いらっしゃいませ、こんばんは!

織音りお

はじまりのはじまり ーー初入店は面接でしたーー

序:とりあえず、バイトに応募してみました。

「鶴美女子大学……へぇ、すごいね」

 

 使い込まれた木机を挟んで向かい側。白い調理着に“後藤”のネームプレートを付けた男性は感嘆の声を漏らした。

 数時間前、授業終わりに慌てて作り上げたあたしの履歴書に目を落とし、ふんふんとしきりに頷いている。そのリズミカルな頭の動きは、希望的観測だけど多分悪い意味じゃない。即席なれど完璧な履歴書に、非の打ち所なんてないはずだもん。

 


 あたしはゆっくりと息を吸って、くるりと店内を見渡した。

 昼営業を終え照明の落とされた店内は、時折換気扇の軋む音が聞こえる他は静かで、ひんやりとした空気に包まれている。初夏とはいえ、夏用スーツ一枚だと少し肌寒い。そもそも居酒屋バイトの面接にスーツなんて着る意味なかったかな。



「鶴美女子って、お嬢様大学だよね」

 ふいに顔を上げ、後藤さん、は口元を綻ばせた(あたしにはそれがニヤついているように見えるんだけど)。顎にちょびヒゲを生やして、多分年齢は三十五、六歳ってところかな。

「俺が若い頃もよく言われてたよ」

「そうですね。お嬢様がどうかは分かりませんが、良い子は多いと思います」


 あたしの通う鶴見女子大学は、世間一般からみれば知名度の高い大学だ。古くからの伝統もあってか、未だに良家の子女が通っているというイメージがあるらしい。あたしは全然、そんなんじゃないけど。


「いやーすごいな、みんな育ちいいんじゃない?」

 いや、あたしの知る限りではみんなフツーの、ごくごくフツーのイマドキ女子大生なんだけど––––––喉のそこまで出かかった言葉をぐっと飲み込んで、あたしは曖昧に微笑み返した。



 

 さて、一体、あたしは何をしているのかというと。


 履歴書・スーツ・営業後の店舗での面談、の三つで大抵の人はお分かりだとは思うが、一応説明してみると“今年の春に上京してきた大学一年生が一人暮らしと大学に慣れそろそろ生活費に困り出したので働いてみようと決心しバイト応募のアプリで目に止まった飲食店でのバイト面接にやってきた”、というわけだ。


 ちなみに、あたしの名前は関わかば。十九歳。ついこの間のゴールデンウイークに誕生日を迎えたばかり。血液型はO型だけど、性格は……自分でもよく分からない。友達からは「わかばって何人いるの」と言われるくらい、人によって接し方の振り幅がありすぎるからだと思う。だからって八方美人って感じでもなくて、ただ単にあたしには色んな顔があるだけだ。多分。




 それで、あたしの初バイト面接は受かるんだろうか?

 高校までは勉強と部活ばっかで、バイトなんてしたことない。面接だって高校受験ぶり。初対面の印象は、きっと悪くなかったと思うけど。


「じゃあ、早速なんだけど……」

 後藤さんが口を開いた。ちょっとだけ緊張が走って、背筋がピンと伸びる。

 大丈夫。応募したの、居酒屋だもん。めちゃくちゃ有名でバイトの応募が殺到してる某カフェなら面接落ちなんてあり得るけど、ここは違うでしょ。若くて有望そうなあたしを落とすようなとこじゃない。


 内心でそんなことを思われてるとはつゆ知らず、後藤さんは何やら大きな紙を取り出した。よくよく見れば、今月の日付が全部と、知らない名前がたくさん並んで表のようになっている。

 後藤さんは、その一番下にあたしの苗字“関”を書き加えた。


「関さん」

「はい!」

「次なんだけど、いつ入れそう?」



 ––––––ん?



「ええと、あの……次、というのは?」

「ん?」

 今度は後藤さんが首を傾げた。いや、それ、あたしの方だから。

 けど頭の良いあたしには、なんとなーく紙の意味が分かった気がしたから、恐る恐る尋ねてみる。

「もしかして、面接には受かってるんですか?」

 その質問に後藤さんは、パチパチ、と目を瞬かせて––––ああ!と合点がいったような顔をした。そして口元を綻ばせて(まあニヤついてるように見えるんだけどね)、大きく頷く。


「もちろん!うちで働いてよ!」

 ––––––それならとりあえずそう言ってよ!と言いたいところをグッと堪えて、あたしは精一杯嬉しそうな表情を作った。

「ありがとうございます!よろしくお願いします」

 にっこり、柔らかく微笑むのも忘れちゃいけない。初対面の大人にはあくまで素直に、純情に、女の子らしく。これぞあたしの十八番だ。


「うん。だからさ、次入れる日を教えてよ。シフト組んじゃうから」

「あ、はい!」

「いきなり金曜日はキツいかもだから、他の平日からがいいかなと思うんだけど、どう?」


 ––––––あれ、十八番、そんなに意味なかった?


 まあいっか。難なく、バイト面接も初対面の売り込みもクリアしたんだから。

「そうですね。それなら、17日か20日がいいかなと思うのですが……」

 手帳を出して、空いている日を提示してみる。もしかしたらと思って、来週は他の予定を控えていて良かった。

「あ、じゃあ17日の火曜日にしよう」

「はい!」


 あっさり、初出勤日が決まった。









 その後のことは、まあ、追い追い話すとして。

 とりあえず、この日。5月13日金曜日。


 時給と近さと適度なゆるさに釣られて応募した居酒屋、『白虎』でのあたしのバイト生活が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る