2 それがルール
「あーっチハルにカンナ。お前ら何しよんぞ」
戸口からしゃがれ声と共に首を突き出した子がいる。振り向いたチハルちゃんが、あ、と顔をしかめた。
「コウタやん」
「うわ、めんどいやつ来た。チハルちゃん、知らん顔しとこ」
カンナたちの内緒話が聞こえたかどうか、大柄なコウタは、ずん、と足を踏み入れようとした。ところがその鼻先で、おっちゃんが立ちはだかるようにしてコウタを見下ろした。
「コウタ、お前こそ何しよる。ちゃんと外で待たんか」
「や、やけど、俺だって同じ五年生やのに……」
「お前はしょっちゅう『順番ぬかし』で小っさい子を泣かしよろうが。ルール守れんやつは店に入れん。外へ並べ」
たこ焼きピックを手にしたおっちゃんには、右手の小指が無い。そのせいかどうかは知らないが、決して大男でもなく怖い顔でもないのに、妙な迫力があって誰も逆らえない。コウタがすごすごと列に並ぶのを見て、カンナはチハルちゃんと突っつきあって笑いこけた。
「見た? コウタにも怖い人、おったんやねえ」
「あのバカ、五年にもなって青海苔を鉄板にぶちまけたり、悪さばっかりするから、おっちゃんに嫌われとるんよ。いい気味」
木の丸椅子は、笑うとカタカタ揺れる。
無数に焦げ跡のあるテーブルは、真ん中の黒い鉄板にも木のフチにも、古い油が染み込んでいる。壁の扇風機が首を振りゆっくりとぬるい風を送るにつれて、おっちゃんの特製ソースと粉かつおの匂いが鼻をくすぐった。
おっちゃん店が休みになるのは大抵、雨の日だ。雨が何日も続けば、店も続けて休みになる。それで本当に商売が成り立っているのかどうか不思議だった。
そんなおっちゃんだから、いろいろ怪しげな噂は絶えなかった。
夜中に畳一畳ほどの大きな荷物を運び込んでいたとか、たこ焼き屋は表の顔で、裏では何かヤバイ関係の仕事をしているんじゃないかとか。
大人たちがいい顔をしないのは、そんな噂のせいかもしれなかった。
そうした噂を耳にして、真っ先に怒り出すのは、あのコウタだった。五年生とは思えないずんぐりした身体で牛みたいに突進されると、中学生でも吹っ飛ぶ。もしもおっちゃんがたこ焼き屋の弟子を募集したら、コウタのやつは間違いなく第一号に名乗りをあげるだろう。
カンナも、おっちゃんの悪い噂なんて信じない。行儀の悪い子にはうるさいが、おっちゃんからは粗暴なにおいがしない。むしろとても真面目な人なんじゃないか、そんな気がしていた。
「ね、カンナちゃん。お店にヒマワリの絵あったやん。あれ、おっちゃんが描いたって本当やろか」
ある日塾で顔を合わせると、チハルちゃんが急にそんなことを言い出した。
ヒマワリの絵? カンナは首をひねった。そんなものがあっただろうか。カンナが覚えている店の壁には、油煙でこてこてに汚れてクモの巣が掛かった額縁しかなかったと思うのだが。
「いっぺん確かめてみないかん」
誰に言うともなく、チハルちゃんが神妙な顔でつぶやいた。
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