いらっしゃいませの章 ーーバイトはじめは、覚えることがたくさんあるみたいーー
1品目:開店前の戦争
PM16:25
開店の半刻前から、薄暗い店内では既に激しい攻防が繰り広げられている。何が、というのは自ずとわかるだろうけど––––敢えて言うならば、迫り来る時間との攻防戦。
大げさだねって?いや、そうでもないよ。あたしが間違ってないってことは、店内に踏み込めば納得すると思う。
勤怠を打刻して、あたしは小走りに店裏のロッカールームへと向かった。
パリッとした白いブラウスに黒いズボン、そして黒いエプロンを腰に巻く。伸びてきたセミロングの髪は、色々と邪魔だから後ろで軽く一つ結び。––––ここまで約五分。
さっと着替えを済ませ、あたしも戦列に加わった。
PM16:30
「厨房、宴会の仕込み終わってるか!」
「後は揚げ物の下準備で終わりです!」
「よし、そのまま終わらせて!」
「了解です!」
レジから飛んできた店長の声に、厨房リーダー:高野さんは黒縁眼鏡をくいっとあげて返事をした。すらっとした細身長身のイケメンなのに、厨房だからマスクで顔を隠しているのがものすごく残念。それで眼鏡が曇って目が見えなくなるのはもっと残念。
接客に回れば、絶対ファンが付くと思うんだけど。
そんなことを考えながら、隅っこの手洗い場で入念に手を洗う。
“何をするにもまず手洗い、必ず一分は洗うこと!”––––そう謳われた張り紙に内心謝りつつ、あたしは三十秒くらいで水栓を捻った。
幸い、店長はこっちなんて微塵も見ていない。
後藤店長は、今度は今日のホールリーダー:森内先輩に声をかける。
「森内、宴会席のセットは終わったか!」
「はいッ!後は伝票の立ち上げだけですッ!」
「よし、じゃあ洗い場の手伝いと店前の掃除を頼む!」
「わかりましたッ!!」
森内先輩、めちゃくちゃいい返事。
フリーター一年目の森内先輩は、ちょっと(ていうか大分)強面でガタイがいい。初日に「ラグビーでもやってたんですか?」って聞いてみたら、「よく言われるけどやってない」って。でもよく言われる、ってことから想像できると思う。屈強な戦士感がすごい。
高野さんとは対照的で––––やっぱ厨房とホール、逆じゃない?
そんな疑問は押し殺して、あたしは森内先輩に近づいた。
「おはようございます、先輩」
にっこり、満面の笑み。
「おう!おはようッ!」
あたしに気づいた森内先輩も、にっこり––––にっこり?笑った。強面の笑顔ってちょっと怖い。
「先輩、あたし何かお手伝いしましょーか」
「そうだな!じゃ、店前掃いてきてくれるか!」
そう言って、森内先輩が箒と塵取りを手渡してきた。
「はーい、わかりました」
「頼んだぞ、わか!!」
「いや、そこまで言うなら“ば”まで入れて呼んでくださいよ……」
「ん?どうかしたか?」
「や、何でもありませーん!いってきまーす」
自己紹介をしてから何故かわか呼びの先輩に背を向ける。
別に何て呼ばれてもいいけど––––“ば”抜きする人、中々いなくない?
まぁでも、屈強な戦士の先輩に口答えなんてする気は無い。あたしは大人しく掃除をしに向かった。
PM16:55
全ての準備を終え、いよいよ開店五分前。
あたしはエプロンのポケットにハンディ(注文を打ち込む機械ね)を突っ込んだ。
森内先輩がラジカセの電源を入れて––––ミュージック、スタート。今日のチョイスはジャズらしい。和食居酒屋の雰囲気にはちょっと合わない、洒落た音楽が店内に流れ始める。
「さぁ!開店だ!」
「「「はい!!!!」」」
後藤店長の掛け声に、野太い声高い声か細い声––––みんなの返事が重なった。
開店前、第一次攻防戦。結果はあたしたちの競り勝ちで幕を下ろした。
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