雑文置き場

豆崎豆太

2013年頃に書いた文章

 ふと目が覚めて、瞬間、私は青褪めた。

 普段は目覚ましが鳴動する前に目覚めることなどありえず、自然に目が覚めたからには10時を回っているのではないかと思ったからだ。何らかのはずみで目覚ましが鳴らず、もしくは目覚ましで目覚めることができずに遅刻することを、私は潜在意識として常に恐れているらしかった。

 妙にはっきりした意識の中で枕元の時計――もとい、携帯電話を確認すると、まだ午前6時前だった。やや東向きについた部屋の窓からは、目の粗いカーテン越しに日の光が容赦なく差し込み、早朝だというのに部屋は蒸し暑く、そのために目が覚めたようだった。安堵のために再び重くなった瞼を閉じて、意識の泥の中に沈んだ。

 時間の感覚が失せるほど深く寝入って、アラームに叩き起こされたのはそれからわずか10分後のことだ。頭がもったりと重く、意識にはもやがかかっていたが、それよりも寝汗でべたつく体があまりにも不愉快で、どうにかベッドから体を起こした。目をこすっても汗と脂ですっきりしない。

 私は夏が嫌いだ。社会人になってから、より一層夏が嫌いになった。どれだけ暑かろうがスーツを着て出社、化粧のために汗でべたつく顔を水道で洗うわけにもいかず、不快指数はうなぎのぼりに思えた。無論、冬は冬で辛いものである。凍結した雪道をハイヒールで歩くことのストレスたるや、学生時代には想像もしなかったものだ。

 元来私は夏の暑さも冬の寒さも嫌いではなかった。汗だくでバットを振り、ボールを投げて過ごした学生時代の夏休みは、それはそれでとてもいいものだったと思うし、雪を掻き、こたつに足を突っ込んでアイスを食べる冬も悪くなかった。だから私にとっては夏の暑さや冬の寒さよりも、それらを諸手を挙げて楽しめなくなったことの方が大きなストレスだった。悪いのは夏ではなく、ストッキングとファンデーションで、冬ではなく、ハイヒールだ。

 そして今年の夏は雨が多い。例年の倍以上の降水量があるらしく、夕立の頻度も異常なまでに高かった。洗濯物を外に出して出かけることが出来ず、だから手に取ったバスタオルは生乾きで、余計に私の不愉快を煽った。

 ぼろアパートのシャワーはいまだ、熱湯と真水を混ぜて温度調節をしなくてはならない。両方の蛇口を適当にひねり、まだ冷たい水で顔を洗った。顔を洗うときは夏だろうが冬だろうが真水、というのは、母から受け継いだ習慣だ。単に、以前家族で住んでいた町営のアパートはお湯の出る蛇口がなかった、というだけのことでもあったが、もともと気が短いため、たかが洗顔のために水が湯になるための時間を待っていられないということでもある。

 ゆるゆると温度の上がり始めたシャワーをホルダーからはずし、頭から湯を浴びていく。さっきまでべたついていた髪は、脂が落ちたためかきしきしと絡まる感覚がある。粗方流し終わってから、シャンプーのボトルに手を伸ばした。

 頭を洗いながら、弁当を詰める算段を付けていく。冷凍してあるご飯と、卵焼き、作り置きのきんぴらごぼう、冷凍庫にある豚肉か鶏肉か、野菜はじゃがいも人参ししとうのストックがある。なぜこうも脈絡のないラインナップで残ったのかと内心でこぼしながら、じゃあ鶏肉と人参とじゃがいもで炒め物でも作ろう、と思う。味付けはオイスターソースとマヨネーズ。カレーフレークもあるからエビとジャガイモをそれで炒めてマヨネーズをかけてトースターにかけてもいい。だが、会社で食べるのにカレーは香りが強すぎるだろう。

 夏になって、傷みやすい食材は弁当に使えなくなった。6月は暑すぎて困っていたくらいなのに、7月はずっと雨続きで気温も低く、月の半分近くが夏日にはならなかった。悪天候続きで夏野菜は高騰し、トマトも茄子も食卓から遠い。弁当を詰めるのに苦慮する理由がそれらだった。

 一人分の弁当など量も多くなく、詰めるのは難しくないだろうに――実家の母は家族の分の弁当をどう詰めているのだろう。

 泡立った頭を流そうとシャワーに手をかけると、指に大量の毛がからみついていた。ここのところ、自分でも驚くほどに抜け毛が多い。放射線だとかストレスだとか生活習慣だとか、とにかく予想される原因が大量にあるから考えてはいないが、こうも抜ける量が多いと半ば気持ち悪くはある。フローリングに落ちる量や櫛に絡まる量も多いので、掃除のたびにぞっとしてしまう。

 髪というのはどうしてこう、抜けたとたんに気持ちの悪い物体になってしまうのか。昔、中学時代の髪の長い友人が、髪を切るというのでうちの母が腕を振るったことがあった。記憶が増長されている可能性はあるが、3,40㎝は切ったんじゃないだろうか。ごみ袋に詰められた大量の毛の塊がひどく気味の悪いもので、特に思い入れもないのにその光景をいまだに思い出す。

 抜けた髪が溜まって流れの悪くなった排水溝を、髪をどかすように足でつつきながら、シャワーで体中の泡を流していく。ぼろアパートの水はけは悪く、あっという間に足元に水が溜まっていく。排水パイプも少しずつ詰まってきているようなので、帰ってきたらパイプの詰まり除去剤で早めに処置した方がいいな、とぼんやり考えた。シャンプーの泡や人の垢もさることながら、リンスがついた毛髪がどうやらかなりつまりやすいようだ。

泡が粗方流れきったら湯の蛇口を少し閉め、冷たすぎない程度の水で全身を流した。そのあとで完全に真水にし、浴室全体の温度を下げていく。少しでもカビ防止になればと思ってやっていることだが、どうせこの気温では意味もなさそうだった。

 浴室内は、自分が入居する直前にリフォームが入ったせいか、真っ白で明るい。これだけ白い浴室内ならばカビはさぞ目立つだろうなと思うが、如何せん浴室内では眼鏡をしていないため、本当にカビがないかどうかは確認しきれていない。裸眼での視力はほとんど無いに等しい。

 本当は乾いたタオルで浴室内をきっちり毎回拭ければいいのだろうが、今の気候で乾いたタオルを毎日用意するのは至難の業だったし、何より面倒なのでそれをしていない。もしくは、まったくと言っていいほど使っていない浴槽の中でシャワーを浴びればいいのだが、それもしていない。要は、ずぼらなのだ、私は。

 生乾きのタオルの匂いを嗅がないように、瞬間、息を止めて顔面を拭く。次に、頭にタオルをかぶって髪を拭く。これは単に――もともと乾いていればの話だが――顔面に濡れたタオルを付けたくないがための習慣だ。乾いたタオルで顔を拭く、あとは上から順に拭いていく。掃除にしろ何にしろ、上から順番にしていくのが私の癖だった。だから、散らかった床を片付ける前に本棚を片付け始めて、よく母親に叱られた。

 その悪癖は今も治っておらず、部屋の片づけをしようとするとまず押入れの中身を引き出して整理し始めてしまい、それが終わらないままに日が暮れ、部屋の中は余計に散らかっている、ということがままあった。一人暮らしをするにはあまりにも阻害的な欠点なので早いうちに矯正したいのだが、そんなことを考えていると、床や机に散乱しているものを手に持っては途方に暮れてしまう羽目になるのだった。片付けられないのも度を超えるとADHDとかいう病気にカテゴライズされるらしいが、診断の機会も無いので自分では能力不足と割り切っている。

 足先まで全身を拭いたあたりで、すでに額には汗が浮いているというありさまだった。夏は私を殺しに来ている。取りあえずTシャツと適当なズボンを履き、首にタオルをかけて台所に立った。卵焼きと、オイスターソース炒め。朝食はそれらの余りで適当に食べればいい。

 ところがだ。先に作って冷ましておこうと思った卵焼きを、失敗してしまった。敗因の一つは出汁の入れすぎ、もう一つは注意力の散漫だろう。私には毎朝、ぼうっとしながら夢の残滓を辿る癖がある。今朝の夢は旧い友人と一緒に遊びまわる夢だったから、懐かしくてつい考え込んでしまったのだ。その夢の中に「私の主治医」が登場したが、私の実際の主治医は美人ではなく、それどころか女性でもない。あれは先日見た映画の恋日医師だったように思う。相変わらず、現実世界の夢への反映が早い。

 結局、鬆の入った茶椀蒸しのようになってしまったそれを見て気勢が萎え、温めた冷凍ごはんにその卵焼きと納豆をかけて朝ごはん代わりにし、弁当を作ることを放棄してしまった。昼食はコンビニでパンでも買おうと思って諦めた。

 一人暮らしだとこういうことがままある。文句を言う相手がいないので、結局泣き寝入りというのが毎度のことだ。疲れて帰って料理に失敗し、まずいものを勿体ない精神で胃に押し込んでいるときなど、言いようもない苛立ちに襲われる。昼間懸命に仕事をし、疲弊して部屋に戻り、まずいものを無理やりに食べなくてはならない不条理。無性に実家に帰りたくなる瞬間。

 とはいえ今の仕事は無理も多い。終電でアパートに戻ることも少なくなく、実家から通うとなると家につくのは25時を過ぎてしまう。家族にも自分の体にも負担が大きいから一人暮らしを始めたのだし、それに関しては今のところ後悔していない。まずいものを無理やりに食べる、この瞬間を除いては。

 とはいえ、私はもともと料理が好きだったし、自分で作るものがあまりにまずいということはそうそう無い。見た目こそ、今回の卵焼きのように不恰好になってしまうことがあるが、味付けは概ね良く、だいたいが「がっかりしながらも食べることが出来る」というレベルに収まる。片付けが出来ないのに比べれば、生活していくのに致命的なほどの不安要素ではない。

 実家にいた時代私の料理は、それが家族にとってひどく奇矯だったために科学実験と揶揄されていた。父は私の料理をあまり口にしなかったし、母は基礎がなっていないと言ってあれはああこれはこうと説明を始める。弟だけが「でも見た目よりはうめえ」と笑って食べきってくれていた。優しい弟は私の誇りだ。

 一度だけ、父が私の作った料理を完食してくれたことがある。インターネットを見て作った、あさりの焼きそばだ。父が私の作った料理を全て食べたのは、後にも先にもそれ一回だった。

 母は昔、幼い私が料理を手伝おうとすると「あなたが手伝うと余計に時間がかかるから、もっと早く申告して頂戴」と言った。私が成長してからは、「こちらから言わないと手伝いもしない」と言った。なんとなくまだ許されていないような気がして、だから母の料理を手伝うのはあまり好きじゃない。母の味も料理もあまり真似しないので、母は私と私の手料理を嫌っているかもしれない。

 母の料理で、どうしても私がかなわないと思っているものは二つ。おにぎりと、卵焼きだ。その二つは――無論、母の作ったものに限って――私の一番の好物で、だが帰省のときには「そんなものあんたでも作れる」と一蹴されてしまいそうでリクエストしたことがない。

 母のおにぎりで思い出すのは、高校時代の弁当だ。母が寝坊したとか、ご飯が余っていたとかそんな理由で、ときどきおにぎりを持たされた。冬なんかは寒さで冷え切っていたし、海苔はしなしなにふやけているし、中身は前日の夕飯の残りでチンジャオロースなんかが入っていたりするしで、今思えば結構ひどい代物なのだが、それがいつもいつも必ずおいしかった。私は母のおにぎりが本当に好きだ。

 つい先日、おにぎりを自分で握った。ふらりと思い立って借りてみた映画DVDの中で、おにぎりがおいしそうだったからだ。自分で握って、食べてみて、結局のところ、その味気なさにがっかりしたのだった。

「おにぎり」が「日本人のソウルフード」ならば、祖母の手製の梅干、母のおにぎりと卵焼きは、私のソウルフードだ。安い魂だと我ながら思う。

 朝食を終えると、再び額には汗が浮いていた。舌打ちするような思いで再び顔を洗う。ここに今から化粧品を塗りたくろうというのだから正気の沙汰ではない。朝から滴るほどの汗をかき、その上に化粧をし、だから夏場は肌が落ち着く暇がなく、いつも皮膚の上に油の層があるようで不愉快だった。ただ、そういえば以前インターネットで「脂取り紙で過度に皮脂を取ることは、皮膚を乾燥させ、却って皮脂の分泌を促してしまう」とあったので、できる限り脂取り紙は使わないように心掛けている。そのために不愉快な思いをするなら結果は変わらないのではないか? という疑問には、取り敢えず目を瞑ることにした。

 掌に1ポンプ程度のBBクリームを取り出し、肌に乗せていく。眼鏡がないので鏡に映る自分の姿はろくに見えない。指で全量を肌に乗せ終わってから、手鏡を片手に、今度はコットンで斑が出ないよう顔全体にクリームを伸ばしていく。鏡を向けた額には、やはりまた汗が浮いていた。顔の産毛もそろそろ剃らねばな、と思いながら、アイシャドウを手に取る。私の手元にある化粧品は一般に「プチプラ」と言われる安価なものだ。リキッドファンデーションはキャンメイクの1,260円、アイシャドウはエクセルのデュアルアイシャドウで同額。化粧水は500円程度のハトムギ化粧水、クリームはニベアの青缶。マスカラもキャンメイクで630円。ただし鬱陶しいのでめったに使わない。マスカラ、口紅、ネイルは肌に重いので苦手だ。その他の小物、たとえばビューラーやネイルケア用品はおおよそ100円均一で揃えてある。

 上瞼のアイラインぎりぎりに、発色のいいピンクをそっと乗せた。腫れぼったい奥二重に隠れて、色はほとんど見えない。下瞼にはベージュ。もともとは上の瞼に両方を乗せていたのだけれど、つい最近仕事を受けた会社の女性がこういうメイクをしていてきれいだったので、それを真似た。

 手鏡を顔から離し、眼鏡をかけてようやく顔全体が見える。化粧による変更点は、きっと自分にしかわからないだろう。

「あ」

 しまった、と思った。化粧をする前にスーツを着てしまうべきだった。シャワーを浴びた後で袖を通したTシャツは、襟刳りが狭い。うんざりしながら、首元を目いっぱい引っ張って顔につかないようにしてそっとTシャツを脱いだ。シャツの襟が伸びるかもしれないことは、一旦念頭から外す。

 シャツを脱いでしまうと、暑苦しい仕事着を着るのがひどく煩わしく思われた。私服可の仕事場とはいえ、あまりラフな服装で出社するわけにもいかないので、それなりに暑苦しい格好をすることになる。どちらにせよあまり薄着をしては、今度はエアコンの風に苦しめられることになるのも事実だった。私は昔からエアコンの風に弱い。冬の寒さにはぴんぴんしているのに、エアコンにあてられるとすぐに体調を崩す。肩が凝り、腹痛が起こり、末端が冷えてしまうのだった。

 だから実家にいる時も、リビングでエアコンがかかると自分の部屋に避難していた。北東向きで日の入らない部屋は、夏にはそれなりに涼しくて心地のいい場所だった。逆に、冬は冬で暖房が暖かすぎて火照り、よく外に出ては体を冷やした。あまり現代社会に適応していないのかもしれない。修学旅行で行った秋の沖縄のホテルで、同じ部屋の班員に冷房をかけられたときは、暑い中で布団をかぶって汗だくで眠ったくらいだった。

 しかも運の悪いことに、今の職場で自分に振り分けられた席はエアコンの風がまっすぐに当る場所だ。背後なのでお腹が冷えることはあまりないが、代わりに肩こりがひどかった。服は取り敢えず、キャミソールにカーディガンを合わせて着込んだ。外の暑さも、作業場の寒さも、なんとか耐えられるくらいの装備だ。

「さて」

 今日は弁当が無いので、準備はこれで終わりだ。ベッドの上の充電器から携帯を外し、肩に掛けたカバンに押し込んだ。

「髪梳かした、化粧した、服着た、ブラつけた、携帯持った、財布持った、鍵持った、……いいべ」

 全身鏡を見ながら、順に確認していく。鏡に映っているのは、いつも通りの自分の姿。

「ゴミ。ゴミ……缶、ペットボトル、烏龍茶、ハイボール、シーチキン、オッケ」

 一人暮らしを始めてから、ひとりごとに躊躇いが無くなったのを感じる。どうせ誰も聞いていないから構わないのだし、声に出して耳で聞いた方がきちんと確認できる気がする。実家にいたころ、母が「携帯!財布!定期!」と玄関先で喧しくしていたのが感染ったのだ。

「時間」左手には、いつも腕時計をしている。部屋にはまだ時計がないので、この腕時計が私にとってメインの時計だ。ヨドバシカメラで千円ぽっきり、だがシンプルでしなやかなデザインが気に入っていた。「55分。よっしゃ、行きますか」

アパートの鉄扉は重い。しかも、冬場はずぶぬれに結露する。そのせいなのか、郵便受けの端々はすでに錆びはじめていた。がこ、と音を立てて、扉が開く。部屋の中よりもわずかに澄んだ、心地のいい風が吹き付けてきた。本当は、正面側にある窓とこの玄関とを開け放って部屋中に風を通したい。だが、「都会は怖い、ドアを開けっ放しにはできない」という田舎者のイメージと、何より朝の時間のなさがそれを不可能にする。さっさと扉を閉めて、がちゃりと鍵をかけた。

このアパートに引っ越してきて8ヶ月。冬だった季節は夏になり、その間に私は何度か転職し、失業すらしたが、アパートの住人とはロクに顔を合わせていない。生活音はたまに聞こえてくるので人間は住んでいると思うのだが、その姿はさっぱり見かけることがない。

 冬には雪が積もって急な坂道のようになっていた階段を下る。202号室には、クロネコヤマトの不在票が挟まったままになっている。ここ1ヶ月ずっと、だ。最初のうちは中で人が死んでいるのではないか、それとも借金を残して蒸発したとか、と、いろいろな憶測を飛ばしていたが、最近はそれも飽きて、ああまだ帰ってこないのか、と眺めている。

 階段を下り終えると、改めて夏の日差しが肌を焦がすように差し込んできた。そういえば廊下も階段も日陰だったなと今更思い出す。狭いくせにそれなりに交通量のあるアパートの前の道路は、朝の時間帯はいつも車が列になっている。死角が多くて危ない道だが、ゴミ捨て場がその向こうにある上、横断歩道が無駄に遠いので私はいつもそこを渡る。コンビニはまた道路をわたってアパート側なので、いつも寄り損ねてしまう。

 SONYウォークマンNW-Z1000から伸びるイヤホンを耳に押し込み、細い路肩を自転車とすれ違う。ゴミ捨て場とは名ばかりのただカラスよけネットがあるだけの路肩は、自転車にとっても自動車にとっても邪魔そのもので、なんとなくそこに都会を感じずにはいられない。住んでいた地元には、きっちりしたコンクリートの囲いとネット、ところによっては頑丈な引き戸までついたゴミ捨て場があった。あれだけのスペースを、多分ここでは確保できないのだろう。

 そのすぐ先には幼稚園バス待ちの親子の列があって、それもまた危なく邪魔だった。本当に都会というのは、子供の住む場所ではない、とぼんやり思う。尤も、仙台を都会と言っては東京人には笑われるのかもしれないが。かしましい笑い声を上げるその群衆を通り過ぎながら、今度は当の幼稚園バスとすれ違う。スモッグを纏い、カラー帽をかぶったテディベアのイラスト。セオドア・ルーズベルトという名前からどこをどうしたらテディなどという愛称がつくのか、Thまではわかるが、その先がどうにも理解できない。

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