第27話 心の前髪─4
ルソーさんが取り出したのは大きめの丸パン。それの上から一センチ位のところを、パン切りナイフで丁寧にスライスする。
スライスされた上の部分を取ると、硬い皮に隠れていた白い身が出てきた。そんな丸パンを三つ用意する。
「じゃあ舞ちゃん、このパンの上半分くらいの白い部分をちぎって、このボウルの中に入れてくれる?」
「ちぎって? このパンどうするの?」
「それは後のお楽しみ。ネロちゃん、あなたはこっちを手伝って」
「了解した。舞、お前もちゃんとやれよ?」
「言われなくても分かってるわよ」
パンの身は思ったより柔らかく、ふわふわとしている。パンとしてそのままかぶりついても美味しいだろうけど、ここからどんな料理にするんだろう?
ネロはというと、ルソーさんに頼まれて火にかけた鍋と向き合っている。手にはお玉が握られているから、スープでも作っているのかもしれない。
私の方も少しずつ仕上がる。といってもパンの身をちぎって取るだけだけど……
ルソーさんに言われたとおりにすると、中身が空洞になった丸パンが出来上がった。
「こんな感じでいい?」
「あらお上手。バッチリよ」
パンを千切るだけで褒められるなんて優しい世界だ……なんて事を思ったけど、褒められるのはやはり嬉しい。
「ネロちゃんの方も出来てる?」
「あぁ、こんなものでいいんだろう?」
ネロが差し出した鍋の中には、予想通りスープが入っていた。サラサラしているというよりかは、少しとろみがついていて、見た感じミネストローネみたいだ。
「このスープをどうするの?」
私の問いに、ルソーさんがニコリと笑ってパンを手に持つ。
「こうするのよ」
するとルソーさんは、上に穴の空いたパンの中へとスープを流しこんだ。そしてスープを流しこんだパンを用意した皿に置き、その脇にはジャガイモ切って一から作ったフライドポテトを添える。
「はい、これで完成。簡単でしょう?」
出来上がった一品を見て、思わず喉をゴクンと鳴らしてしまった。
スープ自体がトロリとしているので、パンの外に漏れるような事にはなっていない。パンの香ばしい香りも食欲を引き立たせてきて、空腹の自分にはたまらない!
「じゃあ一緒に食べましょ。スープまだ熱いから気を付けてね?」
「「はーい!」」
小学生みたいな元気な返事をしてから、木のスプーンでパンの中のスープをすくって口に含む。
「……美味しい!」
トマトをベースにしたスープは、キャベツや玉葱といった野菜だけでなく、斜めに小さく切ったソーセージも入っている。それらがトマトの酸味と組み合わさって、絶妙な味を引き立てている。
「舞、匙をもう少し突っ込んですくってみろ」
「え?」
ネロに言われて、スプーンを深めに突っ込んでみる。すると、何か柔らかいものにぶつかった感触がした。
「これって……パン?」
すくい上げたそれは、スープでひたひたにはなっているが確かにパンの白い部分だった。そういえば、パンの下半分は白い部分を残していたっけ。
口に入れた瞬間、スープを吸ったパンが口の中でジュワっと弾ける。噛みしめる度に口いっぱいにスープが溢れて、暴力的な旨さだ。
「何これ……すっごい美味しい! 特にこのひたひたになったパンが!」
「ふふ、舞ちゃんったら『メリア』の主人公みたいな事を言うのね」
「メリア?」
聞き慣れない単語に首を傾げると、横からネロが口を挟んだ。
「そういう映画があるんだよ。その中で主人公が『値の張った高級料理店でよく知りもしない物を食べるくらいなら、家で作ったカンターツェの下のパンを食べる方が有意義だ』って言うんだ」
なるほど、確かにその通りかもしれない。
私は産まれてこのかた、キャビアやフォアグラなど食べたことが無いけど、それらを食べるかカンターツェを食べるか選べたら、私は迷わず後者を選ぶ。
それくらいこの料理には魅力がある。庶民に愛されるのは、結局こういった素朴で安く作れる美味しい料理なのかもしれない。
それにしても、この世界には美味しいものが沢山ある。ありすぎる。
特にパンは、今までしなびたバターロールしか知らなかった私に強烈な一撃を与えた。「パンってこんなに美味しかったのか!」と思ったのは人生で初めてだ。
だから私は最近、料理を食べると自然に笑みがこぼれる。そんな様子を見てルソーさんも笑う。食事とはかくも素晴らしいものだ。
その後も、付け合わせのポテトをスープに付けたり、スープを飲み干した後に残ったパンの皿にかぶりついたりして、満足したまま昼食は終わった。
「いやー美味しかった。ご馳走さまでした」
「はいはい、喜んでもらえて良かったわ」
にこやかに笑うルソーさん。しかし彼女と対照的に、ネロはどこか浮かない顔をしていた。
どうしたんだろう? 腹でも壊したのか? 下痢止めでも飲んだ方が良いんじゃないか?
「正○丸貸そっか? 今手元には無いけど」
「……セイ○ガン? 何の事か分からないけど、失礼な事考えてないかい?」
私は「いえいえ滅相もありません」と言わんばかりに、顔の前で手を振る。その様子を見てネロは溜め息をついた。
「ルソーさん。一つ良いか?」
「ん? なぁにネロちゃん?」
食卓を拭いていたルソーさんにネロが問う。
「あの写真……あれはいつ頃撮られたものだ?」
ネロが指差した先には、以前私が見せてもらったルソーさんの家族写真があった。
「あの写真? そうねぇ……三十年くらい前かしらね。でもどうして?」
急に何を聞くんだ、この探偵は。そう思ってネロの方を向いて──私は息を飲んだ。
ネロの顔は、今までに無いほど真剣だった。でも私はこの顔を以前見たことがある。
ボックルちゃんの店が潰れそうで、食卓で会議してた時……あの時の顔によく似ている。
ひょっとするとこれが……ネロの『探偵の顔』というやつなのかもしれない。
「少し気になったんだ。その写真の中の子どもの事なんだけど」
そこでネロは一旦言葉を切る。だが次の瞬間発したネロの言葉に、その場の空気が変わった。
「その子……一体誰の子だ?」
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