第3話

 

 メッセージのやり取りで、今週末に実力テストがある事を聞かされた。 

 その事を一緒に国語の勉強をしていたアヴさんに話したのだが……。


 「三つの……科目、のうち、数学と……English、二つの科目は今からいっしょに勉強しましょう」


 アヴさんは国語の教科書以外にも、くるみから小学校、中学校の教科書を貰っていた。

 中学三年の教科書は、僕の部屋で眠っていた物をお母さんが持って来てくれたのだそうだ。

 コナちゃんの勉強の為みたいなのだが、アヴさんも一通り目を通していたみたいだ。


 「さいしょは日本語で書かれているところが、……理解、できませんでした。……でも、ほとんど読める今なら、数学もEnglishも理解できます」


 ……アヴさんの頭の中は一体どうなっているんだ? と本気で思ったので詳しく話を聞くと、アヴさんから色々な話を聞く事が出来た。

 アヴさんは自分達の村と近隣の村の子供達に、勉強を教える先生になりたかったのだそうだ。

 何とか教材は手に入れて、只管独学で勉強を続けていたけど、村には学校すらない状況。

 国の大学へ進学したかったのだけど、家にはそんなお金もない。

 自分の力ではどうする事も出来ない状況の中、四ツ橋誠の配下に攫われてしまったのだそうだ。


 「わたし、新しいもくひょうができました。日本の、日本の学校に行ってみたい……です。そして、そして願いがかなうのなら、日本の大学に……行きたい」


 アヴさんは申し訳なさそうに俯き加減になりつつも、その瞳をキラキラと輝かせていた。


 学校に行きたい。


 この言葉が僕の胸に深く突き刺さった。

 こんなにも学校に行きたくて、勉強がしたい人が居るのに、僕は家に引き籠っていた。

 その事を考えてしまうと、申し訳ない気持ちが溢れて来て、居たたまれなくてアヴさんの顔を見られなくなってしまった。


 ……そして気が付いた時には、雪乃さん直通携帯を握り締めていた。


 「どうしたタケル? 私は忙しいのだが――」

 「雪乃さんって大体何でも出来ますよね?」

 「急にどうしたのだ? ……まぁそうだな。タケルの攻略という人生最大の難関も、もうすぐクリア出来そうだしなー」

 「真面目な話で、雪乃さんの力で僕と同じ学校にアヴさんを入学させる事って可能ですか?」


 僕の問い掛けに、受話器の向こう側の雪乃さんは暫く無言になった。


 「……ままままぁ、ああアレだ。ででで出来るか出来ないか、で聞かれると、私が、が・ん・ば・れ・ば・出来ない事もないのだが、い、いやー、面倒なんだよなー、忙しいしなー、どうしようかなー」


 分かり易いくらいに欲望に忠実だな。

 一体僕に何をさせたいんだ? ……こっちから聞いてみるか。


 「……雪乃さんって一番好きな食べ物って何ですか?」

 「はぇ? た、食べ物? 牛筋カレーとか麻婆豆腐、サバの味噌煮なんか好きだぞ?」


 全然統一性がないな。……でもカレーくらいなら何とかなるかな?


 「……おい。まさか私をご飯で釣ろうなんて考えているのではないだろうな? 幾ら何でも、それは――」

 「カレーライス」

 「は?」

 「僕が人生で初めて料理するカレーライス。食べてみたくないですか?」

 「……」


 また無言になった雪乃さん。

 現在カレーライスを想像している最中だな? ……フフ、もう少しだ。


 「明日も雪乃さんは作業しているだろうし、その時は両手が塞がっているのだろうなー」

 「私のりょ、両手が塞がっている……」

 「カレーライスはアツアツだろうなー。冷まさないと舌を火傷しちゃうかなー」

 「私の両手が塞がっていて、冷まさないと舌を火傷……」


 ……よし、妄想力爆発中だな? 


 「材料さえ用意して貰えれば、明日にでも作りに行きますけど、……どうします?」

 「……しし、仕方がないなー。別にタケルが作った人参やジャガイモ達が不揃いで、尚且つアツアツのカレーライスを『アーン』と食べさせて欲しいからやるわけじゃないのだぞ? あくまでアヴの為を思って学校に行かせるだけだからな」 

 「有難うございまーす」


 直通携帯にお辞儀をしながら通話を終了した。


 「……あの、一体何を話ししていたのですか? 学校がどうとかって――」


 隣ではアヴさんが、僕の事を不思議そうな瞳で眺めていた。


 「ちょっと重要な駆け引きを……ね」

 「……カレーライスのお話が、ですか?」


 本当にアヴさんが学校に行けるのかどうかまだ分からないので、明日まで本当の事は内緒にしておこう。



 その後週末の学力テストに備えて、アヴさんから数学と英語を教えて貰う事になった。

 中学生の数学を一通り復習した後、英語の復習に取り掛かったのだが……。 


 「……アヴさんってさ、英語も話せるの?」

 「それが全然話せないの。村でも今までじしょと教科書だけで勉強してきたでしょ? でもぶんぽうやたんごは分かります。……はつおん? は自信ない……かな?」

 「僕は逆だ。話せるけど簡単な単語以外、読んだり書いたりが出来ないんだ」


 『多言語カリスマトーク』スキルのお陰なのだが、……パンダ語なんて理解出来なくてもいいから、読み書きが出来るようにして欲しかったな。


 「僕とアヴさん、ずっと二人揃っていればいいのになー」


 文法や単語が書けるアヴさんと、話せる僕。

 二人が揃っていれば英語には苦労しないよなー。


 何気なしに呟いただけなのだが、その瞬間に『パキン!』とアヴさんのシャーペンの芯が弾け飛んだ。 


 『いいい、今の言葉――いい今のこここ――』

 「どうしたの? 村の言葉に戻っているよ? ……アヴさん? もしもし?」


 このままアヴさんが一切動かなくなってしまったので、勉強会は強制終了となってしまった。


   




 「うー、寒っ」


 瞬間移動で昇降口近くのトイレの裏側に登校してくると、急激な冷え込みが身体を襲って来た。

 今日は一段と冷えるなー、と両手を擦り合わせながら下駄箱へと向かう。


 「おはよう、タケル君」

 「お、おはよう。美琴さん……」


 そこには既に校内用の上履きに履き替えている美琴さんが、少し背中を丸めて立っていた。


 「タケル君は今日もこの時間かなって思ったんだけれど、下駄箱見たら今日はまだ来ていないみたいだったし、ちょっとだけここで待ってみようかなーって」

 「そうだったんだ。寒い中待たせちゃったんだね」

 「そんな事ないよ? 私も今来たところだよ」

 「明日からは学校に到着する直前にメッセージを送ってよ。間に合うように来るから」


 こんな寒い中で待たせるわけにはいかないから。風邪引いちゃうよ。

 上履きに履き替え、二人並んで教室へと向かう。


 「うふふ、変なの。何だか家からすぐに来られるみたいな言い方だね」


 ……あ、しまった。 


 「い、い急いで走って来るっていう意味だよ?」

 「あはは、更に変なの。でも分かったわ。明日からは学校に到着する前にメッセージを送るね」


 ……何とか誤魔化せたみたいだな。

 教室へと向かう最中、実力テストが億劫だという話題になった。


 「笑わないでくれる? 僕、勉強全く駄目だからさ」

 「そんな、それは私のセリフよ! 私なんて『高校受かったー!』って中学の担任の先生に報告したら、『足立、幾ら積んだ?』って言われたのよ? もう信じらんない」

 「いやいや、それでも自力で合格したんでしょ? それだけでも凄いよ」

 「そうか。……タケル君は違ったのよね」

 「うん。児童保護プログラムってヤツ」


 児童保護プログラムの内容は口外するな、と誓約書にサインさせられているので内容までは話せない、という事も美琴さんと浩太君には話してある。


 「でも未だに信じられないなー。タケル君が不登校児だったなんてさー」

 「僕も未だに信じられないよ。美琴さんが幼女姿で狐耳、フサフサの狐尻尾姿だなんてさー」


 お尻を触るわけにはいかないので、代わりに狐耳が生えている場所付近のボブカットをチョンチョンっと指先で摘まんだ。


 「……もう」


 という言葉と同時に、美琴さんの拳が僕のボディーに突き刺さっていた。

 ……気の所為かもしれないが、ちょっと痛かった。



 「おはよう! ……加藤君」

 「……おはよう山田君。僕は大谷だよ」


 ……だ、大失敗だ。

 ただ一人登校していた大谷君の名前を、ステータスチェックせずに二分の一の確率で呼んでみたのだけど……外してしまった。逆だった。

 僕達よりも早く登校しているのは加藤君と大谷君だ、というところまでは覚えていたんだよな……。

 でもそれなら、加藤君はどうしたんだろう?


 「加藤君なら今日は休みだよ。風邪だってさ」


 風邪か……。登校してくれれば僕が治してあげるのになー。

 ……アレ? でも確か加藤君って――


 「ねぇ、確か加藤君って今日、新入生代表で挨拶するんじゃなかったかしら?」


 



 「――という訳で、誰か加藤君が読むはずだった原稿を、代わりに読んでくれないか?」


 教壇で手を合わせて頭を下げている筑波先生。

 対して教室に居るみんなからは反応がない。

 ……誰もやりたくないんだな。


 「浩太君、ヒーローになるチャンスだよ! ここで代表になってカッコイイところを見せれば、女子にもモテるんじゃないか?」

 「嫌だよ。何言っているんだ。僕が人前で原稿なんて読めるわけがないだろ?」


 前の席に座る浩太君をその気にさせようと煽ってみたのだが、失敗してしまった。

 ……ちょっと筑波先生? 何故僕を見るんですか? 


 頼むよ山田君! 代表で原稿を読んでくれるだけでいいからさ!


 筑波先生の瞳からこんな声が聞こえて来た。

 こんな特殊なスキルは所持していないはずなのだが……。

 仕方がない。昨日も『美琴さんと同じ委員会になれるように』ってお願い事を聞いて貰ったからな。 


 ……いいですよ。僕がその原稿読みますよ。


 有難う山田君!


 その代わり、昨日お願い事を聞いて貰った借りはもうなしですよ?


 うんうん、分かっているよ。本当に有難う!



 ……何故男同士で瞳で会話しなきゃならんのだ。


 筑波先生から原稿を受け取り、なくさないようにジャケットの内ポケットに仕舞った。

 そしてそんな僕達の様子を、クラスのみんなが不思議そうに眺めていた。



 体育館では既に上級生が整列していて、その中に僕達新入生が入場するみたいだ。

 こういう学校行事も僕は殆ど参加した事がないからとても新鮮だ。

 ……痴漢のオッサン共の所為で、入学式にも参加出来なかったからな。


 体育館の手前で整列させられ、少しの間待たされた。


 「くー、何だか緊張するなー!」


 僕の前で並んでいる浩太君が、今日もワックスでセットして来た、努力賞モノの髪の毛をチョイチョイと弄り始めた。

 ……何処に浩太君が緊張する要素があるのだろうか。


 そんな浩太君の様子を眺めていると、体育館から大勢の拍手が聞こえて来て、いよいよ僕達が入場する時が来たみたいだ。

 盛大な拍手が降り注ぐ中、男女二列で体育館へと入場する。

 僕の思い上がりかもしれないけど、僕が入場した瞬間に歓声がひと際大きくなったように感じる。

 A組から順番に入場して、F組までが全て入場を済ませると、今度は校長先生のお話が始まった。

 野球部や柔道部達と部活紹介の時に上がったステージで、新たな学園生活に向けての何たらかんたらと長い話をする校長先生。

 ……あのマイクがセットされている机みたいな場所に、原稿をセットすればいいんだな?

 

 校長先生のお話が漸く終わり、今度は三年生の生徒会長が呼ばれた。

 長い黒髪を弾ませ揚揚とステージへ上がる生徒会長の女性。



 ……お、織笠先輩って生徒会長だったのか。


 「新入生の皆様、〇✕高校へようこそ!」


 マイクを通して織笠先輩の声が体育館に響き渡る。

 中庭で話した時とは別人のようにハキハキとスピーチする織笠先輩。

 やっぱり生徒会長というだけあって、こういう挨拶とかは慣れているのかな?

 そして……僕の気の所為かもしれないけど、織笠先輩とチラチラと目が合う。

 浩太君だったら、『おお! 織笠先輩が僕の方を見てるぞ!』って言って騒ぎ始めるのかもしれないな。

 手でも振ってみるかとも考えたけど、僕の勘違いだったら恥ずかしいので止めておく事にした。


 「――生活にして行きましょう!」


 スピーチを終え笑顔のままステージを降りる織笠先輩。

 そして司会の方から、新入生代表としていよいよ僕の名前が呼ばれた。

 焦りや緊張といったものが皆無なのは、『神仏心』スキルのお陰だな。良い仕事してくれているぞ!

 おかしなテンションの歓声を一身に受け、ゆっくりとステージに上がる。

 深呼吸を一つ二つと交えて心を落ち着かせてから、マイクがセットされている机に筑波先生から受け取った原稿を広げた。


 ……あの、筑波先生? この原稿……白紙なんですけど?


 え、ナニコレ。最新型のイジメ?

 原稿をひっくり返してみても、やっぱり白紙。

 ステージ上で全校生徒六百人弱の視線を独占しているのだが……。


 さて、どうしたものか。

 

 登場シーンとはうって変わり、現在は静まり返っている体育館。

 普通ならパニックを起こす状況なのだが、僕の場合は違った。


 何故か心の奥から、自分が知らない感情が沸々と沸き上がって来ていた。

 何だこの気持ちは? お、抑えられないぞ? 


 白紙の原稿を折り畳み、ジャケットの内ポケットに仕舞い直した。


 「今日は僕達新入生の為に、対面式を開いて下さり有難う御座います」


 全くのアドリブでスピーチを始める。

 こういう時はアレだ、背筋を伸ばしてハキハキとそれっぽい事を言っていれば大丈夫なはずだ。

 しかしだ。何故か全然それっぽい言葉じゃなくて、……なんだろう、物凄くセリフっぽい言葉とか、ミュージカルっぽい言葉とかが頭に浮かんで来る。

 ルシファーなんかが好きそうな言葉だ。

 しかも手や体が今にも勝手に動き出してしまいそうだぞ! どうなっているんだ、コレ?


 「〇✕高校の生徒として新たな学園生活がスタート致しましたが、まだまだ不安な気持ちで一杯です」


 不安な部分を表現したいのか、自分の両肩を抱いてしまいたい衝動を必死に堪える。


 「学業について行けるのか、友人とは上手く過ごせるのか……。考え始めればキリがありません」


 し、鎮まれ! 僕の右腕! ……いや、中二病的な発言じゃなくて、本当に勝手に動いてしまいそうなんだって!


 「しかしここに居られる先輩方も、僕達と同じ気持ちでご入学され、今日まで過ごされた事と存じます」


 ヤバイ。眉尻とかが痙攣し始めた。

 さっきからウインクしそうなのを必死に我慢しているからだ。

 ……そう言えば部活紹介の時にも、ステージから降りる際に柄にもなくウインクしてたよな……。


 これってもしかして、『スーパースター』スキルの影響なんじゃね?

 だとするとなんて面倒なスキルなんだ。全く要らないぞ!


 「僕達では分からない時は素直に先輩方を頼り、教えを請いに伺います。そして先輩方のように来年、再来年に迎える新入生達の手本となれるような、立派な〇✕高校の生徒として成長すべく、日々努力を怠らず三年間を大切に過ごして行きたいと思います」


 もうちょっと、もうちょっとでシメだ。頑張れ僕の体! 頑張れ僕の精神!


 「先生方、先輩方、至らない僕達ですが、どうぞよろしくお願いします」


 よし乗り切ったぞ! ここで頭を下げればフィニッシュだ!




 ……と気を抜いたのが駄目だったのかな?

 頭を下げたはずなのに、何故か全然違うポーズを取っている僕。

 こ、これは……ルシファーがよくするおかしなポーズだ。中二病全開のヤツだ。……恥ずかしいヤツだ。

 もしかして無意識の内に、このポーズがカッコイイと思ってしまっているんじゃなかろうか……。

 

 夜のファストタウンみたいな静寂に包まれている、先生方と全校生徒達。

 そして体育館の隅では、祈るようなポーズで今まで僕の事を見守ってくれていた筑波先生が、腰から砕けてその場で座り込んだ。


 ……


 「い、今のは忘れて下さい……」


 何事もなかったかのようにポーズを解き、マイクに向かって呟くと、体育館が大きな笑いと歓声に包まれた。


 「いいぞー山田君! ナイスボケだ!」 

 「うるさいよ! 浩太君」


 くそ、これは生涯弄られるネタだ。

 『神仏心』スキルがなければ、今すぐにでも自殺してしまいそうだ。


 「山田君! もういいから降りて降りて! マイクで拾っているから」


 片膝立ちで叫ぶ筑波先生。

 ……スイマセン、対面式で笑いを取ってしまいました。

 ステージから降りる際、美琴さんと目が合ったのだが、何故か大粒の涙を流しながら拍手を送ってくれた。

 

 ……何で泣いてるの? 笑い過ぎ?


 自分が座る位置に戻ると、周りのみんなが挙って話し掛けてくれた。

 勿論あのポーズの事は弄って来たのだけど、それよりもスピーチを褒めてくれる事の方が多かったのには驚いた。

 確かに自分では思い付かない内容のスピーチだった気がする。

 もしかすると『スーパースター』スキルは、そんなところにも補正を掛けてくれるのかもしれないな。

 出来れば生涯封印したいスキルなのは間違いないのだが……。 



 その後対面式は滞りなく終わり、一年生は全員教室へと戻されたのだが、僕は途中で筑波先生に掴まり職員室へと連れて行かれた。


 「山田君、まずは新入生代表を引き受けてくれて有難う。本当に助かったよ」


 怒られるんだろうなーと覚悟していたのだが、筑波先生は僕に向かって深々と頭を下げた。

 

 「原稿なしで堂々とスピーチする山田君は凄くカッコ良かったよ」


 最後のアレさえなければ……と呟いて付け足す筑波先生。

 

 「他の先生方からも凄く褒めて頂いたよ」


 最後のアレが――と更に小声でチクチク突いて来る。


 「山田君が代理で挨拶する事が決まったのは、対面式が始まる直前だったと教えると、どの先生方も凄く驚いていたよ。……最後の――」

 「もう分かりましたって、筑波先生! アレは僕だって心に深い傷を負ったんだから、あんまりほじくらないで下さいよ!」


 こうして筑波先生と話している最中も、職員室に入って来る先生方から、『おー! さっきの代表の挨拶良かったぞ!』と褒めて貰ったのだが、どの先生達も話し終わった後に僕が取ったおかしなポーズを真似して来た。

 ……うむ。この記憶も雪乃さんに消去して貰おう。


 「……それはそうと、どうして山田君は一度開いた原稿を仕舞い直して、自分の言葉でスピーチしようと思ったんだい?」

 「どうしてもこうしてもないですよ、筑波先生」


 ジャケットの内ポケットに仕舞っていた白紙の原稿を取り出し、筑波先生に手渡した。

 

 「僕が考えた挨拶文が気に食わなかったのかい? 僕は現国の教師だから文章には自信が……自信が――」


 折り畳まれた原稿を広げた筑波先生が固まってしまった。

 そして蒼ざめた表情で慌てて自分の机の引き出しを開けると、中から折り畳まれた原稿と似たような紙がもう一枚出て来た。


 ……あの、筑波先生? まさか――そんな事はないですよね?


 「本っ当に申し訳ない!」

 「ちょ、筑波先生! 頭を上げて下さい!」


 深々と頭を下げている筑波先生。

 あの、他の先生方にも見られているし、ホント止めてくれませんか?

 原稿が白紙だったのは、どうやら筑波先生の単純なミスだったみたいだな。

 ……手の込んだイジメなのかと本気で思ったじゃないか。


 「いやー、引き出しに入れていた予備の原稿と間違えたみたいだ。……でも代理で読んでくれたのが山田君で本当に助かったよ! もし他の生徒だったらと考えると……僕は今頃大目玉をくらっているところだったよ。いやー良かった良かった!」


 ……あの、筑波先生? 本当に反省してます?






 「――なんて事が今日学校であったんですよ」

 「……そ、そうかー」


 学校が終わって研究室へと向かい、雪乃さんに今日の出来事を話していたのだが、先程から空返事だけが返って来る。


 ぐー。


 その理由は既に判明しているのだが、敢えて僕は何も言わないでいる。

 僕には珈琲が出されたけど、雪乃さんは先程から何ひとつ口にしていない。


 ぐーきゅるる。


 「ちゃんと昨晩は寝たんですか? また朝方まで作業してたんじゃないですか?」


 ぐーぐー。


 「……昨日作るって言っていた記憶消去の機械ってもう完成したんですか?」


 ぐー。


 「ちょっと! 腹の虫で返事しないで下さいよ!」

 「……ケルが……せっか……作っ……し訳……か」

 「声小っさ! ……分かりましたよ。今から作って来ますから、ちょっと待ってて下さい」


 どうやら今日僕がカレーライスを作る約束をしたので、ご飯を抜いているみたいだな。

 昨日の昼から何も食べていないみたいだし……丸一日か。

 本当にやる事が極端な人だな。


 研究室のドアの外で待機していたサポートチームの男性に、キッチンが備わっている部屋へと案内された。

 少し広めのキッチンには、既にご飯の良い香りが漂っている。

 ジャーを開けてみるとご飯は炊けていたのだが……ちょっと量多くない? 気の所為か?

 そして両開きの冷蔵庫も開けてみると、様々な材料が大量に用意されていた。


 ふむ、量はいいとして、……カレーライスって何が入っていたかな?

 人参、ジャガイモ、……肉。後は……ネギ? だったか?

 まぁこんな物は適当で大丈夫……なはずだ。

  

 ピコーン!

 ・料理スキルを習得しました!

 ・料理スキルがLV10に上がりました!

  

 ほらね、あると思っていたんだ。『料理』スキル。

 包丁を握り締めて二、三度人参にぶっ刺してみたら手に入ったよ。


 突然脳内に流れ込んで来るカレーライスのレシピ。

 ……ネギじゃなくて玉ねぎだったのか。

 名前くらいは耳にした覚えがある香辛料や、何それ食べ物の名前? と首を傾げたくなるヘンテコな名前の物まで、十二種類程の香辛料が脳内に浮かんで来たのだが、市販のルウが用意されているのでこれを使う事にする。

 ……くるみのクッキーで身に染みている。料理ではアレンジや挑戦は失敗のもとだ。難しく作る必要はこれっぽっちもない。

 ルウを手に取ると、今度は随分と簡略化されたレシピが脳内に浮かんで来た。

 へー、意外と簡単そうだな。これなら初めての料理でも失敗せずに済みそうだ。


 人参を水洗いして皮を剥く。

 ……これってピーラーっていう名前だったのか。


 人参の皮を剥く際、ピーラーという物の存在を初めて知った。

 今まで皮剥き器としか認識していなかったよ。

 皮を剥いた後ヘタを落としたり、乱切りにしたりしてみたのだが、初めてにしてはなかなかの包丁捌きだ。

 いつになったら涙が出て来るのかと楽しみにしながら、調子に乗って玉ねぎをスライスしていると、『料理』スキルが進化して『トリプルスターシェフ』スキルになった。

 何がどう変わったのか、基準が分からないので比べようがないのだが、とにかく僕の人生初カレーライスは失敗する事はなさそうだ。

 

 コップやスプーンが見当たらなかったので、キッチンの入り口で待機しているサポートチームの男性に、テーブルの準備をお願いすると快く引き受けてくれた。

 手際良く作業を進め、鼻歌交じりに寸胴で具材を煮込んでいると、僕のお腹も騒ぎ始めた。

 ルウを寸胴に放り込むと、キッチン全体にカレーの良い匂いがふわりと広がったので、もう辛抱堪らんとお玉でカレーをチョットだけすくって味見してみた。


 ……普通に旨い。米三合食べられるぞ。

 フフ、これを食べた時の雪乃さんのリアクションが楽しみだ。


 お腹を空かせている雪乃さんの為に、急いで盛り付けを済ませる。

 お皿の縁にカレーが垂れている、なんていう事は当然ない。全て綺麗に拭き取ってある。

 こういうところ、雪乃さんは細かそうだしな。

 煮込んでいる間に洗い物も全て済ませてあるので、後は美味しく頂くだけ。

 アツアツのカレーが盛られたお皿を両手に抱えて、いつもの研究室へと戻る。


 「出来ましたよー。お待たせ―」


 スプーンや飲み物が用意されたダイニングテーブルの隅に突っ伏している雪乃さんの前にお皿を並べる。

 空きっ腹を更に刺激する匂いが鼻に届いたのか、雪乃さんがゾンビのようにむくりと起き上がった。


 「……お、お腹が空いて力が出ないよ」


 しわがれた声で呟いた後、口を開けたままの姿勢で待っている。

 記憶を消去する機械は作り終えたみたいなので、現在両手は塞がっていない。

 ……もしかしてコレ、僕に食べさせて貰う為の作戦なんじゃないのか?

 しかしアヴさんを学校に通えるように手配して貰う為に、雪乃さんの機嫌を損ねるわけにはいかないし……。

 仕方ない。大サービスするか。

 対面に陣取ったまま腕を伸ばし、雪乃さんの前に置かれた、湯気が立ち込めるカレーライスにスプーンを差し込む。

 ひと口分程スプーンに乗せ、雪乃さんの口もとへ運ぶ――のではなく、僕の口もとへと持って来た。


 フー フー


 アツアツのままだと火傷するかもしれないので、少し冷ましてあげる。

 前方に向かって湯気と香りが漂っているのだが、そんな僕の様子を雪乃さんは食い入るように見つめている。ちょっと目が怖い。


 はい、アーン


 食べさせてあげようと思ったのだが、……そのまま自分でパクリとスプーンを咥えた。……うん、旨い。


 「何でだよ!」

 「モゴ……ふう。残念雪乃さん、敵が現れました」

 「は? そんな馬鹿な……。このタイミングで敵が襲って来るとか有り得ん!」

 「いや、有り得んとか言われても、本当なんですって。しかも今回の敵、超早いですよ」


 敵表示のアイコンが、視界に表示させているマップの三百キロメートル圏内へと侵入して来たのだが、そのスピードが異常に速い。


 「嘘だ嘘だ! 絶対に嘘だ! 私にカレーライスを『アーン』したくない為の自作自演だ!」

 「違いますって! 何だか一直線にこちらに向かって来ています。凄いスピードですよ。このままだと二十分前後でこちらに到着します」

 「……嘘じゃないのか?」

 「はい」

 「マジなのか」

 「さっきから言っているじゃないですか。それと雪乃さん、普通に会話出来ているじゃないですか!」

 「うがーチクショー! モガ―!」


 雪乃さんは僕からスプーンを奪い取り、何やらモガモガ叫びながらカレーライスを掻き込んでいる。

 やっぱり僕に食べさせて貰う為の演技だったんじゃないか!


 ……でも残念に思う気持ちは本心だ。

 折角初めて作ったカレーライスなんだから、ゆっくりと味わって食べて貰いたかったな……。


 「モゴモゴモゴモゴモー!」


 ……全然何言っているのか分かりませんから、スプーンを振り回すの止めて下さい。



 ……



 「今回の奴は殺して良し。私が許可する」

 「何言ってるんですか。それよりも今回の敵、多分空飛んでますよね」


 このスピードで一直線にこちらに向かって来るという事は、障害物の多い地上からでは不可能。

 飛行機に乗っているのか、それともミサイルでも打ち込まれたのか。……或いは敵自体が空を飛んでいるのか。


 「レーダー! 何か捉えたか?」


 仮想空間へと繋がる研究室で、雪乃さんがスプーンを振り回しながら指揮を取っている。 

 後でも食べられるからと言い聞かせても、カレーライスは絶対に離さなかった。

 

 耐衝撃スーツの上に、雪乃さんが用意してくれた服を着る。

 自前の服がボロボロになるかもしれないからと、雪乃さんが普通の服を用意してくれた。

 僕が普段から着ている服、実は凄い値段なんだよな……。お店で値札を確認した時に驚いたよ。


 「タケル、後どのくらいでこちらに到着するか分かるか?」

 「うーん。最初にマップの端で敵を捉えたのが――十二分前くらいかな? それで、今敵が居る場所がこの辺りです」


 渡されているタブレットタイプの地図を指差す。

 ……ここには頭が良い人達が集まっているので、計算はみんなに任せます。

 僕が到着時間を計算するより確実だと思ったからだ。


 「ふん。この距離で一切減速しないところを見ると、こちらに突っ込んで来るのか、或いは上空からその敵を排出するのか」

 「人造人間なら身一つで落下しても平気そうですもんね」


 多分僕でも無傷だろう。生身の人間ならパラシュートで降りて来る、という事も考えられるな。


 「……分かった。それだな」


 雪乃さんが装着しているヘッドセットに無線が入ったみたいだ。


 「未確認の小型ジェット機がこちらに向かって来ているそうだ。ミサイルの線はこれで消えた。そして高度も落としていないので、ジェット機ごと突っ込んで来る線も消えた」

 「という事はヒットマンを乗せているのか、化け物を乗せているのか――」

 「人造人間だな。私のカンがそう言っている。よし、撃ち落とそう」


 ……はい? 撃ち落とす?


 「地対空ミサイルシステム稼働!」


 雪乃さんがスプーン片手に指示を出す。

 ち、地対空……ミサイル? !!!


 「ちょ、ちょっと雪乃さん何馬鹿言ってるんですか! そんな物この街中で使っていいわけないじゃないですか! ってか何でそんな物がゲームの会社にあるんですか」

 「私が自分で作ったからに決まっているだろう。うひひ、野望を打ち砕かれた恨み、きっちりと晴らしてやる」

 「駄目駄目! 街中でのミサイル禁止!」


 必死に説得しても、雪乃さんの目が座っていて全然言う事を聞いてくれない。

 ……くそ、こうなったら。

 振り回しているスプーンを瞬時に奪い取って、カレーライスを強引に雪乃さんの口に放り込んだ。


 「モゴ! モゴモゴー」

 「はーいゆきのん、ご飯ですよー。ちょっと落ち着こうねー」

 「モゴ……モゴ。……幸せ」


 漸く静かになったので、近くにあった椅子に座らせた。


 「相手が人造人間だったらミサイルでもダメージが与えられないかもしれないですよ。ちゃんと僕が始末しますから」


 大人しくなったので、もう一口カレーライスを食べさせる。


 「モゴ……。ごめんなさい」

 「落ち着いた? 雪乃さんが冷静なってくれないとみんなが困るんですよ?」

 「……そうだな。済まなかった」


 雪乃さんが椅子に座ったまま、小さくなって背中を丸める。

 その瞬間、『おおー!』というどよめきが研究室に響いた。

 ……そういやコンテナ船に乗り込んだ時も、僕が雪乃さんを大人しくさせたら斥候隊のイヌが驚いていたよな。

 暴れ始めた雪乃さんが大人しくなるのは、そんなにも珍しい事なのだろうか。


 「雪乃さん、後何分程でこちらの上空に到着するか分かりますか?」

 「……そうだな、四分少々といったところだな」

 「じゃあ僕は本社屋の屋上で待機しています。どうせ空から降って来るんだし、瞬間移動で攫える範囲まで敵が近付けば例の場所まで連れて行きますよ」


 OOLHG改を透過状態に設定し、本社屋へと向かう。

 OOLHGを装着した人間がウロウロしていたら、流石に怪しまれるからな。

 本社屋には一度だけ雪乃さんと一緒に来た事がある。

 というのも、エンテンドウ・サニー社でシリーズ化されているソフトで、僕が引き籠っていた時にずっとやり込んでいた物がある。

 そのソフトの資料やお宝グッズを見せてくれると言うので、雪乃さんと一緒に見学に来たのだ。

    

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