第15話

 

 『私も日本語勉強します!』


 家に帰ってから、コナちゃんが日本語を話せる事をアヴさんに説明すると、自分だけ日本語が分からないのは嫌だと言い出したので、くるみが自分の部屋に残っていた小学校の教科書等を引っ張り出して来ると、くるみと一緒に猛勉強を始めた。

 まぁ明日からアヴさんとコナちゃんは家に居る事になるので、丁度やる事が出来て良かったよ。

 しかし、コナちゃんは退屈じゃないのかな? 


 「コナもくるみお姉ちゃんの学校の教科書を見て勉強するし、テレビも面白いから全然退屈じゃないよ?」


 なんて賢い子なんだ。

 僕だったら多分、ずっとネット、ゲーム、アニメ……いや、いかんいかん! こういう発想、僕は卒業すると決めたのだ。


 さて僕も先に明日の準備をしておこうかと、リビングのソファーから立ち上がったところへ、雪乃さん直通携帯に珍しく雪乃さんから電話が掛かって来た。

 大体いつもメッセージだけなのに、何かあったのか? 取りあえず電話に出てみる。


 「どうしたの――」

 「大変だ! タケル」


 僕が話し終わるのを待たずして、雪乃さんが話し出した。


 「落ち着いて聞いてくれよ? 実は私の母親が、新しい結婚相手を見つけて来た……」

 「はぁ? それってどういう事すか?」

 「どういう事も何も、そのままの意味だ。見合い相手ではなく結婚相手だ。しかも今夜行われる親の会社が主催するパーティーでその事を正式に発表するらしい」 


 へ? 物凄く急な話だな、でもそれって……。


 「恐らくそのパーティーが終わると私のクエスト失敗条件に出ていた<母親の説得に失敗>に該当してしまい、クエスト失敗になってしまうのではないだろうか」


 電話の向こう、雪乃さんの声にいつものような元気がない。


 「取りあえず僕も雪乃さんの所へ行くっす、今何処に居るんすか?」

 「ど、何処って研究室だが――」

 「了解っす、すぐそっちに行きます」


 自分の部屋に戻り電話を切った後、視界にマップを開き雪乃さんの研究室まで瞬間移動する為の移動距離を見てみる。

 流石に距離的に一回で瞬間移動するのは無理か。……何回かに分けて移動するか。

 もう随分と日が暮れているので、空中を移動して行けば誰にも見つからずに辿り着ける……はず。

 何か昔そんなアニメを見た記憶がある気がするなぁ……空中に移動して落下している最中に、次の空中へと移動して……を繰り返して目的地に向かう。

 今回はこの方法をぶっつけ本番で試してみるか?

 それとも今から一度安全な場所へ瞬間移動してみて、その場所と僕の部屋を何度も何度も往復して、瞬間移動スキルのレベル上げをしてみるか?

 SPが続く限り瞬間移動を繰り返していれば、案外早くレベルが上がるかも。

 よし、一度試してみよう。

 どうせ瞬間移動なんだし、時間は掛からないからな。

 移動場所は取りあえず家の庭にしてみよう。

 スキルレベルが瞬間移動の距離で上がるのか、瞬間移動の回数で上がるのか分からないから、まずは庭で試してみる。


 よし、行くぞ!


 その瞬間から、目の前の景色が庭先、僕の部屋、庭先、僕の部屋、とパパパパと早送りのスライドショーのように交互に入れ替わって行く。


 ぐぇぇぇ、うぅ、き、気持ち悪い……こ、これは間違いなく体によくないな……。あ、酔い耐性とかいうスキルが貰えた。

 それと足が汚れてしまうので、庭に移動する時は若干空中に移動しよう。


 そのまま気持ち悪い作業、というか苦行? を繰り返す。

 単調な作業を繰り返すゲーム、所謂作業ゲーというヤツが僕は苦手で、嫌なのだが仕方がない。

 そう言えばこの変態な体になってから、魔法の特訓やスキルの使い方は練習したけれど、こうやってスキルのレベル上げ行為自体はした事がなかったな。

 今後はもっと積極的に、スキルレベルを上げてもいいのかもな。

 自分の実際の生活が快適になるのだと思えば、面倒な作業も我慢出来るだろう。


 などと、視界の気持ち悪さを紛らわせる為に、わざと別の事を考えながら移動を繰り返す。

 幸い持っていたスキル、SP自然超回復LV3、SP回復量増加超LV3、SP回復スピード超上昇LV3、使用SP超減少LV3のお陰でSPは殆ど減らない。

 若干減るのだが、ほんの一瞬休憩を挟むと全快まで回復している。

 三十秒程移動を繰り返した所で、全く気持ち悪くならなくなった。

 酔い耐性スキルがカンストして、酔い無効スキルになったからだ。

 この頃には一秒間に五回程度、部屋と庭先を往復出来るまで作業に慣れて来た。

 SPの方も途中から全く減らなくなって来たので、ムキになって移動回数を限界まで早くしてみたのだが、それでも回復スピードの方が早くなっていて、SPが減る事はなかった。


 その後更に五分程作業を繰り返してみたのだが、瞬間移動スキル、SP自然超回復、SP回復量増加超、SP回復スピード超上昇、使用SP超減少がLV9から全く上がらない。

 どうやらこれらのスキルはレベル10に上げる為に、何かのフラグのような物を開放させないといけないみたいなので、また後で雪乃さんに聞いてみる事にしよう。


 作業を一度止めて、早速瞬間移動スキルを詳しく確認してみる。

 おお、移動距離の制限がなくなったぞ! 行った事がある場所なら何処にでも移動出来るみたいだ。

 後、僕の近くの範囲内にいる、僕が選んだ人も一緒に移動出来るみたいなのだが、その人数制限もなくなった様子で、一緒に移動する人数でSPの消費量が増えるらしい。

 しかしこれってLV10にするメリットって、まだ他にも何か残っているのか?


 「ちょっとコンビニ行ってくる」


 玄関から普通に外に出て、瞬間移動で雪乃さんの研究室へと向かった。


 


 「ギィャーーー!」


 雪乃さんの研究室へ瞬間移動したと同時に、十二畳程の研究室に雪乃さんの悲鳴が鳴り響く。

 悲鳴を上げた理由が、僕が突然現れたからなのか、雪乃さんが着替えの真っ最中で、下着姿だったからなのかは分からない。


 「ぁぁああ阿呆、タケルの阿呆、サッサと後ろを向け!」


 僕は普通に雪乃さんを見てしまっていたので、雪乃さんは慌てて二人掛けのソファーに置いてあった服を両手に持ち、体を覆い隠した。

 どうやら下着姿が恥ずかしくて悲鳴を上げたらしい。

 雪乃さんでもやっぱりこういうのは恥ずかしかったんだな。

 無茶苦茶な人だから平気なのかと思った。

 雪乃さんらしく、上下黒を基調とした下着で、所々に赤い小さなリボンが付いていた。


 「結構可愛らしい下着着けてるんすね」


 後ろを向きながら呟いた瞬間、頭に旅行雑誌が飛んで来た。

 未来予知スキルで避ける事も出来たのだが、罪滅ぼしの意味を込めてわざとそのまま旅行雑誌を頭で受ける事にした。

 僕もちょっと恥ずかしかったからな。


 「く、来るのが早過ぎるぞタケル、私はOPEN OF LIFEにラッキースケベスキルなんぞ実装した覚えはないぞ!」


 慌てて服を着ている様子が、布が擦れる音から伺える。


 ガンッ! 


 「っ痛!」


 何かがぶつかる音がした直後、雪乃さんの声が漏れたので、恐らく何処かに手か足をぶつけてしまったのだろう。

 余程慌てているんだな。

 雪乃さんが慌てるのは、何か下らない事を考えている時だけだと思っていたのだが……。


 「大丈夫すか? 【ヒール】」


 後ろを向きながら腕だけを雪乃さんの方へ向け、【ヒール】を唱えた。


 「すぐにこっちに来るって言っておいたじゃないすか。これでもひと作業終えてから来たんすよ?」


 雪乃さんに背を向けたまま話し掛けた。


 「こっちに来ると言うから、てっきりサポートチームの車で向かって来ると思っていたのだ。あの後すぐに車を向かわせたからな」


 「そうだったんすか」


 サポートチームの方達に迷惑を掛けてしまったな。


 「まさか瞬間移動で来るとは……。タケルはまだ移動距離の制限があっただろ?」

 「そうすよ。だからスキルのLV上げをしてからこっちに来たんすよ」

 「何? あの電話の後にか? まさか、瞬間移動スキルをこの短時間でか?」

 「そうすよ、最初は気持ち悪かったすけど、酔い無効スキルが効果を発揮し始めてからは早かったすよ多分七千回くらい瞬間移動スキル使ったっす」

 「おいおい、あまり無茶な事はするなよ。……よしタケル、もうこちらを向いても平気だぞ」


 雪乃さんの事だから、また全身黒の服装なのだろうと考えながら振り返ると、バッチリメイクされた雪乃さんの着替え終わった衣装は、真っ黒なドレス姿だった。

 両肩を大胆に露出させたデザインのチューブトップタイプのロングドレスで、膝上部分より下は若干足もとが透けて見える生地で出来ており、腰より上はタイトに体のラインが出る感じに、腰から下は若干ふわっとした生地が折り重なるデザインのセクシーなドレスだ。

 雪乃さんの露わになった色白の両肩には、黒の薄いストールが羽織られており、右手には黒のハンドバッグが握られている。

 髪型もいつものように結わえられたポニーテールではなく、さらりとストレートに降ろされていた。


 「何があったんすか?」

 「何がも何も、今から二人で親の会社のパーティーに乗り込むぞ、タケルも早く着替えろ」

 「早く着替えろと言われても……」

 「おい、サポートチーム!」


 雪乃さんがサポートチームを呼ぶと、三人の男性が研究室へと雪崩れ込んで来た。

 一人が僕の衣装と思われる物を持っており、残りの二人が僕の服を引ん剥いて行く。

 ちょ、ちょっと荒いなーおい、このままだと『汚されちゃった……』とかいうセリフを言わなければいけなくなるじゃないか。

 しかし僕の服が剥ぎ取られて行く様子を、雪乃さんは両眼を見開き、瞬きもせずに凝視している。


 「あの……雪乃さん? これはラッキースケベでも何でもない、ただのエロ行為すよ」

 「いや、これは不可抗力だ、偶然だ」

 「んなわけないじゃないすか」


 雪乃さんの両肩を抱いて、ぐるんと反転させて壁の方へと向かせる。


 「いや、ホント、ただの偶然、全然さっきのお返しとかじゃないぞ?」

 「ハイハイ、もう分かったすから。後、携帯で撮影しようとか馬鹿な考えは止めて下さいよ?」

 「……な、何の事だ?」


 ガサガサと手に持っていたカバンを漁る手がピタリと止まる。

 だからそういうのは全部未来予知スキルでバレバレなんだって。

 そのままサポートチームの男性に身を預けていると、どうやら僕のお着替えが終了したみたいだ。

 サポートチームの男性が手にしている姿鏡で衣装を確認すると、僕は生まれて初めてタキシードという物を着ていた。


 「雪乃さん、着替え終わったすよ? どうすか、変じゃないすか?」

 「まだ見てもいないのに、変かと聞かれ――」


 喋りながらこちらを振り向いた雪乃さんが、そのまま固まってしまった。

 しかしすぐさま我に返って動き始めると、無言で僕の方を見つめながらカバンを手探りで漁り、徐に携帯を取り出したかと思えばそのまま、カシャ! とシャッターを切った。


 「何で写真を撮るんすか……」   

 「いいいや、べ別に意味など……」


 雪乃さんは顔だけでく、露わになった両肩まで真っ赤にしている。


 「僕、パーティーとか出た事ないんで、エスコートとか出来ないすよ?」


 真っ赤になって俯いたままの雪乃さんの方へ、ゆっくり腕を伸ばした。

 雪乃さんはその手を何も言わずに黙って掴む。

 手を握ったまま研究室を出て、サポートチームが待つ車へと向かった。


 雪乃さんのクエストクリアを目指す為、雪乃さんのお母さんを説得しにパーティー会場に乱入してやるぞ!


 ……そもそもパーティーって一体どんな事するんだ?

  



 「タケル、今回の作戦なんだが……」


 サポートチームの車で雪乃さんの親の会社が主催するパーティー会場へ向かっている最中、暫く無言だった雪乃さんが唐突に話を切り出して来た。


 「何かいい作戦でも思い付いたんすか?」


 車の窓の縁に片肘を突き、すっかりと暗くなり対向車のヘッドライトが激しく光っては過ぎ去って行く窓の外の景色を、ぼんやりと眺めながら聞いてみた。


 「あの、そろそろ離れて貰っていいすか?」


 車の後部座席で二人並んで座っている雪乃さんは、僕の腕へとしな垂れ掛かるように座っていたので、ペペッと払い落とす仕草をして雪乃さんを真っ直ぐに座り直させる。


 「あ、相変わらずツンデレ度合いが激しいな……」

 「何わけの分かんない事言ってんすか。それでどういう作戦で行くんすか?」


 窓の外を見ながら、口を尖らせてブツブツ文句を言っている雪乃さんにもう一度尋ねる。


 「そこなんだが、色々と考えてみたのだが、今回上手く行きそうな作戦という物が全く思い浮かばないのだ……」

 「え、そうなんすか?」

 「私の母親、まぁ名前は春乃はるのというのだが、その春乃さんは兎に角我が道を行く! という人でな、人の話など全く以て聞かないのだよ」

 「ええー、そんな人を説得させないと駄目なんすか……」


 何か凄い面倒くさそうだな、流石難易度MAXの☆10個。

 雪乃さんに我が道を行く! とか、人の話を聞かない、とか言われる人って一体どんな人なのか見当も付かない……。


 「だから今回もタケルに全て任せるよ」

 「ええー、またすか? 前回もそんな事言ってませんでしたっけ?」


 そうそう、私の今後の全てを任せるだか何だか言っていたような気がする。

 まぁ四ツ橋の場合は力技でどうにでも出来たわけだが、今回の場合はどうなんだろう。

 一度その雪乃さんのお母さん、春乃さんに会ってみないとどうにも作戦の立てようがないな。


 「仕方が無い、正面からガツンとぶつかってみるすよ」


 そんな会話を続けていると僕らを乗せた車が、有名なホテルの入口で停車した。

 どうやらこのホテルでパーティーが行われているみたいだ。

 僕は雪乃さんより先に車を降り、雪乃さんの手を迎える姿勢で、車のドアの前で雪乃さんが車から降りて来るのを待つ。


 「……そんな慣れていない事は別にしなくていいぞ?」


 なんて言い方をしているが、雪乃さんは若干照れているみたいだ。

 そのまま雪乃さんの手を取り、車から降りるのを手伝う。

 そして二人でホテルの車寄せを降り立ち、エントランスへと向き合った瞬間に、周囲の視線が一斉に僕と雪乃さんへと釘付けになる。

 僕はさも当然のように、雪乃さんの前へとスッと肘を向ける。


 「……今日だけすよ」


 雪乃さん僕の肘に腕を絡めて来た瞬間に呟くと、周囲には何事もない装いのまま、僕の腕をギュッと抓って来た。


 周囲の視線を集めたまま二人でパーティー会場へと足を運ぶ。

 周囲からは容赦なく突き刺さる視線と、様々な感情が織り交ぜられた騒めきが僕達に届けられた。


 「はは、タケル、大人気じゃないか」

 「僕も馬鹿じゃないんで、少しくらいは予想してたすよ」


 そりゃーね、社長だか会長だか知らないけど、その娘がいきなり会社のパーティーに全然知らない男を連れて来たんだ。

 会社の様々なポストを狙っている連中は勿論、噂好きな普通の社員でさえも喜んで話のネタにしてくれるでしょ。


 そのパーティーというのが二百人程の規模の、所謂立食パーティーと呼ばれるヤツだった。

 ホテルの大きな会場で、食事や飲み物を片手に皆が会話を交わしているみたいだ。

 僕と雪乃さんはその豪華な食事には目もくれず、マップで確認した上条春乃さんの所へと一直線に向かう。

 どうやら春乃さんの周りにいた人達も、異常な雰囲気に気が付いたみたいで、僕達の前をスッと空けてくれた。


 「春乃さんの隣にいるのが私の父、崇仁たかひとだ」


 春乃さんの所へと到着する少し手前で雪乃さんがそっと呟いた。

 その雪乃さんのお父さん、崇仁さんはスラッと背が高く、白髪で口髭の似合う、ダンディーな紳士だ。

 片手に握られているワイングラスが何とも似合う、男の僕から見てもとても素敵な男性だ。

 まぁ、顔色が少し悪いのが気になるけど、若干フラついている所を見るとお酒の飲み過ぎみたいだ。

 ステータスを確認しても、『酔っ払い』と出ているので、放置していても問題なさそうだ。

 それと隣にいる春乃さんは、雪乃さんと同じく全身を黒で統一している。

 黒い着物姿で如何にも高そうな着物なのだが、僕には着物の知識が全くない。

 鶴の刺繍が綺麗だなーくらいし分からない。

 髪型は後ろで纏められて、アップにされている。

 身長は雪乃さんと同じくらいで、中肉中背の体格なのだが、この年代の成功者によくある、指先がゴテゴテした装飾品で……というところがないので印象としてはいいと思う。

 僕の方を見る視線がかなり鋭いのが気になる所ではあるのだが。


 「お母さん、お話があります」


 春乃さん、崇仁さんの所へ到着すると、雪乃さんが挨拶等をすっ飛ばし、いきなり話を始めた。 

 

 「あらあら雪乃さん、どうされたのですか?」


 僕の予想とは百八十度違った、柔らかな物腰の話し方と声質で、春乃さんが雪乃さんへと話し掛けた。


 「電話で言っていた事を取り止めて欲しい」


 雪乃さんは直球勝負なのか、早速本題を切り出した。


 「それで、こちらの男性はどちら様ですか?」


 しかし雪乃さんの直球は、すぐに躱されてしまった。

 その春乃さんの僕を見る目が何と言うか、声質や話し方とは裏腹に、まるで僕を鑑定スキルにでも掛けているみたいに、じっくりと観察している。

 まずは挨拶しないといけないのだが、どうしよう。

 正直会話の駆け引きで勝てる相手ではなさそうだし、直球勝負で駄目なら変化球で攻めてみるか? ちょっと無謀過ぎる気もするが……。


 「初めまして、山田健と言います。春乃さんは雪乃さんが言っていた通り、本当に雪乃さんのお話を聞かないのですね?」

 「あら、初対面なのに随分なご挨拶なのですね。もう下がって頂いて結構ですよ」


 ……だ、大失敗しました。

 どうやら変化球は大暴投だったみたいだ。……やっぱり慣れない事はしない方がいいな。


 「しょ、勝負しましょう!」

 「……はぁ?」


 僕の失言で後ろへと振り返っていた春乃さんが、僕の一言でもう一度こちらへと振り返ってくれた。


 「み、三つ、春乃さんが言う事を何でも三つ、全てやってみせます」


 春乃さんへ向けて三本指を立てて言い放った。


 「僕が一つでも出来なかった場合、僕はこの場を去りますが、三つ全てをやってみせた場合、雪乃さんの話を聞いてあげて下さい!」


 僕は真剣な眼差しで春乃さんへと送る。


 「……何でも、ですか?」


 春乃さんが含みを持った笑みを薄っすらと浮かべながら聞いて来た。

 よし、何とか繋がったみたいだ。


 「何でも、です!」

 「フフフ、面白い方ですわね、私にはその様な小細工は通用致しませんわよ? ではまず、今この場から文字通り消えて御覧なさい、そしてそれが出来ないので――」

 「分かりました。ではそれをひとつ目としてやってみせます」

 「……はい? 自分が仰っている意味を分かってらっしゃるのですか?」

 「勿論ですよ春乃さん」


 春乃さんへ返事を返しつつテーブルに並べられている、豪華な食事、主にデザートをメインにお皿へと大量に乗せて行く。


 「スイマセン、これ少し貰って行きますね?」

 「何を為さっているのですか、私は消えろと言ったのですよ?」

 「ああ、勘違いしないで下さい、これはただのお土産ですから」


 「……言ってる意味が分かりませんが?」


 春乃さんはさっぱり理解出来ないといった様子で、僕の事を鋭い視線で見つめている。


 「では、今から一分間程消えますので、その間雪乃さん、春乃さん、崇仁さん以外はこちらを絶対に見ないで頂きたいのですがお願い出来ますか?」

 「フフフ、何か視覚のトリックでも為さるおつもりでしょうがいいでしょう。会場にいる皆さん、今から一分間、こちらを絶対に見ないようにして下さい!」


 春乃さんがそう宣言すると、会場にいる全ての人、勿論ホテルのスタッフさんを含めて全員が渋々と壁際の方へと身体ごと向ける。


 「では行ってきます。一分後に戻りますので」


 そう宣言してから、大量のデザートが盛られたお皿を片手に瞬間移動――ではなく、隠蔽強化を掛けてから【放電】で会場中に設置されているカメラを、ごめんなさいと呟きながら音を立てずに処理を済ませた後、自宅の僕の部屋へと瞬間移動した。

 僕の部屋に、誰もいない事は確認済みだったので、靴を脱いでからリビングへと向かう。


 「みんなー、これお土産ー!」

 「ちょっと、お兄ちゃんお土産ーじゃないわよ、一体何処に行っていた――ってどうしたのよ、その恰好!」


 テーブルにデザートを置いてサッサと立ち去ろうとしたのだが、くるみに捕まってしまった。

 しまった、タキシード着てたの忘れてた。


 「あ、明日の入学式の衣装……かな」


 高校の入学式にタキシード着て来る奴なんかいねーだろ! と思ったのだが、言ってしまったモノは仕方がない。


 「……その恰好は止めておいた方がいいよ」


 くるみが真顔で言って来た。

 はい、僕も同じ意見です。


 「はは、そうだな別の衣装に着替えて来るよ! デザートは皆で全部食べていいから」


 そうくるみ達に言い残して、時間がなかったので飛んで逃げるように自分部屋へと戻り、瞬間移動で春乃さんの所へと戻った。


 「ぅわ! びっくりしたー!」


 春乃さんの目の前に戻ると、先程までとは全然違う喋り方で驚いた春乃さんを見て、僕も少し驚く。

 あれ、普段はこんな口調なのか?

 春乃さんは僕を見ながら口をパクパクさせて、何か言おうとしているみたいなのだが、上手く言葉が出て来ないのか、ビックリしているだけなのか……。


 しかしここで思わぬ異変に気付いてしまった。


 「あ、いけね、靴忘れた」


 何やら足の裏がムズ痒いなぁと感じたら、靴を履いていなかったのだ。

 そして何も考えずに普通に瞬間移動して部屋に戻ってしまった。


 やべー、まだみんな僕の方を見ていなかったよな? 誰にも見られていないよな?


 自分の部屋で慌てて靴を履き、急いでもう一度春乃さんの前へと戻ると、未だに口をパクパクとさせていた。

 そして、辺りを見渡して誰もこちらを見ていないか確認してみたのだが、一応全員が壁の方を向いているみたいだったので、恐らく大丈夫だろう。

 スキルを使う場合はもっとしっかりと周りを確認してから使わないと、いつ、誰に見られているか分からないので注意しないといけないな。

 雪乃さんの方へと視線を向けると、野球の審判みたいなポーズで、セーフ! とやっていたので、誰にも見られていなかったのだろう。

 崇仁さんは酔いが回って来たのか、更に足もとがフラフラになっている。

 ちょっと、ダンディーなんだからイメージ壊さないで下さいよ?


 そして一分が経過したのか、壁際を向いていたギャラリーがポツリポツリと僕や春乃さんの方へと身体の向きを変え始めた。



 「これでひとつは達成しましたよね、春乃さん?」


 春乃さんは未だに口をパクパクさせている。


 「春乃さん?」

 「ああ大丈夫、私は大丈夫だ」


 何だか徐々に話し方が雪乃さんに似て来ている感じがするのだが気のせいか?


 「一体どんなトリックを使ったのかは分かりませんが、一応私の目を誤魔化す事には成功したみたいですし、まぁ何ですか、認めるというか何というか……」


 口もとをヒクヒクとさせ、最後の方はゴニョゴニョと詰まる感じだったのだが、とにかくOKが出たみたいだ。


 「まだ、まだあと二つ残っているんですよ? 絶対にやって貰いますからね」


 完全に余裕がなくなったのか、話し方が最初とは全然違うのだが……。キ、キャラ作りでもしているのか?


 「そ、そうですね……、二つ目は現金、現金にしましょう!」

 「げ、現金ですか?」


 現金ってどういう事だ? 稼いで来いという事かな。


 「そう、現金です。明日の朝一番に私が現金を十億円用意します」

 「え? 春乃さんが用意するんですか?」


 何だ? 益々分からなくなったぞ?


 「あなた、えーっと、確か健さんでしたか。健さんがその十億円をお昼の三時までに、倍の二十億円に増やして下さい」

 「十億円を倍の二十億円に……ですか」


 お昼の三時までという事は、ほぼ半日で……ははは、詰んだ詰んだ、無理無理!

 くるみの誕生日プレゼント代を稼ぐのに必死になっていたのに、十億円とか無理だろー。

 パチンコ、競馬なんかは未成年だし無理、やった事ない!

 海外に飛んでカジノで一発勝負、僕のギャンブルスキルがあれば……いやいや、そんなの持ってない……いや、待てよ、そ、そうか!


 「春乃さん、明日の朝一に十億円用意するの、面倒じゃないですか?」

 「何ですか、怖気付いたのですか? 止めてもいいのですよ?」


 僕の動揺を見抜いたのか、春乃さんの口調が急に元の穏やかな話し方に戻った。


 「まさか、明日まで待つのが面倒なので、今からこの場で僕と十億円を掛けてこれで勝負しませんか?」


 話しながらポケットを触る。……パタパタと自分の身体を触るのだがタキシードに着替えた事をすっかりと忘れていた。


 「……ス、スイマセン、どなたか硬貨を一枚貸して貰えませんか?」


 少々恰好が悪いのだが財布を持っていなかったので、近くにいた男性が財布を開けて、そっと五百円硬貨を手渡してくれた。


 「あ、有難う御座います、春乃さん、この五百円硬貨のコイントスで決めませんか?」

 「何を仰るかと思えば、そんな物二分の一の確率で健さんが勝ってしまうでしょう。そんなの面白く――」

 「十回です」

 「……はい?」

 「僕が十回連続で表裏を当てられたら僕の勝ち。一度でも外してしまえば春乃さんの勝ちという事でどうでしょう?」


 あまりにも春乃さんに有利な僕の提案に、春乃さんは暫く悩んだ後、首を縦には振らずに横へと振った。


 「お断り致します」

 「ど、どうしてですか?」

 「それだけ自信たっぷりに言うのです、何かまた小細工を仕掛けてくるのでしょう。最初の提案通り、明日十億円を倍に増やして下さい」

 「……では三倍の三十億にするので明日の分で、残り一回分も達成、という事にして貰えないですか? 何なら五十億でも多分大丈夫ですよ?」


 僕は先程と同様に自信満々で春乃さんへ提案する。

 一度アイデアが出てしまえば簡単な事だった。

 僕には未来予知スキルがあるので、雪乃さんを現場に連れて行ければ何だって増やす方法がある事に気付いたのだ。

 僕は未成年なので無理だが、雪乃さんに頼めばギャンブルであろうが、投機、株式や為替取引、先物取引でも無敗でお金を増やせてしまうだろう。

 そんな僕の余裕を感じ取ったのか、春乃さんは小さく息を吐いた後に、


 「どうやらお金を増やす、という提案をした時点で私の負けが決まっていたみたいですね。……いいでしょう。二つ目の提案は健さんが仰った通り、コイントスで決めましょう」


 諦めた様子で僕の提案を渋々呑んでくれた。

 先程の借り物の五百円硬貨を春乃さんへと渡し、春乃さん自身の手で投げて貰う事にする。

 未来予知スキルのお陰で勝ちの決まったゲームなのだが、消化試合の要領でコイントスを続けて行く。


 「では次は裏で」


 春乃さんがコインを投げる前に、結果を淡々と報告して行くだけだったのだが、僕の予想? 結果? が当たる度に会場からは、おおー! という歓声が上がる。 

 しかし何故かその様子を雪乃さんが、周りにいる人達に自慢げにコソコソ話していたのがよく分からない。

 一体何を喋っているんだ?


 「まさか、本当に十回連続で当てるとは……」


 春乃さんの十投目が僕の宣言した通り、裏で止まった瞬間に春乃さんの二つ目の要求を達成した。


 「では春乃さん、最後のひとつをお願いします、何でもやってみせますよ」


 床に落ちたコインを片手で拾いながら自信満々で言い放った。

 今なら何でも出来そうな気がする。

 普段なら絶対にしないのに、五百円硬貨を貸してくれた男性へ返す時に、コインを親指の上に乗せ、そのまま親指で弾いたりした。

 こんな風に恰好をつけたりしたのがいけなかったんだろうな。

 最後にとんでもない要求が春乃さんから出された。


 「最後、三つ目は簡単な物にしましょう、健さん、あなたウチの雪乃と結婚なさい」

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