妻を喪った男が思い出に浸りながら死んでいく話

 朝からひどく暑い。今年の夏は全国を通り越して全世界的に記録的な暑さであるらしく、かつては避暑地であったはずのこの場所も茹だるような熱波に見舞われている。

 この夏は超えられないかもな、とぼんやり考える。僕ももう年だし、エアコンは何年も前に壊れたままだし。週に一回、生活物資を持って宅配便が来てくれるので、タイミングよく死ねるといいなと思う。この炎天下ではあっという間に腐ってしまいそうだ。あるいは腐る前に干からびることができればいいのだけど、この湿気じゃそれも無理だろう。


 愛する妻と死別して以降、僕の生活は薄っすらと寂しく薄っすらと幸福だ。このまま、妻や子どもたちとの思い出を抱いて僕も死ぬのだろう。それはきっと、悪くない。


 日陰になっている北向きの縁側に座ってぼうっとしていると、子どもたちの悲鳴や妻の笑い声が聞こえてくる。泥だらけできゃあきゃあ声を上げて逃げる子どもたちと、バスタオルを持ってそれを追いかける妻。反対側で息を潜めて待ち伏せる僕。彼らの抵抗は虚しく、勝つのはいつも僕たちだ。床をどろどろに汚されても、妻は怒らなかった。「もう!」と一言だけ怒るふりをして、あとは笑っていた。

 家のそこかしこに妻の気配が残っているような気がして、最近は散歩すら家の中で済んでしまう。外に思い出がないわけではないから、日が沈んで気温が下がるようならば、沢の辺りまで歩いてみようか。


 僕らが選んだ土地は山の中腹にあり、人気が無く、静かだ。半ば廃墟のような家は、広大な庭と境目のない雑木林に囲まれ、細い小路をたどって坂を下ると沢がある。妻は庭の家庭菜園――と言うには広すぎた気もするが――で取れた野菜を、かごに入れて沢に浸けるのが好きだった。家にはもちろん水道が通っていたし、冷蔵庫もある。けれど彼女はこの方がノスタルジックだと言って、トマトやきゅうりを沢の水で冷やしていた。冷たい水で冷えた手を僕の襟元に突っ込んで、僕の悲鳴を聞いては笑っていた。


「失って初めてわかる大切さ」みたいなものを妻は持っていなかった。いつもいつも思い出になる前からかけがえのない今を慈しんで生きていた。そういう妻を僕は愛していた。


 妻と僕が恋人以外であった期間は存在しない。僕らは出会ったときから恋人であり、死に別れるまで恋人だった。僕らは当たり前に出会い、当たり前に惹かれ合って当たり前に交際し、当たり前に結婚した。そこには何の不思議も存在しなかった。

 不思議だったのは唯一、僕らが子供に恵まれなかったことだった。僕らは二人とも子供を切望していたし、互い愛しあってもいた。試しに祈ってもみたものの、僕らの間に子供が生まれる気配は無かった。

 僕らの両親は共に敬虔なクリスチャンで、僕らはそれぞれひどく抑圧的な教育のもとに育った。僕らは信仰に不向きだった。結婚とほとんど同時に実家を出たのもそのためだ。

「やっぱり、信仰心が足りないんだろうか?」僕が問うと、

「やっぱり、神さまなんていないってことでしょう」彼女は答えた。「ほしいものを手に入れるためには、神頼みじゃなくて、自分で努力しなきゃ」


 それで、僕らは自力で子供を連れてくることにした。


 気温が下がるには十六時を待たなくてはならなかった。とはいえ、他所に比べれば随分マシな方だ。元とはいえここは避暑地で、風通しがよく日当たりが悪い。アスファルトも無いから、太陽さえ傾いてしまえば気温はぐんぐん下がる。

 縁側に置きっぱなしのサンダルをつっかけて、妻の死後は雑草が伸び放題になっている庭へ降りる。かつて家庭菜園のあった場所を通り抜け、雑木林へ入る。ここに敷いた道も今はもうメンテナンスしていないが、丁寧にに石を引いただけあって、人ひとり通れるくらいの幅は残っている。さすがに木を切り倒すのは難しく、その分だけ道も蛇行しているが、段差は少ないのでサンダルでも歩くことができる。

 少し行くと、二十五年ほど前に植えた一本の木を見ることができる。まだ若く新しい木だ。葉も青く生い茂って、生命力というものを直に感じることができる。


 一人目の子は目元が妻によく似ていた。妻は「口元があなたに似ている」と言っていたけれど、僕にはよくわからなかった。少しやんちゃでそのくせ怖がりな男の子だ。夜泣きが酷くて少し苦労したけれど、今となってはそれもいい思い出だと言える。


 道をいくらか進むと、今度は木枠の階段がある。これは僕たちが作ったものではなく、もっと昔からあるものだ。木が傷んでいて少し怖いけれど、見た目よりは頑丈だし、きちんと踏みしめることができる。二十段ほどを降りると唐突にぱかっと開けた場所があり、花が咲いている。かつては花壇のようだった、今は荒れ果ててしまった、花の群生地。僕には名前すらわからないそれらをここに植えたのは妻だ。


 二人目と三人目の子は双子だった。見た目はそっくりだけれど性格はほとんど真逆で、上の子はあまり喋らず、下の子はおしゃべりだった。しっかりしていたのは上のこの方で、下の子は不注意のために些細な失敗を繰り返していた。それと同時に、上の子が苦手なことを下の子がやってやることもあり、仲のいい、バランスの取れた兄弟だった。

 いたずらを思いつくのはいつも下の子で、上の子はそれに巻き込まれて妻に叱られていたりした。もちろん、妻も僕もそれがおかしくてたまらず、笑いを堪えながらのお説教だったけれど。


 そこから更に少し階段を下ると急な斜面に出る。さすがにサンダルでは少し怖いのだが、これでも通い慣れた道だ。行けないことはない。

 唯一女の子だった四人目の子はこの川沿いが気に入っていた。ここは妻のお気に入りの場所でもあったから、やっぱり女の子同士でちょっと似るところがあるのかもしれない。

 僕と息子たちが遊んでいるとき、妻はよく「仲間はずれのようだ」と主張しては拗ねていた。こちらにそんなつもりはなかったので首を傾げていたのだが、娘ができたときにようやくその気持を理解した。あれは結構、さみしい。


 川沿いを少し川上に向けて歩くと、そこから家までは緩やかな上り坂になっている。こちらも草の手入れはほとんどしていないけれど、毎日踏みしめているせいでまだ道がある。

 わずかに息を弾ませながらその道を歩いていくと、家へ向かう道から少し逸れたところに瘤のような小さな丘がある。末の子供はそこが好きだった。すごく活発な子で、木に登っては怪我をし、川に入っては怪我をし、常に生傷が絶えなかった子だ。

 高いところが好きで、この丘に生えている一番高い木にしょっちゅう挑んでいた。いつかこのてっぺんに登ってそこからの景色を見るんだと意気込んでいた。危ないからと何度言ってもさっぱり聞き入れてくれず、僕も妻も数え切れないほど肝をつぶした。

 その高い木の半ばほどに、彼が作った鳥小屋がある。今年もツバメが来て巣を作っていたようだ。台風が来るたびに今回こそは落ちたんじゃないかと確認に来たものだが、意外なほどに丈夫だ。


 家に戻ってくる頃には太陽がすっかり傾いて、暗くなり始めていた。この辺りは外灯もないから、日が暮れてしまうと本当に真っ暗になる。妻といるときは真っ暗闇を怖怖歩くのも楽しかったが、ひとりではやりたくない。スリルとは手をつなぐためにあるのであり、ひとりで味わったって何も楽しくないのだ。

 僕の楽しみはすべて妻とともにあった。妻がいれば何でも楽しめたし、今は妻がいないので何もかもが退屈だ。


 ある時僕たちは限界を感じた。

 どんなに愛していても、どれだけ言葉を重ねても、子を持ってさえ、僕たちは他人だった。全く別の存在だった。それがどうしても耐え難くなってしまった。


 僕たちは生きて別れることよりも死ぬことを選んだ。どちらが死ぬかでは少し揉めたけれど――どちらも相手を喪いたくはなかった――最終的には、僕が残されることになった。

 僕は彼女を彼女の家庭菜園に埋め、その上からまた野菜の苗を植えた。春先のことだ。野菜はうまくできなかった。僕は妻ではなかった。

 かつて家庭菜園だった、今は雑草が伸び放題になっている場所に横たわる。ひどく眠い。ここにいると、土の下から妻の声が聞こえるような気がする。


 ああ――僕は、君に出会えて幸せだった。

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