スペシャルエピソード 真田和葉の場合
「ちょっとアンタ達! 手ぇ抜いてんじゃないわよ! もっと真剣に相手してよ!」
「いやー、それは……。じゃ、じゃあ俺達はこの辺で――」
「は? 今練習始めたばかりじゃないのよ!」
「お嬢さん、サヨナラー!」
「ああコラ! ちょっと待っ――」
また逃げられてしまった。……くそー!
アタシの家は空手の道場を開いている。
庭に建てられた道場では、毎日三十名程の門下生達が汗を流している。
近所の子供達を集めて楽しく稽古している日もあれば、全国選手権で優勝を目指す人達が、実戦形式で練習している日もある。
アタシも物心が付いた時から、一日も休む事なく稽古に明け暮れている。
門下生達を指導しているのは……ウチのじじい。
いや、この言葉は正しくない……ね。
「ふぉっふぉー、和葉ちゃん。また逃げられちゃったねー。そんな事より、最近またお尻のラインが丸みを帯びて来たねー」
指導しているのは、この糞じじいよ。
「……いいわ。今日こそ棺桶に放り込んであげるわよ」
こうして全力で挑める相手も、最近ではこの変態じじいだけ。
今日こそ黙らせてあげるわ!
「ふぉー和葉ちゃん。鋭い、鋭いねー。当たったらじいちゃん死んじゃうねー」
……そう、当たったら、ね。
自惚れでも何でもなく、アタシの持ち味はスピードだと思っている。
技のキレとスピードだけは、日々の鍛錬で磨き上げて来たわ。
それでもこの変態じじいには、アタシの攻撃が全然当たらない。……たったの一度も、ね。
小柄で禿げててひょろひょろのクセに、どうしてこんな動きが出来るのよ!
「まぁこの攻撃じゃ、ウチの若い連中だと手に――あらよっと、危ない危な――ふぉー、ちょ、ちょっと和葉ちゃん。今じいちゃん喋っているんだから、あばば、もうちょっと手加減を――」
「ハァハァ、うるさい! 死んでしまえ、このエロじじい!」
じじいは一切手を出さない。
それでいて毎回こうやって会話しながら、ひらりひらりとアタシの攻撃を全て躱してしまう。
……この化け物め。さっさと成仏しなさいよ!
「よっ、それで和葉ちゃん。部活は上手く行っているのかい?」
「……全然よ! くそー」
ある時期から道場の門下生達は、アタシ相手だと本気で組み手をしてくれなくなった。
その理由を直接訊ねてみても、言葉を濁すだけで答えてはくれなかった。
組み手が出来ず、毎日の練習量に物足りなさを感じ始めたアタシは、自分の通う高校に空手部を設立する事にしたのよ。
アタシが通うのは、K国際女子短期大学付属高校。通称『こくじょ』。
名前の通り女子高だし、空手部の設立は物凄く大変だったわ。
友達に頼み込んだり、演武を披露したり、痴漢の撃退方法を伝授したり、……お弁当のおかずで買収したり。
なんとか部活設立の規定人数である五人を集めて、活動を始めたのが去年の事。
空手の経験者なんて居るはずもなく、素人の寄せ集めで作られた『こくじょ空手部』。
当然アタシの練習相手が務まるわけもなく、思惑とは裏腹にアタシの練習量はますます減る事になってしまったのよ。
アタシが空手部を始めると言った手前、『やっぱり辞める』なんて言えるはずもなく、当初は頭を悩ませていたわ。
それでも練習を続けるうちに、みんなが少しずつ上達してきたり、『空手って楽しい』なんて言う子もちらほら出始めた。
弱小の『こくじょ空手部』だけれど、今では本当に作って良かったと思っているわ。
そんな中――
「真田、我が校の姉妹校である『A国際女子』から練習試合の申し込みが来ているぞ?」
「ホントに? やる、やるに決まっているじゃない! やったー、試合よー!」
空手部顧問の先生に、申し込みの返答と同時に喜びの下段蹴りをプレゼントしたら、凄く怒られてしまったのよね……。
A国際女子高校、通称『Aじょ』は主にA国の軍人さんの家族が通う高校。
A国のホストスクールとウチの高校は姉妹提携していて、毎年多くの生徒が交換留学生としてA国にホームステイしている。
でも『Aじょ』って事は、今回の練習試合の相手は外人さんになるのかしら?
どんな人が相手か分からないけれど、凄く楽しみだわー!
……盛り上がっていたのはアタシだけで、部員達は初めての練習試合に戸惑っていたわ。
まぁ空手を始めて数か月で、いきなり試合って言われても……ね。
今回は団体戦の勝ち抜き戦にして貰って、アタシ一人で五人を相手にすればいいか。うふふ、楽しみだわー!
……結果は完敗だった。
アタシ一人で相手に出来る人達じゃなかったの。
特に五人目の大将で出て来た子には、全く歯が立たなかった。
それまでに四人を相手にして疲れていたというのも勿論あったけれど、あの子は次元が違ったわ。
……初めて同年代の子に負けてしまった。しかも女の子。
今まで男子に負けた事はあったけれど、女子に負けたのは今回が初めて。
悔しい。こんな気持ちになったのは、いつ以来か分からない位に悔しいよ!
……絶対。絶対にリベンジしてやるんだから!
素人同然の部員達に、これ以上過酷な練習を課せるわけにはいかない。
せっかく楽しくなって来た空手が嫌いになってしまう。
かと言って道場の門下生達は、練習相手になってくれない。
エロじじいは論外。
アタシはどうすればいいのよ……。
「ふーん。そういう練習相手が欲しいのなら、今度発売されるOPEN OF LIFEっていうゲームを買えばいいんじゃない?」
いつもお弁当を一緒に食べている、クラスメートの『あやっち』がアタシの卵焼きを盗みながら教えてくれた。
アタシはゲームの事はよく分からなかったので、あやっちの首を締めながら、詳しく話を聞かせて貰ったの。
「……それよ。それだわ! 早速買いに行かなきゃ!」
「ぐげっ、和葉ちゃん……苦しい」
「ああゴメンゴメン。つい夢中になっちゃって」
「げほっ……。でもそのゲーム、抽選で当たらないと買えないし、二十万円もするのよ? どうするの、お金?」
「……アルバイトするよ」
一瞬だけ、……ほんの一瞬だけ変態じじいに色仕掛けで迫ってお金を出させる、という下衆な案が浮かんだ。
悍ましくて食べたお弁当を
その日から、抽選に当たる事を祈りつつ、空手の練習とアルバイトを両立させる生活が始まったのよ。
勉強の事は……誰もアタシには期待していないから、うん。
「……うふふ、アタシのくじ運を思い知ったかー!」
ヨルズヴァスの大地に足を踏み入れた時に、思わず叫んでしまったわ。
耐え抜いたアルバイト生活の鬱憤が爆発してしまったのよね。
つまみ食いしては怒られ、客を殴っては怒られ、セクハラ店長を蹴り飛ばしてはクビになって……とても辛かったのよ?
でもこれで漸く本格的な練習が出来るわ。
剣士や魔法使いを相手にして空手で挑み続ければ、今までと違った成長がきっと望めるわ!
アタシはゲーム攻略は一切無視して、片っ端から冒険者達に対戦を挑み続けたの。
魔法で攻撃してくる人や、飛び道具を駆使する人、中には二メートルの大男も居たわ。
そんな連中を粗方片付け、アタシは一人のプレイヤーに挑戦を吹っ掛けた。
今度の対戦相手もどうせ大した事ないだろうなー、なんて思いながらね。
だって、見た目凄いデブで変な格好してるし、後ろにはパンダとゴスロリ少女を侍らせているしさ。
まさかこんな人が、変態じじいより達人だなんて思わないでしょ!
アタシの攻撃は悉く躱された。
まるで此方の考えが見えているかのような動きで。
どういう事なの? アタシの攻撃には、何か変な癖でもあるっていうの?
未熟なアタシは苛立ちから安い挑発に乗ってしまい、よく分からない間に視界がぐるりと宙を舞った。
……ああ、投げられてしまったのか、と気付いた時には目の前に拳が振り下ろされていたの。
背筋が凍りついたわ。
寸止めされた拳からは、拳圧と聞いた事のない風切音が放たれ、頭の後ろに突き抜けて行ったの。
……ふふ、世の中上には上が居る、っていう事ね。
でもこの人に稽古を付けて貰えば、アタシは確実に強くなれるわ!
絶対に強くなって、あの子にリベンジするのよ!
でもこの人、一体何者なのかしら?
変なマスクも被っているし、正体を隠しているみたいだけれど、まさか空手選手権の覇者だったりして。
それともプロの格闘家とか? あの動きなら有り得るわね。
……も、もし、もしもよ? 同年代の男子だったらどうしよう。
アタシよりも強くて、更に優しくて、背が高くて、イケメンで――さ、流石にコレはないよね。
アハハー、何言っているのかしらアタシ。
と、とととにかくこの『勇気の道着』を渡さなくっちゃ。
「真田ー、今年も『A国際女子』から練習試合の申し込みが来ているぞ? どうするんだ?」
「……勿論受けますよ」
フフフ。遂に、遂にこの時が来たわ。
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