第13話

  

 「タッ君、そろそろ出発しないと学校遅刻するんじゃないの?」


 今日は少し寒いな、とか思いながらコーヒーを啜りつつ、ゆっくりとした朝を過ごしていたのだが、お母さんに心配を掛けるわけにはいかないので、着替えを済ませ家を出る事にした。

 時間的にはまだまだ余裕なんだよなー。 

 玄関でアヴさん、コナちゃんに行ってきますと挨拶をして扉を閉めた後、マップで家の周辺と学校の瞬間移動先に誰もいない事を確認する。


 はい、学校到着。通学時間僅か数秒。

 校舎の外にあるトイレの裏側に瞬間移動したので、ここから教室に移動する時間の方が長い。

 こんなに早く学校に来ても、部活動の朝練をしている人しか登校していないんじゃないの?


 「お、おはよう! 山田君!」


 昇降口で靴を履き替えていると、足立さんが駆け足でこちらに向かいながら声を掛けてくれた。

 足立さんは学校来るの早いんだなー。

 彼女は今日も大人っぽい服装で、動く度にフワフワと揺れるボブカットがとても良く似合っている。

 朝早いのにも関わらず、メイクも一切妥協されていないみたいだ。


 「おはよう! 足立さんは朝早いんだね!」

 「山田君こそ、毎日このくらいの時間に登校する予定なの?」

 「うーん、まだそこまでは決めていないかな」

 「そ、そうよねー」


 もっと寝ていたいんだけど、お母さんに出発させられるんだよなー。

 でも来週からお母さんは病院勤務が夜勤になるから、もっとギリギリまで寝ていられるかな。

 なんて話をしながら教室へと向かうと、大谷君と加藤君だけが教室に到着していた。

 勿論名前を憶えていたわけではなく、ステータス閲覧でチェックさせて貰ったのだが。

 二人にもおはようと挨拶を済ませてから自分の席に着く。


 「それで山田君、昨日の話って本当なの?」

 「き、昨日の話って?」


 席に着いて早々、足立さんが身を乗り出して話してくれたのだが……き、昨日も色んな事があり過ぎて記憶が……何だっけ?


 「もー、OPEN OF LIFEの事よ。山田君も持っているって話をしてたじゃないのよー」


 足立さんはほんのりとお化粧された頬を膨らませ、座ったまま僕の腕をバシバシと叩き始めた。

 手はグーだ。妙に慣れている気がするのだが、和葉みたいな近接格闘タイプの戦闘スタイルなのかな?


 「そうだったね、ごめんごめん」

 「それで、山田君もやっぱり今カヌット村に来ているの?」


 カ、カヌット村? 知らないぞ? ……もしかして冒険者で溢れ返っている小さな村の事か?


 「いや、僕はまだゲームを始めたばかりだから、ファストタウンに到着したところだよ」


 う、嘘は付いていないよな。ゲームは始めたばかりだし……。

 ちょっとワイバーン殲滅させたり、家購入したり、LVが高かったりするだけで……。


 「そうなんだ! じゃあ私が色々教えてあげるね!」


 足立さんは楽しそうにゲームの事を話し始めた。

 何か騙しているみたいな気持ちになって来た……。


 足立さんは『POP☆GIRLSポップ・ガールズ』という女性限定のパーティーで活動していて、昨日LV3まで上がったのよ! と喜んでいる。

 予想通りというか、近接格闘タイプだった。


 「以前和葉っていうプレイヤーにボコボコにやられちゃったのよね」


 LVを上げていつか再戦してやるわ! と自分の掌に拳を打ち付けているのだが、表情がちょっと怖い。

 和葉の事を少し聞いてみたのだが、対戦PKでは凄まじい強さを誇り、負け知らずで連勝を重ねていたのだが、少し前から姿を見せていないとの事。

 まぁファストタウンに戻って来ていて、僕のパーティーに加入しているからね……。

 この事は言った方がいいのだろうか? 

 『POP☆GIRLSポップ・ガールズ』のメンバーも、ギフト装備『安全第一のヘルメット』を取られた! と嘆いているのだそうだ。

 へ、ヘルメットって……多分ワイバーンキングに投げ付けたヤツの事だよな。

 出来れば返してあげたかったけど、もう夜空のお星さまになってしまった事は内緒にしておこう。


 そしていよいよ今夜、山下君が所属しているというギルド組織『戦場の女神ヴァルキリーア』が先頭に立って、『オリエンターナ』へと続く地下道突破作戦を決行するらしい。

 今のところ総勢六百人体制で強行突破する予定らしいのだが、地下道には強力なモンスターが居るっていう話を、僕はバーのマスターから既に聞いているので、果たして上手く行くのかどうか……。

 因みに『POP☆GIRLS』も作戦に参加するみたいで、足立さんも、今から腕が鳴るわ! と僕の前でシャドーボクシングを繰り返している。


 「『POP☆GIRLS』は五本の指に入るトップパーティーの内のひとつなのよ!」


 足立さんが掌を広げて指を一本一本折りつつ、残り四つのパーティー名を説明してくれたのだが、もう無理っす。覚えらんないっす。 


 「多分だけどさ、山下君も見かけたよ」

 「ホントに? でもその多分っていうのはどういう事?」

 「それがさ、凄く可笑しいのよ。話し方や声なんかは完全に山下君なのに、見た目二メートル近い筋肉ムキムキの大男で、名前が『運命ディスティニー・の鬼斬オーガブレイカー』っていうの。最初見た時は気付かなかったけれど、名前の漢字を早口で声に出して読んだ時に笑っちゃったわよ」


 山下君、中二病全開だなー! 二メートルの大男で筋肉ムキムキか。

 山下君もかなりアバターで『盛った』みたいだな……。

 その件では、人一倍『盛った』僕は何も言えないのだが。

 しかし運命の鬼斬、か。な、何か変かな? 漢字を早口? うんめいのおにきり、うめいのにきり、うめいのにぎり……、ブー!


 「「梅のお握り!!」」

 「おいおい山田君、朝から女子とイチャつくとは、僕に喧嘩でも売っているのかな?」


 足立さんと爆笑していると噂をすれば何とやら、今朝も一生懸命ワックスで髪型をセットして来た梅お握り……じゃなかった、山下君が登校して来た。



 教室にはポツポツとクラスの生徒が登校して来ているのだが、未だにその人数は少ない。


 「それで? 何の話で盛り上がっていたのさ」


 山下君は自分の机に鞄をドン! と乱雑に置くと、席に座ったまま僕達の会話に入って来た。

 足立さんに、話してもいい? と聞く感じで視線を送ってみると、ボブカットを揺らしながらコクコクと頷いてくれた。


 「VRMMO OPEN OF LIFEの話だよ?」

 「あー! やってみたいなー、ってヤツだよね?」

 「ううん、違うの。本当はわたし達も持っているのよ、OPEN OF LIFE」


 僕の代わりに足立さんが山下君に申しわけなさそうに答えてくれた。

 山下君は両目を見開きながら、ふへ? と変な声を出した後、僕達二人にホントに? という視線を送って来たので、コクリと頷くだけの返事をした。


 「じゃあ、僕が昨日教室で話したゲームの内容も――」

 「……嘘って知ってるの。黙っててゴメンね」


 足立さんは顔の前で可愛らしく両手を合わせた。


 「ぬわーーー! 何だよー! 超カッコ悪いじゃん!」


 山下君は叫んだ後、自分の鞄にバフッと顔を突っ伏してしまった。


 「まぁまぁ、は別に気にしなくてもいいんじゃない? 『運命ディスティニー・の鬼斬オーガブレイカー』さん」


 僕は笑いを必死に堪えながら、その名前を口に出した。

 足立さんも両肩を小さく揺らしているみたいだ。

 僕が口に出したその中二病ネームを聞いた山下君は、鞄に顔を突っ伏したまま、耳を真っ赤に染めている。


 「ど、どどどどうしてそのな、なな名前を゛……?」


 遂に首筋までがピンク色に染まってしまった。


 「実はわたし、『POP☆GIRLS』に所属していて、昨日の作戦会議の時に見掛けちゃったのよ。多分山下君なんだろうなーって。近くに『MIKOTOミコト』っていうプレイヤーがいなかった?」

 「……居た、確かに居た! 獣耳でフサフサの尻尾を靡かせていたプレイヤーだ」


 山下君がガバッと起き上がり、こちらを振り返った。

 ちょっと涙目だ。……け、獣耳?


 「獣耳!」


 ワードに反応して思わず振り返り、足立さんをまじまじと見つめる。

 こ、この容姿に獣耳、フサフサの尻尾……似合う。


 「や、山田君、ちょ、どうしちゃったのよ……?」


 モフらせて下さい! 何て言えるわけがない。


 「でもその『MIKOTOミコト』ってプレイヤー、物凄く背が低くて幼女っぽい感じだったぞ?」

 「な、何よ、わたしが幼女っぽいアバターじゃ変だ! っていう事? 山下君なんか二メートルの筋肉ムキムキで『梅のお握り』のくせに。今日ログインしたら覚えていなさいよ? ボコボコにしてやるんだから」


 足立さんは握り拳を作って、今すぐにでも山下君に飛び掛かって行きそうな体勢を取っている。


 「ちょ、梅のお握りって言うなよー! 僕も人に言われるまで気付かなかったんだよ。名前変更したくても出来ないしよー!」


 山下君はワックスで一生懸命セットして来た頭をガシガシと掻き毟った。


 「と、ところで山田君はどんなアバターなの? ギフトなんか持っていたりするの?」


 足立さんは興味津々といった感じで瞳をキラキラと輝かせている。

 本当にゲームが好きなんだろうなー。


 「僕のアバターは、今の僕とは全然違うよ? どう違うのかは……まぁゲームの中で会った時のお楽しみって事で。でもギフト装備は持ってるよ」

 「うそー! ギフト装備持っているんだ! いいなぁー。ねぇ、どんな装備なの?」


 興奮気味の足立さんは机から身を乗り出し、一段と瞳をキラキラとさせている。

 足立さん、顔が凄く近いんですけど……。


 「ぼ、僕が持っているのは『タイ○ーマスク』で、『洗濯スキル』が付いていたよ。多分ハズレギフトなんじゃないかな」


 足立さんと山下君は、僕のギフト装備とスキルを聞いて爆笑し始めた。

 本当の事を言うわけにはいかないので、心苦しいけど『改ざんスキル』で弄った内容を教える事にした。

 山下君には、下積み時代のプロレスラーかよ! と言われてしまったのだが、大きなお世話だ! と突っ込んでおいた。


 いつか嘘偽りなく話せる日がくるのかな……。


 ゲームの話に華を咲かせ過ぎた為、いつの間にかクラスメートが殆ど登校して来ている事に気が付かなかった。

 まさか僕が学校でこんなにも楽しい時間を過ごせる日が来るなんて、思いもしなかったよ。

 隣の席の坂田さんがおはよう! と挨拶してくれたので僕も、おはよう! と手を振って挨拶し返したり、その様子を見ていた山下君が僕に突っ掛かってきたり、教室の外の廊下から知らない人に手を振られたり、知らない人から手を振られたり。

 ……な、何だかやけに知らない人から手を振られる気がするな。

 あ、まただ。どーもー。


 「……はぁー、やっぱり山田君モテるんだよねー」


 そんな僕の様子を見ていた足立さんがため息交じりで呟いた。


 「みんな物珍しさに相手をしてくれているだけだよ」


 山下君に目と鼻の距離で睨まれながら手を振り返していると、担任の筑波先生が教室へとやって来て、LHRロングホームルームが始まった。

 高校生活についての何とかかんとかと、眠気を誘う長い話が始まったので、この時間を使って座ったままでも出来る、スキルのLV上げをさせて貰おう。

 一応アクティブスキル『隠蔽強化』を掛けてから、『改ざん』でステータスを弄りつつ、アクティブスキル『部分強化ブースト』で腕の力を上げ、そのまま手の甲を抓ってみる。


 うん、普通に痛い。

 更に強く抓ってグイグイ引っ張ってみる。

 かなり痛いけど『物理ダメージ減少スキル』が『物理ダメージ超減少スキル』へと進化したぞ。


 「……頭大丈夫か?」


 いつの間にか山下君が僕の方へと体ごと振り返っていた。

 うん。今度からはアクティブスキル『霧隠れ』も掛けてからLV上げをしよう……。

  


 この後クラブ紹介があるので、みんなで廊下を歩いて体育館へと移動しているのだが、筑波先生が昨日教えてくれた通り、生徒達からもの凄く見られている事に気付く。

 女子生徒達からは勿論なのだが、男子生徒達からも見られている。

 しかし男子生徒からの視線には、あまり良くない物も混ざっている。

 虐められていた僕だから分かる、このジットリとした視線……はぁ、折角筑波先生に助言も貰っていたのに、また面倒な事になるのかなぁ……。

 上級生もいるみたいだし、何とか穏便に済ませたいのだが、何かいい方法はないものか。


 体育館の端にある舞台へと向かって、A組からF組までが整列し、前から名簿順で並んでいるので、A組の僕は生徒の一番端、一番後ろに座っている。

 こんな場所に座っているからすぐに気付いたのだが、他のクラスの女生徒達が僕の方を見ながらヒソヒソと会話している。

 普通に手を振って来る女子もいるぞ。


 「おい、山田君! あそこの子、僕に向かって手を振っているぞ! おーい!」


 何を勘違いしたのか、僕の前に座る山下君が、自分に向かって手を振ってくれていると思ったのか、立ち上がって手を振り返している。


 僕も山下君くらいどっしりと構えていればいいのか?

 その後山下君が筑波先生に頭を叩かれて無理矢理座らされると、いよいよクラブ紹介が始まった。

 こういうのって確か、各クラブの主将や何名かで持ち時間内でアピールしたり、パフォーマンスをしたりするんだよな。

 アニメでそういうシーンを見た事があるぞ。

 舞台袖から最初のクラブ、服装から察するに野球部が両手を振りながら登場した。

 舞台の真ん中で主将がマイクを持って野球部の紹介を始める。

 ユニフォーム姿の主将は坊主頭で体格も良く、その真っ黒に日焼けした肌が毎日の練習量を物語っている。

 マイクを持つ主将の背後では、ピッチャーがなかなか速い球を投げていて、ミットを構えたキャッチャーのグラブへとボールが吸い込まれる度に、ズバーン! という豪快な音が体育館に響き渡り、生徒達からは、おおーー! という声が自然と湧き上がっていた。

 主将の話では今年の甲子園を盛り上げるピッチャーなのだとか。


 『どうだ? 誰か今ここで彼の球を打ってみたいという者はいないか? もしもバットに当てる事が出来れば野球部員全員で腕立て伏せ千回してやるぞ?』


 マイクを持った主将が冗談っぽく挑戦者を募り始めた。


 「よし、ここは一丁僕がカッコイイところを見せてやるか!」


 山下君が立ち上がろうとしたのだが――


 『ただし、空振り三振した場合は参加料として、腕立て伏せ百回して貰うぞー!』


 主将の言葉を聞いて、山下君は静かに三角座りをし直した。

 案の定生徒達からは一人も挑戦者が出なかった。

 そりゃそうだよなー。わざわざ腕立て伏せ百回しに行くみたいなモンだからな。


 『……そこの目立っている新入生、どうだ、挑戦してみないか?』


 主将は何やらこちらの方向を指差している。

 め、目立っている新入生?

 他の生徒達が一斉に僕の方へと振り向いた。


 ……取りあえず僕も後ろへ振り向いておこう。

 当然後ろには誰もいない。はぁ……。


 「よーし、山田君! ここは君に活躍の場を譲ろう。バーン! とホームラン級のヤツを打って来なよ!」


 山下君が大きな声を出しながら、僕の背中をバシバシと叩いた。

 すると生徒達から拍手と歓声が上がってしまい、嫌だと言い出せない空気が出来上がってしまった。

 何て事をしてくれるんだ、この野郎ー! と山下君の顔を見てみると―― 


 ククク、腕立て伏せ百回して来い!


 そんな悪い笑みを浮かべていてムカついたので、道連れにする事にした。

 仕方なくゆっくりと立ち上がり、山下君の腕を掴んで引っ張り上げると無理矢理立たせた。


 「僕達二人とも挑戦してもいいですか?」

 『ああ、勿論構わんぞ』


 主将から快くOKが出た。

 嫌だ、嫌だー! と叫んぶ山下君の腕を掴んだまま舞台へと向かう。


 「頑張ってー!」

 「任せときな!」


 途中クラスメートの女子から声を掛けられると、山下君はVサインを決めながら調子に乗って返事をしていたので、もう逃げる事もないだろう。


 「……くそ、覚えていろよ山田君」


 舞台へと上がる階段を昇っている最中、山下君が嘆いていたんだけど何て身勝手なんだ。

 山下君が調子に乗るからこんな事になったんじゃないか。


 舞台に上がってから山下君とじゃんけんをして、どちらが先に勝負するかを決めたのだが、どうしても先に山下君に挑戦して貰いたかったので未来予知スキルを使った。

 理由は簡単。山下君は多分打てない。

 あんな悪い顔した山下君にはやっぱり罰を受けて貰わないと!



 ……山下君は何の見せ場もなく三球三振した。

 生徒達からは哀れみの声と失笑、疎らな拍手が送られた。

 主将に残念だったな、と声を掛けられた山下君は、涙目のまま腕立て伏せの体勢を取らされた。


 ……仕方がない、助けてやるか。

 山下君もちょっとは反省しただろう。


 「主将、その腕立て伏せ、待って貰えませんか?」

 「何だ、約束を破るのか?」


 山下君の傍らにしゃがみ込んでいた主将がスッと立ち上がった。


 「いえ、そうではなく、僕が二回バットに当てる事が出来たら、山下君の腕立て伏せを十回に減らしてあげて下さい」


 僕はキャッチャーミットを構えている先輩の足もとに転がっているバットを拾い、キャッチャーの斜め前で打席に立つバッターみたいに構えた。


 ……山下君の構えをお手本にさせて貰った。

 僕、野球なんてやった事ないっす。

 

 「……ほう、ではもし二回当てる事が出来なければ――」

 「僕が山下君の代わりに二百回でも三百回でも腕立て伏せしますよ」


 生徒達に僕達の会話が口々に伝わって行き、生徒達が物凄く盛り上がりはじめた。


 「山田君頑張ってー!」


 舞台へと上がる階段のすぐ近くで体育座りをしている足立さんからも、黄色い声援が聞こえて来たので、さりげなくウインクを返しておいた。

 げげっ! 僕ってこんなキャラだったか?


 「ご、五百回だ! 一回足りとも減らす事なく、全てやって貰うからな!」


 僕の様子を見ていた主将が、坊主頭のこめかみに青筋を立てながら後ろへと下がって行き、ピッチャーに何やら合図を送った。


 ピッチャーは恐らく僕よりも先輩だと思うのだが、僕達のやり取りを聞いていたからなのか、その表情は物凄く険しい。

 闘志溢れるというより、寧ろ殺気に満ちている。


 「……調子に乗っているからこんな事になるんだぞ」


 僕がバットを持って構えるすぐ後ろで、腰を落としてミットを構えているキャッチャーの先輩がぼそりと呟いた。

 ……成程、どうやら最初から僕に腕立て伏せをさせる事が目的だったみたいだな。

 クラブ紹介の場を利用して、公衆の面前で恥をかかせてやろう、とかそんな事だろう。


 アタマ来た! そっちがその気なら僕も容赦しないぞ。


 ピッチャーの先輩が、何故か山下君の時よりもかなり近くから投げ始めようとしている。

 微妙にセコイな……、甲子園を盛り上げるピッチャーなんだろ? 自信持って投げればいいのに。


 しかしどういうわけか未来予知スキルで見る限り、ピッチャーの腕から放たれる速球は、僕の頭目掛けて飛んで来る。

 頭すれすれとかではなく、直撃コースだ。

 どうやら先程主将がピッチャーに何か合図していたのは多分これの事だろう。


 ……この人達馬鹿なのか? 僕、ヘルメットも装着していないのに頭に当てたりすれば大問題だぞ!

 まぁ僕の場合は全く問題ないのだが。

 故意にボールを頭に受けてこの場を収めるという方法もある。

 しかし僕の頭には恐らく傷一つ付かないので、これはこれで大問題になってしまう気がする……。

 そ、そうだ! このボールを逆に利用してやろう!


 未来予知スキルで見た通り、ピッチャーの投げた球が凄いスピードで僕の頭目掛けて飛んで来る。

 僕はその球をギリギリで躱すをして、後ろに倒れ込みながら上手く体を捻ってバットに当ててやった。

 金属バットのキン! という甲高い音が体育館に響いたのだが、生徒達からはどよめきが起こり、先生方が慌てた様子で僕の方に駆け寄って来た。


 「だ、大丈夫かい! 山田君!」

 「全然平気ですよ。ちゃんとバットに当てましたから。ね、先輩?」


 担任の筑波先生が倒れている僕に、心配そうに声を掛けてくれたので、確認の意味を込めて主将やピッチャーの先輩に向かって聞いてみた。


 「そ、そうだな。申しわけない。手もとが狂ってしまって……。もう少しで怪我をさせてしまうところだったよ」


 ピッチャーの先輩が帽子を脱いで頭を下げた。


 「やっぱり危険だから、野球部のパフォーマンスはここで終わりにした方がいいんじゃないか?」

 「大丈夫ですよ、先生。二度も続けて頭に飛んで来る、なんて事は間違ってもあり得ませんから。ね、先輩?」


 分かってますよね? という視線をピッチャーの先輩へ向けると、勿論だ! と答えてくれたので、そのまま勝負は再開された。

 筑波先生はもといた場所へと帰る際――


 「あと山田君、バットを持つ時の右手と左手、上下逆だから……」


 バットを持つポーズを取りながらアドバイスをくれた。

 ……格好をつけながら構えていた自分が凄く恥ずかしいじゃないか!


 「……ふん、あのまま引っ込んでおけば恥をかかずに済んだものを」

 「いやいや、今度恥をかくのはあなたですよ、先輩」


 僕が今度は正しくバッターの構えを取ると、キャッチャーの先輩がまたぼそりと呟いたので、ピッチャーの先輩を睨みつけたまま予告をしてあげた。


 「は? 何だと……?」


 ピッチャーの先輩が両腕を高らかに振りかぶる。

 未来予知スキルで見る限り、今度はど真ん中に投げてくれるみたいなのだが、先程よりもスピードが幾分か早い。

 先程の球は、一応頭に当てるという事で若干手加減されていたみたいだ。

 僕はそのど真ん中のボールをジャストミートしてホームラン! にはせずに、飛んで来るボールの若干上の部分を掠める感じでふわっとスイングした。

 僕のスイングによってその軌道を下方へと変えられたボールは、キャッチャーの先輩の手前でワンバウンドし、構えられたミットよりも遥かに下の部分、キャッチャーの先輩の下腹部を下から抉るように突き上げた。

 

 獣の呻き声のような物が体育館に響き渡った。


 その一部始終を見ていた体育館にいる女性達からは、キャー! という歓声が、男性達からは、オオゥ! という身震いするような唸り声が同時に上がる。

 キャッチャーの先輩は股間を押さえたまま蹲り、ピクリとも動かない。


 「大丈夫っすか、先輩?」


 僕の呼び掛けにも一切の反応を示さなかったので、先輩は蹲った体勢で背中をトントンと叩かれたまま、保健室へと連れて行かれた。

 まぁ最悪潰れていた場合は僕が治してあげる事にしよう。


 「主将さん、これで二回バットに当てたので勝負は終わりっすよね?」

 「……か、空振りだ。今のは空振りだ! まだ勝負は終わっていないぞ」


 言っている意味が分からないのだが、その表情は怒りに満ちている。

 真っ黒に日焼けしたこめかみに浮かび上がる血管がはち切れてしまいそうだ。

 今の一球はなかったに事にしたいらしい。


 自分達が絡んで来たくせに、勝負に負けたら難癖付けて来るとか……子供か!

 ハイハイと言いながら仕方なくもう一度構えを取ると、主将がキャッチャーを務めるみたいで、僕の後ろに構えた。


 「……許さん、絶対に許さんぞ」


 主将はブツブツと念仏のように繰り返し呟いている。

 はぁ……野球部、大丈夫か? 甲子園を盛り上げるんじゃないのかよ。


 「……主将、真面目に練習して、この夏本当に甲子園に行って下さいよ。ちゃんとみんなで応援に行きますから」

 「な、何を――」

 「後、ガラス代は野球部の部費から出しておいて下さい」


 話し終わると同時に、僕の懐を抉るような剛速球がピッチャーから放たれた。


 カキーン!


 僕が生まれて初めてまともに振ったバットは、甲子園を盛り上げるピッチャーの投げた剛速球を真芯で捉える。

 打球は体育館前方上部のガラスを突き破り、その後は何処まで飛んで行ったのかは分からない。

 一応誰もいない事を確認してからその方向へと打球を飛ばしてみたのだが、今も割れてしまったガラスの破片がパラパラと落ちて来ている。


 僕はバットを少し宙に放って縦に半回転させ、グリップ側ではなくボールを当てる側を片手で掴む。

 そのままグリップ部分を未だに腰を落としたままの主将へと向けて渡し、それでは! と主将に一礼してからステージを降り始めると、生徒達から体育館が揺れる程の大歓声と拍手が湧き起こった。

 片手を上げてどーもどーもと声援に応え、階段を降りた所で列の先頭に座る足立さんが親指を立てて、グー! とポーズを取っていたので、僕も親指を立ててお返ししておいた。


 「こらー、山下君は腕立て伏せしてから帰りなさいよー!」


 僕の後方で、しれっと階段を降りようとしていた山下君に、女子生徒から野次が飛び、体育館内が爆笑に包まれた。

 山下君は恥ずかしそうに、そして辛そうに腕立て伏せを十回だけした。


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