第14話


 「……よ、よし。ちょっと待ってろ」


 口元をヒクヒクとさせながら立っていた雪乃さんは、何かを我慢するかのようにぐっと堪え、ヘッドセットみたいな物を自分の頭に装着し始めた。


 『あー、あー、聞こえるかコナ? そして理解出来るか?』


 雪乃さんの声が近くに設置されているスピーカーから聞こえて来る。


 『う、うん。わかるよ?』


 コナちゃんは不思議そうにスピーカーを見つめている。

 あ、あれ? 何で雪乃さんの話している言葉がコナちゃんに理解出来るんだ?


 『フフフ、タケルよ不思議に思っているな。急ピッチで作ったからこんな不格好だが、コナと言葉をやり取りするために同時翻訳機を作ったのだ』

 『凄いじゃないすか! 雪乃さんの声でスピーカーから聞こえて来るっすよ』 

 『私は天才だと言っておるだろうが、これくらい簡単な物だ。OPEN OF LIFEの世界でも同時翻訳技術を使用しているからな。それを応用しただけだ。今は不格好だが、明日にはもっと見栄えの良い物に仕上げておくよ』

 『はは、雪乃さんはそういう所、妥協しないっすもんね、じゃあ後はコナちゃんの事任せてもいいすか?』

 『ああ、暫くすれば先程の私の研究室へコナと戻るから待っていてくれ』

 『了解っす、じゃあコナちゃん、後は雪乃お姉ちゃんの言う事を良く聞くんだよ?』

 『ス、ストップだタケル、今の部分が良く聞き取れなかった。……き、機械の不具合かな? も、もう一度言ってみてくれないか?』


 突然右手で僕の動きを制すると、何やら慌てた様子で手もとの機械を弄り始めた。

 どうしたんだ? 故障か?


 『? 了解っす、じゃあコナちゃん、後は雪乃お姉ちゃんの言う事を良く聞くんだよ?』

 『……お、おかしいなぁ、う、う上手く翻訳されないぞ?』

 『……』


 雪乃さんを見ると、何やら恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めている。

 ……ったく、この人はブレないよな。


 『じゃあコナちゃん、後は雪乃おばさんの言う事を良く聞くんだよ?』

 『くぅるぁー! タケル! 誰がおばさんじゃー!』

 『ちゃんと翻訳されてるじゃないすか!』


 そんなやり取りをした後、コナちゃんの頭を優しく撫でてから部屋を後にすた。

 コナちゃんは不安がないのか、僕が部屋から出る事にも何も言って来なかったので、一度くるみ達の所へと戻る事にした。



 二人のもとへ到着すると、アヴさんがくるみに背中を押されながら急に話掛けて来た。


 「タケル、さん、わたしの、なまえわ、アヴです、よろしく、おねがい、……しむす」


 惜しい、もうちょっと! 


 『日本語をくるみから教わっていたんすね』

 『ああ、やっぱりそうだったのですね。くるみさんがタケルさんが帰って来たらこうやって言えって。どういう意味だったのですか?』


 『自己紹介すよ、私の名前はアヴです、宜しくお願いしますって』

 『そうだったのですね。くるみさん有難う』


 アヴさんはくるみの手を両手で強く握りしめた。

 しかしくるみはというと、何故か僕の姿を上から下へとジロジロ見ている。


 「どうしたくるみ?」

 「……お兄ちゃん、結構良い物着てるわよね。その服どうしたのよ?」

 「ああ、アルバイト先で貰ったんだ。そうそう、その事なんだけど、コナちゃんの検査が終わって夕方くらいから皆でその服屋さんに行かないか?」

 「え? アヴさんとコナちゃんの服を買いに行くって事?」

 「まぁそれもあるけど、くるみにも……その誕生日プレゼントとい――」

 「ホント! ホントにホント? お兄ちゃんがあたしに買ってくれるの?」


 僕が話している最中だったのに、物凄く食い気味に聞いて来た。


 そうなんだよな、僕、くるみに誕生日プレゼントとかあげられていないんだよ。

 だから現金が貰えるクエストを沢山クリアして、お金を貯めようと考えていた。

 しかしくるみが凄く喜んでくれている。

 こんなに喜んで貰えるなら僕も嬉しいよ。


 「でもお兄ちゃん、そのブランド結構な値段するはずだけど、お金大丈夫なの?」


 くるみが少し申しわけなさそうに聞いて来た。

 へ? この服そんなに高いのか……そういや値札なんて見てないや。


 「ア、アルバイト代も入ったから、沢山は無理だけど大丈夫だよ! た、多分」

 「それならいいけど、あまり無理はしないでね?」

 「ああ、任せておけ!」

 「うふ、ありがとうお兄ちゃん。それで、明日からの用意とかはもう出来ているの?」


 明日何かあるのか? 何だっけ? お父さんが帰って来るって言っていたのは再来週だったか……。


 「……も、もしかして忘れているんじゃない?」


 くるみが不安そうに聞いて来るのだが、僕にはさっぱり思い出せない。


 「ホント、信じられない。お兄ちゃん明日から新しい学校じゃないのよ!」

 「へ? が、学校? 明日から、う、嘘?」


 うぎゃー! 学校の事をすっかり忘れていた。

 そうだよ、ここ数日のゴタゴタのせいですっかり記憶の彼方に仕舞い込まれていたよ……。

 しかも明日からって何だよ! いや、何だよとか言っても忘れている自分が悪いのだが……。



 暫くくるみと会話をしていると、コナちゃんが雪乃さんに連れられて戻って来た。

 コナちゃんは僕を見るなり走って来て足もとに絡みつく。


 「それでは皆、私は今から用事があるのでこれで」


 雪乃さんが部屋を後にしようとしたのだが、僕の方に向かってこっちに来いと手招きをした。

 くるみとアヴさんとコナちゃんには先に車に向かってと伝えて、雪乃さんの後を着いて歩いた。


 もしかして、コナちゃんに何か異常が見つかったのか?


 雪乃さんは椅子に座り、淹れたての珈琲を啜りながら静かに語り始めた。


 「あー、先に言っておくがコナの事ではない。私が見た限り異常は見つからなかった。こんな言い方はしたくはないが、コナはよ」

 「そうすか、それは良かったっす。コナちゃんを見た後ですぐに話があるとか言うから何かあったのかと思ったすよ」


 僕も雪乃さんが淹れてくれた珈琲に鑑定を済ませ、頂きますと言ってから啜る。


 「それはそうと、タケルがコナに色々説明してくれて助かったよ、どうやってコナへ話そうかと考えていたのだよ」

 「そういう事なら雪乃さんだって、僕が話をしている間、気を遣ってわざと少し離れた場所で作業してくれてたすよね? 助かりましたよ」

 「何だ、気付いていたのか」


 少し恥ずかしそうにしながら珈琲を啜った後、雪乃さんの表情が一変して真面目な顔付きへと変わる。


 「話しというのは四ツ橋の事だ」


 雪乃さんは苛立ちを見せながら、カップを少し荒くテーブルに置いた。


 「何かあったんすか?」

 「四ツ橋誠は警察署で、今回の件を完全に否認しているそうだ」

 「はぁ? いやいや、流石にそれは無理があるでしょう、あれだけの証拠や証言、映像まであるんすから」

 「証言、映像に関しては全てこちら側の捏造だと言い切っている」

 「では、実験や武器の所持、その他の証拠は?」

 「全て四ツ橋慎之介がやった事だから自分は関係ないと、しかも四ツ橋慎之介もその事を認めている」

 「ええー! そ、そんな……」

 「ああ、四ツ橋慎之介が全ての罪を被るとすれば少々面倒な事になりそうだ」


 余程イライラしていたのか、雪乃さんが珍しく僕の前でタバコに火をつけた。

 恐らく今まで気を遣って僕の前では吸わないようにしていたはずだ。

 僕の前でタバコを吸うのは、初めて会った時以来だ。


 「ス、スマンタケル、つ、つい……」


 少ししてからその事に気付いたみたいで、雪乃さんは慌ててタバコの火を灰皿にグリグリと押し付けた。


 「いや、大丈夫すよ」

 「や、やっぱり男の子はタバコを吸う女子は、あ、あまり好かんだろー、これはなし、なしだ! 私は今タバコなど吸わなかったぞー! サ、サポートチーム!」


 久し振りに雪乃さんがサポートチームを呼び、男性二人が部屋の消臭と灰皿の交換をしていった。

 

 ああ、そういう事ね。

 それで最近僕の前では吸わなかったのか。


 「見ていない所で吸うならどちらでも変わらないと思うすよ」

 「……き、禁煙だ」

 「……はい?」

 「私は禁煙するぞ! 絶対吸わないから待っててくれよ?」

 「いや、よく分かんないけど無理しない方がいいすよ?」

 「無理? 私に無理な事などない。禁煙する薬を作れば楽勝だ」


 あー、成程ね。

 そういう事なら雪乃さんなら簡単に作れそうだよ。


 しかし話しが戻るけど、四ツ橋慎之介は恐らく最初からこういうつもりだったのだろう。

 自分が全ての罪を被るという覚悟があったんだ。

 だからあんなに堂々としていたのか。

 まぁそれだけコナちゃんに施した、あの人造人間の技術に自信があったのだろう。

 普通の人間相手なら無双出来る強さだったからな……。


 「それで、四ツ橋誠が釈放される、なんていう可能性は……」

 「流石にそれはないとは思うのだが一応警戒だけはしておくよ。タケルもそういう話があったという事だけ覚えておいてくれ」

 「了解っす」

 「それとだな、タケル――」

 「無理っすよ? 僕明日から学校らしいすから。しかもクエストクリアしてからって約束すよね? じゃあ僕はこれで」


 僕はさっさと部屋を後にして、くるみ達が待っている車へと向かう。


 「ああー! タ、タケルー! ちょっと待っ――」


 叫んでいる雪乃さんの手には旅行雑誌がしっかりと握られており、表紙にはデカデカと目立つ文字で『中国』と書かれていた。

 残念ながら雪乃さん、未来予知スキルのお陰でバレバレっすよ?

 しかし、国内でパンダを見に行くのかと思っていたら中国かよ!




 「それで何の話だったの?」


 車に乗り込むと、くるみが気になっていたのかすぐに聞いて来た。

 しかし、事件の本当の事を言うわけにはいかないので、この事は言わないでおこう。


 「ああ、話はコナちゃんの事じゃなくて、今後の事だったんだけど、明日からは学校だからあまり手伝いは出来ないかもと伝えておいたよ」

 「ええ? それじゃ明日からは夜更かしせずに毎日すぐに家に帰って来るの?」


 くるみは何やら嬉しそうにしている。


 「いや、一日中ずっとは無理だから放課後はやっぱり手伝いに行くかな」

 「なーんだ、つまんないの」


 くるみはそう言うが、僕は何とかしてコナちゃんの体をもとに戻す為に、光魔法の術式操作魔法を完成させないといけないので、これからもなるべく仮想空間で練習するつもりだ。

 

 暫く車に揺られていると、見覚えのある風景の場所に到着する。

 そう、僕が写真撮影した場所、カジュアルショップだ。

 くるみは普通に店内に入って行ったのだが、アヴさんとコナちゃんは入口で瞳をキラキラとさせたまま立ち止まっている。


 『どうしたんすか? アヴさん、中に入りましょう』

 『タ、タケルさん! 私こんな綺麗なお店なんて入った事ないですよ! 一体どうすれば……』


 そう言えば、山奥の村に住んでいたと言っていたので、こういうお店には入った事ないのだろうな。

 まぁ僕なんかすぐ近くに住んでいても入った事なかったけどねー、ははー。


 『大丈夫ですよ、アヴさん綺麗なんすからどんな服でも似合いますよ』

 『え? ええ! き、き奇麗って、あああの、タケルさんヤダもう何言って――』

 

 アヴさんは入口付近のマネキンに向かって、バシバシとツッコミを入れているのだが大丈夫かな……。

 コナちゃんは入口付近の服を見ながら、ぽけーっと口を開けたまま固まっている。


 『コナちゃんにはまだもうちょっとこの服は大きいかな、でもコナちゃんも可愛いから色んな服が似合いそうだね』

 『コナ、可愛い?』

 『とっても可愛いよ』


 頭を撫でてあげるとコナちゃんは、僕の足に抱き付いて腰の辺りに顔を埋め固まってしまった。

 可愛いのだが、う、動き辛い……力強いし……。


 入口付近で二人の相手をしていると、何やら店内が騒がしいので視線を向けると、撮影の時にいたショップの店員さんっぽいお姉さんが大声で必死に電話を掛けている最中だった。


 「いや、だから今度の人も凄いんだって! ……ええ、会議? んなモンいつもみたいにさっさと抜け出せばいいでしょ!」


 ショップの店員のお姉さんが大声で電話しているみたいだ。

 相手はお店の関係者かな?

 暫くその様子を眺めていたのだが、店員のお姉さんが僕の視線に気付いたみたいで、何か一言二言電話に向かって話した後、投げ付けるように受話器を置き、少し怖い笑顔で僕の方に近寄って来た。


 「スイマセンお姉さん、以前はお世話になりました」

 「い、いいえ、そんな、こちらこそお世話になりました」


 少し慌てふためいた様子で店員のお姉さんがお辞儀してくる。


 「何だか忙しいところにお邪魔してしまったみたいで、申しわけないです」

 「いえいえ! そんなとんでもないですよ! 忙しいだなんて、そんな事全然気にしなくていいんですよ」

 「それでですね、実は――」


 未だに入口付近でマネキンをボコボコにしていたアヴさんの手を取り、店員のお姉さんのもとへと連れて来る。

 アヴさんはまだ混乱状態から回復していないので、アクティブスキル『隠蔽強化』を掛けてから【キュアヒール】を唱えた。

 普通に人前で使うの初めてだな……。

 アヴさんは少し辺りをキョロキョロとしていて、あまり状況が理解出来ていないみたいだ。


 「それでこの子達、実はこういうお店に今まで来た事がないんですよ。出来ればお姉さんに着替えとかを手伝って貰いたいんですよ」

 「そ、そういう事なら私にお任せ下さい!」


 店員のお姉さんが僕の手を握る……握るというか、両手で鷲掴みにされる、捕獲される? 気分的にはそんな感じ。


 「で、では少しお任せしてもいいですか?」

 「勿論ですよ! さぁさぁこちらにどうぞ」


 僕の手を開放し、アヴさんとコナちゃんの背中をグイグイ押す感じで更衣室の方へと向かって行く。


 『ちょ、タケルさん?』


 アヴさんが背中を押され、戸惑いながら顔だけをこちらに振り向ける。


 『心配しないで下さい、そちらのお姉さんに任せれば大丈夫ですから』


 二人を見送った後、店内にいるくるみのもとへ向かう。

 くるみは店の壁際のマネキンに着飾られている、少し大人っぽいワンピースの前で立ち止まっていた。


 「あ、お兄ちゃん、こんなのとかあたしに似合うかなぁ」


 僕に気付いたくるみが少し照れ臭そうに大人っぽいワンピースを指差しながら聞いて来た。

 うーん、僕にファッションの事を聞くのか? 


 「……くるみの場合は、こういう大人っぽいワンピースより、もうちょっと可愛らしい服装の方が似合うんじゃないか?」


 自分の素直な感想を言ってみた。

 くるみが男達と揉めていた時の事を思い出し、こういう服装はあまり似合わないだろうと思ったからだ。


 「そ、そうかしら? か、可愛らしい恰好の方がお兄ちゃんは好きなんだ」

 「そうだなー」


 どちらかと言うと可愛らしい方が好きな気がする。

 まぁ本人に似合っていれば何でもいいんだけど。


 ふとくるみが言っていた事を思い出し、大人っぽいワンピースの値札をさり気なく見てみる。


 ををを、値段もなかなか、いや、かなり大人っぽいじゃねーか。

 服ってこんな値段するもんなんだな……大丈夫か、僕?


 「じゃあもう少し店内を見て回って、可愛らしい恰好を選んでみるね」


 くるみは大人っぽいワンピースから離れてまた店内を歩き始めた。

 なるべく値段も可愛らしい服を選ぶんだぞ! とは言わないでおこう。


 「だから、子供服よ、こ、ど、も、ふ、く! レディースの子供服、届いたばかりの新作と在庫あったでしょ? サッサと持って来てよ、もう! ……そう、車に積めるだけ積んで来てよ! 急いでね」


 お財布の中身を心配していると、更衣室の方から店員のお姉さんの声が聞こえて来た。

 どうやら携帯でコナちゃん用の服を持って来て貰うように頼んでいるみたいだ。

 何だか部下の人の仕事を増やしてしまったみたいだな……。


 「ちょ、ちょっとコレー!」


 今度はくるみの方から声が響いて来た。

 アッチもコッチも忙しいな、今度は何だ?


 「どうしたんだくるみ?」


 精算カウンターの近くで何だか少し上の方を見ながら、プルプル震えているくるみの視線の先を見てみる。

 そこには少しサイズを引き延ばした僕の写真が大量に飾られていた。


 「お、お兄ちゃん、こ、これどういう事? 本当なの?」


 くるみは写真、というより写真の横に大きく書かれている文字を指差している。 


 <LIONリオン 〇月号、表紙に決定!>


 ……なんかそんな事言っていたような気がするな。


 「ああ、多分」

 「うぎゃー! 多分じゃないわよー、これがどういう事か分かってるの?」

 「いや、そんな事言われても……」

 「LIONリオンっていうのは男性ファッション誌トップの発行部数で、今『女性も見る男性ファッション誌』として有名なのよ?」

 「へー」

 「へー、じゃないわよ、あーもう!」


 くるみは何だかイライラした様子で頭を掻き毟っている。

 一体どうしたんだ? くるみのやつ。


 「……ブツブツ、明日から学校で、そうでなくてもいっぱい群がって来るというのに、その上LIONリオンの表紙とか……ブツブツ、何考えてるのよ全く。全国規模で浮塵子うんかの如く群がって来るじゃない。あたしが、あたしがしっかりしなきゃ……ブツブツ」


 くるみが壁に向かって何やらブツブツ言っているのだが、背中から闘気のような物が出ているので、関わらずにそーっとしておく事にする。


 『タ、タケルさん』


 ちょっと怖いくるみの様子を眺めていると、背後から着替え終わったアヴさんが声を掛けて来た。


 『ど、どうでしょうか? 私おかしくないですか?』


 恥じらいを見せて若干首を竦めて手を体の後ろで組んでいるアヴさんの恰好は、おかしいどころかとても良く似合っていた。

 少し褐色の肌を強調するような、若干露出度の高い服装なのだが、アヴさんの優しい雰囲気と相まってケバケバしい感じとはならず、丈の短いスカートからスラリと伸びる長く健康的な脚は僕の視線の行き先を困らせるモノであった。

 しかも服自体の胸の部分はあまり主張していないのだが、アヴさんの元々の巨乳度ポテンシャルが高過ぎて、直視不可な状態となってしまっている。


 『あ、あの、とっても良く似合っていると思います、はい』


 完全に僕の目は泳いでしまっているのだが、上も見られない、下も見られないという状況で僕に一体どうしろというんだ?

 

 「アヴさんとっても綺麗ー!」


 対応に困っていると、いつの間にか復活していたくるみが、アヴさんの服装を見て瞳を輝かせている。


 「とっても似合っているんだけど、この服装だと家の中でくつろぎにくいんじゃないかしら?」

 「た、確かに」


 くるみの言う通り、この恰好だと家に居る時少し窮屈な気がする。

 後、この恰好で家に居られると、僕が落ち着かないというかなんというか……。


 『アヴさん、とても似合っていて綺麗なんだけど、その服装じゃ家の中でゆっくり出来ないんじゃないかな? ってくるみが言っているけど、どうかな?』

 『そ、そうですね、そう言われてみれば……。もう少し動き易い服装にして貰いますね』


 そう言ってアヴさんはくるりと振り返って更衣室の方へと駆けて行ったのだが、アヴさんの服の背中部分が大きく露出されている事に、店内を駆ける後ろ姿を見て初めて気付いた。


 「うー、あたしも早く服選ぼう!」


 何やらくるみが腕をぐるぐると回し、気合を入れ直して服選びを再開し始めた。


 「や、やぁタケル君いらっしゃい!」


 お店の入口の方から声がしたので振り返ると、巨大な段ボール箱を持った男性がこちらに向かって来た。

 以前の撮影の時にいた、今日もビシッとしたスーツ姿のオーナーさんっぽい男性だ。


 「いやー、お店の子からタケル君が来てると連絡を受けて慌ててこっちに来たんだよ」

 「そうなんですか?」


 おいおい、あのお姉さんこのオーナーさんっぽい人に電話してたのかよ。

 部下に電話しているみたいな口調だった気がするけど……。


 「ああ、しかも新たな人材が……ゲフンゲフン、失礼。可愛らしい女性と一緒に来ているという連絡を受けて、今年の新作と在庫の服を急遽持って来たんだよ」


 オーナーさんっぽい男性の後ろには、大きな段ボール箱を担いだ男性があと三人居て、それぞれが更衣室の方へと向かって行った。

 いや、そりゃ色んな服から選べるのはいいんだけど、流石にこれは多過ぎじゃないか?

 

 「それとタケル君、あれから君への問い合わせが物凄いんだよ!」

 「へ?」

 「まだ雑誌が発売されたわけではないけど、あの時の写真が業界内に出回っていて、雑誌の関係者や他の雑誌社、更には他のアパレル業界からもバンバン連絡が来ているよ!」

 「そ、そうなんですか」

 「あまりの評判の良さに、このままではタケル君に着て貰った服は勿論の事、他の商品もお店の在庫が足りなくなると思い、今大急ぎで在庫の確保をしている最中なんだよ」

 「は、はぁ」


 な、何だか大変な事になっているみたいだなぁ……。


 「そ、そうだ、タケル君少し待っていてくれ! 僕が帰って来るまで絶対に待っていてくれよ!」


 そう言い残してオーナーさんっぽい男性は、慌ててお店の外へと出て行った。

 若干気になる事もあるけど……どうかしたのかな?


 「お兄ちゃん、今の人知り合い?」

 「知り合いというか、多分ここのお店のオーナーさんだよ」


 後ろから話し掛けられ、くるみの方へ振り返ると、両手で服を持ったまま立っていた。


 「こ、こんなのはどうかな?」


 くるみが両手で持っていた服を自分の体に当てがって見せた。

 黒いホットパンツと、七分袖の所々に黒のアクセントが入った白いシャツだ。


 「うん、それならくるみにも似合っているよ」

 「ホ、ホント?」

 「ああ、ホントに似合って――ちょっと待ってて」


 話している間に、少し気になった物が視界に入ったので、服を体の前で合わせているくるみをそのままの状態で待たせつつ、気になった物の方へと向かう。

 棚に飾られていた物をひとつ手に取りくるみの所へ戻ると、肩を優しく抱えてすぐ近くの鏡の前に移動させ、今しがた手に取った物をくるみの頭に添えてみる。


 「これも一緒ならもっと可愛いんじゃないかな?」


 くるみが立つすぐ前の姿鏡には、僕が手に持ったままの純白の可愛らしいリボンが頭に添えられ、若干照れているくるみが映し出されている。


 「そ、そうかな」

 「うん、これも一緒の方がいいよ」

 「わ、わかった、じゃあこれも一緒にお願いしてもいい?」

 「ああ、勿論いいよ」

 「えへへ、ありがとうお兄ちゃん」


 くるみへのプレゼントが決まった所で、オーナーさんっぽい男性が外から大慌てで戻って来た。


 「や、やぁお待たせ、実は――」


 オーナーさんっぽい男性は、何故か話し始めた途端に固まってしまった。

 何やら一点を見つめたまま停止しているので不思議に思い、僕とくるみも一緒にその視線の先を追ってみる。


 そこには着替え終わった天使コナちゃんが、恥ずかしそうに立っていた。


 「「……天使だ」」


 着替え終わったコナちゃんを見て口から零れた感想が、オーナーさんっぽい男性の声と揃う。

 恥ずかしそうに頬を染めた可憐な少女は、藍色のワンピースを着ているのだが、全身が真っ白なお陰なのか、藍色が物凄く綺麗に映える。

 更に透き通る程、純白の髪にはワンピースとお揃いのカラーのリボンが、小さな頭部の左側にさり気なく結わえられている。

 そして足もとにも同様に、お揃いのカラーの可愛らしいフラットシューズでコーディネートされていた。


 『タケルお兄ちゃん、コナ、どうかな?』


 う、上手く言葉が出て来ない……。


 『へ、変かな……』


 コナちゃんが僕の戸惑う様子を見て呟いた。


 『変じゃないよ、コナちゃん! すっごくすっごく可愛いよ!』

 『ホントに?』

 『うん、最初天使様が僕の前に現れたのかと思っちゃったよ!』

 『えへへへ、嬉しいな』


 そう言って一段と頬を赤く染めて照れているコナちゃんの後ろでは、満足気な顔で店員のお姉さんが胸を張っている。


 「どうですか? とっても似合っていると思うのですが」


 カシャカシャカシャ!


 他の候補の服を幾つか両手に持ちながら、店員のお姉さんが話し始めたと同時に背後から音がした。

 振り返ってみるとオーナーさんっぽい男性が、プロのカメラマンが持っているみたいな本格的なカメラで写真を撮っていた。


 「ああ、済まない、あまりの可愛さについ先に写真を撮ってしまった。実は先程も話そうとしたのだが、子供服ブランドのウェブサイトのモデルさんをお願いしようと思っていたのだよ」


 あー、そういう事ね。道理で頭の上に緑の『!』マークが出ているわけだ。

 今日最初に出会った時から気にはなっていたんだけど、三人の服選びで忙しいから確かめようかどうしようか悩んでいたのだ。

 まぁそういう事なら別に確かめなくてもいいか。


 「ちょっと本人に聞いてみますので待って貰えますか?」

 「勿論ですよ」


 僕はそのままコナちゃんのもとへと歩み寄り、後ろに控えていたアヴさんにもこっちへ来てと視線を送りながら手招きする。


 『コナちゃん、実はあのおじさんがコナちゃんに写真のモデルさんになって欲しいって言っているんだけれど、どうかな?』

 『モデル、ですか?』


 先にアヴさんが不思議そうな感じで聞いて来た。


 『ええ、ウェブサイトに写真を載せたいそうです』

 『そうですか……、コナはどうしたい?』

 『うーん、モデルさんって何をすればいいの?』

 『そ、そうね、何をすればいいのかしら……』


 アヴさんもよく分からないみたいで、少し困惑気味に首を捻っている。


 『コナちゃんは色んなお洋服に着替えるだけでいいよ、後はあのおじさんが写真を撮ってくれるから』


 コナちゃんにはモデルの僕から簡単に説明した。

 ……僕の時は着替えてカメラの前に立っただけだったし。


 『いっぱい可愛いお洋服に着替えるの?』

 『うん、そうだよ』

 『コナ、モデルさんやってみたい!』

 『――と言っていますけど、アヴさんはどう思いますか?』


 うーん、と少し考えるように顎に手を添えているアヴさんにも聞いてみる。


 『そうですね、コナがやりたいと言うなら構いませんが、あまり集中力が続かないと思うので、すぐに終わるのであれば大丈夫だと思いますよ』

 『分かりました、ではオーナーさんに伝えて来ましょう』


 僕はオーナーさんに今の会話の内容を伝えた。

 するとオーナーさんも納得してくれた様子で、早速店舗の片隅でコナちゃんの大撮影会が始まった。

 コナちゃんが本物のモデルさんみたいに、髪の毛に指を通したり、スカートの裾を摘まんだりと色んなポーズを取っているのを見て、僕より全然上手じゃないか! と思ったのは内緒の話だ。


 時間にして約三十分、五着程の着替えを済ませた所で撮影会が終了した。

 その間もアヴさんは自分の服を着替えたり、くるみはオーナーさんのアシスタントをしたりと、楽しい時間を過ごす事となった。


 「いやー、今日は本当にありがとう! お陰でいい写真が撮れたよ、ウェブサイトの反響が今から楽しみだ!」


 オーナーさんがコナちゃんに歩み寄って行く。


 「お嬢ちゃん、ありがとうね!」

 「うん、コナもいっぱいお洋服着られて楽しかった!」


 コナちゃんに挨拶を済ませてから、オーナーさんは僕の方へと振り向いた。


 「それで、今回のお礼の件ですが――」


 オーナーさんが話し始めた所で、店員のお姉さんが台車に乗せられた大量の紙袋と段ボール箱を運んで来た。


 「ちょ、これは流石に多過ぎますって!」

 「いえいえ、とんでもない! タケル君の件と今回の撮影の件で考えれば、こちらからすればまだ謝礼もお渡ししたいくらいですよ!」

 「そんな、謝礼なんて受け取れませんよ!」

 「ではせめてこの分だけでも受け取って頂きたい」


 オーナーさんの表情は、一歩も引きそうにない真剣なものだ。

 仕方ない、か。


 「分かりました。では力不足かもしれませんが、何処の洋服かと聞かれた時には――」

 「はい、是非ウチの名前を出してください」


 少し悪そうな、商売人の笑顔でオーナーさんが答えた。


 「ではこれとは別で買い物がしたいのですがいいですか?」

 「え? どういうことですか?」


 オーナーさんがよく分からないといった感じで尋ねて来る。


 「実は今日、妹の誕生日プレゼントを選びに来たんですよ。その分は僕の自腹で購入させてください」

 「成程、そういう事でしたら、精算カウンターの方へどうぞ、最大限割引はさせて頂きます」

 「はい、宜しくお願いします」


 やっぱりくるみの誕生日プレゼントだけは僕自身で買いたかったからな。


 「お、お兄ちゃん、ありがとう!」


 忘れられていると思ったのか、くるみは嬉しそうに精算カウンターへと一緒に着いて来てくれた。

 その後精算を済ませ、大量の荷物をサポートチームの車へとギュウギュウに詰め込み家路に向かう事にする。



 ……しかし衝撃の事実だったよな。


 「コナちゃん、言葉が分かっていたんだね」

 「うん、何だかよく分からない言葉なのに話せるの」


 そういや四ツ橋誠に命令された時にも、日本語で返答していた気がする……。

 くるみとアヴさんは、今の状況がよく理解出来ていないみたいだ。

 

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