15品目:張さんの飲み会文化論
高野さんと同じく厨房を担当する、中国人のアルバイト、張
最近中国をはじめとしたアジア圏のお客様も増えてきたから、張さんに通訳を頼んでしまうこともしばしば。『白虎』になくてはならない、とっても頼りになる先輩だ。
今日は、そんな張さんとあたしのお話を一つ。
夏の名残もすっかり消え、道ゆく人が薄手のコートを羽織り出した時期のことだった。
* * *
その日は、華金だからか宴会が四件も入っていた。小さな団体から数えると、四名、八名、十一名、十四名の計三十七名。奥の座敷は勿論、テーブル席も合わせてお店の半分が埋まる人数だ。ちなみに、私が経験した宴会の中では二番目に多い。 一番の時は、一つの宴会で二十名くらいだったと思う。確か奥の座敷を全部開け放したからね。
居酒屋に宴会は付き物だけど、でもそこまで負担に感じたことはない。だって、宴会の進行自体はそんなに難しくはないから。
料理は予め決められたものを出すだけで、お客様の食べ具合と時間に気を配れば良い。飲み物も飲み放題のメニューから頼まれるから、全員が違うものを注文しない限り、割と簡単に作れるものばかり。乾杯は瓶ビール、その後はレモンサワーとか梅酒とか日本酒って感じでね。だからフリーのお客様と比べて、宴会、特に華金の宴会は、バタバタしながらもひたすら消化すれば良かった。
むしろあたし的に一番大変なのは、宴会終わりの片付けだったりする。特に宴会開始が遅くて、大人数だった時がたまらない。退席時間通りに帰るお客様は少ないから閉店ギリギリになっちゃうし、宴会だからグラスとかお皿が沢山残ってるしで……。
フリーのお客様の対応をしつつ、閉店間際の大人数宴会の片付けは、本当に骨が折れる。
けれど今日は有難いことに、大人数だった十一名と十四名の
あたしは心持ち胸を躍らせ、宴会の片付けと退店のお願いに行くことにした。
そこに「ちょっと待って、関さん」と、手洗い場から張さんが顔を覗かせる。そしてコックコートのポケットから取り出したハンカチで手を拭きながら、「厨房終わったし、手が空いてるから手伝うよ」とあたしの横に並んだ。
「お客様申し訳ありません、お席のお時間になりましたのでご協力をお願い致します」
座敷の入口にかけられた暖簾をそっと上げ、声をかける。
飲み放題が始まって三時間、お客様は大分酔いが回っているみたい。皆顔を真っ赤にして、楽しそうに談笑している。
「お客様、あのー……」
正直、この声掛けは苦手だ。折角の賑やかな雰囲気を壊したくはないし、この前みたいに––––お座敷で森内先輩に助けてもらった時のことね––––お客様に色んな言葉を浴びせられたり、絡まれたりするのも面倒なんだもん。
それでも、言わなきゃいけない。閉店のためにも、あたしたちの終電のためにも、心弾む退勤後を確保するためにも。何より、これもあたしの仕事だから。
すうっと息を吸う。高めの可愛い声は要らない、今必要なのはよく通る地声だ。「お客様、失礼致します!そろそろ当店は閉店時間になりますので、ご協力をお願い致します!」
お腹から出すなんて音楽の合唱練習みたいだななんて考えてたら、本当に
肝心なお客様の反応は……––––
「あ、はいはーい」
「もうそんな時間か~早いなぁ」
「じゃあ、そろそろお開きにしましょうか」
そう口々に言いながら、なんと!こぞって腰を上げ始めた!
「あっ、ありがとうございます!」
思わず口から出た感謝に、お客様は「美味かったよ」「御馳走さまでした~」と返してくれる。この前のお客様とは大違いな退店スピードと、あったかい言葉。この差に声掛けの違いも関係あるなら、ちょっと嬉しい。毎年やってた合唱練習、役に立ったじゃん。
「ありがとうございました!また、お越しくださいませ!」
「ありがとうございましたー」
小さくなっていく背中に頭を下げて、あたしは張さんと片付けに移った。
グラスをトレンチ(お盆のこと)に乗せるあたしの横で、張さんは醤油皿、小皿を次々に積み上げていく。
森内先輩も山くんもそうだけど、男の人って一度に沢山持とうとするよね。それに結構無茶な積み方もする。お皿を何枚も重ねたり、小さなお皿の上に大きいお皿とか、凹凸の多いお皿の上に何でものっけてみたり。傍から見れば落ちそうで気が気じゃないんだけど、当の本人は余り気にしていないのも一緒。
ほら、また。残されたお刺身の海老の上に、どうして平気で乗せちゃうのっ!
あたしの視線に気が付いたのか、張さんが「ん?」とこっちを向いた。
「どうしたの、関さん」
「いや、何でも」
「ふうん」
目を細めて、それならいいけど、と張さんは笑う。絶対何かあるんでしょ、とでも言いたげな表情だ。見透かされそうな瞳に、思わず俯く。
「本当に、何でもないです」
「うん」
ふっと息つく音が聞こえて、一瞬の間。
「そういえば」
静寂を破るように、今度は張さんが口を開く。
「前々から思ってたけど、日本人の飲み会って面白いよね」
「面白い、ですか?」
「そう思うよ」
テーブルの上に散らばった箸をかき集めながら、張さんは続ける。
「僕の地元では、日本みたいに頻繁に“飲み会”はやらないよ。飲む時は宴席を設けて、そう、日本でいえばもてなす、って形が多かったりとか」
「へぇ」
「勿論家族や友人と飲む時は、仰々しくはないけどね」
普段寡黙な張さんが、自分のことを話してくれるなんて滅多にない。それも飲み会の話なんて、初めて聞いた。
「あと、日本人は、乾杯って言うとグラスをぶつける。でも、地元では“干杯”って言って、飲み干すんだ」
「え?一気飲みってことですか!?」
「日本ではダメなんだっけ?でも、飲み干すことが敬意の現れでもあるよ」
「そうなんだ……」
所違えば、何とやら。「くれぐれも一気飲みは強要しないように」って、大学サークルとかでは口を酸っぱくして言われてるし、急性アル中になるとも聞いたことがある。まあ、張さんが言うのも日本の一気飲みとは違うんだろうけど。
文化が違えば、飲み会の形も全然違うのかもしれない。
「なんか、嬉しいです」
「ん?」
「張さんが中国のことを話してくれるのって、中々ないですし。確かに、違いって面白いし」
「そう?良かった」
「はい!」
あたしの返事に再び目を細めて、張さんは頷く。
話しているうちに、テーブルの上はすっかり綺麗になっていた。仕上げにさっと布巾をかけて、あたしは立ち上がる。これで片付け終了、っと。
「そうだ、最後に一ついい?」
座敷を出ようとしたあたしの背中に、張さんの声がかかる。
「はい?」
振り向けば、張さんは唇の端に薄っすらと笑みを浮かべて……――あ、これはいつか見た怖い
「僕が分からないのは、日本の飲み会は部下がただひたすらに上司の顔を伺うところかな――楽しい飲み会が、気を遣う場所みたいで大変だよね。まあ、そこも面白いのだけど」
俄かにつつ、と背中を滑り落ちた汗は、懸命に働いた証なのか、それとも久し振りに見た張さんの裏の顔のせいなのか、あたしには分からなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます