第26話 心の前髪─3

「はいはいお待たせ。突然だったから、手の込んだ物は用意出来なかったけど」

 そう言いながら、ルソーさんは手慣れた手つきでテーブルの上にお茶を用意する。

「ささ、そこに立ってないで座って?」

「あ、すみません」

 ルソーさんに促されるがままに、席につく。目の前には以前のように、湯気をたてたお茶が鼻腔をくすぐる。


「今日は林檎のお茶を淹れてみたの。お口に合うと良いんだけど」

 ルソーさんの説明を聞き、私はお茶を口に含んだ。以前飲んださくらんぼのフレーバーティーとはまた違い、林檎特有の甘い風味が口の中で広がる。隣で同じようにお茶を飲んだネロも、満足そうな顔をしていた。


「どうかしら?」

「あぁ、美味しい。僕は常にコーヒー一辺倒だからお茶はあまり淹れないんだが、こうやって飲んでみるとお茶も悪くないね」

 ネロがコーヒーを飲むのはカフェインによる眠気覚ましを兼ねてだろうと思ったけど、それを敢えて言う必要も無い。それにルソーさんのお茶が美味しいのは、私自身もよく知っている。


「それなら良かったわ。舞ちゃんは前に美味しいって言ってくれたんだけど、ネロちゃんの舌は肥えてそうだから少し不安だったのよ」

「別に僕の舌は肥えてなんか無いさ。こんな風に依頼が来なきゃ、明日のコーヒー一杯飲むのにも一苦労するからね」

「あらあらそうなの? 本当に大変な時は、いつでも頼ってきて良いのよ?」

「お気遣いありがとう。でも今は昔ほど苦労はしてないし、なにより──」


 

「──今は、助手もいるしね」

 ネロが不意に私の肩をポンと叩く。

 驚いてネロの方を向くと、こちらを見ながらニヤリと笑っていた。

 少しは頼りにしているということだろうか……? だとしたら嬉しいけど、少し照れくさいな……。


 ルソーさんはというと、口元に手を当てて笑っている。「あらあらまぁまぁ」とでも言いたげだった。

 そういえば、ルソーさんは私が探偵になりたいと誤解してるんだった。どこかで誤解を解かないと、ややこしいことになりそうだ。



「さて、僕らの話はこの辺にしておいて、今日ここに来た目的をそろそろ果たそうじゃないか」

 お茶のカップをソーサーに置いて、ネロが再び口を開く。

「その前にまず確認させて。私の依頼内容について」

 ルソーさんが手を上げて発言する。依頼人であるルソーさんとしては、やはり目的が期待通りに達成されるか気になるのだろう。


「もちろん。ルソーさんの依頼内容は『店の閉店を手伝ってほしい』とのこと。より具体的に言えば、後悔の無い形で店を畳みたい、ということだ。ここまででまず異論は?」

 ルソーさんは首を横に振る。

「その後舞を介して、『最後に笑顔で終わりたい』という要望があった。涙でお別れをするのではなく、笑顔で終わる──これが大まかな依頼内容という事で大丈夫かい?」


 ネロの話をルソーさんは黙って聞いていたが、聞き終わるとすぐに笑ってパチパチと拍手をした。

「良かったわ。ちゃんと依頼について分かってくれてて」

「これくらい探偵としては初歩の初歩さ。それよりも大事なのはこの後だからね」

 そうだ。ネロの言うとおり、大事なのはこの後だ。

 思わず私の膝の上で握った拳に力が入る。果たしてルソーさんは満足してくれるのか……少し、いやかなり不安だ。

 そんな思いを汲み取ってくれたかのように、ルソーさんは優しく微笑んだ。

「あまり肩に力を入れなくていいわよ。あなた達が良いと思った方法を教えて?」

「……心遣い、感謝するよ」

 一礼してから、ネロは決然とした表情で話始めた。





「僕らが計画しているのは、先程も軽く言ったように『商店街全体で行う閉店祭』だ。まずはこの事について説明しておこうと思う」

 そう言ってネロがテーブルに出したのは、昨日までにネロがタイプライターとにらめっこして用意した計画書だった。ルソーさんも老眼鏡を掛けて、その紙に目を通す。


「具体的に何をするかというと、商店街の参加店舗で割引を行う。参加店舗については、現在振興会が中心になって呼び掛けてる」

「他の店を割引にする理由は?」

「これは振興会会長の娘──といっても権力に関しては会長と変わらないがね──ルシエラが提案したことだ。商店街が常日頃から、客寄せに試行錯誤してるのは知ってるだろう?」

 ルソーさんが頷く。これは私も最近知ったことなんだけど、近頃は各地で商店街自体が減少傾向にあるんだって。

 そのため、ルシエラさん達振興会の人は、商店街を盛りたてるための企画を色々立案している。

 そして今回ルシエラさんの提案で、商店街が依頼に協力する代わり、客寄せのためにルソーさんの依頼に乗っかろう、という運びになった。


「ルソーさんの床屋は、商店街内外でお世話になった者も多い。店だけでなくルソーさんと親交が深い者もいる。そんなルソーさんの店が閉店するとなれば、その思い出を風化させず、形あるお祝いにしたいと思う者も多い。今回参加に積極的なのはそういった者達だよ」

「──と、いう名目で、自分達の店を繁盛させたいんでしょ?」


 一通りの話を聞き終えたルソーさんが溜め息を漏らす。

 確かにその通りだ。商店街が協力してくれるのも『自分達に利益が出そうだから』だ。ルソーさんからすれば、自分の店の閉店が客寄せパンダに使われるふうに捉えられる。面白くないのも当たり前だ。


「……そういう側面があるのは否定しない。だがそんな考えで参加しようとしている店しかない訳では無いことも理解してほしい」

「もちろんよ。義理人情だけで全て上手くいく事は無いのは、私だってよく知ってるから」

 そう言うルソーさんは、いつもと変わらない笑みを浮かべている。

 ルソーさん自身も、今日に至るまで様々な経験をしてきたんだろうなって事が、その笑みに集約されている気がした。



「……理解、してくれるか?」

「もちろんよ。商店街の協力が必要だって、ネロちゃんは判断したんでしょ? なら、依頼人の私からこれ以上言うことはありません」

「……そうか」

「でもルシエラちゃんとか、振興会の人達とも色々話しておきたいわねぇ。後で話を通しといてくれる?」

「もちろんだ。むしろそうしてくれた方が助かる」




 その後も、私達(と言ってももっぱら話してたのはネロだったけど)とルソーさんの議論は続いた。その間に、ルソーさんは冷めたお茶を二回入れ替えた。

 気がついた頃には、もうお昼になっていた。話は構わず続いていたが、空腹に耐えきれなかった私の腹がたてた音で、議論が途切れる。

「舞……」

「だ、だって……」

 呆れた様子のネロに慌てて弁解するが、そんな私を嘲笑うかのように腹の虫は再び鳴る。



「あらあら、お腹空いちゃったかしら。舞ちゃんまだ若いしね。お昼御飯作ろうかしら?」

「そんな悪いよ。そこまでお世話になるなんて……」

「良いのよ。それにこの年になると、一人でご飯を食べるのも寂しいからね」

 そんな事を言われてしまっては、こちらも無下には断れない。というよりお言葉に甘えるしかない。


「そうと決まれば早速準備をしないと。二人とも手伝ってくれる?」

「それくらいお安いご用さ」

「料理はあまり得意じゃないけど……それでも良いなら」

 私達もルソーさんに続いて、キッチンの中に入る。ルソーさんのキッチンはとても整頓されていたけど、ネロの事務所に比べてスパイスや調味料の数が多い。これなら美味しいご飯が作れそうだ。




「材料なら足りてるから、カンターツェでも作ろっか」

「?……カンターツェって?」

「知らないのか? なら覚えておくと良い」



 そんなこんなで、私達のご飯作りが始まった。

 それにしても、カンターツェとはどんな料理なんだろう?

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