2017年冬頃に書いた文章

 目覚ましが鳴る。いちおう目が覚める。目覚ましを止める。次の瞬間には意識が飛んでいる。目覚ましが鳴る。私は一度では絶対に起きない。それがわかっているから目覚ましは十分ごとに鳴る。目覚ましを止める。さっきよりは少し起きている。布団の外がむちゃくちゃに寒いことは目覚ましを止めるために布団から出ていった手がよく知っている。今日も冬だ。私は手を引っ込める。また眠りに沈む。目覚ましが鳴る。目覚ましを止める。布団に入ったまま各種ソシャゲのログインボーナスを回収する。布団が温かいといつまでも眠れてしまうので手足をばたつかせて布団の外の寒い空気を布団の中に入れる。布団が冷える。それを何度か繰り返して、すっかり布団の中の居心地が悪くなった頃、私はようやく諦めて体を起こす。今日もばっちり冬だ。

 東北の冬は長い。九月の半ば、やっと夏が終わったと一息ついているような頃からぐんぐん寒くなって、最近は朝晩もめっきり冷え込むねえなどと言っているうちにすっかり冬になる。春秋用の薄手のコートの出番はだから冬用のそれに比べて半分もない。あっという間にそれでは間に合わなくなるので、毎年冬コートを着始める時期になると「薄手の方のコートは必要なかったのでは?」などと考えることになる。私の持っている薄手のコートはベージュ色をしている。古着屋さんでいいデザインのコートを探している時に見つけたもので、いつの間にか男物のゾーンに入っていたことに気付かず、従って合わせが逆で、着にくい。それから袖がとても長い。厚い方のコートは母のお下がりで、こっちもベージュ色で、母が高校生の時に着ていたものを私が譲り受けた。つまりこのコートは私より歳上なわけで、そのわりには着心地もよく、どこもほつれたりはしていない。ちょっと毛玉にはなっている。世の中には「毎年コートを買う」ひとたちがいるのは識っているけれども、私はそこまで服に興味がない。暖かくて着心地が良ければ満点。母の(今は私の)コートは満点であって、買い換える意味もない。だいいち、こんな厚くて大きくてかさばるもの、捨てるのだって面倒だ。冬は桜が散るころまで続く。桜が咲いたからといってもまだ雪は降るし、川だって凍る。ゴールデンウィークころになると安心して冬用のコートをしまえるようになり、その頃からまたぐんぐん暑くなって、あっという間に夏が来る。だからやはり、薄い方のコートの出番は短い。

 私は石油ファンヒーターのスイッチを入れ、スリッパをつっかけて洗面所に行く。歯ブラシをくわえてヒーターの前に戻ってくる。しゃこしゃこ歯を磨く。空いている左手は寒いのでポケットに突っ込んでおく。でもそうすると暇だ。手が塞がっているときは字を読めないからひどく退屈に思える。私はほとんど常に活字を読んでいたいし、そうでなければ書いていたい。お風呂には本を持ち込める。トイレもそう。でも歯磨き中は難しい。電子書籍なら片手でめくって片手で読めるかもしれないな、と思うものの、だいたい歯磨き中しかそれを思い出さないし、歯磨きが終わると忘れるので、この退屈はなかなか解消されない。歯を磨き終わったら口を濯ぎそのままついでに顔も洗う。手と顔がびちゃびちゃになってからタオルを用意していないことを思い出してあーってなる。一週間に二回とか三回くらいは同じことをする。できるかぎり水を切ってから居間兼寝室に戻ってタオルを取り出して顔を拭く。眼鏡を取りに洗面所に戻る。顔の一部とはいえ顔と一緒には洗えないので洗面台のちょっとした棚のところに置いてある。

 冷凍庫から食パンを取り出してトースターに突っ込む。焼いてからマーガリンを塗るのが面倒なので適当にマヨネーズを垂らしておく。カロリー的には大差ない、たぶん。実家にはマーガリンがあったし、マーガリンを買っていた時期もあるのだけど、バターナイフを洗うのがめんどうくさすぎて最近は買わないし使わない。あのあぶらのかたまり。焼きあがったらハムを乗せて食べる。もうちょっと頑張ってマシな朝ごはんを食べることもないではないのだけど、冬は無理。そんなことする時間があるなら寝ていたいし、台所は寒いから長時間いたくない。従って五分でできる朝食で取り敢えず体を温めるのが正解。食べて、タバコを吸う。タバコは多分体を冷やす。でも必要なので吸う。二十歳を過ぎてタバコを吸い始めたとき、両親は「二十歳を過ぎてから吸い始めるなんて」と驚いていた。「二十歳で辞めたやつらはいたけど」。完璧にヤンキーの理論だ。私は経験な遵法者なので二十歳まではお酒もタバコもやらなかった。必要がないから携帯灰皿も持たない。あれがあったらきっと、その辺の道端で吸ってしまうから。私は喫煙所と居酒屋と自宅以外でタバコを吸わない。

 部屋がいくらか温まったので着替える。ブラジャー、薄いヒートテックの肌着、薄いセーターかフリース、あるいはシャツ、その上からセーター。必要ならカーディガンも重ねる。むくむくに着膨れしてちょっと強そうな見た目になる。ただでさえ太い腕が余計に太くなる。知ったことではない。タイツを履く。スカートを履く。髪をとかしてまとめる。もうずいぶん伸びてしまってただのポニーテールでは暴れ放題になるので一回お団子にするのだけど最近はそれでも間に合わないくらい伸びてきているので切るか新しい髪型を開発するかしなくてはならない。私の髪は太く、強く、艷やかで、重く、かさばって邪魔だ。かといって切っても多いことに変わりはないのであんまりうつくしくはならない。伸ばしてヘアドネーションに流すのが一番有用であると思う。でもヘアドネーションに流すためには三十センチくらいは伸ばさないといけない。それまでどうしよう、というのは目下の問題ではある。ただぶら下げておくにはあまりにも邪魔なのだ。

 着替えが終わったらヒーターを切る。携帯を鞄に放り込んでコートを着る。マフラーを巻く。鞄を背負って部屋を出る。鍵を締める。ヒーターを切ったかどうかが思い出せなくなって鍵を開けて中に戻る。ヒーターが消えているのを確認し、ついでにガスの元栓が閉まっているのも見る。部屋を出て鍵を締める。住んでいるアパートは内階段だ。昔は外階段のアパートに住んでいて、一度大雪でそれが氷の坂になったことがあった。怖いのでもう外階段のアパートには住みたくないけれど、内階段は内階段でほこりが溜まる。まあ、危なくないので別にいいような気がする。隣の部屋の前の住人が置いていった箒が未だにそこにある。箒を放棄、と一度考えて、つまんないなと思いながら視界を外す。不法投棄。不法放棄。不法箒。しばらく頭の隅で言葉を転がしていると、ドアの鍵を閉めたかどうだかが思い出せなくなる。基本的に私の頭はポンコツなのだ。ポンコツと凡骨って語呂が似てるけど何か関係あるのかなと思って調べてみたら全然違う言葉だった。ポンポンコツコツポンコツコツ。そういえば外で急に不安発作に襲われたときはレモンを嗅ぐといいって何かで読んだけど具体的に外でレモンを嗅ぐ手段って何だろう。香水瓶にポッカレモンを詰めて持ち歩くのが現実的だろうか。

 アパートの前の道に出ると幼稚園児らしい子供がいて、私の住むアパートはファミリー向けの部屋もあるからおそらくそこの子供なんだろうけど、まあ全然知らない子なんだけど、どこに行くの? と聞いてくる。駅前に、なんとかというビルがあって、そこの八階に、みたいな回答を望んでいないことはなんとなくわかる。お仕事に行きます。私が答えると、子供はにっこり笑って「いってらっしゃい」と言ってくれる。子供のおかあさんらしき女性がすみませんと笑う。何をすまないことがあろうか。私は大人の言葉のほうがよほどわからない。大人の方に会釈をし、子供の方に「いってきます」と手を振ってその場を離れる。ゴミ捨て場に燃えるゴミが積まれていてああ今日燃えるゴミの日だったかとげんなりするのだけど取りに行くテンションはもう無いし子供にいってきますと言ってしまったので私は何事もないかのような顔をしてそのまま歩く。ゴミの日が覚えられないというよりは、今日が何曜日かというのを毎日更新して生きていないのだ。なんならゴミ捨て場の様子を見て曜日を確認しているふしがある。おかげでしょっちゅうゴミを捨て損なう。

 ここ最近は工事が多くて年度末だなあと思う。どこかで、年度の予算を使い切るために工事をするのだと聞いたことがあるのだ。真偽はよく知らないけれど、だからなんとなく年度末だなあと思う。四角く切り出されて巨大なブラウニーみたいになっているアスファルトがブラウニーみたいに積み上げられている上に粉砂糖みたいに白い雪がかぶさっていて美味しそうだなと思う。アスファルトの底についた土も、クランチチョコみたいで美味しそう。工事現場のひとびとは何時から作業しているのだろう。早朝なんて余計に寒いんだし、通勤時間を避けたいならいっそお昼から作業を始めたらいいと思う。どっちにしろ通勤時間にはかぶっちゃっているのだし。道路工事以外にも、郵便局の外壁の塗り直しだとか、最近店主が亡くなったらしいお店の取り壊しだとか、ここのところ近所はなんだか気忙しくあっちもこっちも工事をしている。ただでさえ狭い歩道が、固まった雪と工事の足場で余計に狭くなる。私はもうヒールのあるちゃんとした靴を諦めてスニーカーで通勤しているので、どこでも無敵に歩ける。就職活動を始めてハイヒールを履くようになった頃、雪は好きだった。踵が埋まるので安定して歩ける。凍りさえしなければ。あと、パンプスの隙間から無限に雪が入ってきさえしなければ。何年か前に務めていた会社で、年始にお参りに行ったことがあった。その時はブーツを持っていなくて、パンプスで出かけて、あまりにも寒くて足が凍りそうで私は割と本気で参っていたのだけど、ブーツを履いた上司がその様子を見てくるしいほど笑っていた。爪先がちぎれると喚いていた私も悪いんだけど。

 バス停まで出て時計を確認したらバスが来るはずの時間を二分過ぎていたけれどバスがちょうど時間通りに動いているとも思えなかったけどなんだか面倒くさくなって歩く。私は停留所が苦手だ。待合室も。人が集まって手持ち無沙汰にしている場所がどうも苦手らしい。その割に電車待ちは平気なのだから我ながらよくわからない。バスの停留所は苦手。電車待ちのホームは平気。新幹線の待合室は苦手。あるいは慣れの話かもしれない。高校が電車通学だから、もう十年くらいは電車に乗っている。年間二百日と思えば二千往復は電車に乗っている計算になる。慣れるはずだ。いっときはバスで通勤していたこともあったのだけど(今のアパートに引っ越す前)、最近なんとなくでバスに乗ってみたら途中でどこに向かっているのかわからなくなってしまって困った。あれ、私いまどこに向かっているんだっけ、会社だっけ、会社ってどこにあるんだっけ。私は道を行く手段を変えるとすぐに迷う。毎日歩いている道も自転車で行くとわからなくなる。危険なので基本的には通勤手段を変えない。でもときどき飽きて、変える。そんでちょっと迷う。道に迷う事自体はそんなにきらいではない。近所で道に迷うなんて、安全で新鮮ですてきなことだと思う。でも平日の朝にやると遅刻するのでしょっちゅうやってはいけない。

 パン屋さんからはパンの匂いがする。商店街に並んでいるうち、半分くらいは居酒屋兼食堂みたいなものなので、大半はまだ開いていない。パン屋さんと、モーニングをやっている喫茶店がふたつ、開いている。最近できたケーキ屋さんもまだ開いていない。ガラス戸の内側に引っ込められた立て看板には、期間限定商品の説明が書かれている。食べたいけれど、このお店のケーキはどれもおいしいので、期間限定品を全部追っていたらきっとあっという間にむくむく太る。でもひと月にひとつくらいはいいかなと思っている自分もいる。ケーキ。魅惑のケーキ。昔は誕生日とクリスマスにしか食べなかった。今はもう、大人なので、いつでも買って食べることができる。苦いコーヒーと、ちょっとの罪悪感と一緒に。ケーキはおいしい。ケーキ屋さんのいいところは、うれしい人ばっかりが集まるところだ。ケーキ屋さんをやっている人はきっと夢がかなってケーキ屋さんになったんだろうと思う。誕生日、クリスマス、何かのお祝い、ただ食べたかったから、どれにしてもケーキ屋さんに集まる人達はきっとうれしい人だ。ケーキ屋さんはいい。そういえば昔の夢がケーキ屋さんだった。あの頃はただケーキが好きってだけだった気がするけど、ケーキ屋さんはいいな。でも食べているところもきっと見たいだろうな。そのお店には飲食スペースが無い。

 消防署を過ぎ、小学校を過ぎ、わたしはずんずん歩く。家賃が安いアパートなので駅までは二十分くらいかかる。道端でカラスが新聞紙を毟っていたので鳥社会にもストレスがあるのかと思って見ていたら毟っていたのは新聞紙ではなく土鳩だった。まごうことなき捕食だった。心臓に悪い。お食事中失礼しましたと思いながらまたずんずん歩く。じょんじょん歩く。最近読んだ本をまだ消化できていないので頭の後ろの方がぐるぐるしている。消化が悪いということは腹持ちがいいということでもある。しばらくこね回しているうちに飲み込めるだろうと思う。ぼやぼや考えながら歩いていたら後ろから名前を呼ばれてまだ社会性がオンになっていなかったので文字通り飛び上がって驚いてしまう。

「驚かせてごめんなさい」と同僚が笑う。「おはようございます」。同僚はすっかり社会性がオンになっているような、ぴかぴかした目をしている。こんなに早くからスイッチを入れていたら、疲れないだろうか。私はなんとなく後ろめたくて背中を曲げてしまう。「おはようございます」「いつもこの時間ですか?」「いえ、いつもは」私はあまり時計を見ない(というかそもそも部屋に時計がない)。準備ができたら部屋を出るし、ぼうっとしているうちに電車を逃すこともある。都会に住むようになってからすっかりルーズになってしまった。電車を一本逃したら次が三十分後、というような田舎ではこうはいかなかった。地元の電車は一本逃したら何をどうしても遅刻なのだ。「でもここの電車だって、けっこう間隔がありますよ。東京ならもっとたくさん来ます」と同僚が言う。そうか、と思う。それ以上の感想がわかなくて困る。どうでもいい。だって別に東京に住みたいわけじゃないし、住む予定もない。興味も特に無い。何よりまだ頭が働いていない。ちょうどいい社交辞令が出てこない。

 よく喋る同僚をよく喋るなあと思って眺めて適当な返事をしてそれに想定したリアクションが来ないとちょっと困って(何しろ私は予定外のことに弱い)でもまあ相手の方が気にしていないようだからどうでもいいかと思いながら改札を通ってホームに入る。本を読みたいと思ったけれど同僚はまだ喋っている。勝手に喋り続けてくれる人は嫌いではない。楽だから。でも通勤途中にたまたま会っただけの、別に仲がいいわけでもない同僚にそこまで目を輝かせて喋り続けられるメンタリティはよくわからない。何がたのしいんですかと聞いてみたいけれども、相手に文字通りの意味としては受け取ってもらえないだろうことは察しがつく。世の中、しばしば本題は言外に語られるもので、それがどうも私は上手くない。

 ホームに電車が滑り込んでくるとその内部は不快ではなく快適でもないという程度に混んでいて、同僚とは場所が離れた。これを幸いとして文庫本を開く。薄くてつるつるした紙の感触。前の線の終わりが次の線の始まりまで繋がるような古めかしい活字。最近はこういう形の字をあまり見ない。読みにくいフォントやわかりにくい言い回しは文章の理解度を上げると何かで見た。読むのがゆっくりになるのだそうだ。でもこの作品には合わない。この作品はもっとどんどん読めた方がいい。しま子ちゃんが水を飲み干すみたいに。

 会社の最寄り駅まではたったのひと駅だ。本当は歩いてもいいのだけど、歩きだと結構な迂回をすることになる。地下鉄はそれがない。横断歩道も信号もない。だから地下鉄に乗っている時間はいつも肩透かしを食うみたいに短く感じる。ぷしゅうと間抜けな音を立てて乗客が吐き出される。同僚が先に行きますと声をかけて私を追い抜いていく。そもそも別に待たないし追わないけど、なぜだか断りが必要であったらしい。あるいは電車の中での私も、無視しているみたいに見えただろうか。

 人の足を踏まないように人の肩にぶつからないようにくるくる目を回しながら歩いているとすぐ横で誰かが「渋滞だな」と叫んだ。私はまた驚いて飛び上がる。渋滞。ラッシュ。ラッシュってどういう意味だっけ。でもあんまり渋滞っぽい言葉ではない。どちらかというと殺到とかの方が近い。渋滞。トラフィックなんとかだろうたぶん。

 人混みを抜けてコンビニに入る。いつもと同じペットボトルのお茶とお昼のサンドイッチとカップスープをピックアップする。ちょっと前に気に入って食べていた海苔巻きが売られなくなってしまったので鞍替えしたのだ。とろとろのカップスープはおいしい。レジに商品を置く。店員さんがバーコードを読み取る。終わりかけのタイミングで電子マネーで支払う旨を伝える。支払っている間に店員さんが商品を袋に詰めてくれる。私は電子マネーを気に入っている。なにせ小銭を数えさせないで済む。私はコンビニをピットインみたいに扱うので全てがスムーズに済むとうれしくなる。

 会社のビルの前には果物を売るおじさんがいる。朝しか見ない。会社に行く時に果物は買わない。昼休みに降りてくると乗馬をアピールする人たちがいる。乗馬に興味はありませんか。興味はある、と思って、二秒後にはそれが消える。まあいいか。あとは月末ころになると地域のフリーペーパーを配る人たちが立っていたりする。電車通勤をしていれば毎日通る場所なので、二日目には困ってしまう。昨日もらいましたということをどう伝えるのが正解なのだろうと思う。まあ、今日はいないのでどうでもいいことだけど。

 会社の入っている雑居ビルにはエレベーターが三台ある。業務用がないからゴミを運ぶ人も荷物を運ぶ宅配便の人も内装業者もみんなそれを使う。三台いっぺんに来るとばかじゃないのかと思う。もっと分業すべきだ。いっそてっぺんと、まんなかと、地上階の三箇所に待機したらいい。なんかこう、協調性とか効率とかそういうのだ。

 より効率的なエレベーターの運用について考えているとあっという間に会社の入っている八階に着く。雑居ビルの中の雑居フロアなのでものすごくごっちゃりしている。エレベーターを降りて右手には十社以上の会社が入っているし、左手にも四社入っている。

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