第4話 探偵同好会結成(後編)

「ま、そういうこと。長期記憶はさらに陳述記憶と非陳述記憶に別れている。言葉で表現出来る記憶が陳述記憶だとすれば、そう言い切れない記憶が非陳述記憶、ということ。身体で覚えている習慣的になっているものが、非陳述記憶と言ってもいいかもね」


 長期記憶の中でも、陳述記憶と非陳述記憶がある。それは分かるが、そのことと記憶探偵がどう結びつくというのか。


「私が問題としているのは、その中でも後者。非陳述記憶にあたる方よ。身体が覚えている習慣、とは言ったけれど簡単に言ってしまえばそれは潜在的に染みこまれた記憶と言っていいでしょう。その記憶の中に忍び込み謎を解き明かすのが私の役目」

「記憶に……忍び込む? どうやって?」

「BMI端子があればそれを使えば良いけれど、無い場合はこれを使う」


 そして鞄から何かを取り出した。

 それは白い箱だった。箱を開けると中にはイヤホンのようなものが入っていた。

 いや、正確にはコールセンターのお姉さんが付けているようなヘッドギアに近い形、と言えば良いだろうか。いずれにせよただのイヤホンでは無さそうだ。


「これはまだ試作品と言われている、無線で脳の記憶に干渉する機械ね。無線で被験者の脳に流れている電気信号を解析し、海馬から記憶を得る。その記憶に飛び込む、ということ」

「ちょっと待ってくれよ。記憶に飛び込むってそんな簡単に言うけれどさ」

「勿論。簡単なことではない。記憶はそこに滞っているわけではないからね。大きな流れというものを考えてもらえば良い。河川の中に飛び込めば無事ではないということは、君も分かっているだろう? まあ、そのために『命綱』も用意しておくし、安全装置が働けば無事に帰ってくることが出来る。非常にシンプルで聞き分けの良いシステムなのだがね」


 そんなことは言っているが、俺にとってはさっぱり理解できない。

 もっと言ってしまえば、どうして俺を呼んだのかも分からない。


「……なあ、なんで俺を呼んだんだ? 数合わせが理由なら、別に誰だって良かったはずだろ?」

「一つ。先ず部活動はさっさと創部してしまう必要があった。困っている人間を助けないで何が探偵だ。そしてそのためにもメンバーを決める必要があったが、」

「まさか、そのためにあの挨拶を?」


 あの挨拶は、気を引くためにわざとやった、と?


「まあ、そういうことになるな。それにしても意外と食いついてこなかったのは想定外だった。まあ、一人釣れただけでも良しとしようか」

「おい、今釣れたと言ったな? 何かの詐欺か何かかよ。だったら俺は帰るぞ」

「いやいや、もう無理だよ。もう乗りかかった船だ。最後までやってくれたまえ」


 帰ろうとする俺を強引に引き留める明里。

 意外にも明里の腕力は強く、簡単に引き留められてしまった。


「分かった、分かったよ。……こっちだって乗りかかった船だ。ある程度は居てやる。けれど、俺はいったい何をすれば良い?」

「助手だよ」

「は?」

「探偵には助手が必要だろう? シャーロック・ホームズにおけるワトソン博士のように」


 あまりミステリーには興味が無いのだけれど、とどのつまり助手をしろ、と。

 いったい助手の役割はなんだろうか、と明里に問いかけようとしたが、明里は首を横に振った。


「言わずとも分かるわ。あなたが何を言いたいのか、ね。とどのつまり、助手はどういう役割を持つかということよね。助手は、簡単に言ってしまえば何でも屋よ。だって仮にあなたがBMI端子を装備しているところで使い道が分からなければ意味が無いでしょう?」


 それを聞いた俺は目を丸くした。


「あら。……まるで、『何でそれを知っているんだ』って表情ね。だって当然じゃない。変に襟足が長くなっているし、たまに金属の端子が見えているわよ。まあ、BMI端子を実物で見たことがない人だったら、分からないくらいカモフラージュされているけれど」

「……そうだったか」


 俺の身体には、BMI端子が組み込まれている。

 それはミルクパズル症候群が原因ではあるけれど、罹患者ではない。心配症だった祖父がどうしても手術を受けろと言うものだから受けただけに過ぎない。

 でも、世間から見るBMI端子=ミルクパズル症候群のイメージは根強いままだ。

 やはりどうしてもミルクパズル症候群ではないか、と疑われることが多かった。

 お陰で外に出るときは帽子かパーカーが必須となった。さすがに職務質問を受けることはないが、お陰でBMI端子を隠すことは出来た。

 しかし、学校ではそうはいかない。帽子を被って登校なんてこと出来るはずも無いし、学校側がそんな特例を認めたら、直ぐにミルクパズル症候群の可能性を疑われてしまうし、そもそも他の学生もその特例をうまく利用できないかと考えるはずだ。

 いずれにせよ、俺はそれがばれないように何とか襟足を自然に伸ばし、BMI端子がある部分が見えないようにしているつもりだった。因みにBMI端子にはカバーをつけているが、それでも肌色と少し違う色になってしまっているために、どうしても違和感が生まれてしまう。


「ま。そんなことはどうだっていいのよ。今の人間はBMI端子があるということは、イコールミルクパズル症候群の罹患者だと勝手なイメージを抱いているけれど、それこそが大きな間違い。BMI端子があるということは人間の中で次のレベルに進んでいる『進化した存在』と言ってもいい。脳は人間が解析することを許されなかった、神のみぞ知る領域だったわけなのだから」

「……つまり俺は、雑用をすれば良いということなんだな?」


 話を戻すために、俺は明里に言い放った。

 明里はうっすらと笑みを浮かべると、やがてゆっくりと頷いた。


「分かっているじゃない。つまりそういうことよ。雑用と言っても評判が広まればきっとあちらから客はやってくるはず。客じゃなくても私たちに協力したい人間も必ず出てくるはず。そのためにも精力的な活動を地道に続けていかないとね」


 鐘が鳴ったのは、ちょうどそのときだった。

 確かこの学校は午後六時には鐘が鳴るはずだ。ということは今は午後六時。初日からこんな時間まで学校に居る新入生は少ないはずだ。急いで帰ったほうがいいだろう。


「……と、もうこんな時間ね。細かいことはまた明日から始めましょう。とにかく、記憶探偵同好会は今日からすべてが始まるのよ!」


 そう言ってロッキーのテーマを口ずさみながらそそくさと明里は帰っていった。

 部室棟の各部屋は最終退席者が鍵を閉めることとなっている。とどのつまり、二人しか居ないこの同好会で鍵を閉める役割となるのは――俺だ。

 仕方ない。あいつが帰ってしまったことに関してもう咎めることはしない。というか咎めたところで何も始まらないだろう。そう思って俺は部屋の掃除を始め、三分後、部室の鍵を閉めるのだった。

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