第10話

(四)祖師谷住宅に移る

 当時借りていた狭い離れでは子供も産めないと思い、公的な住宅に何回も応募して一九五六(昭和三一)年九月、東京都住宅給公社が作った初の大団地、祖師谷住宅にやっと入居できました。

 祖師谷は小田急線で、三〇平方メートル、風呂場の中のトイレ付き、六畳一間の和室と同じ広さのリビングダイニング、トイレの通路が炊事場所という狭さですが、引っ越した時は外国の「ホテル」に入ったような気分でした。

 腰掛の水洗トイレは初めてでしたし、炊事しながら隣の食卓に料理を運ぶ便利さ、コンパクトな生活は、これまで日本家屋しか知らなかった私達には新鮮でした。

 当時は住宅難でしたから、東京中から新婚夫婦が入居してきてほとんどが若い家庭、翌年は出産ラッシュで活気に満ちていました。


(五)保育所作りで「婦人の集い」発足

 私は「女性も経済的に自立して、夫に頼らずに生きていくべきだ」という考えだったのですが、当時は赤ちゃんから預かり保育所は皆無、女性は「仕事か結婚か、二者択一」と言われ、専門職で両立への道は自分で切り開いていかなければなりませんでした。

 ただその数年前から共同での保育を試行する女性達が出てきており、「働く母の会」が発足し、心強く思っていました。私より一年前に出産した友人の経験を参考に、妊娠中から団地内に保育所を作る運動をしよう、と考えていました。

 友人の経験を参考にした方法で「干戸も世帯があるのだから、団地内に同じ考えの人がいるはず」と友人・知人に紹介してもらい、あちこち訪ね歩きました。 

 産休に入った頃、その後団地事務所の管理人に相談に行き「保育所作りをしましょう」というチラシを皆で全戸に配りました。九ヶ月のおなかを抱えて四回まで配布するのは大変えしたが、「上の階、入れてあげましょう」と声をかけてくださる主婦もいてとても元気が出ました。

のちには社会党参議員になる久保田真苗さんです。

 当時、国家公務員試験の五級は受かっていたが、あまり希望しない部署からの問い合わせばかりなので断ってしまいました。将来、女性労働問題を解決するための研究や運動をしたい、と考えていたのです。

 あとから考えると、それを実現できる能力も体力もないのに、身の程知らずということでしょうか。思い上がっていたのでした。





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