#2 個人的嗜好について

 人の趣味などにとやかく言いたくはない。

 もちろん、好きなこと嫌いなことはそれぞれにあるだろうし、それはそれぞれの自由だ。だから言いたくはない。特に、性癖については。

「もうすぐ、事務所フロアに到着します」

 だが、言いたくない事を言わねばならない時もあるのだ。そう、例えばこのエレベーターガール。エレベーターガールのはずなのに、今日はバニーガールのような格好をさせられている。おまけに顔が黒く塗りつぶされていて表情も見えない。これはうちの先輩の趣味だ。先輩曰く「女性はどうしても顔で全てが決まってしまうからねぇ。体がどんなに良くても、醜ければ楽しめないじゃないか。だから、私はこう思うのだよ。顔を隠してしまえば問題なく楽しめるじゃあないか……そしてそれも、そそる」と。それに則ると今回もハズレらしい。なんと嘆かわしい。この婦人の幸せを心より祈ります……無理だろうけど。

 ガタン、と小さく振動がして、ようやく目的階に着いた。先ほどロビーで鳴った音が再び心地よく響く——と、思われたのだが。

『おかえり、お嬢様。今日もよく頑張ったね』

 と、低く甘い声が響いた。これは事務所のマンション管理担当の趣味だ。こういう王子様とか執事とかのイケメン男性(2次元に限る)が好きなようで、今の彼氏が、この声の持ち主らしい。余談だが、本命の旦那が1人いて、不倫関係がいっぱいいるそうだ。これは本人公言。

 エレベーターガールに促される声と、未だ響く甘ったるい声を背にして、速足で事務所に向かう。

 がちゃり、と扉を押して入ると同時にするりとスイッチを切り替える。今までの女子高生の姿とは打って変わり、長身のスーツ姿の男性へとした。

「只今戻りました」

 誰に言うでもないが、そう言いながら自分のデスクへ向かう。ネクタイも出したが暑いので緩め、上着も脱いで大雑把に椅子に掛けた。

「お帰り~」

 そう返してくれたのはデスクの左隣の先輩だ。

「どうも……って芦名あしなさん。また新しい女の人ですか? エレベーターガールの人」

「嗚呼、そうだよ。体のラインがとても好みでねぇ……素晴らしいだろう? でも、少々顔が好みではなかったのが残念だ……だが、別に私はそれでもかまわないがね」

 と、うっとりと語るのが芦名さん。事務所の大先輩である。そして、エレベータ内で言ったとおり、独特な性癖を持つ女性好きだ。見た感じは美人なのだが、とても残念だ。夜は毎晩違う女性を寮へ連れ込み、楽しんでいるらしい。そして、自身の別荘に今までの女性を住まわせているとかいう都市伝説まで聞いたこともある。隣室が友人なので、よく噂を聞く。……このままだと、芦名さんが単なる変態になってしまうので、この人の唯一の美点である外見的特徴を語っておこう。長身で、きめ細やかな白い肌、艶やかな銀髪を腰ほどまで伸ばし、切れ長で少し垂れた紅い目。かなり和服の似合うイケメンなのだが女性に関する話をしだすと、もう一度言うが、とても残念である。

 「嗚呼、夜が楽しみだなぁ……」と物思いにふけっている変態芦名さんを横目に珈琲を淹れるために席を立つ。

「あ、ところでだけど、君さ」

「何ですか? 珈琲なら自分で淹れてくださいね」

「んん、淹れてくれないのかぁ……」

「どうせ芦名さん、暇してるみたいなんで」

「む、失敬な。私もなかなかに忙しい身なのだぞ」

「はいはい」

 適当に返事をしつつ、丁寧に珈琲を淹れあげるとひとくち味わう。

「……完璧だ」

 我ながらの出来に自ら賞賛の言葉を想わず呟いてしまう。その出来に満足しつつ自席へと戻り、良い年下大人のくせに子供みたいに膨れている先輩に呆れながら声をかけた。

「で、何ですか?」

「君って本当珈琲愛好家ヲタクだよねぇ」

「いい加減本気で社長に言いつけますよ」

「や、それはやめたまえ。今度君好みの婦人を紹介してやるから」

「興味ありません」

「そうだよなぁ、君一途だものなぁ」

「本気でそろそろいいですか」

「まぁまぁ、そう怒るなよ」

 殴りたい。会社をクビにならないのであれば今すぐ殴りたい。

「さて、冗句はさておき」

「冗句だったんですね、今の。自分は本気で殴ろうかとか考えてたところでしたよ」

「大丈夫、全部口に出てたからねぇ」

 おっと、これは自分としたことが。

「で、何なんです?」

「今回の案件クリアできそうかなぁ、と。先輩としての心遣いだよ」

 色々思うところはあるが、先輩として、後輩の仕事を気にしてくれていたようだ。こういう優しい一面もたまにあるから、やはり尊敬する。その温かさに浸り、ポロリと本音を吐き出す。

「ちょっと、きついですね……」

「そうか、ところで良い女生徒はいたかい?」

 前言を全力で撤退させる。尊敬の念など一つもない。

「何であなたはいつもそうなるんですか……!」

「それが私の生きがい、だからかな……」

「真顔で本気で考えて答えないでください……!!」

「でも、きついのであれば、手助けするよ?」

「……大丈夫です。自分の仕事ですから」

「ん~、さんは大変だなぁ」

「貴方もでしょう」

 と、自由奔放な先輩とのとても疲れる会話を終わらせ、鞄から取り出した薄いノートパソコンを開き自身の仕事を始める。今日の潜入先で仕入れた資料をひたすら打ち込む地味な作業だ。整理師が生憎今日はいないので、自分でやらねばならない。時計を見る。今は15時過ぎだ。何とか、定時までには上がれるかと安堵しつつ、冷めかけた珈琲を口に運んだ。

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夢町4丁目の何でも屋(仮) 黒瀬 蓮麻 @kurohasu_H2O

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