第5話 登坂舞という少女
「部活、終わったんですね」
俺に誰かが声を掛けてきたのは、部室の鍵を閉めたちょうどそのタイミングだった。
最初は明里が忘れ物でもしたのかと思っていたが、どうやらそうでは無さそうだ。
そこに立っていたのは、赤がかった黒髪の少女だった。制服は同じだからここの学生のようだ。優しそうな表情をしている。優しさを擬人化したらこんな感じなのだろう――なんて軽快なジョークを送ってしまうくらいには、彼女の優しさが滲み出ていた。
「……君は?」
「私は、
彼女は自らをそう名乗った。
舞は話を続ける。
「あなたは、記憶探偵同好会に入部したのですよね?」
「入部、というよりかは入会になるだろうけれど」
「良かった」
それを聞いた彼女は胸をなで下ろした。
いったい俺に何を期待して、その発言をしたのだろうか。まるで俺が記憶探偵同好会に入会することを最初から分かっていたような――或いは気にしていたような、そんな発言だった。
「どうして、俺が入会して『良かった』という結論になる? 一応言わせてもらうが、俺は勝手にあの女に入らされることになったんだぞ?」
「いいえ。それで問題ないんです。あ、自己紹介まだ終わってなかったですよね」
そこから舞は自分のことについて話し始めた。自分は俺と同じ一年生であること。高校入学を機にこの街で一人暮らしをしていること。一人暮らしは不安であるが色々と頑張っていること。
すべてが他愛もないことだらけだった。けれどやっぱり不安は払拭されなかった。
どうして彼女は急に俺に接近してきたのだろうか? 校門への近道、というわけでもないだろう。一年生の教室から校門へ向かうには、ここを通るルートははっきり言って遠回りだ。にも関わらず、このルートを通っているということは――わざわざ俺に会いに来た?
でも、どうして?
仮にそういう結論に導いて、信じて疑わないとするならば、それは単なるナルシストだ。
普通ならばこのルートをこの時間に通ることに関しては、疑問を抱くはずだ。
「あ、あの。すいません。実は、職員室で記憶探偵同好会の話を聞いていて」
そこで俺は少し納得した。そういえば先程記憶探偵同好会の件を職員室で話をしていたからだ。大声ではなかったが、それなりに声のトーンは大きかった。あのタイミングで職員室に居る学生がいれば耳に入ったのも何となく頷ける。
だが――だとしても。
「それで、どうしてここに? まさか……」
「ええ。そのまさか、です。入会を希望していたのですけれど、もう会長さんは帰っちゃいましたよね?」
よく見ると彼女の手には一枚の書類が握られていた。
そしてそれは『入部届』と書かれていた。
……嘘だろ。そんなこと、有り得ない。
どうしてまだ活動内容も定まっていない部活動(正確には同好会だが。ええい、面倒だ。そこら辺の説明については面倒だから今後は割愛する)に入部しようとする? さすがに面白半分にしては冗談が過ぎる。
「実は、私はBMI端子がありまして」
再度、衝撃が走る。
普通、BMI端子が埋め込まれている人間は自分からそう話すことはない。ミルクパズル症候群の罹患者と勘違いされて迫害――表現を和らげるならばいじめられる――可能性が大いに有り得るからだ。だから俺は大いに驚いたし、目を丸くしていた。
そしてその驚きは、きっと舞にも届いていたのだろう。舞はおどおどとした表情で、俺に話を続けた。
「ええ、ええ。きっと、そういう反応を取られるでしょうね。確かに、私は今まで人にBMI端子を埋め込まれているということを話したことはありません。けれど、記憶探偵同好会に入会しようとした理由も、それが原因なんです」
成程。まるでパズルのピースが一気にはまるかの如く、結論が生み出される。
彼女は救いたいのだ。同じようにミルクパズル症候群に悩まされる人間を。そして記憶の謎に悩む人間を。だから彼女を頼り、この場所にやってきたに違いない。
しかし、残念なことに――もう彼女はここには居ない。きっと明里がいるならば、喜んでいたに違いない。人数は増やしていくとは言っていたが、まさかこんなにも早くやってくるとは思わなかったからだ。
「……取敢えず、会長はもう帰った。また明日来ると良いと思うよ。会長に直接それを渡したほうがいいだろうし」
人数と入った順番を考えると俺が副会長になるのだから、俺がその入部届を受け取っても良いのだろうが、直接渡してもらった方が良い。それにもし考え直すならばその機会を与えた方が良い。彼女にとってはもしかしたら勝手なことになるかもしれないが、それについては俺からの温情だと思ってくれて構わない。
舞はそれを受け入れると、深々と頭を下げて校門の方へと走り去っていった。
そして俺は彼女の姿が見えなくなるまで見送ると――ああそういえば一緒に帰ろうとでも一言言えば高校生活が華やかなものになったかもしれないな、なんて雰囲気をぶちこわす言葉を独りごちり、部室の鍵を返すべく職員室へと戻るのだった。
◇◇◇
家に帰り、食事を取る。妹が遅かったから何かあったんじゃないかと探りを入れてきたが、そんなことは何にも無いとだけ言って自分の部屋に入った。妹は俺と三つ違いで、ちょうど同じ日に中学校に入学した。中学校と高校の距離は自転車を漕いで十五分ほど――正確に言えば山の上にあるのが高校で、山の下にあるのが中学校だ。
俺は今日のことを思い返す。今日は何だかんだで色々とあった。
衝撃的な明里の自己紹介から始まり、そのまま同好会の結成へと至ったわけだが、まさかその日のうちに新しいメンバーと思われる同級生に出会うとは思いもしなかった。まあ、彼女はきっと今日のうちに考え直してくれるんじゃないか、なんてことを考えていたわけだけれど。それは決して明里と二人きりになりたいとかそういう理由ではなく、明里のとんちんかんなこと――やることはとんちんかんには見えないが、傍から見れば訳の分からないことだ――に巻き込む道理はない。そう思っていたからだ。それがたとえ同じBMI端子を埋め込んでいる『同志』であったとしても。
「お兄ちゃーん、お風呂空いたよー」
妹の声が階下から聞こえて、思考が中断される。ああ、取敢えず風呂でも入って今日のことをリフレッシュすることにしよう。今日は高校生活一日目にしては色々なことが起こりすぎた。いくら何でも最初からアクセル全開過ぎだ。最初からこのペースじゃ、一年の終わりにはどうなっているのだろうか、なんてことを思いながら俺は着替えを持って自分の部屋を後にするのだった。
――そして激動の高校生活、その一日目はこうして幕を下ろすのだった。
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