第12話

(八)公安警察にマークされる

 東洋紡績浜松の工場は、帝人の工場より敷地内になる寮の建物も仕事内容も近代的に見えました。寄宿係兼付付属学校の教師としての待遇で、会社の概要など研修を受け、工場内の各部署での作業実習もしました。

 工場と寮生活に慣れ始めた、三週間前後のある朝、母から電話で「昨日、公安警察の人が近所に聞き込みに来た」と知らされ、びっくりした直後、労務課長から「前に他の工場に勤めたでしょう。それが履歴詐称で解雇してもいいのですが、試用期間中だから採用停止にします」と通告されました。

 「東京からお母さんが迎えに来る予定になっています。特急の乗車券も二人分用意してあります。」と否に応もなく荷物をまとめさせられ、その午後、迎えにきた母に引き渡されて強制的に追い出されました。

 これは紡績女子労働者を無理に帰す時に故郷から親達を呼び寄せるという昔ながらのやり方で、親から自立している私まで同じように扱われた屈辱感と、問答無しの一方的な扱いをされたことが悔しくて、その場で泣いてしまいました。

 あれだけ約束した定刻の人事部長は、公安警察の存在に「恐ろしい世の中だ」と身のすくむ思いでした。このことは証拠がないので人権擁護局に訴えることもできません。

 誰に話しても仕方の無く、どこにも相談できないまま、私の背中には「共産党のオルガナイザー」という虚師のレッテルが貼られました。

 ブラックリストに載って隠然と有名になっていたようで、そのことは次に世話されたデパート「松屋」ではっきりしました。

 松屋は労働組合の書記職でしたが、会社の試験を受けてほしいといわれ、人事部長と面接し、採用が決まりました。その二〇日後、人事部長から呼び出され、「あなたは前に二つの工場に就職しましたね。そのことを履歴書に書かないのは困ります」と言われたので、「前の人事部長に『雇用関係はなかったことにする。』『試験期間だから履歴書に書かなくて良い』と言われたからです」と答えたのですが、どうもこれは採用拒否通知で解雇されたのです。

 このときばかりは「このまま泣き寝入りしたくない」と思い、他の大組織の労組書記組合に相談しました。その人たちの応募を得て、「人事部長から解雇されたのです。このときばかりは地裁に身分保金の仮処分を求めて提訴しました。しかし、私側の証人はいないまま却下されました。民事で有名な千種達大判事が担当でしたが、最後に「あなたのいうことはまったくの嘘だ」とはっきり言われたときには、「裁判官がこのような言葉で原告を侮辱しても良いのか」と驚き、その人柄を疑いました。

 屈辱感と情けない思いでひどく落ち込み「黙って退職に応じればよかった」「裁判などしなければよかった」と思いました。

 一九五四年、二十五歳のときのことです。このことは機会があって一九五六年に刊行された平凡社編「現代残酷物語」に書きました。

 私が就職をした一九五一年は、二年前の四九年から大量に通報され、解雇反対闘争が盛んでした。また四九年の夏には国鉄総裁が轢死した下山事件、電車が暴走した参慶事件、列車が脱線し死亡者が出た松川事件などが起こり、社会運動が弾圧され、不安な情勢の余波が続いていました。

 私の解雇事件で、松屋の労組は臨時大会を開くなど、大混乱をしました。書記とはいえ事務所に座って雑用ぐらいしかできない私でしたが、このような人間を松屋はよくぞ二年も雇ってくれていたと思いました。

 松屋事件は私のなかに重く沈んでいたのですが、八六歳の今、思い出しつつ考えると、人事部長に呼び出されたあと、もう一度人事部長を訪ね、はっきりと「試用期間中に採用取り消しになったのか」と確かめ、そうであれば労組の情勢も勘案し、迷っていた転職を決意するべきであった、と思います。

 それまでの就職で不本意な扱いを受けたので、公安警察に妨害されて何が何でも引き下がるものか、と提訴に踏み切ったのですが、別な方法で怒りをぶつけるべきであった。若くて気負いすぎていたという反省の気持ちもあります。


(九)社会変革をめざす人たちの仲間

 私は研究会などで女工哀史をしり、資本主義社会における労使の仕組みを学んだので、女性労働者が少しでも幸せになれるように、力を貸そうとヒューマニズムに駆られて工場に入っただけなのに、誤解を招くような結果になってしまった。

 そして思想的オルガと見なされて、危険分子扱いされるようになってしまいました。それは心外でした。

 一九五一年は朝鮮戦下のレッドパージ直後の時期で、公安警察や経営者達は、尾行・聞き込みなどをして活動家封じに熱心でした。私のような大学卒業したての女性が工場に就職するのは思想的背景があるとにらんで追放したのでしょう。

 その後も私が友人の勤めている繊維工場を訪ねると、その友人は「あの人は何をしたのでしょう」。その後も私が友人を助けるように、日本女性労働組会に入会させました。

 闇の中を歩いているような気分で不安に駆られた日々、社会的に孤立した青春でした。

 行く道は、奥の友人達のように結婚して家庭に入り、おとなしく生きるか、選んだ道をさらに前に進むかの二者択一しかありません。

 私は、初志通り公安警察などがマークしている「危険な思想」をもっと学び、貧しい人がなくなる社会、差別のない平等な理想の社会をつくってくれた労組書記、弁護士の先生などに対して、申し訳ない気がしました。

 また、その組織の中に入らなければわが身は守れないとも思い、前々から誘われていた組織に加わることにしました。

 ところが、その申込書が、選挙違反容疑で、その組織の事務所が捜索されたときに警察の手に渡り、このことはすぐに知られてすぐにまたもや監視がきつくなりました。

 のちに結婚した夫の職場に婚姻届提出後の一、二週間後、公安警察が総務部長に私のことを報告にきたというくらいでした。

 以来、どこにいても誰かに監視されているつもりで、何かの口実に逮捕などされないように法律違反を絶対しないよう心がけています。

 また、わが家族を守るためには民主勢の力を大きくしなければならないと地域活動などの積極的に参加しました。

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