ルルムスク
空気というものがある。
吸う方じゃなく、読む方。あるいは作る、流される、支配する、される、その場に存在する流れのようなもの。実体はないがこれに逆らおうとすれば実害が訪れる、そのようなもの。
それは外的要因によって作られるかもしれないし、その場の権力者が作るかもしれない。権力なんてなくても立ち回りが上手ければ簡単に作れる。なんとなく正しいと思わせるような振る舞いをする人間がいれば、思考したくないその他大勢みたいなものは簡単に味方につく。なんとなく正しいと思わせるような振る舞いとは、つまり自信だ。自信のあるやつが空気を作る。
ただ、今回のこれは完全に「外的要因」に含まれるものだった。
今思えば、加藤修が死んだのは最後通告だったのかもしれない。
六月十五日に佐々木葉子が死んでその次の週に園田友加里が死んで、またその次の週に百瀬琢磨が死んで、それで学校では原因もよくわからないまま取り敢えず心不全で死ぬらしいからAEDを用意して人が死ぬのを防ごうという話になってAEDを用意して、百瀬が死んだ次の週に西山香織が倒れて加藤修がそれを助けたら加藤修はその日のうちにトラックに轢かれて死んだ。まるで何かの呪いが伝染ったかのように。まるで西山を殺し損ねた何かが腹いせに殺したかのように。
死ぬと決まった人間を助けると死ぬ、という実例があるんだから放っておけばいいのに、その次の週、幸田義男が倒れた時には吾妻理人と久保塚公哉と佐鳥睦深が寄ってたかって幸田を助けようとしていて馬鹿かと思う。代わりに死ぬならひとりで十分なはずで、三人も死んだらプラマイゼロにすらならない。その時の教室の空気といったらなかった。三人が三人とも内臓をぶちまけるような無残な死に方をするんじゃないかと想像したのは俺だけではなかったはずだ。
百瀬の言った「席順で死の順番が決まっている」という話を信用したやつなんかいなかっただろうが、その実、誰も彼も死の条件を知りたくてたまらない。もっと言えば、「自分だけが死ななくて済むような条件」を知りたくてたまらない。「少なくとも今週は死なずに済むな」と思ったのだって、俺一人ではなかっただろう。
死ぬのが自分ではないということになれば人間というのは呑気なもので、「三人のうち誰が死ぬのか」「三人とも死ぬのか」というような声は嫌というほど聞こえた。俺は三人とも死ぬんだろうと思っていたが、ふたつの想定はふたつとも外れた。
死んだのは吾妻理音だった。幸田を助けたリヒトの妹で、キミヤ、佐鳥睦深を含めた三人とよくつるんでいた女だ。吾妻を殺した、吾妻と加藤と百瀬と園田と佐々木を殺したこれは感情的だ。邪魔されたから邪魔した人間を無残に殺す。邪魔されたから邪魔した人間の大切な友人を無残に殺す。加藤はともかく、吾妻はほとんど完全に見せしめだ。
これに選ばれなかった場合、生き残るのは簡単だ。選ばれた人間を助けなければいい。しかしこれに選ばれてしまった場合、生き残るのは困難だ。誰かに助けられなくてはならない。それも、命を顧みずに。
選ばれないためにはどうしたらいいのかとみんなが内心で探っていた頃、吾妻が死んだ次の週、藤崎五郎がクロスボウを持って学校に来た。七月二十日、終業式が始まる直前だった。
俺が登校したのは単なる惰性で、クラスの半分も出席していないガラガラの教室を見てから「来なきゃよかった」と思った。このまま帰るかどうするかと教室を見渡したら、吾妻理音を失った、間接的には殺したはずの、リヒト、キミヤ、佐鳥が平然と登校していて少し驚いた。神経が太いというか、面の皮が厚いというか、周りがドン引いてるのに気付かないのかあいつら。
命を顧みず幸田を助けておいて吾妻理音の死には平然としているそいつらが、俺にはとてつもなく不気味に見える。
適当に出欠を取って適当に体育館に移動して適当に固まって適当に座っていたら誰かが「痛い」と叫んで人垣が割れた。体育館の後ろから前に向かってそこにいる生徒や教師が一斉に移動する。だからたぶん、何かがその向こうにいる。恐怖よりも好奇心が勝って人波を掻き分け、藤崎五郎が立っているのを見る。藤崎は「全員動くな」と喚きながらクロスボウをがちゃがちゃいじっている。近くにいるやつらの「あれやべえんじゃねえの」「目がイッてる」「ボウガンなんてどこから持ってきたんだよ」「普通に銃刀法違反じゃね」とかいう声を聞きながらその光景を眺めていると、人垣の中から吾妻理人が現れた。リヒトはそのまま藤崎の目の前まで歩いて行く。
「藤崎!!!! なんのつもりだ!!!!」
「やられる前にやるしかないだろぉっ!!!」
いや何をだよと思ってそれを聞いていたら後ろから肩を叩かれた。振り向いたところにキミヤがいる。
「藤崎を取り押さえる。左から回り込んでくれ」
左から回り込むルートを指で描きながら、キミヤは俺の顔を見る。
「勝算あるんだろうな?」
「俺が気を引く。大丈夫だ」
「あっそ」
そんなやり取りの後で、キミヤは右へと歩き出した。俺も言われた通りに左から回り込む。藤崎は混乱しているのか、俺やキミヤに気付きもしない。
それまでキミヤと仲が良かったかといえば別にそういう話ではなく、誰かが藤崎を止めなくてはならないタイミングで、藤崎の前にはリヒトがいて、だから自分が出るのは当たり前で、でもせめてもうひとりくらいは腕っぷしのあるやつが必要で、たまたまそこに俺がいた。たぶんそれくらいの判断でしかない。
「なんの話だ!? 誰がお前をやるっていうんだ!?」「ムルムクスだ! ムルムクスが俺を選んだ! 次に死ぬのは俺だ!! このままなにもしなきゃ次に死ぬのは俺なんだ!! 死にたくないなら! やられる前に誰か別のやつを殺すしかない!!!!」「お前はいったい何を言っているんだ!? 頭がおかしいんじゃないか!?」「ムルムクスは強欲だ! 誰かが犠牲にならなきゃ満足しない! それなら、俺じゃない誰かに犠牲になってもらうしかないだろぉっ!!!」「なにを言ってるのかまったく分からない! たんにお前がいきなりクロスボウを乱射してるだけだろう!」「俺だって好きでやってるわけじゃない! でも!! こうなったら!! やるしかないだろぉっ!!!!」
俺が気を引くと言った通り、キミヤは藤崎までまだ少し距離のあるところから駆け出した。藤崎が喚きながらクロスボウを構えて、撃つ。藤崎は体ごとキミヤの方を向いてしまっていて、だからこちら側は完全に死角だ。
「おっらあああああ!!!!!」
飛び蹴りが決まって藤崎が前のめりに倒れる。蹴りの入りが甘かったのか、藤崎は存外素早く体制を立て直してクロスボウに矢をつがえようとする。もたもたしている間にキミヤが間合いに入って藤崎をパイプ椅子で殴る。また蹴る。藤崎が地面に倒れ込み、クロスボウを取り落とす。藤崎はもう武器も無いくせにまだ足掻こうとする。青褪め震えながら、自分の代わりに死んでくれる誰かを探している。それで無性に腹が立って、殴る。
くだんねえ妄想で暴れてんじゃねえよ。
無関係の人間巻き込むんじゃねえよ。
他人殺してまで生き延びようとすんじゃねえよ。
選ばれたならおとなしく死ねよ。
「もういいだろ」と肩を叩かれて、少し虚を突かれたような気になる。キミヤの声だ。目の前――というか馬乗りになった体の下には藤崎が伸びている。
「気絶してる。動かない。もう、大丈夫だ」
「あ、ああ……おう。そうだな」
授業中の軽い居眠りから覚めたような気分で返事をする。拳に肉の感触が残っていて、だから藤崎が気絶しているのは確実に俺がやったんだろうが、いまいち釈然としない。たぶん、頭に血が上ったんだろう。こういうことはときどきある。
藤崎はあっという間に担架で運ばれて、あっという間に警察に引き渡されたらしい。俺とキミヤは一応「暴力は良くない」という旨の説教を受けた。自分たちは何もしなかったのに他人に説教垂れる神経がわからない。終業式もなあなあのまま終わった。学校としてはとにかく生徒を帰らせたいというのが一番にあったようで、校長がどうでもいい話をちんたら喋るようなことはなかった。
校内は浮足立っている。藤崎がクロスボウを持って襲撃を行ったこと、それで怪我をした人間がいたこと、それから藤崎の喋ったこと。ムルムクスという存在。藤崎の話を支離滅裂な妄想と断言できるほど、今の校内は正常ではない。実際に毎週人が死んでいるのだ。
今まで起きたことと、藤崎の言ったことをまとめるとこうだ。
一、毎週木曜日に誰かが死ぬ。
二、死に選ばれた人間を助けると死ぬ。
三、理由の如何に関わらず誰かが死ねば、その週はそれ以上の死者は出ない。
藤崎はどう見ても頭がおかしくなっていたから三について鵜呑みにするべきではないが、一と二は実際に起きたことだから確定でいいだろう。「ムルムクスが俺を選んだ」「次に死ぬのは俺だ」と喚いた当人は宣言通りその日のうちに死んだ。「選ばれた」というのもどうやら事実らしい。当の藤崎は死んで、それ以上の詳細は知ることができない。選ばれたからおかしくなったのか、おかしくなったから選ばれたのか。例えば今までに死んだ佐々木や園田、百瀬なんかも選ばれたことを自覚できたのかどうか。
学校はできるだけ責任を負いたくないのだろう、夏休みの間は部活動も禁止ということになった。とはいえ新人戦を控えた運動部は何もしないというわけにもいかないらしく、近所の河原やら何やらで練習はするらしい。真面目なんだか呑気なんだか。
学校が休みになると情報のめぐりも悪くなる。それを嫌ってか、その日のうちにLINEグループの招待と匿名掲示板の招待が来た。掲示板の方を開いてみたら匿名じゃないと何も言えない奴らが匿名で好き勝手言っている様子が目に入って笑う。これならまだ自分で解決しようとした藤崎の方がよほどマシだ。クロスボウを持たない烏合の衆。クロスボウを持つ勇気すらないゴミの群れ。
ゴミみたいな連中の出したゴミみたいな結論で嶋中優子が死ねばいいということになったのは別にいいがゴミみたいな連中はやはりゴミみたいなことしかできず匿名でSNSに中傷を送ったり晒された住所にやはり匿名で手紙を投げ込んだりしている。
誰かが死ぬのを何もしないで見過ごすのは気が引けるから誰かを殺すのに加担する、という連中が半分。もう半分はただ誰かに攻撃したいだけ。まさか本気で自分が死ぬかもと思っているのにこんなことで満足するような人間はいないだろう。結局のところ、誰も藤崎ほど本気ではないのだ。選ばれていないから。
--- (注)ここからろくに練られていません、うまいこと本編から掬おうとしてエタっています ---
「みんなみんなって、そのみんなって誰? 学校裏サイトとかにポチポチ書き込んでるようなネクラで陰湿な子たちのこと? それとも、そこの後ろにいる5人?」
「みんなはみんなだよ。こいつらだって、そりゃみんなの一部には違いないけれど、でも、みんなっていうのはみんなのことだ」
言葉の定義もわからないのか? あるいは「ネクラで陰湿な子たち」には発言権が無いとでも?
まああいつらは確かにろくな行動も取れない愚図だけど、何も考えず誰にも相談せず
「みんな、次は嶋中が順当だって言ってる。そもそもそれが最初にムルムクスが決めた自然な流れってもんなんだよ」
「ムルムクスだって。馬鹿じゃないの? 頭のおかしい藤崎五郎が妄想で作り上げた架空の神様じゃない。そんなのマジで信じちゃってるわけ? そんなの、藤崎五郎と同じくらい馬鹿じゃん」
「別に俺は藤崎の言ってたムルムクスを信じてるわけじゃねぇよ。ただ、そういうなにかは現実にあって、現実に順番に俺たちを殺しているだろう? それを指し示すのに便利だからムルムクスって言葉を使っているだけだ、俺は」
「それで、そのなにかをムルムクスって呼んでいるうちに認識を引っ張られちゃって、まんまとムルムクスに支配されちゃって、嶋中優子を殺そうとしてるんでしょ? だったら、やっぱり藤崎五郎と同じじゃん」
自分の発言の矛盾に気付かないのだろうか。存在しないものにどうう支配されるつもりなんだ? 自分だっている前提で話してるんじゃねえか。
「あのさぁ、そうやって自分だけは違うんですみたいなポジションに立って優越感に浸って楽しいか? 現実として、そういう流れなんだから斜に構えたって仕方ないだろ? みんながそう言ってるんだ。そういう自然な流れにさぁ……逆らうなよ。な? 空気読もうぜ?」
「あはは!」佐鳥がわざとらしく声を立てて笑う。「そうやって、みんなみんなって、随分と気が小さいんだね! 自分の行動に、自分で責任を持ちたくないんだ! だからそうやって、みんなのせいだ、ムルムクスのせいだって、意志の所在をどこか別のところに仮託したいんだ!」
佐鳥は何を言っているんだ? お前らだって吾妻理音の死を他人のせいにしたくせに。
吾妻理音の死を他人のせいにして、間接的にそれをやった自分たちから目を逸らしているくせに。
第一、嶋中優子が死ぬのが一番ダメージが小さいというのはみんなで話して決まったことだ。ルールの中で被害を最小限に収めるのは当たり前の努力で、それこそ「責任を持つ」ということだろう。ルールを破ればそれ相応の報いはあって当然、誰にも相談しないで目先の対処ばっかりして被害を大きくしたお前らよりかマシだろうが。本気で馬鹿なのか?
馬鹿と話すのは疲れる。いい加減、うんざりしてきた。
「だったらよ、佐鳥。お前が代わりに死んでみるか?」
「おい」
試しに提案してみると、すぐにキミヤが血相を変えて掴みかかってきた。
「遠藤、冗談でも言っていいことと悪いことってのがあるんだぞ?」
つまり、どんなに偉そうにしていても自分を犠牲にするつもりはないというわけだ。幸田のときだって自分を犠牲にする決断をしたのはリヒトひとりで、後の二人はリヒトが死ぬと踏んで手伝うふりをしただけなんじゃねえか。場当たり的に見えてちゃんと計算してるあたり、やはり神経が太い。誰に対してのパフォーマンスなんだか。
「大丈夫なんだよな」
「さあな」
ムルムクスが嶋中を選んだのなら、嶋中の両親やその他の人間は死ぬ必要がない。リヒトとキミヤと佐鳥の三人が幸田を助けてムルムクスを邪魔した時、死んだのは三人のうちの誰でもなく吾妻理音だった。なぜか? もしかしたらムルムクスは一度に一人しか殺せないのではないか? もしそうだとすれば、死ぬのは嶋中優子一人だ。他の誰も死なない。
対症療法で目の前のひとりを救ったところで何の解決にもならない。現に嶋中を助けたことで川端が死んだのだ。あいつらは嶋中を助けたつもりで川端を殺したのだ、そのどちらにも大した興味は無かったはずなのに。
嶋中も自分可愛さに他人を差し出したクズだ。だが吾妻リヒト、キミヤ、佐鳥はこれで二人目だ。あいつらの場当たりと身勝手が二人の人間を殺した。
ムルムクスは怒っている。嶋中優子を殺せなくて怒っている。ムルムクスは人を殺すことができる。超常的に、理不尽に。次に死ぬのは自分かもしれない、別の誰かかもしれない。「死んでもかまわない」と判定された嶋中優子ひとりを助けるために、あいつらはその他の全員を差し出したのだ。許されるべきではない。
多数決を差し置いて命の序列を勝手に決める権利なんてあいつらには無いはずだ。
なんでキミヤを襲撃したのかを主観的に書けなかった
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