9品目:子犬の同期くん / 2

 さて、と。

 

 生ビールを持って提供に向かった山くんの背中を見送ってから、あたしは厨房の奥で休憩を取っている森内先輩に声をかけた。厨房の奥にはちょっとした机と椅子が設えてあって、専らスタッフの休憩&お喋りスペースになっている。




「森内先輩、ちょっといいですか」

「ん?」


 大盛りの白米をかきこんでいた森内先輩は、あたしの声に顔を上げた。その拍子に、先輩の体躯に隠れていた賄いがちらりと見える。

 あ、今日の賄いはサバ味噌定食なんだ。サバの味噌煮に、メニューにもある根菜の煮物に、ご飯とお味噌汁。賄いは毎日厨房担当の人が作ってくれるんだけど、これがなかなか絶品なんだよね。



「休憩中にすみません、ちょっと聞きたいことがあって」

 ごめんなさいとか言いながら、遠慮する気は更々ない。

「あの、さっきの山くんのことなんですけど」

「あー……あの、困った客か」

 あたしの社交辞令的な謝罪には気がつくこともなく、森内先輩は箸を進めながら眉間に皺を寄せた。強面の顔が、益々険しい戦士のような表情になる。


「困った客、ですか」

「そうだな、何か面倒臭い感じだな……完全に山のことを揶揄ってるし。ん、サバ味噌美味ぇ」



 ふっくらとしたサバの身を解して、濃厚な味噌ダレにつける森内先輩。とろっとろの味噌の匂いがあたしの方まで漂ってきて、––––うう、バイト中の飯テロは結構辛い。



「ちょっと、あたしホールに出て見てきてもいいですか」

 幸い、今はそんなに混んでいないから注文もあまり飛んでこない。てか、ここにいるとサバ味噌の匂いでしんどいし。


 森内先輩は、再び白米をかきこみながら頷いた。

「いいよ、俺もあのは苦手だから頼むわ」

「はーい。––––えっ、女性客なんですか」

「ああ、そうだぞ。言ってなかったか」

「言ってないです」


 てっきり、面倒臭い酔っ払いのおじさんかと思ってた。

 でも、女性客なら、確かに山くんを揶揄うとかあり得る。だってあんなに子犬なんだもん。年下好きとか、弱気になりやすい草食系男子好きのお姉さんオバさんの類に引っかかっているのは可能性として十二分。


「とにかく、行ってみます」

「ああ、頼んだぞ、

 味噌汁をずずずと飲みながら手を振る森内先輩を無視して、あたしはホールに出た。もう、先輩の呼びを訂正するのは面倒臭かった。




 * * *




 ホールに出たら、山くんの言っていた困ったお客様は一目で分かった。

 なぜなら、そのお客様の側を通る時だけ山くんの表情が強張っていたし、なんならその側のテーブルに注文を取りに行くのを避けている感じがあったからね。


 そこは頑張れよ、と思うんだけど、まぁ気弱な子犬ちゃんだから仕方がない。




 あたしはホールの様子を見て回るフリをしながら、何気なくお客様の側へ近寄った。


 お客様は二人組の女性客で、ちょっと年増。

 若作りのつもりなのか、二人とも明るく色を抜いた髪をグルングルンに巻いて、これまた激しいくらいに濃い化粧。美への拘りは人それぞれだと思うけれど、ハッキリ言って似合っていない。

 もう少し上品な、大人の女性らしさが際立つメークの方が、色気も出るしいいと思うんだけどなぁ。


 ––––––あぁ、しかも確かに


 近寄ってみて、森内先輩が言っていた意味を理解した。

 化粧も髪型も去ることながら、香水の匂いがキツすぎるんだ。



 電車の中や化粧品売り場で、香水きついなって感じた経験は誰しもあるはず。

 人には似合う香りと似合わない香りがあるのは勿論、香料が強すぎるとそれは刺激物にしかならない。女性は化粧品や香水を好んで使う人が多いから、ある程度の香りは許容できるかもしれない。でも、男性は強い人工的な香りは好まない傾向にある。どちらかというと自然な、ふわっと香るくらいを好むものだ。


 この二人の香水は、明らかに強すぎる。女のあたしですら、高野さんみたいにマスクで顔を覆いたくなるんだから。

 さて、どうしようかな……。


 すると、片方の人が空いたジョッキを持ってこちらを振り向いた。



「ね〜ちょっと、山田く〜ん」

 近くにいるあたしのことをガン無視して、彼女は山くんの名前を呼ぶ。とろんとした瞳に、ねちっこく甘ったるい声。なるほど、本当に

「山田クンってば〜」

 もう一人も加わって山くんの名前を呼んだ。


 ちら、と当の本人を見れば、強張った顔をしてこちらを凝視している。––––いや、怖いなら早く厨房にでも引っ込みなさいよ。


「山田くん〜〜」

 三度目のお呼びがかかったところで、あたしは山くんに声をかけた。

「山くん、厨房で先輩が呼んでたよ」

 もちろん、真っ赤な嘘だ。

「早く行っといで、注文はあたしが受けるから」

 

 そう言うと、山くんは凝視したままの瞳を見開いて、こくこくっと小刻みに頷いた。そのまま、一目散に厨房へと帰っていく。

 そう、そうやって初めから頼っとけばいいのよ。



 まったく子犬は手がかかるんだから、なんて内心で溜息を吐きながら、あたしは二人に歩み寄った。

「え〜、山くん行っちゃった〜」

「も〜なんで〜?」

 

 ––––––残念でしたお客様、これからはあたしがお相手です。

 

「お客様、お伺い致します」

 そう言ってにっこり微笑む。女性客相手に十八番は通じないことが多いけれど、仏頂面よりはマシだろうから。

 それでも二人は、あからさまに口を尖らせた。

「ね〜、山田くん呼んできてよ」

「そ〜そ〜」



 大方、絡み酒に戸惑う山くんが面白可笑しくて可愛いとか思ってるんだろう。あたしからすれば、山くんの何がそんなに心を擽るのか理解できない。できないしする必要もないが、ここは子犬のブリーダーとして何とかしてあげようじゃないの。



 もわもわと漂ってくる香水の匂いに辟易しながらも、あたしはもう一度にっこりと微笑んで見せた。

「申し訳ありません、山田くんは厨房で呼ばれていまして」

「え〜?」

「私でよければ、お飲物お持ち致しますよ?そういえば、お客様方のにぴったりの美味しいワインがあるんです。香りも味もフルーティーで、女性のお客様方から大変好評で」


 酔った二人が、こっそり込めた皮肉に気がつく筈はない。

 ちらりとテーブルの上の皿を確認して––––なるほど、もうほとんど料理は食べて〆も終わってる感じね––––あたしは続ける。


「デザートのミルクアイスとの相性も抜群です。数口分の可愛らしいアイスなのですが、いかがでしょうか?今ならきっと、厨房にいる山田くんがアイスを盛ってくれるかもしれませんし……」


 ミルクアイスは本当だが、厨房には厨房担当の高野さんがいるから、山くんがアイスを盛るなんてことは絶対にない。

 が、お客様には見えないのでバレる筈もない。


 最後に言った、山田くんワードがどうやら功を奏したみたいだ。

 

「そうなの〜?じゃ、デザートとグラスワイン、貰おうかな〜」

「山田クンによろしく言っといて〜」

 そう言った二人は蕩けた表情で、空いたジョッキを渡してくれた。

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