開いた。
「……よろしいのですか?ルビー・ブラッドといえば、例の……」
側近の中でも飛びぬけて怜悧なはずの彼が珍しく言い淀む姿に、公爵は何か不都合でもあったかと訝しむ。しかし、すぐに原因に心当たった彼もまた、途端に顔色を変えてメール本文へと目を戻す。
「まさか、奴ら知っているのか……?ルビー・ブラッドが“正規のルートを出回ることの無い宝石”だと……」
ルビー・ブラッドは、もともと彼とは別の貴族が所有していたものだった。その宝石は血を連想させるようなダークレッドから鮮やかなローズレッドまでの濃淡が美しく、物によってはピジョンブラッドをも超えるとされる代物だ。
しかしその一方、それ程の価値を持ちながら、決して表の世界に出すことの出来ない物として、一部の裏のルートでしか取引されていない宝石でもある。
「ルビー・ブラッドの本当の価値を知る者は、王侯貴族の中でも極僅かです。万が一その価値を知られていたとしたら、警備隊の存在を逆手に取られる可能性が……」
「くっ……」
悔しそうに歯噛みする公爵の中では、ルビー・ブラッドの存在をいかにして隠すかどうかの考えが渦巻く。あと三日遅ければルビー・ブラッドは他人名義の別荘ヘと移され、知らぬ存ぜぬを突き通すことが出来た筈なのだ。
「いかが致しますか?警備隊が使えないとなると、ルビー・ブラッドの監視体制が薄くなる可能性が……」
「わかっている!まったく、本当にふざけた連中だ!」
八つ当たりのように机に拳をたたき付けた公爵は、メールの向こうで嗤うパンドラに怨みを込めて叫んだ。
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