第15話


 研究室へ瞬間移動で向かうと、雪乃さんはソファーで横になっていたのだが、昨日とは少し違う。

 若干顔がニヤけている。……実は起きているんじゃないのか?


 ……


 「あーやっぱり寝てるのか。しかし今日はやたらと暑いな……雪乃さんも寝ている事だし、上半身裸になっても大丈夫だよなぁー」


 雪乃さんを横目にしながら小さな声で言ってみた。


 ……


 瞼をピクピクさせながらゆっくりゆっくりと開け、寝たフリを続けながら何とかして僕を見ようとしている。


 「……薄眼でこっち見ているのバレバレっすよ雪乃さん。おはようございます」

 「何でだよタケル! 昨日は上着を掛けてくれたじゃないかよー!」


 雪乃さんはソファーからガバッと起き上がると、子供みたいにその場で地団太を踏み始めた。


 「昨日は寝てたから風邪引いちゃいけないと思って上着を掛けたんすよ。今日は寝てなかったじゃないすか」

 「タケルから来たメッセージで起きたのだ。くそ、今日も上着を掛けて貰えると思ったのになー」


 雪乃さんは口を数字の『3』の形に尖らせながらブツブツ呟いている。


 「……仕方がないか。おい、サポートチーム!」


 ドアから淹れたての珈琲の入った容器とカップを二つトレイに乗せた男性が入って来た。

 雪乃さんの研究室の珈琲、美味しいんだよな。

 この時点でもう凄くいい香りも研究室に広がっているし、きっと高価な豆を使っているんだろうなー。

 サポートチームの男性がテーブルに僕の分も珈琲を用意してくれたので、どうもとお辞儀をしてからテーブルに着いた。


 その後、美味しい珈琲を啜りながら暫く雪乃さんと雑談する事になった。


 ……


 「何なんすか、あのワイバーンキング、全然小型竜ワイバーンじゃなかったすよ」

 「いやいや、他のドラゴンに比べたら全然小型じゃないか」

 「そりゃ、ピレートゥードラゴンに比べれば小型でしたけど……」

 「ピレートゥードラゴンとかまだまだ小型――とと、あまり言い過ぎると駄目だな」


 口をギュッと紡ぎ、その口の前で横向きにファスナーを閉める仕草をする。

 最近の若者はそんな事しないぞ? 何て言ったら珈琲をぶっ掛けられそうだな……。


 「最近遅くまで何か作業しているみたいっすけど、一体何を作ってるんすか?」

 「は? 何を言っているのだ? タケルの体をもとに戻す為にプログラム解析をしているんじゃないか」

 「はへ? そ、そうなんすか? てっきり良からぬ物を作っているのだとばかり思ってたすよ」

 「……タケルは私の事を一体何だと思っているのだ、全く」

 「スイマセン、若返りの機械とか作ってるんじゃないかと思ってたっす」


 一言謝った後、珈琲を一口啜った。

 そうか、毎日遅くまで僕の体をもとに戻す為に頑張ってくれていたのか。

 何だかんだ言っても雪乃さんは僕の事心配してくれているもんなー。


 「若返りの機械? そんな物はとっくに完成しているぞ」

 「ブーー!! ゲホッ! ちょ、マジっすか」


 珈琲噴いてしまったじゃないか! ちょっと雪乃さんの事悪く考え過ぎてて申しわけないなーって心を痛めたのに……。

 やっぱり良からぬ物作ってるじゃないか! 想像通りだったよ! 全く。


 「フフン、私はタケルを今の姿のまま口説き落とすと決めているからな。見事タケル攻略が済んだ後に使おうと思っているのだ」

 「……攻略とか言われると、乙女ゲームのキャラになった気分っすよ」


 何か益々逃げ道がなくなって行くじゃないか。

 僕、攻略されてしまうのか? 桜の木の下に呼び出さないといけなくなるのか?


 「そこでタケル攻略第一弾だ。ちょっとここで待ってろよ?」


 雪乃さんは足取り軽ろやかに研究室から出て行った。

 今度は一体何をするつもりなんだ? しかも第一弾って事はまだ色々と用意しているって事か?


 ……


 十分程そのまま待たされていると、やっと研究室のドアが開いた。

 ……しかも良い匂いを漂わせながら。


 「じゃじゃーん、お待たせー! ゆきのんお手製ハンバーグだぞー!」


 ファミレスで出て来るみたいな鉄板を右手に持つ雪乃さんが、もう片方の左手で真っ白でヒラヒラの付いたエプロンの裾を広げながら現れた。

 ……ふ、不意打ち過ぎてちょっと見入ってしまったじゃないか。


 「仮想空間で私がハンバーグの話をしていた時に、タケルが意外そうな顔をしていた事を私は見逃していなかったぞ?」


 雪乃さんはジュージューと腹の虫を刺激する音を放つ鉄板を僕の目の前に置いた後、椅子に腰掛けた。


 「因みにスーパーで買った普通のお肉を使って料理したからな。高級肉は使っていないぞ?」


 ……味に相当の自信があるみたいだな。

 はぁと型に整えられたハンバーグに一応鑑定を掛けてみたのだが、特に異常は見られない。


 「では私が最後の調味料『アーン!』をしてやろうじゃないか」

 「いや、それはいいっす。頂きます!」


 両手を合わせてから、まずははぁと型のハンバーグにナイフを入れて真っ二つにする。


 「タ、タケル、そういうのは私も傷付くのだぞ……」

 「いや、何となく食べにくかったんで」


 そのまま一口大にカットしてから口へと運ぶ。……う、旨い。


 「ククク、良い表情だなー、おい! タケルのはぁと鷲掴んじゃったなー!」


 悔しいけど旨い。調味料なのかスパイスなのか、僕は料理が出来ないので分からないけど、色々と手の込んだ味付けがなされているみたいだ。

 僕が黙々とハンバーグを口へと運んで行く様子を、雪乃さんは嬉しそうに眺めている。


 「よしよし、作戦は成功みたいだな。では、ちょっと真面目な話をするから食べながらでいいから聞いていてくれ」


 雪乃さんはガタンと椅子を前後逆向きに置き直し、背もたれ部分に両肘を着く姿勢で座り直した。

 ま、真面目な話?


 「まずはパンダを見に行く話だ」

 「全っ然真面目な話じゃないじゃないっすか」


 真剣に聞いて損したよ。


 「まぁ、最後まで話を聞けって。パンダを見に行くのは暫く延期だ。ゴールデンウィーク辺りに行けるだろうとは思うがな」


 へ? どういう事? と聞こうかと思ったのだが、雪乃さんに手で制されてしまった。


 「タケルは約束を守る男だ。現に私のクエストも約束通りクリアしてくれたしな。だから私も約束通り、タケルの体をもとに戻してから旅行に行こうと考えたのだ。……おい、手が止まっているぞ? 温かい内に食べてくれよ?」


 雪乃さんに言われて初めて、ハンバーグを食べる手が止まっていた事に気付いた。

 ま、真面目な話じゃないか、一体どうした?


 「私は気付いたのだ。タケルに悪い虫達が寄って来るのは、その見た目が悪いのだと。だからさっさとタケルを元の姿に戻してしまえば私は安心出来るじゃないか、とな」

 「でも僕がもとの姿に戻ってしまっても雪乃さんはいいんすか?」

 「フン、私を見くびって貰っては困る。別にタケルがイケメンであろうが、なかろうが、私にとってタケルはタケルだ。そりゃ、イケメンの方が良いに越した事はないがな。それともとの体に戻った時の為の、ダイエットマシンとメディカルマシンも既に完成しているぞ」

 「ゆ、雪乃さ……ん」


 雪乃さんは本当に僕の事をきちんと考えてくれている。


 ……優しさに泣いてしまいそうだ。


 「タ・ケ・ルー、瞳がうるうるしているぞ? ふひひ、どうやら攻略第二弾も効果覿面だったみたいだな」


 く、くそ、攻略作戦はまだ続いていたのか。

 雪乃さんは少し意地悪そうに笑いながら、体の後ろに隠していた筒状に丸められた小冊子のような物を取り出した。


 「タケルは鈍感だから、きちんと言葉にした方が伝わるんじゃないか? とサポートチームからアドバイスを貰ってだな、密かに台本を作っていたのだ。あ、台本と言っても内容は全て本当の事だから勘違いするなよ?」


 丸められた台本を眼鏡の上から片目に宛てがい、望遠鏡みたいにして僕の事を覗き始めた。


 「私は今までVRMMOの研究一筋だったが、こうやって普通に仕事以外の会話が出来たのもタケルが初めてだし、タケルといるととにかく毎日が楽しくて仕方がないのだ。タケルは私の頭脳や研究成果を目当てにペコペコして来たりしないし、それどころかちっとも私の思い通りに行かないところがまた良いのだ」


 いつになく真面目な話をする雪乃さんを前にして、恥ずかしさから一言も声を出す事が出来ないでいた。

 このままではずっと黙ったままになってしまいそうだったので、鉄板の上に最後の一口分残っていたハンバーグをフォークに刺して、雪乃さんの口に放り込んでやった。

 ただの照れ隠しだ。


 「むぐっ……もぐ、ふむ、わ、悪くない。タ、タケル、こういう時はアーン! って言ってからにしてくれないとだな……、その、あのー、何だ、心の準備と言うか……ああくそ、せっかく攻略作戦が上手く進んでいたのに、また私が攻略されてしまったじゃないか!」


 雪乃さんは天を仰ぎつつ片手でオデコを押さえながら、手に持っていた丸められた台本を、近くにあったゴミ箱へポイッと投げ捨てた。

 どうやら雪乃さんの攻略作戦は失敗に終わったみたいだな。


 ……正直ちょっと危なかったよ。


 ご馳走様でした! と両手を合わせていると、サポートチームの男性が部屋に入って来て食後の珈琲を入れてくれた後、鉄板を持って部屋から出て行った。





 「最近毎日プログラム解析をしていて分かった事があるのだ。これを見てくれ」


 雪乃さんはいつの間にか旅行雑誌がキレイさっぱりと片付けられているデスクの上に置かれていた、パンダステッカーが貼られたノートパソコンを持って来てテーブルに置くと、僕のステータス画面と雪乃さんのステータス画面の二つを同時に表示させた。


 「今、私とタケルは同じ『管理者権限』が付属されているアイテムを装備しているよな?」

 「ええ、細かいところは分かんないっすけど、装備してるっす」


 雪乃さんはノートパソコンのキーボードでカタカタと数字を打ち込んだ。


 「ここだ。同じように数字を打ち込んでみても、私のステータスは管理者権限でプラスされる分のステータスを自由に変更出来るのに、タケルの数値はエラーが出るのだ」


 確かに画面で確認すると、僕のステータスにはエラーと出ている。

 逆に雪乃さんの全ステータスは今、管理者権限の効果で+10,000となっている。

 実際にゲームの世界に行って見て分かったのだが、管理者権限の効果で上がるステータス+1,000というのは、そんなに無茶苦茶高いわけじゃなかった。

 どうやら今やって見せているみたいに、いつでも数値を変更する事が可能なので、プレイヤー達のLVが低い内は取りあえず+1,000でいいか、という感じだったのだろう。


 「私が持っているアイテムも、操作して数値を変更させたり、アイテム自体を追加させたり出来るのだが、タケルには管理者権限のアイテム以外、ゲーム内で実装されているアイテムや、今後追加されるアイテムも操作して追加する事がどうやっても出来ないのだ」

 「へー、そうなんすか? まぁアイテムも装備品も自分で獲って来るから問題ないっすよ?」

 「この大天才の私が操作出来ない、というところが問題なのだが、まぁタケルだからなー。つくづく面白いよな。それと他にも分かった事があるぞ」


 雪乃さんは追加で僕の装備品を画面に表示させた。


 「タケルはゲーム内で『長谷部はせべ』を装備しているよな?」

 「ええ、昨日パーティーメンバーに貰ったんすよ」

 「この装備品の画面でも確認出来るのだが、現実こちらの見た目では勿論装備は何一つ追加されていないのだが、ステータスは装備品分しっかりと上昇しているのだ」


 ほら! と、また画面をこちらに向けられた。

 今度の画面はどうやら僕自身のデータみたいなのだが、僕にはさっぱり分からない物だった。

 そういや管理者権限のアイテム『タイ○ーマスク』も、現実リアルの体には反映されなかったもんな。

 まぁ、あんな物着けたまま学校とか絶対行きたくないし……。


 「タケルの見た目を変化させるのはなかなか難しそうだ。しかし私自身の為、いち早くタケルの体を正常にしてみせるからな」


 何やら両手で握り拳を作って燃えているみたいなのだが、そういう時は嘘でもいいから僕の為に! と言った方がいいぞ?



 「では私は作業に戻るから、また明日な!」


 雪乃さんはエプロンを外してソファーに掛け、ノートパソコンを仕舞い始めた。


 「頑張ってくれるのは凄く嬉しいけど、あんまり無理しないで下さいよ? 後、夜はちゃんと寝て下さい。それと……ハンバーグご馳走様でした。美味しかったですよ」


 雪乃さんは僕に背中を向けたままバイバイと手を振り、スキップしながら研究室を出て行った。


 「っしゃーーー!」


 研究室の外、少し離れた場所から雪乃さんの大きな声が聞こえて来たので、どうやらかなり気合が入っているみたいだ。

 このままだと今夜も寝ないで作業しそうだな。


 ……今日寝る前にでもメッセージを送ってみるか。

 

 雪乃さんが作業に戻った後、僕は研究室のテーブルの上に置いてあったメモ帳にメッセージを書きながら、食後の珈琲を堪能していた。


 <雪乃さん、遅くまで作業ご苦労様です。僕との約束を破ってこんなにも遅くまで作業するなんて……僕に嫌われても知らないぞ? 風邪をひかないように温かくして寝て下さい。 タケルより>


 メモ帳をソファーの上に乗せ、少し仮想空間で特訓をさせて貰う事にした。




 ……ど、どんなに愛犬キノンちゃんに話し掛けてみても、『多言語カリスマトークスキルLV2』のLVが上がってくれない。

 キノンちゃんが尻尾をプリプリ振りながら僕の足に絡み付いて来たので、少しだけ、少しだけ……と思いながら短い毛並みを堪能していると、気が付けばしっぽりとキノンちゃんに癒されてしまっていた。

 かなり会話もしてみたのだが、どうやらキノンちゃんと会話する事は出来ないみたいだ。

 ……がっかり。い、いや、特訓、あくまで多言語カリスマトークスキルの特訓の為にキノンちゃんと遊んで……特訓していたんだぞ?

 それで何となく分かったのは、REINAの言葉は動物の言葉というよりかは、恐らくゲーム内での新しい言語『パンダ語』という扱いなのだろう。

 もっとREINAと会話をしていればLVも上がったのだろうけど、昨日は僕の単独行動が多かったからな。

 今日もログイン遅くなるみたいだし、LVアップは明日以降かな?

 

 

 「スイマセン馬場さん、鎖で縛られて身動きの取れないスネークナイトを一匹出して貰ってもいいですか?」


 仮想空間で光魔法の特訓相手に、今回はスネークナイトを用意して貰った。

 まぁ、特訓と言うよりかは実験に近い事をするのだが……。

 因みに僕の現在の姿はゲーム内と同じ姿で、『革の鎧』と『長谷部はせべ』を装備している。


 「シャシャーー!!」


 目の前に現れた身動きの取れないスネークナイトは魔法も封じられているみたいで、ステータス画面には『行動不能』と『魔法封印』と出ている。

 自立する為の尻尾も鎖で縛られているので、スネークナイトは現在横たわっている状態だ。


 よし、始めるとするか。


 可哀相だけどシャーシャーうるさいスネークナイトの尻尾の先を、少しだけちょん切らせて貰う。


 「シャ、シャシャー!」


 切り取った尻尾の再生を確かめる為、傷口に【ヒール】を唱えてみると、傷口の尻尾の先は優しく淡い光が輝いた後新しく出現した? 生えた? のだが、切り取ったはずの尻尾の先っぽは消滅してしまった。

 何回か続けてみたのだが結果は毎回同じだった。

 ……これってゲームの中だから切り取られた部分は消滅してしまうのかな?

 もしこれと同じ現象が現実リアルでも起こるのであれば、コナちゃんの改造されてしまった部分を僕が切り取ってしまい、回復させてあげればもとに戻せるんじゃないのか?

 あくまでも僕が切り取った場合に限られるかもしれないので、確認は必要なのだが。

 しかし回復しても改造後の体に戻ってしまう可能性もあるのか……。


 辺りをキョロキョロと見渡し、最初に仮想空間に来た時に練習用として出して貰った物で、離れた場所に転がり放置されていた『案山子』を手に取る。

 少々残酷ではあるが実験の為に、ゴメンねーと謝りながらスネークナイトの尻尾の太い部分を少し切り開き、その中に案山子を埋め込んでみた。


 「ジャャジャー!!」


 ハイハイ、痛くないですよーと呟きながら、傷口を【ヒール】で閉じる。

 ……案山子が出て来ない。傷口は完全に閉じていて、見た目は回復しているのだが案山子は何処かに消えてしまったのか、それとも尻尾の中に埋まったままなのか……。


 今度は今案山子を埋め込んだ部分より、少し尻尾の根元からちょん切ってみる。


 ジャ、ジャメテクダジャイ!


 そんな風に聞こえたのは恐らく気のせいだが、スネークナイトはうるさくシャーシャー言っている。

 そして切り取った尻尾の中には案山子が詰まっていた。……気持ち悪い。

 後はこの傷口を回復してみて、普通の尻尾が生えて来るのか、それとも案山子が詰まった尻尾が生えて来るのかを確認すれば、コナちゃんの傷口を回復した際、改造前のコナちゃんに戻るのか、改造後のコナちゃんに戻ってしまうのか結果が出るだろう。

 あくまで仮想空間と現実リアルが同じ結果になる場合ではあるのだが。



 ……傷口からは案山子の詰まっていない尻尾が生えて来たみたいだ。

 消滅した尻尾から案山子がゴロリと転がり落ちて来たので、尻尾を切り取って確認する前に分かったぞ。

 念の為に尻尾をぶった切って調べてみたのだが、やはり案山子は詰まっていなかった。


 「「おおーー!!」」


 僕の実験結果を研究室で見ていたのか、馬場さんやサポートチームから驚嘆の声が聞こえて来た。


 「タケル様! 非常に興味深い実験結果でした。ボスも今みたいな方法を試していた記憶が御座いませんので……。コナ様を治療なさる為の研究ですよね?」

 「ええ、仮想空間では上手く行ったみたいですけど、果たして現実リアルでも同じ結果になるのかどうか……、あのー、因みに馬場さんって体丈夫な方ですか? 痛みに強かったりしますか?」

 「……タケル様、ご勘弁下さい。何だか最近タケル様が段々とボスに似て来ている気がします……」

 「や、やだなー馬場さん、冗談っすよ、冗談!」


 あははー、と笑いながらスネークナイトを片付けてしまい、今日は早めに練習を切り上げる事にした。

 少しの可能性ではあるがコナちゃんの体を元通りに治療する目処が立ったぞ!

 しかし困ったな。ぶっつけ本番でコナちゃんに施術するわけにも行かないし、誰か現実リアルで本当に実験させてくれないかな?


 ……山下君明日朝早く登校して来ないかな?

 




 「ただいまー」


 研究室から瞬間移動で自宅へと戻ってくると、アヴさんとコナちゃんがリビングからドタドタと駆け寄りながらお出迎えしてくれた。


 「タケルお兄ちゃんおかえ……り、ハ、ハンバーグだ、タケルお兄ちゃんがハンバーグだ!」


 コナちゃんはそのまま僕の足もとに絡み付いて来たのだが、途中から僕が手に持っている物の匂いが気になったのか、何やら日本語がおかしい。


 「ただいまコナちゃん。でも日本語がちょっと変だよ?」

 「うーん、お姉ちゃんとハンバーグの勉強していたら何だかコナも分からなくなって、ハンバーグ……それでタケルお兄ちゃん、お土産ハンバーグ?」

 「うん。アヴさん関係なく、ただコナちゃんの意識がハンバーグに行き過ぎているだけだと思うよ?」


 僕が研究室から帰る際馬場さんから手渡されたのだが、雪乃さんはコナちゃん、アヴさん、くるみ、お母さんの分のハンバーグも作ってくれていたみたいだ。

 コナちゃんは僕からお土産を受け取ると早速キッチンへと駆け込み、慣れた手付きで電子レンジを操作し始めた。

 い、一体いつの間にこんなにも我が家に馴染んだんだ?


 『タケルさんお帰りなさい』

 『ただいまアヴさん。じゃあ約束通り早速日本語の勉強を開始し――やっぱりハンバーグ食べてからでいいや』


 アヴさんもチラチラと電子レンジの方を気にしている様子だったので、お土産を食べてから勉強を始める事にした。






 「……ぬ・け・ま・せ・ん……」

 『ふー、やっぱり日本語って難しいですよね。どうでしたか? タケルさん。……あの、タケルさん?』


 ……冗談でしょ?

 アヴさんは教科書に載っている平仮名で書かれた物語を、たどたどしくではあるが一度も間違える事なく最後まで読み切ってしまった。

 一日、二日で五十音をマスターしてしまったのか……。


 『アヴさん、凄過ぎですよ! 勉強捗らないどころか、無茶苦茶進んでるじゃないっすか』

 『それが、平仮名と漢字も少しは読めるのですが、ここからどうすればいいのかが分からないのですよ』

 『……か、漢字も読めるんですか?』

 『少しですよ? この「しょうがく二ねん こくご 下」に載っている物は覚えることが出来ました。次はこの「三……ねん」かな? これを覚えて行こうと思います』


 アヴさんは三年生の教科書を両手で持つと、整った容姿の前に小さく掲げた。

 ……そのスピードで覚えられてしまうと、一週間後には僕より日本語が上達していそうだ。

 僕は中学一年で止まっているから……。


 『アヴさんは覚えるのが凄く早いみたいなので教科書で勉強しつつ、えーっと……「これは何ですか?」って僕やくるみ、コナちゃんに何でも聞く癖を付ければ日本語上達の近道になると思うよ?』

 

 今までは日本語と他の言葉の使い分けが出来なかったのだが、意識すれば上手く切り替える事が出来た。

 よしよし、僕も成長しているぞ!


 『「これは何ですか?」ですか?』

 『うん。例えば……この国語の教科書に向かって「これは何ですか?」って聞いてみてくれる?』


 僕はアヴさんに向かいつつ教科書を指差した。


 『分かりました。では、「これは何ですか?」』

 「これは国語の教科書です」


 アヴさんが教科書を指差しながら聞いてくれたので、日本語で答えた。


 『あ、分かったわ。多分タケルさんは今、教科書の事を日本語で教えてくれたのですよね? なるほどー、こうやって日常生活に役立つ物の名前を教えて貰って覚えて行けばいいのですね』

 『……やっぱりアヴさんは頭がいいなー、その通りだよ。物の名前が分かっていれば、身振り手振りを加えれば日常生活なら殆ど伝わるからね。これからもどんどん「これは何ですか?」って聞いて下さいよ』


 僕の話を聞いたアヴさんの表情がパッと明るくなった。

 どうやら日本語に対する靄が消え去ったみたいだ。


 『タケルさんは日本語を教えるのが凄く上手ですよ! コナなんて変な日本語しか教えてくれないのですよー!』


 アヴさんはほっぺをぷっくりと膨らませながら、僕の隣で一心不乱にハンバーグを食べているコナちゃんを見つめている。

 ……あの、コナちゃん? ハンバーグ食べ過ぎじゃない? くるみとお母さんの分も食べたよね、それ。

 馬場さんからの伝言で、雪乃さんが宜しくと言っていたと必ずお母さんに伝えてと言われていたが、これは内緒にしておくべきだな。

 しかし変な日本語って何だ?


 『因みに変な日本語ってどんな事を聞いていたの?』

 『それが……』


 一瞬アヴさんが戸惑う。


 「おおさかめいぶつぱ〇ぱ〇ぱんちやー、もーかりまっかーぼちぼちでんなー、しゃちょーさんきょうもきてくれはったん、なんでやねんなー――」

 『……ア、アヴさんもういいよ。……もう、一体アヴさんに何を教えているのさ、コナちゃん』


 何故関西弁? しかも変な言葉ばっかり!

 コナちゃんの悪戯好きにも困ったもんだな。


 「せやけどおもろー勉強したほーが、捗るやんか?」


 コナちゃんがハンバーグを貪る手を止めて関西弁で話し始めたのだが、何処か『エセ関西人』っぽい話し方だ。

 関西弁なんて何処で覚えたんだ? テレビか?


 「面白く勉強した方がいいのは確かだけど、今後は変な言葉は教えないでね? アヴさんは今一生懸命日本語を覚えている最中なんだからさ」

 「……うん、分かった」


 コナちゃんの頭を優しく撫でるときちんと理解してくれた。

 そして再びハンバーグをガツガツと食べ始めた。



 『アヴさん、気兼ねせずにいつでも「これは何ですか?」って聞いて下さいよ?』

 『はい、どんどん聞いて行きますね! じゃあ早速、「これは何ですか?」』


 アヴさんは少し嬉しそうにテーブルの上に置いてあった鉛筆を指差した。


 「これは鉛筆です」


 僕は少しゆっくりと丁寧に答えた。


 「……え・ん・ぴ・つ、えんぴつ、えんぴつ」


 アヴさんは僕の言葉をゆっくりと復唱し始めた。


 「これは何ですか?」


 今度はコナちゃんを指差した。こういう場合は何て答えればいいんだ? えーっと――


 「この子は妹です。『この子は妹ですって意味ですよ』」


 分かりにくいと思ったので、アヴさんの村の言葉も添えてあげる。

 僕の言葉を聞いて、コナちゃんは嬉しそうに笑みを浮かべた後、何やら悪い顔でウシシと笑い始めた。

 ……一体どうしたんだ?


 『妹は「いもうと」って言うのですね? という事はくるみさんはタケルさんにとって「いもうと」になるのですね? では「これは何ですか?」』


 アヴさんは僕に向かって指を差した。

 ……はへ? これってどういう事? くるみにとって僕がどういう関係かって事かな?

 

 『未来の旦那様です』


 答えたのは僕ではなく、隣のコナちゃんだ。

 僕があれこれと考えていると、コナちゃんが悪戯っぽく答えたのだ。

 ……アヴさんの顔がピンク色に染まり出したぞ? しかし最初は恥ずかしそうな表情だったのだが、次第にワナワナとし始めて……何というか、夜叉というか、般若というか……怖い。


 「さ、さーてっと、た食べ終わったし洗い物でもしようかなー」


 アヴさんの気配を感じ取ったコナちゃんは、椅子を引いてそそくさとその場を退散しようとしたのだが、アヴさんに襟を掴まれてしまったので失敗に終わったみたいだ。


 『じゃ、じゃあ僕はそろそろ部屋に戻るよ。ご、ごゆっくりー』

 「まま、待ってタケルお兄ちゃん! コナを置いて行かないで!」


 心の中でゴメンねと謝りながら、僕はコナちゃんの方を見ないようにしてリビングから出ると、玄関の扉がガチャリと開いた。


 「「ただいまー」」


 くるみとお母さんが帰って来た。


 「お帰りお母さん、くるみ」

 「あらタッ君ただいまー、丁度良かったわ、タッ君もリビングに一緒に集まって」


 お母さんは玄関で靴を脱ぐと僕の腕にしがみ付き、そのままリビングへとUターンされられてしまった。


 「おか、えりなさ、い」


 リビングではアヴさんがたどたどしくお母さんを迎えたのだが、お母さんはアヴさんが日本語で迎えてくれたのが嬉しかったのか、僕の腕から離れてアヴさんに抱き付きに行ってしまった。

 リビングの入口ではくるみが青い顔をしながらフラフラとしているのだが、何故か椅子に腰掛けているコナちゃんも元々血の気が少ない顔色なのに、更に真っ青になって斜め下を向いてしまっている。

 さてはアヴさんに何か言われたんだな。

 くるみがそのままフラフラと僕の方に寄って来たのだが、目の下の隈が源三みたいになっているぞ? 大丈夫か?


 「……お、お兄ちゃん、私と一緒にゲーム、OPEN OF LIFE……やろう」


 くるみはやっとの思いで僕の腕にしがみ付いたのだが、そんな状態でよく家まで帰って来られたな。


 「いや、まずは少し寝たら? 今日寝てないんだろ? そんなに急がなくても逃げな――何でくるみがゲームの事知ってるんだ?」

 「来週のくーちゃんの誕生日まで我慢出来なくて、お母さんがさっきポロって話しちゃったのよ」


 お母さんはリビングの収納スペースに仕舞われている、掃除機やら五段重ねのBOXティッシュやらをガサガサと除けながら、奥から見覚えのある段ボール箱を取り出した。

 そんなところに隠していたんだね、お母さん。


 「はい、くーちゃん。お誕生日おめでとう! くーちゃんが欲しいって言ってたから、お母さん奮発しちゃった。でもゲームばっかりしないで、受験勉強もちゃんとしなきゃ駄目よ?」

 「……ありがとう、お母さん。うん、勉強もちゃんとするって約束するよ」


 くるみはOPEN OF LIFEと書かれた大きな段ボール箱を受け取ると、両手でギュッと抱きしめてから、嬉しそうに微笑んだ。 




 その後何故かくるみが鬼気迫る勢いで僕の部屋に行こうと誘って来たのだが、お母さんにご飯を食べてからにしたら? と止められていた。

 僕とアヴさんはさっき食べたから、今日は晩御飯いらないと断ったのだが、コナちゃんは普通に晩御飯も食べるみたいだ。

 ……コナちゃんの身体、実は燃費が悪いんだな。ハンバーグの事はお母さん達には内緒にしておこう。

 くるみには19時前から一緒にダイブするから後で部屋においでと伝え、それまでは仮眠しておくように! と念を押しておいた。

 源三みたいにゲーム内で寝られても困る、というのも勿論ある。


 しかしそれよりも、今から一足先にダイブして、僕の見た目を何とかしなければ!

 ホルツさんが作ってくれている鎧でガチガチに固めてしまえば、何とか誤魔化せるだろうか……。


 慌てて自分の部屋へと戻って来た。

 僕と一緒にリビングから出て来たコナちゃんは、そのままアヴさんに元お父さんの部屋へと連れて行かれたのだが、別れ際、アヴさんは僕に向かって笑顔で手を振ってくれた。

 対照的にコナちゃんは僕に向かって手を伸ばして何かを訴えかけていたのだが、僕にはどうする事も出来ないので笑顔で手を振っておいた。

 アヴさんのお説教タイムか……頑張れ、コナちゃん。


 ……くるみの誕生日、確か来週の日曜日だったよな?

 僕の部屋に掛かっていたカレンダーが三月のままだったので、ビリッと破って四月に変える。

 ずっと引き籠っていたから、日にちや曜日を確認する習慣が全くないのは問題だな。

 えーっと確か入学式がこの日で、くるみの誕生日が…っと、あれ、明日土曜日だけど学校ってあるのか?

 高校も土曜日に学校があるのかどうか知らないぞ?

 確かくるみは土曜日学校休みで家に居たはずなのだが……。

 慌てて携帯を取り出し、足立さんにメッセージを送る事にした。


 <明日の学校の行事って何があるの? 僕先生の話をちゃんと聞いていなかったから教えてくれる?>


 よ、よし、さりげない文章が作成出来たぞ、送信っと。……早っ、もう返って来た。


 <もー、明日は休みでしょ? 月曜日の行事ならクラスの委員会決めとかだったと思うよ? それより今日の二十三時三十分から、楽しみだよねー!>

 <あははー、ゴメンゴメン、月曜の間違いだったよー>


 フフ、我ながら作戦が上手く行ったぞ。明日土曜日はやっぱり学校休みだった。……あれ、またメッセージが来た。


 <それより今日の二十三時三十分から、楽しみだよねー! 二回目>


 二回目……。こ、これは逃げられそうにないな。覚悟を決めるか。


 <そうだね、ギリギリになるかもしれないけど必ず行くから待ってて!> 

 <うん! 絶対成功させようね! うわー、凄く楽しみー!>



 今日も忙しくなりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る