4品目:おしぼりは偉大

「あのー」

「あっ、いらしゃいませこんばんは!」

 予約も少なく、比較的ヒマな六月の火曜日。店内に流れるジャズを聴き流しながらボーッと立っていたところに、若いカップルが現れた。見た感じ、どちらも二十代半ばだろうか。


「あ、あの、予約したナカノですが……」

 薄い長袖シャツにジーンズを合わせた華奢な彼氏さんは、何故か少し不安気だ。

「ナカノ様ですね、少々お待ち下さい」

 レジ前に貼られた予約表に目を通すと––––あ、あった。19時30分からナカノ様二名、喫煙席希望。

「お席にご案内いたしますね」

 そう言うと、ナカノさんはあからさまにホッと安堵した表情になった。


 何でこんなにおどおどしてるんだろ?隣に立つ彼女さんが、ナカノさんよりも数センチは高くて余りにもモデル体型の美人さんだから?もしかしたら、カップルじゃなくてその手前の微妙な時期だったりして……なぁんて、脳内で勝手なことを考えてしまう。

 それが割と楽しいんだけどね。



「ご予約のナカノ様、ご来店でーす」

「「いらっしゃいませーッ!!」」

 店内中に聞こえる声を出すと、これまた店内から一斉に、元気な「いらっしゃいませ」が返ってきた。行き届いた教育の成果に、後藤店長のニヤついた顔が目に見えるようだ。

 お客様のご来店にはみんなでいらっしゃいませ、退店にはありがとうございましたを徹底すること––––社長から下された、今月の月間目標とかいうやつらしい。徹底も何も、何遍も言えば最早反射で出てくるものだ。誰かの「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」が聞こえたら、即座に真似っこする。まるでオウムだわ。


「こちらの席になりますね」

 一足先に予約席までついて振り返ると、ナカノさんは店内の活気にびくびくしながら着いてきていた。彼女さんとの空気も、何だかどことなくぎこちない。

 ほら、しゃんとして彼女さんをエスコートしなさいよ、なんて余計なお世話か。てか、彼女じゃなかったらごめんねナカノさん。

「只今おしぼりお持ちしますね」

 そう言い残して、あたしは一旦場を離れることにした。




 * * *

 



「お待たせいたしました、おしぼりです」

 一度厨房に引っ込んで、初夏から夏の間は冷やしているおしぼりを持ってくると、ナカノさんたちは先程までのぎこちなさが嘘のように和やかに笑い合っていた。

 何だ、結局仲いいんじゃない。心配して損しちゃった。


 ここは折角なので、普段は机に放り投げる––––じゃなかった、机に置くおしぼりを直に渡してあげることにする。くるくると巻かれたおしぼりを丁寧に広げ帯状にして、差し出された手のひらにそっと乗せる。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 するとナカノさんは、また少しおどおどした表情に戻っておしぼりを受け取った。––––––は?おい、和やかな表情、どこいった!


 え?何、もしかしてあたしがダメな感じ?


 それはちょっと胸が痛むなぁなんて思いつつ、今度は彼女さん……かどうか分からないけれど美人な女性におしぼりを渡す。

「はい、どうぞー」

「ありがとうございます」

 こちらは流石、隙のない美しい微笑みが返ってくる。女のあたしでもちょっと惚れそうなくらいの美人。差し出された手は細くて艶っぽく、右手の薬指にはシルバーのシンプルな指輪が嵌っていた。


 美人な彼女さん(ということにしておく)はおしぼりを受け取ると、その瞬間わぁ!と歓声をあげた。

「このおしぼり、とってもいい香りがしますよ、さん!」

「え、そうなんですか?」

 ナカノさん改めケントさんも、恐る恐るおしぼりを鼻に近づける。と、おどおどしていた瞳がくるりと丸くなった。

「ほんとだ、柑橘系の香りですね……!」

「爽やかでいい香り!」


 二人が感動しているところに、あたしはにっこりと微笑む。


「この季節は、少しでもお客様に涼しんでもらおうと思いまして。おしぼりには柑橘系の香りを少しつけてご提供しております」

 ––––––これも後藤店長の教育にあったテンプレなんだけど、まぁ嘘は言っていない。贔屓目にみても、確かに今のおしぼりはいい香りだからね。


「そうなんですね……!」

「早速お料理頼みましょうよ、ケントさん」

「はい!」


 再び和やかな雰囲気になった二人に、あたしもちょっと嬉しくなる。




 こうしていい香りでカップルを和ませたり、汗を掻いたおじさんたちには冷たさで喜ばれたり。何か零せば拭く物になって、熱いお皿や鍋の蓋を掴む役割だって果たせちゃう。



 おしぼりって、意外と偉大だったりするんだなぁなんて、そんなことを思った夜だった。

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