番外編


 (あたし、何か悪い事でもしたかな……?)


 二人の見知らぬ女性に両腕を抱えられ、部屋の隅へと連れて来られたくるみは、色々と思いを巡らせていた。


 「……それで、くるみちゃんって師匠の妹さんなのよね?」


 部屋の隅でくるみの拘束は解かれ、三人で小さく輪になるように陣取ると、和葉から唐突に質問が飛んだ。


 「そ、そうですけれど」

 「じゃ、じゃあさ、師匠がイケメンだっていう話があるんだけれど、……それって本当?」


 和葉は腕を組んでおり、表情も至って真剣そのものだ。

 隣にいる無口な少女、ルシファーも無表情のままくるみの方へ顔をグイグイと近付ける。


 (何だ、その事か……)


 くるみは少し安心しつつも、どうしてその事を知っているのだろうと、若干気掛かりにはなったみたいだ。


 「そうねー、イケメンか、そうではないかと聞かれると……」

 「「……聞かれると?」」


 和葉とルシファーが、ゴクリと喉を鳴らしつつ声をハモらせる。


 「……超イケメン!」

 「「やっぱりー!」」


 少し溜めを作り、くるみが胸を張りながら自慢げに答えると、和葉とルシファーがガッチリと両手を取り合いながら声を揃えた。


 「でもどうしてその事を知っているんですか?」

 「実は昨日アタシの友達が電車の中で痴漢に遭っていたところを、師匠……くるみちゃんのお兄さんに助けて貰ったらしいのよ。そしてその友達っていうのが、このルシファーのお姉ちゃんだったのよ!」


 和葉がルシファーの肩をポンポンと叩く。


 「……姉が『宇宙一のイケメン』だと言っていました」


 ルシファーは少し気不味そうに頬をポリポリと掻きながら呟いた。


 「うそー!」


 くるみは驚いて声を出すと同時に、背中に生やした紫色の翼をバサッ! と左右に大きく広げ、突き刺さりそうな尻尾をピンと縦に伸ばした。


 (……そ、そう言えば写真を撮られた時に、痴漢を捕まえたとか言っていた気がするわ。こんな偶然ってあるのね)


 くるみのそんな思いも他所に、くるみのおかしな姿を眺めていた和葉とルシファーは全く別の事を考え始めた。


 (……あ、悪魔かしら?)

 (……悪魔……ですよね? ……ヴァンパイア……かも)


 和葉とルシファーが視線で会話する。

 クネクネと動き続けるくるみの尻尾を二人が観察していると、いつの間にか部屋に居たはずのタケルとガゼッタが姿をくらましていた。

 部屋に残っているのは和葉、ルシファー、くるみと、ソファーが置いてある場所で待機しているエフィルの四人だ。


 ……


 「ねぇ、くるみちゃん。何だか変わった恰好をしているみたいだけれど、それってギフト装備?」 

 「ギフト装備? ……ええ、多分。あそこにいる女の子が最初の小屋でくれたのよ」


 和葉とくるみが色々と会話している間、くるみの背中の翼をルシファーが少し羨ましそうに見つめながら、両手で広げたり縮めたりと弄り始めたので、くるみは尻尾でペシペシとルシファーの両手を叩いた。


 「やっぱりギフト装備だったのね。何か変わった特技でも使えるの?」

 「ええ、『吸血』っていうのと『悪魔召喚』っていうスキルがあるのよ」

 「見たい! どっちも見たい!」


 食い気味に答えたのはルシファーだ。

 しかしくるみは戸惑う。タケルから『スキルを勝手に使うな!』と止められているからだ。


 (……やっぱりお兄ちゃんとの約束は破れないわよね)


 くるみは二人にスキルの内容と事情を話す事にした。


 ……


 「大丈夫よ! 今ならアタシ達以外誰もいないからさ。ね、お願い。チョットだけでいいからさ?」


 和葉とルシファーが顔の前で両手を合わせてお願いし始める。


 (……まぁ、チョットだけならいいか)


 くるみの頭の中には、『何でだよ!』とツッコミを入れてくるタケルが一瞬浮かんだのだが、まぁ謝れば許してくれるかと思い、『吸血』はお腹一杯で出来ないので『悪魔召喚』をする事にした。


 三人から少し離れた広い床に、紫色に怪しく光る幾何学模様の魔法陣が出現する。


 「「おおー!」」


 魔法陣を見た和葉とルシファーが声を揃えて歓声を上げたのだが、直径五メートル程の魔法陣の中から召喚された魔界の従者が出現すると、次第に歓声は消え去り二人は黙り込んでしまった。

 全身を覆い隠すように、白い服装の上に土色の薄汚れたローブを纏った身長三メートル程の大男が、突き刺さる程の鋭い視線を三人に向けつつ、魔法陣の上で禍々しいオーラを放ちながら腕を組んで立っている。

 両手と顔の部分だけが布で覆われておらず、ブカブカのローブの隙間から覗かせている肌は深い緑色をしており、目深に被られたローブで影となりながらも、眉のすぐ上の部分から短い突起物のような角が三本生えているのが確認出来る。

 その者の存在を見ているだけで、ルシファーは膝からガタガタと震え出し、和葉もかつてない程の恐怖を覚え、額や首筋から大量の冷たい汗が流れ出ている。

 それもそのはず、ここに平然と立っているのは、今まで二人が出会った事がない程の、最悪の化け物なのである。


 「何よ、今度は普通の悪魔っぽいのが出て来たのね?」


 ルシファーや和葉とは対照的に、あっけらかんといつも通りに話すくるみ。

 どうやら悪魔召喚で呼び出した本人には、威圧や眼力といった類は通用しないらしい。


 「……ウヌが我を召喚した……だと? ……そうか、血の儀式か。成程、我の意思も自由が利かぬわ」

 「ウ……ヌって何? 日本語で喋ってくれる?」


 くるみは困惑気味に両手を腰に当てている。


 「……我を呼び出した望みは何ぞ」


 (うーん、困ったわね。望みは何ぞ? って言われてもね……折角来て貰ったけれど、やっぱり用ないし帰っていいよ、何て言ったら怒るかしら? 気が短そうな顔してるし、かなりストレス溜めてそうな顔色してるし……)


 「しょ、勝負よ!」


 くるみがうーんと唸りながら考え込んでいると、和葉は意を決したように叫び、額の汗を腕で拭いつつゆっくりと化け物に向かって歩き始めた。


 「え、ちょっと和葉さん、大丈夫なの?」

 「……多分大丈夫じゃないわ」


 和葉は自分の事を心配してくれているくるみを、優しく片手で押し退ける。


 (私はどんな奴が相手でも絶対に逃げない。必ず……必ず強くなってみせる!)


 和葉は己を奮い立たせるかのように、ナックルガードが装備された両の拳をコツンと軽く合わせた後、空手の構えを保ったまま全力で化け物に向かって突っ込んだ。

 口から悲鳴が零れそうになる程の恐怖を胸の内に無理矢理押し込めると、今度は彼女の脳裏に『死』の文字がチラつき始めた。

 

 (そうよね。対戦PKじゃないんだから、負ければ死……か。よし、まず一撃……そこから手数とスピードで勝負!)


 「……ほう、力試しか、承知した。だが長居は出来そうもない。すぐに終わらせてくれよう」


 化け物は和葉を迎え撃つつもりのようだ。

 いよいよ和葉の拳が、腕を組んだまま微動だにしない化け物を射程距離に捉える。

 過去に何万回、何十万回と振るわれ、鍛錬によって研ぎ澄まされた拳が、最短距離で化け物に向かって放たれた。


 ……しかし化け物は一切の身動きを取らない。


 和葉の左の拳が化け物の下腹部に突き刺さろうとするその瞬間だった。


 「ふむ、悪くない。修練された拳だ」


 化け物の姿は忽然と消え、何故か和葉の背後から声が聞こえて来た。


 (……え? どういう――)


 目の前で起こった不可解な出来事を確認しようと振り返る間もなく、今まで味わった事のない衝撃が和葉の身体の中心を突き抜けると、視界は瞬時にブラックアウトしてしまった。



 吹き飛ばされてしまった和葉のもとへとルシファーが駆け寄って行ったのだが、横たわる和葉からは既に200秒のカウントダウンが始まっていた。

 その場でルシファーは震える四肢に力を入れる。


 (怖い……でも、目の前で友達がやられてしまった……敵討ちを……しないと!)


 内気な少女が覚悟を決め、右手の掌を化け物の方へ向けると同時に、左手でその右腕を支えるように手首を握りしめる。

 いつもなら左手では術の印のような物を結んでいるのだが、今回は忘れてしまっている様子で、その表情には彼女らしい不敵な笑み等一切浮かんでいない。


 「……我、汝ら炎の精霊と契約を結びし者なり! 荒れ狂う紅蓮の炎で冥府の谷まで焼き尽くせ! 『煉獄神焔プルガトーリョヴェスター!』……ぼそ【ファイアーボール】」


 ルシファーの右手の掌から、彼女渾身の火魔法が放たれる。

 燃え盛る業火が球体となり、部屋の床を焦がしながら化け物を丸飲みにしようと襲い掛かる。

 ルシファーは自らが放った魔法の衝撃により、数メートル後方に吹っ飛ばされてしまった。


 「ほほう、これもなかなか。……だが」


 化け物が腕を組んだ姿勢を解き、右手の人差し指をやる気のなさそうに小さく立てると、化け物の前に地下空間の天井まで届く、巨大で分厚い氷壁が出現した。

 ルシファー渾身の火魔法が、化け物の放った【アイスウォール】に激突すると、ジュゥウ! と音を立てながら炎は呆気なくかき消されてしまった。


 「では、今度は我が――と、時間切れか、どうやらここまでのようだな。……ところで娘よ」


 化け物が何かを察知したのか、くるみに向かって話し始めたのだが――


 「アンタ、あたしに呼ばれて来たんだからさぁ、くるみさん! って呼びなさいよね」


 くるみは相変わらずの態度で、腰に両手を当てている。


 「く、くるみさん、くるみさんに血を与えた者は何処に……くそ、何故我がこのような……」


 化け物は何があってもくるみには逆らえない様子で、目尻を痙攣させながらも言う事は素直に聞くみたいだ。


 「さぁ? さっきまではここに居たけれど、どっか行っちゃったわ」

 「……その者、名を何と申す?」

 「お兄ちゃんの名前? タケルよ。それがどうしたのよ」

 「……タケルか。記憶に留めておこう。我は偉大なる大魔王様直属の四天王が一人、マラファル。ではまた会おう」


 化け物、マラファルはそう言い残すと、腕を組んだまま床に描かれた魔法陣の中へとバックステップで飛び込み姿を消した。


 (……和葉さんはやられちゃったし、ルシファーさんは転がったままだし。うーん、やっぱりお兄ちゃんに怒られそうね……うう、喉が乾いたわ)




 一方、くるみの召喚から解放され、魔王城へと帰還したマラファルは、戻るや否やその足で大魔王のもとへと急いだ。


 (血の儀式ではその血の持ち主よりも弱者しか召喚する事が出来ぬ。つまり人間の中に、我より強者が存在するという事。……タケルと言ったか、大魔王様に報告せねば)


 魔王城の薄暗く長い石畳の廊下に、マラファルの足音だけがカツン、カツンと響き渡る……。


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