第16話
「はい、喜んで!」
大きな声でそう答えたのは、勿論僕ではなく雪乃さんだ。
「ッシャーーー! キターーー! 見ろ、私の言った通りだっただろうが!」
全身で喜びを表現しながら、近くにいた人の肩をバシバシと叩いている。
先程コソコソと会話していたのは、そんな事を言っていたのか。
しかしこれは困った事になったぞ。
雪乃さんと結婚、クエスト失敗の二択になってしまった。
「いやー、タケル、パンダを見に行くのが新婚旅行になりそうだなー」
雪乃さんは満面の笑みで僕の腕へと絡みついて来ているのだが、僕がまだ十五歳だという事を忘れていないか? 法律上結婚出来ないぞ。
「これだけ雪乃の肩を持つのです、健さんにも相当の覚悟がお有りだったのでしょう、雪乃の事頼みましたよ」
畳みかけるように春乃さんが言ってくるのだが、何かがおかしい気がする。
崇仁さんに視線を送ると、足もとをフラつかせていた崇仁さんがやっと重い口を開いた。
「……あ、……ぅあ」
ん? 何だ、ワインの飲み過ぎで呂律が回らないのか?
僕が崇仁さんのおかしな様子を見ていると、雪乃さんと春乃さんが僕の視線に気付いたみたいで、二人共崇仁さんの方へと振り向く。
「た、崇仁さん?」
「お父さん?」
「……ぅ」
二人が崇仁さんの元へゆっくりと歩み寄って行くと、小さな呻き声を最後に崇仁さんはその場に倒れ込んでしまった。
「た、崇仁さん! だ、誰か救急車、救急車を」
春乃さんが取り乱しながら大声を出して叫ぶ。
雪乃さんは状況が理解出来ていないのか、呆然とその場に立ち尽くしている。
僕も慌てて崇仁さんのもとへと駆け寄ると、春乃さんから声を掛けられた。
「た、健さん、何でも、何でも出来るんですよね? 三つ目、三つ目の要求を変更させてください! 崇仁さんを、崇仁さんを助けて下さい!」
僕はその春乃さんの言葉には返事をしなかった。
春乃さんが抱えている崇仁さんの顔色を見たのだが、見た事もない紫色をしていたので、助けられるかどうか分からなかった。
……いや、今は助けられるとか助けられないとか、そんな事を考えている場合じゃない。やるしかないんだ!
「スイマセン春乃さん、急いでこの場にいる全員に、僕の方を見ないように指示して下さい!」
「は、はい! わ、分かりました! 皆さん聞こえましたね、お願い、全員急いで後ろを向いて下さい、どうかお願い!」
春乃さんの瞳からは大粒の涙が溢れ出している。
「雪乃さん、しっかりして下さい! 周りの人達は? もう使いますよ、大丈夫すか?」
「……あ、ああ、そ、そうだな、よ、良しいいぞ! 皆タケルの方は向いていないぞ」
雪乃さんのその言葉を聞いてから隠蔽強化を掛ける。
「【シャイニングオーラ】」
崇仁さんへと向かって唱えた。
しかし崇仁さんに変化が見られない。
くそ、駄目なのか!
もう一度【シャイニングオーラ】を唱えてみたが、やはり変化が見られなかった。
もう手遅れなのか? ならばこれならどうだ!
OPEN OF LIFEでは、ゲーム中に力尽きて倒れてしまった場合、聖の大神殿という場所から再スタートさせられるらしいのだが、倒れて二百秒以内なら仲間が蘇生アイテム、もしくは蘇生魔法を唱えた場合、倒れた場所で復活出来るらしい。
らしい、というのは僕がゲームをやっていないから分からないので、実際に試した事がないのだ。
大きく深呼吸してから、覚えて初めて唱える魔法、光魔法大魔道で覚える蘇生魔法を唱える。
「【
「……うぅ」
その瞬間、崇仁さんから微かな声が聞こえたので、もう一度シャイニングオーラを唱えると、崇仁さんの顔色が通常の健康な男性の顔色へと変わって行く。
その様子を間近で見守っていた春乃さんが、大声を出して泣き始めた。
「ワ、ワシは一体……」
崇仁さんは自分に起こった出来事が全く記憶にないのか、自分の胸元で大声を出しながら泣いている春乃さんと辺りを、キョロキョロと不思議そうに見渡している。
「皆さん、もうこっちを見て貰っても大丈夫ですよ」
僕が宣言すると、皆がこちらへと一斉に振り返り、いつも通りの元気そうな崇仁さんを見て大きな歓声が沸き起こった。
惜しみない賛辞が贈られる中、僕はゆっくりと雪乃さんの方へと歩み寄る。
何故か雪乃さんは僕に背を向けているのだが、露わになっている両肩を大きく揺らしているので、後ろを向いている理由は理解出来た。
「雪乃さん、もう大丈夫すよ」
「……私が悪いのだ」
僕に背を向けたまま、雪乃さんが声を溢した。
「……私が悪い事を考えたから、こんな事になってしまったんだ」
「その話は後でゆっくりと聞きますから、今は崇仁さんと春乃さんの所へ行きましょう」
そっと雪乃さんの肩を抱いて、俯いたままの雪乃さんを二人がいる所まで連れて行った。
その後パーティーは普通に再開されたのだが、僕と雪乃さん、春乃さん、崇仁さんは、会場の隅で四人だけで話をする事になった。
珍しく落ち込んでいるのか、椅子に座って小さくなっている雪乃さんから色々と事情が説明された。
何故かその隣では、春乃さんも全く同じ姿勢で小さくなっている。
「ご、ごめんなさい……」
話は雪乃さんの素直な謝罪の言葉から始まった。
始まりは四ツ橋誠の事からだったのだが、四ツ橋の件では春乃さん、崇仁さん共に随分と頭を悩ませていたらしい。
それが先日の出来事で悩みから解放され、雪乃さんへも正式に謝罪したそうだ。
それならばと雪乃さんも、結婚したい相手が居るから会って欲しいと春乃さんへお願いしたらしい。
今日のパーティー自体は会社の親睦会として普通に開催されただけなのだが、普通に呼んでも僕が来ないだろうという事で、架空の結婚相手というのをでっち上げたみたいだ。
春乃さんとしては、四ツ橋の事で雪乃さんに強く出られなかった事もあるのだが、自分も認められる相手なら考えてもいいと、雪乃さんの作戦に加担したそうだ。
それで崇仁さんが倒れてしまったのは、どうやら自分達が僕を騙して結婚させようと、陰謀を企てたせいだと言っているのだ。
それは関係ないのでは? と言ってみても、二人共頑なに首を縦に振らない。
やっぱりそっくりじゃないか、この二人。
崇仁さんも一応の話は聞いていたみたいだが、僕を騙して連れて来るという事までは知らなかったらしい。
後、最初は本当にお酒の飲み過ぎで気分が悪かっただけらしいのだが、途中から本当に具合が悪くなってしまったとの事。
念の為に、これから病院で精密検査を受ける事になった。
雪乃さん、春乃さんは、二人とも眼を真っ赤に腫らし、鼻も真っ赤にし、同じ姿で項垂れている。
「本当に呆れた奴等だよ全く!」
怒っているのは崇仁さんだ。
「本当に済まなかった、健君」
深々と頭を下げて崇仁さんが謝罪した。
「いえ、そんな。頭を上げて下さい、崇仁さん」
「そして本当にありがとう、こんな形だったが、君がこの場に来てくれていなかったらと考えると、あまり彼女達を強く叱れないよ」
崇仁さんはそのまま優しく雪乃さんの肩へと手を置いた。
「それで、雪乃の事は貰ってやってくれないのかい?」
その一言で、雪乃さんと春乃さんが俯かせていた顔を上げる。
「……あ、あの、先に言っておきますけれど、僕まだ十五歳ですよ?」
「「……はぁ?」」
あ、春乃さんと崇仁さんがハモった。
その後雪乃さんは両親からこっ酷く叱られた。
「か、重ね重ね申し訳ない」
崇仁さんが再度深々と頭を下げて謝罪した。
「いや、ははは……はぁ」
乾いた笑いとため息しか出て来なかった。
そこへ雪乃さんを搾り終えた春乃さんが歩み寄って来た。
「私からも謝罪させて下さい」
「いえ、もう十分ですよ」
「今回の一連の騒動で私も色々と考えさせられました。今後は雪乃の好きなようにさせたいと思いますわ。まぁこんな馬鹿な娘を貰って下さる方がいるのかは別の話ですが……」
春乃さんが完全にグロッキー状態の雪乃さんに視線を送る。
その瞬間、僕の視界の隅にクエストクリアの文字が表示される。
そこから僕のLVがどんどん上がって行く。
流石難易度MAX☆10個のクエスト報酬、貰えるEXPの量も半端ない。
今日の時点での僕のLVは12だった。
緊急クエストやモデル依頼、そしてアヴさんのクエスト報酬のEXPが一番多かった。
今視界に表示されているLVは24だが未だ上がり続けている。
一体何処まで上がるんだ?
「――れでは後は宜しく頼みましたよ、健さん」
「ああ、はい、それでは」
LVアップが忙しくて春乃さんの話が聞けていなかったのだが、何て言っていたのだろうか……。
色々と考えていると、隣にはいつの間にやら復活している雪乃さんが立っていた。
しかも何やらとても笑顔だ、僕が呆けている間にいい事でもあったのか?
「さぁ、帰ろうかタケル」
「まぁ帰りますけど、一度研究室に行かないんすか?」
「そうだな、荷物を取りに行かないとな、じゃあタケル頼んだ」
「頼んだって言われても……」
「タケルなら一瞬だろ? そっちの非常階段で」
「まぁ一瞬っすけどね」
そのまま雪乃さんと二人で非常階段からサッと研究室へと戻った。
研究室へと戻り着替えを済ませると、雪乃さんが見覚えのある大きな箱を持って来た。
「ほらタケル、約束の物だ」
「ありがとうございます、遠慮なく頂きます。でもよくクエストクリアした事が分かったすね?」
「タケルがお母さんと話している時、空中を見ながら呆けていたからクリアしたんだろうなぁと思ったのだ」
大きな箱に書かれたOPEN OF LIFEの文字。
クエスト報酬のくるみの分のOOLHGだ。
何とかくるみの誕生日に間に合って良かった。
雪乃さんのクエストを無事にクリアした事で、雪乃さんがエンテンドウ・サニー社を離れる事はなくなり、僕の身体もとりあえず心配は要らないみたいだ。
LVも32まで上がり、ステータスも大変な事になっている。
雪乃さんが言うには、ステータス的に僕を倒せるプレイヤーが出てくる事は当分なさそうだし、危なくなれば瞬間移動で逃げられるし、そろそろゲームの世界を楽しんでみてもいいのでは?
という事だったので、いよいよ本格的にOPEN OF LIFEデビューだぜ! と思ったのだが、明日から学校なんだよな……しかもコナちゃんの事もあるし。
「今日はもう帰るすよ」
「そうだな、では私も一緒に頼んだぞ」
「……は? 何言ってんすか。僕は雪乃さんの家とか知らないんで送れないすよ?」
「何だ、タケルは本当に春乃さんの話を聞いていなかったのか?」
え、何だ? 春乃さんが何か言っていたのか?
「私はお母さん、春乃さんにタケルを落とすまで帰って来るなと言われたのだ。だから私もタケルの家で一緒に生活するぞ!」
「……帰って来るなと言われた事は理解しましたけど、それが何故家で一緒に生活する事になるんすか?」
「だって私は帰る家がないのだぞ? しかもタケルはクエストをクリアしたから、私はクエスト報酬なんだぞ、私はタケルの物なんだぞ!」
「部屋が決まるまでここで寝泊まりすればいいじゃないすか。じゃあ僕はこれで」
ぎゃー! 何でだー! と頭を両手で抱えて叫んでいた雪乃さんを無視して、荷物を手に取りそのまま瞬間移動で帰宅した。
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