5品目:今日はヤマなんです!

 更衣室の鏡を見ながら、丁寧に髪をとかす。大学入学前にボブくらいまで切ったダークブラウンの髪は、もう肩を越した。肩についた髪は結びなさいよってルールだから、仕方なく後ろで一つに括っておく。

 その時、ガチャリと鍵が開く音がした。


「おはようございます!」

「わかばちゃん、おはよ〜」

 のんびりした声で更衣室に入ってきたのは、同じバイトの石山晴香先輩。ツヤのある黒髪ボブにナチュラルメーク、いかにも癒し系の先輩だ。

 あたしが初めてシフトに入った日もお店にいて、手取り足取り色々教えてくれた優しいひと。会ってまだ一ヶ月だが、あたしは晴香先輩が大好きになりつつある。



「晴香先輩、今日ってどうですかね?」

 何がどうかって、お客様の入りの話だ。

「どうだろうね〜そこそこ多いんじゃないかな〜?」

「そっかぁ……」

「仕方ないよ、華金だもんね〜」

 薄いピンクのリップを塗りながら、晴香先輩はふふっと笑う。

「でもわかばちゃん、もう慣れてきたから大丈夫だよ〜」

「そんな、まだまだですよ!」

「え〜?だってもう、完璧でしょ。接客もレジ打ちも。この前、一人でレジやってるの見てたんだからね〜」

 いたずらっぽく微笑む晴香先輩。その笑顔に、やばい、惚れた。

「じゃ、一緒いこっか〜」

「はーい」

 可愛くて、優しくて、しかもさり気なく見ててくれる先輩って最高。出勤前にちょっぴり幸せな気持ちになりながら、あたしは晴香先輩とお店に向かった。




 * * *




 店内は、ほぼ満席というぐらい混み合っていた。流石は華金だ。

「いらっしゃいませ、こんばんは!」

 レジで予約客を捌いている店長の顔は––––あぁ、そうですよね、お客様の入り具合にホクホクニヤニヤですよね。

 いつもニヤついている頰が、今日は更にだらしなく緩んでいる。


「店長、おはようございま〜す」

「おはよう!石山さん、関さん、早くハンディ取って接客にいって!––––あ、ご予約のお客様ですね、只今ご案内致します––––ほら、二人ともご案内ご案内!」

 あたしたちの方なんか省みず、店長は次々ご来店するお客様の対応に追われている。

「は〜い、わかりました〜。じゃあ四名様、こちらにどうぞ〜」

「はーい、お次の二名様ご案内します」

 あたしと晴香先輩はレジの棚からハンディを取り出して、それぞれお客様を案内することにした。



 あたしが案内したお客様は、初老のおじさん二人組。スーツと靴はちょっとくたびれているけど、にこにこと愛想が良いお客様だ。


 予約席まで案内して、いつものようにおしぼりと伝票札を置く。

「それでは、ご注文が決まりましたら……」

「あ、お姉さん」

 機械的な文句を口に立ち去ろうとしたら、グレースーツのおじさんが軽く手を挙げた。

「先にア○ヒの瓶ビール頂戴。グラス二つね」

「あ、はい、かしこまりました」

「じゃあお新香と、本日の刺身三種も」

 今度はこげ茶スーツのおじさんが、便乗して手を挙げる。


 お新香も本日の刺身三種も、店内の壁に『オススメメニュー』として掲げてあるものだ。

 お新香は普段からスピード一品メニューとして載っているが、本日の刺身三種は旬のお魚が使われている季節限定メニュー。確か六月は、赤身とイサキとアオリイカだったはず。



 まぁ、なんていうどこぞの人たちに比べれば、随分分かりやすく簡潔な注文だから問題ないけどね。



 ピピピ、と手元のハンディを滑らかに操作して、飲み物の欄からア○ヒの瓶ビール一本グラス二つを選択。続いてスピード一品の欄からお新香、お魚の欄から本日の刺身三種を追加する。あぁそうだ、席代としてのお通し二つも忘れちゃいけないんだっけ。

「えーと……他のご注文はございませんか?」

「うん、とりあえずそれでいいよ」

「かしこまりました、少々お待ち下さい」

 ハンディをパタンと閉じてポケットにしまう。軽く会釈をして、今度こそあたしは席を離れた。




 * * *




「え〜、嘘でしょ〜」

 厨房に戻ると、一足先にお客様の案内を終えていた晴香先輩がげんなりした顔をしている。

「晴香先輩、どうしたんですか?」

「あ、わかばちゃん、もぉ聞いてよ〜」

 あたしを見るなり、晴香先輩はあたしの肩に寄りかかるように抱きついてきた。その拍子に髪の毛からほんわり甘い匂いが広がって、やばい、あたし本格的に惚れそう。


 じゃなくて、


「一体何があったんですか?」

 そう尋ねると、晴香先輩よりも先に厨房担当:高野さんが答えてくれた。

「石山さんが取ってきた、今日のオススメのアオリイカの天婦羅なんだけど、さっきになっちゃったんですよね」

「もう、それ、先に言ってよね〜!お客さんに謝りに行くの、私なんだから〜」

 泣きそうな声になりながら、晴香先輩は一層力を込めて抱きついてくる。


 というのは、簡単に言うと品切れ状態のことだ。ケーキ屋さんで人気のケーキが売り切れになるように、居酒屋でもその日の注文状況によって提供できなくなる料理が出る。特に華金で来店数も多い今日、仕入れの少ないものからになっていくのは仕方ない。

 そして、となった品を注文したお客様に謝りにいくのも、あたしたちホールのお役目だった。



 ––––––あれ、でも待てよ、アオリイカ……?



「あの、高野さん」

 いやーな予感がしたので、恐る恐る高野さんに尋ねる。

「ん?関さん、どうしました?」

「本日の刺身三種って……」


 ええと、六月のお魚は赤身とイサキと……––––


「あ、本当ですね。アオリイカがないので、それもでお願いします」




 今度は、あたしが晴香先輩に抱きつく番だった。

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