11品目:高野さんと夏らしい一品 / 1

「おっはよーございまーす!」

 着替えを終えタイムカードを切った後、あたしはまず厨房へと顔を出した。厨房では、高野さんが黙々と料理の仕込みをしている。


「高野さん、おはようございます!」

「あ、関さん。おはようございます」

 仕込みの手を止めて、高野さんが顔を上げた。今日もいつも通り、黒縁眼鏡にマスクのスタイルだ。

 『白虎』で働き始めて三ヶ月になるけど、あたしは未だに高野さんの素顔を見たことはない。当然だけど男女で更衣室が別々だからチャンスが少ないってのはある。でも、高野さんは退勤して帰るときだって、絶対マスクを外してくれないんだもん。まるであの、有名な少年漫画に出てくる忍者の先生みたいな徹底した隠しぶりだなって思う。


 冷房が効いているとはいえ、夏場のマスクってめちゃくちゃ蒸し暑い気分になりそうなもんだけどなぁ。

 

 そんな事を思いながら、あたしは高野さんの側に寄った。

 仕込み途中の高野さんの脇には、水色の小鉢が綺麗に並べられている。きっと、今日の宴会で使う先付けだ。そして高野さんの手元には、あたしの大好きな塩昆布……と、それはもしかしてゴーヤ?


「ゴーヤ、使うんですか?」

 思わず尋ねた。旬の物だけど、ゴーヤって炒め物のイメージしかない。

「ああ、そうなんです。本社の取引先が良いゴーヤを仕入れてきたみたいで。店長と話して、折角なので宴会に使ってみようかってことになったんですよ」

 そう言いながら、高野さんは慣れた手つきで薄くスライスしたゴーヤと塩昆布をボウルに入れていく。

「でも、ゴーヤチャンプルはベタすぎるかなぁと思いまして」

「あー……。確かに、ベタですね」


 小さい頃、お母さんがゴーヤチャンプルを作ってくれたことがある。お父さんが「美味い美味い」って言いながら食べていたから、あたしも食べたいと手を伸ばした。大皿にのったキラキラした緑色のゴーヤとふっくらした卵の黄色、炒めた豚肉が、幼いあたしの目には凄い料理に見えたんだと思う。

 結果はまあ、もう要らないと誓ったくらいにはゴーヤの苦さに撃沈したんだけどね……。



 だから、ゴーヤなんて久しく食べてない。当然、先付けにできるゴーヤ料理なんて予想もつかない。


「高野さん」

「はい?」

「ゴーヤと塩昆布って、合うんですか?あんまり聞いたことなくって」


「そうですね、中々見ない料理かもしれないですね」

 ボウルの中のゴーヤと塩昆布を丁寧に混ぜながら、高野さんは口元を綻ばせた。

「でも、今回の先付けは浅漬けなんです」

「あ、浅漬け!?」

 まさかの答えに、あたしは目を丸くした。だって、浅漬けってもっとこう––––––白菜とか、ナスとか、いわゆる“お新香”って呼ばれるようなやつじゃないっけ。塩昆布に関しては、通常メニューに“胡瓜の塩昆布和え”があるから、何となくさっぱりとしたお酒のあてになるのは分かるんだけど。ゴーヤのお漬物だなんて、聞いた事ない。


「このゴーヤは、予め塩で揉んであるんです」

 眼鏡の奥の一重を柔らかく細めて、高野さんは続けた。

「薄くスライスしてあるからさっと茹でるだけで十分ですし、軽く揉んだだけで味も染みてくれるんです。塩昆布との相性も中々ですよ。」

「へぇ……」

「そうだ。折角なので、はい。どうぞ」

「!」

 はい、と言って差し出されたのは、ひとつまみの“ゴーヤと塩昆布の浅漬け”。つやつやとした緑色に、柔らかく溶けた塩昆布が程よく絡んでいる。

 

 思わず、ごくん、と唾を飲み込んだ。


「貰って良いんですか……?」

「はい。ぜひ、味見して下さい」

「あ、ありがとうございます……」

 誘われるがまま、右手を差し出す。高野さんはもう一度、「はい、どうぞ」と言いながらちょこんと浅漬けをのせてくれた。


 右手の平にのせられた浅漬けに、あたしはそっと顔を近づけた。

 間近で見ると、尚のことゴーヤの瑞々しさが際立つ。ごつごつした突起は本当に綺麗な濃緑。ぎゅっと締まった薄緑の身は、水気に溶けた塩昆布の色と混ざって良い感じ。


 爽やかな香りが、鼻腔に満ちた。


「いただきます」

 高野さんにじっと見つめられながら、あたしはゆっくりと浅漬けに口をつける。冷んやりと、そしてしっとりとした感触。口に含めば、それはたちまち解けていく。

「んっ!」

 解けた浅漬けからは、少し甘い塩っ辛さが舌の上に広がった。ゴーヤは柔らかくてもまだシャッキリとした食感を残している。


 美味しすぎる。

 初めて食べたけど、ゴーヤのお漬物なんて知らなかったけど、これは美味しすぎる!!

 

 右手にのせてもらった浅漬けは、あっという間になくなった。



「お、わか。おはよう」

 口に残った旨味を堪能していると、森内先輩がひょいと顔を出した。慌てて、最後の一欠片を飲み込む。

「何食ってんの?」

「あ、ええと……」

「今日の宴会の先付けを、関さんに味見してもらってたんです」

 焦るあたしの代わりに、高野さんが説明してくれた。


「え、ずりぃ」

「良かったら森内くんもどうぞ」

 そう言って、高野さんは再び浅漬けをひとつまみ、先輩に差し出す。


「ん?ゴーヤ?」

 差し出された浅漬けに、案の定、森内先輩は首を傾げた。––––––これはあたしの出番。


「森内先輩。騙されたと思って食べてみてください!ゴーヤはゴーヤチャンプルだけの食材じゃないんですよっ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る