13品目:先輩は何だかんだでバイトリーダー
「おい、わか、座敷に声かけてきて貰えるか」
厨房の調理器具を洗う手を止め、森内先輩が振り向いた。
「えーっ、あたしが座敷ですかー?」
ビールジョッキをしまっていたあたしは、手を止めずに答える。目の前には、洗浄機にかけられたばかりの、沢山のジョッキやグラス類。
「先輩、あたし、まだ片付け終わってないんですけどー」
「それは後でも出来るだろ」
「えー」
「こら、文句言うなって」
手を拭きながら、森内先輩が歩み寄ってくる。
「今日は座敷一組だろ?俺がテーブル周ってくるから、座敷行ってこい」
「はぁーい……」
いつもの強面に、ちゃんとバイトリーダーっぽい雰囲気でそう言われるとやっぱりちょっと怖い。
あたしは渋々、持ち掛けのジョッキを置いてホールに出た。
時刻は午後23時。居酒屋『白虎』閉店の時間だ。
店内に蛍の光(閉店を知らせる曲として使ってる)を流しても、中々腰が上がらないお客様だって当然いる。もう少し飲んでいたいとか、話が盛り上がって蛍の光が聞こえてないとかね。
そんなお客様に閉店のお声がけをするのも、あたしたちの仕事だ。カウンター席にテーブル席に座敷にと、担当を決め声をかけて周る。
これがまた、地味に大変なの。
だって、一回目で帰って下さるお客様もいれば、勿論二回目、三回目声をかけなきゃ帰らないってこともよくあるから。「はーい帰ります」って返事するのに、全然帰らないとかね。
あたし、そーゆーお客様はちょっと嫌い。閉店時間は、いわばお店のルールだもん。楽しく飲んでくれるのは嬉しいけど、守るとこは守らなきゃでしょ?
お家に帰るまでが遠足です、ってよく言うじゃん。あれ、ちょっと違うか。
––––––まぁ、何にせよ早く帰ってもらわなきゃあたしたちが帰れない。お客様が終電を気にするように、従業員にだって終電があるんだから。
お客様の鎮座している奥座敷の前で、あたしはぱぱっと身だしなみを整える。
引き戸一枚隔てた向こうでは、賑やかに談笑……ってか、めっちゃ騒がしい。これじゃあ蛍の光なんて聞こえないわ。
「お客様、失礼致します」
引き戸をそぉっと開けて、告げる。
「お客様、大変申し訳ありませんが、当店閉店時間になりまして……」
「わははっ、そりゃないだろお前―」
「いやぁ佐々木さん、この前だって––––」
「おい!まだ徳利に大分残ってるぞ!」
「あ、じゃあ僕が飲みます!」
––––––何コレ、ぜんっぜん聞いてないし。
控え目に告げたあたしの声は、おじさんたち、失礼、お客様たちの声に掻き消された。あたしが引き戸を開けたことにすら気が付いてない。
気を取り直してもう一度。
「あの、お客様!」
「「「ん?」」」
座敷を埋めていた大柄な身体が、ゆっくりとあたしの方を振り返った。
––––––今度は、ちゃんと届いたみたい。
「お客様申し訳ありません、当店は23時で閉店となりました。お会計等、ご協力をお願い致します」
申し訳なさそうに眉をちょこっと下げて、柔らかく微笑んでから頭を下げる。勿論“早く帰って”なんて直接的なことは言わない。普段の明るく元気な雰囲気も変えて、あくまでも下から“お願い”をする感じで、ね。
––––––さぁてお客様の反応は、と。
「えー?もう閉店なのー?」
「まだ飲み切ってないよー?」
––––––あれ、これはまさか。
「申し訳ありません、ぜひまたのご来店を……」
「えぇー?そこを何とか!」
「そうそう!もうちょっと!あと五分!」
「てか、お姉さん可愛いね~」
「佐々木さん、それセクハラって言われますよぉ」
お客様たちは、次々と好き勝手口に出す。「もうちょっとー」とか、「えぇー」とか、どこの駄々っ子の真似なんだろう。それに可愛いのは知ってる。知ってるし、今可愛いって言ってる場合じゃない。
––––––ってか、可愛い子が頼んでるんだから即刻帰ってよね。
「ねぇお姉さん、いくつー?」
「後少し、飲むからちょっと待ってて!」
「……あの」
困り顔の微笑みの裏で、さぁてこのお客様たちどうしようか、と考えあぐねていると、ふいに背後から頭をポンと叩かれた。
振り向くと、あぁ、何か機嫌の悪そうな森内先輩が立っている。
お客様も気が付いたのか、ぱたりとあたしにかけていた声が止んだ。
「お客様、申し訳ありませんが––––」
低く告げた言葉はあたしと同じだったけれど、圧迫感が違った。
「あ、じゃあそろそろお開きに」
「そうだな、帰るか!」
有無を言わさぬ先輩の声に、お客様はそそくさと席を立つ。そしてそのまま、
挨拶もそこそこにお店からお帰りになったようだった。
奥座敷に残されたのは、あたしたち二人だけ。
「先輩、ありがとうございました」
「おう」
「流石ですね、あたしが何度言っても帰って貰えなったのに」
「あー、まぁああいう手合いは俺が言った方が良いしな。気にすんな」
「別に気にはしてませんけど……でも、あの」
「ん?」
––––格好良かった、とは絶対言ってやんないけど、これくらいならね。
「あたし、先輩ってなんだかんだバイトリーダーなんだなって見直しちゃいました」
「おい、なんだかんだって何だ」
「いやー、それは普段が……」
「はぁ!?」
強面の眉間の皴が深くなる前に、あたしはくるりと背を向ける。
「おい、わかちょっと待て」––––そう呼ぶ低い声を背中で聞きながら、ぱたぱたと廊下を駆けた。
口ではああ言ったけれど、やっぱり頼れるところは頼れる先輩なんだなぁなんて、ちょっぴり尊敬した夜だった。
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