12品目:高野さんと夏らしい一品 / 2

 暑い。暑すぎる。


 最寄駅の改札を出た途端、容赦のない日差しが降り注いだ。

 もう夕方だっていうのに、微塵も和らいでなんかない。ギラギラピカピカ、肌を刺すような強気な日差し。数歩歩いただけで、あまりの暑さに心が折れそうになってくる。


 今朝のニュースで、「列島は広く高気圧に覆われ、暫く夏日が続くでしょう」とかってやたら美人なお姉さんが言ってたけど、切実にやめてほしい。こんな日が続いたら、外に出られなくなっちゃう。

   

 つつ、と額から滑り落ちた汗が、目の端で滲んだ。

  

 折角早起きしてバッチリメイクしてきたのに、その努力は『白虎』に向かうたった数十分で水の泡だ。次々に滴る汗と一緒に、あたしのオレンジ色のシャドウとチークは拭われていった。


 

 

 * * *




「まぁ、今年の夏は大分暑いって言うよね〜」

 綺麗に切り揃えられた毛先をいじりながら、晴香先輩が溜息を吐いた。

「私、生まれてからずっとこっちに居るんだけどね〜、こんなに湿度高くて暑いのって、あんまり記憶にないよ〜」

 髪の毛の調子もあんまり良くないし〜と呟いて、先輩は再び溜息を吐く。

「最近美容院行ってないしな〜、枝毛が目立つ〜」

「そう、ですか……?」


 あたしには、先輩の調子の悪さなんて微塵も感じられない。ってゆーか、どこらへんに枝毛があるのか教えて欲しい。あたしの眼に映るのは、いつも通り、きちんとセットされたサラサラつやつや黒髪ボブだもん。


「そうだよ〜それにね〜、」

 あたしの疑念を余所に、晴香先輩は続ける。

「今年は日焼けもしちゃったし〜」

「……どこらへんがですか」


 思わず聞き返した。


「晴香先輩、めちゃくちゃ白いですけど」

「え〜?ほら、こことか、真っ黒でしょ〜?」

「……(は?)」


 喉元まで出かかった (は?) をぐっと堪え、あたしは眼の前ににゅっと差し出された腕をまじまじと見つめる。白い半袖のブラウスから出る腕は、透き通るように白い。あたしの肌色と比べると、もう一目瞭然だ。同じところで生活してるとは思えない程、大分違う。嫌味かってくらい、違う。


 だから誰か教えて欲しい。これのどこが、日焼けしてる真っ黒肌って言うのかって。それで先輩が真っ黒だっていうなら、——隣のあたしは一体何色?


 まぁ、先輩にしか分かんないよね、きっと。うん。

 


「まぁ確かに、」

 気を取り直して――そもそもあたしが勝手に凹んだだけだけど――あたしは前を向いた。

「この暑さと日差しの強さのせいか、人通り少なくなりましたよね。お客様も全然だし」


 窓から見える店先の通りは、ついひと月前に比べると大分静かだと思う。晴香先輩とこうして喋り始めてから、ぽつりぽつりと数人が通っただけ。お店の周りは所謂“飲み屋街”で会社が少ないせいもあるかもしれないけど、一応平日帰宅ラッシュの時間帯なんだから、飲みに出歩く人たちが通ったっていいのに。

 そんなわけで、ここ数日、開店時刻を過ぎても中々お客様が来ない。ぶっちゃけ、お店の予算的には大問題。


「飲みに出るのも暑くて嫌なんですかね?」

「う~ん、それはどうなんだろうね~。でも私だったら、早く帰って涼しい部屋でアイスでも食べたいかなぁ~」

「あぁなるほど」

 お店で味わうお酒と束の間の涼しさよりも、家でまったり涼しみたいってことね。


 うん、まぁ、分からなくはないな。あたしも早く帰ってアイス食べたいし。

  


 うんうんと晴香先輩の言葉に頷いていると、厨房から高野さんがにゅっと顔を覗かせた。

「石山さん、関さん、ちょっといいですかー?」

「なんですかぁ~?」

「時間ありそうなので、今日の賄いを味見してもらえませんか?」


 ……賄いだって?


 あたしと晴香さんは、瞬時に目を見合わせた。

 お客様が一組も居ない店内。手持ち無沙汰な時間。そこに、高野さんの作った賄いの味見。丁度お腹もすいてきた頃合い。


行かない理由がない。




 * * *




「今日の賄いメインは、“茄子と豚肉の味噌炒め”です」

  

 高野さんがそう言って、あたしたちの目の前に大皿を置いた。

大皿に盛られた“茄子と豚肉の味噌炒め”は、その名の通り大量の茄子と豚小間を味噌で炒めてあるものみたい。作ったばかりらしく、大皿からはほかほかと湯気が立ち昇っている。

 湯気と一緒に昇る香りは、茄子と豚肉に絡まる、少し焦げたお味噌。仕上げにパラパラと降りかけられた胡麻の香ばしい匂いも相まって、めちゃくちゃ食欲をそそる。


「それじゃぁ、いただきま~す」

 小さく手を合わせて、晴香先輩がまずは一口。あーん、と思った以上に大きい塊を口に運んで……——

「ん~!ふぉいひ~い!」

 目をまぁるく見開いて、感嘆の声を漏らした。


「そうでしょう、そうでしょう?今が旬の茄子をたっぷりと使ってますしね。炊きたてのご飯にもきっと合いますよ!ささ、ご飯もどうぞ!」

「たふぃかに~、でも高野ふぁん~、ひょっとまっふぇ……むぐ」

 晴香先輩は口元に手を添えながら、目を潤ませる。どうやら、茄子がめちゃくちゃ熱かったみたい。


 ———でも、すっごく美味しそう。


「晴香先輩、あたしも食べていいですか」

「うん、どうぞぉ~。熱いから気を付けてねぇ~?」

「分かってまーす」

 そうは言っても、いい匂いに我慢が出来ない。あたしは二つ返事で、大きく一口頬張った。


 ―――あ、っつ!!


 思わず涙目で頭上を仰ぐ。

 じゅわっと味を染み込ませていた茄子がほんっとうに美味しいんだけど、めっちゃ熱い!


「も~だから言ったのに~」

「んっ、ふぇんふぁいに(先輩に)、いわれふぁくありまふぇん(言われたくありません)!」



 さて、そこのお客様、“茄子と豚肉の味噌炒め”、賄いではありましたが、裏メニューとして如何でしょう。夏にぴったり、旬とスタミナを兼ね備えた一品です。 味噌と胡麻かおる味付けには、やみ付きになること間違いなし☆

 (ただし食欲をそそる匂いのせいで火傷をしても、一切責任は負いません)

                       ―――ホール担当・石山&関

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