第4話
「雪乃さん! 玄関から誰か入ってきます。恐らく……お母さんです!」
「な、んだと……!」
椅子から立ち上がり、せわしなくウロウロとし始めた雪乃さんは顔を真っ青にしている。
「サ、サポートチーム……」
先程までとは違って叫ばずに小声でボソッと呟くと、スーツ姿の男性が窓からわらわらと僕の部屋に雪崩れ込んで来た。
その数約十名。狭いっ! っていうかここ二階だぞ!
その内一人の男性が唇に人差し指を添えて、シーッ! とポーズを取った後、僕にアイマスクを装着して来た。
ちょ、な、何をするつもり?
アイマスクを装着して音だけを聞いている限り、どうやら雪乃さんのお着替えタイムらしい。
今まで上下ジャージだったのに、何故このタイミングでお着替えなのかはよく分からない。
「違う馬鹿、そっちじゃない! もっとこっちをこうだ!」
「ただいまー」
布が擦れる音や雪乃さんの声を聞いていると、玄関の扉を開ける音と共にお母さんの声が家の中に響いて来た。
なにこれ、未来予知スキルすげー!
そしてアイマスクを外されると、目の前には知らない女性が立っていた。
誰だよアンタ!
思わず突っ込みたくなるが、恐らく雪乃さんなその女性は、上下にビシッと決めた黒のスーツを着込んでいるのだが……やっぱり黒なんだな。 そして袖口や胸元には白いシャツが見えている。
開けっ放しの窓から時折入ってくる風により、ポニーテールを解いた長めの髪が少し揺れると共に、微かに優しい香水の匂いが僕のところまで届いて来た。
もう一回言う。
「誰だよアンタ!」
「何言ってるんだ? さっさとお母様に挨拶に行くぞ!」
そういう雪乃さんの両手にはしっかりと菓子折りが握られている。
一体何の挨拶に行くつもりだ? お母様って何?
僕がアレコレと考えている間に僕の横を通り過ぎ、階段へと向かって行った雪乃さんにはバッチリメイクが施されていた。
「……さっきまでガスマスク装着していた癖に」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ、別に何も言ってないすよ」
雪乃さんの変化に戸惑いながらも、二人で階段を降りて行く。
そういや、お母さんと会うのって、いつ以来だったかなぁ……。
怖ぇー、何言われるんだろ?
リビングまでもう少しという所で雪乃さんを呼び止める。
「ちょ、雪乃さん、さっきも話したすけど僕、お母さんと長い間顔を会せてないんすよ。それでこんな事になってしまったんで、何とかうまい具合に説明して下さいよ?」
小声で囁く僕の言葉にくるっとこちらへと振り返り、任せろという気迫と共に、親指を突き立ててこちらに返してくれた。
いやーん、雪乃さん頼りになるっす! 超イケメン!
<ちょっとここで待ってろ!>
リビングの扉の前まで来たところで
<話の準備が出来たらサインを出すから!>
<了解しました!>
更に
「失礼します!」
雪乃さんはコンコンとリビングの扉をノックした後、勇ましい背中を僕に見せ付けながらリビングへと入っていった。
なんてカッコイイ後ろ姿だ。
……おい、それが出来るなら何故玄関の扉をぶっ飛ばしたんだ?
「あの、どちら様でしょうか?」
「失礼致します、私、エンテンドウ・サニー社の――」
その後リビングにいたお母さんと雪乃さんは、大人な挨拶をお互いに数回交わした後、笑い声交じりの会話が始まったのだが、扉が閉まっていて話の内容まではあまり聞こえない。
しかし……かれこれ十五分が経とうとしているのに、なかなか雪乃さんからリビングに入って来い! のサインが来ない。
会話の内容が聞こえそうで聞こえない、ギリギリの音量でお互いが話しているのがスゲー気になる。
ただ、二人の会話の雰囲気は決して悪くはないみたいだ。
……行くか? いや、まだだ。まだ早い。
あの背中を見せてくれた雪乃さんを信じてもう少し待ってみよう。
彼女なら必ず何とかしてくれるはずだ。
……更に十五分程経過した。サインは来ない。
駄目だ、もう待てない。
雪乃さんを信じてはいるけど、このプレッシャーから早く解放されたい!
「「あははー」」
ここでお母さんと雪乃さんの大きな笑い声が聞こえて来たのをきっかけに、僕は勇気を振り絞って震える手でリビングの扉を開けた。
お母さん、今まで心配かけてごめんなさい。
そして、いつも美味しいご飯をありがとう。
そんな感謝の言葉から始めるつもりだったのに――
「――したら、タケルのやつ、リビングの入口で下半身丸出しで突っ立ってたんですよー!」
あははー、と二人で大爆笑してた。
「をいぃ! 何の話してんだアンタ! 三十分も喋ってて、まだ前半も前半の話じゃないか!」
…… ……
「……え、っと、どちら様でしょうか?」
……しまった。やっちまった。
感謝の言葉から入るつもりが盛大なツッコミから入ってしまった。
た、たた助けてくれー!
雪乃さんの方へ救難信号の視線を送ると、雪乃さんは何やらリビングの天井のシミを、ボーっとしながら見つめていた。
……くっ、この役立たずが! 後でアンタのクエストの内容、会社にメールで送ってやるからな!
しかしこうなった以上、自分の力でこの場を切り抜けるしかない。
長い間止まったままの時間を、もう一度動かし始めるんだ。
頑張れ! 僕!
「ぉお、お母さ、ん……」
腹の底から振り絞った勇気は、あまりにか細く、超高性能集音マイクですら拾えない程、途切れ途切れで小さいものだった。
「た、タッ君、…なの?」
しかし、お母さんにはきちんと僕の声が届いたみたいだ。
「う、うん。お、お母さん」
駄目だ足が震える……。その振動が声にも伝わり震えている。
今だ、今こそ日頃の感謝の気持ちを――
「あらやだ、タッ君! いつの間にこんなにイケメンになってたのよ! はぁと」
勇気を振り絞ろうとしていると、とお母さんが腕に絡みついて来た。
まずい! 身体が震えてるのがばれる!
ええっと、ええっと――
「ぃい、いやー、ぼ僕、昔太ってたでしょ? だ、だから部屋に籠ってダイエットに励んでいたんだよー」
苦しい! 言いわけが苦しいぞ! コレはおかしい!
「あら、それで部屋から出て来なかったのね? それだったらそうと毎日の手紙に書いてくれればよかったのに! それにしてもタッ君身長伸びたわねー!」
「せ、せ、成長期かなー、あ、あははー」
誰か助けてくれー!
「タッ君くらいの時期の男の子なんて一日で身長伸びるもんね! それにしても髪の色と、何だか瞳の色も違うような……」
「い、イメチェンかな、今日お母さんに会う為に、えーっと、えーっと、そう、か、カラーコンタクトと毛染めをしたんだ。どうせなら今までの印象を大きく変えようと思ってー!」
駄目だー! もう泥沼状態だ! しかしここまで来たら最後まで通すしかないよな。
「そうなの? でもタッ君すごく似合ってるわよ! タッ君の事ますます大好きになったわー! はぁと」
あ、あれ? な、何とか奇跡的にごまかしが通った……のか?
単純なのか素直なのか分からないけど、とにかく助かった。
僕の事を信じてくれているお母さんを騙すのは少々心苦しいけど……所々のお母さんからの愛が重たい。
でも――
「お母さん!」
「どうしたのタッ君?」
「……今まで心配かけてごめんなさい。それと、毎日美味しいご飯ありがとう」
これだけはきちんと言わなければ!
不思議と一言目が出てくれば身体の震えも収まってくれたし、ハッキリと伝える事が出来た!
……リビングのソファーに、置物のように座っていた雪乃さんが、何やらヨッシャー! とガッツポーズをしているのはこの際無視しておく。
「タッ君……。お母さんはタッ君ならどんな困難も乗り切れると信じていたわ、よ……」
お母さんは机の上にあったティッシュを一枚取り、目頭に添えながら、最後の方は声を詰まらせていた。
しんみりとした空気になったところで、雪乃さんが立ち上がりお母さんに話を始めた。
「改めてご挨拶させて頂きます。エンテンドウ・サニー社の上条雪乃と申します。この度、健君にはプロジェクトの一環としてお手伝いして頂くべく、お伺いさせて頂いておりました」
深々とお辞儀をしながら名刺をお母さんに渡す雪乃さん。
くそ、さっきまでリビングの風景の一部だったくせに!
天井のシミの観察日記付けてたくせに!
しかし極度の緊張からひと時解放されたので、喉がカラカラだ。
今の間にお茶でも飲もう……。
フラフラと冷蔵庫に歩み寄る。
お母さんと雪乃さんの分のお茶は出ているみたいなので、自分の分だけでいいな。
こんなに緊張で喉がカラカラになるのは久しぶりだなー、とお茶を飲んでいると――
「ではお母様、改めてお願いさせて頂きます。息子さんを、健君を私に下さい!」
ブーーーッ! 盛大にお茶吹いた。
しかも喉の奥の変なところにお茶が入ってしまい、ゲフゲフと咽てしまった。
「ち゛ょ、ちょっ何言って――」
「私はタッ君が選んだ女性ならどんな方でも反対はしませんよ」
お母さんはクスクスと笑いを溢している。
おいおい、雪乃さんには冗談とか通じそうにないのに勘弁してー!
「必ず口説いて見せます!」
「頑張ってー」
雪乃さんはリビングに入る前と同様に、鬼気迫る勢いで親指を突き立てている。
ああ、コレ見掛け倒しのポーズだし、大丈夫だわ。
お母さんも頑張ってーとか言ってるし。
あんまり本気にしてないんだろうなぁ。
雪乃さんはひと通りお母さんに挨拶した後、今日は会社に帰るというので玄関まで送っていった。
「じゃあタケル、クエストでのレベル上げとスキルの獲得頑張ってくれよー!」
嬉しそうにブンブンと手を振り、何度もこちらを振り返りながら雪乃さんは車に乗り込み帰っていった。
車十数台を引き連れて。
ふと思い出したので部屋の窓の下近辺を確認したけど、雪乃さんに窓からポイポイ投げ捨てられた物は、塵一つ落ちていなかった。
流石サポートチーム、優秀だなー。
リビングへ戻ると、お母さんが上機嫌で鼻歌を歌っていた。
そういや、雪乃さんのインパクトが強過ぎて忘れがちだけど、こうしてお母さんと会うのは約二年ぶりなんだよなぁ。
ここに来るまでは凄く難しく感じていたけど、実際会って話してみると別に普通の事だったんだよな。
ま、当たり前か。親子だもんな。
何だか照れくさいけど、お母さんと少し話そうとすると、お母さんの方から話し掛けて来た。
「タッ君、早くも結婚相手が見つかって良かったわね!」
ふ、ふぇ?
ほ、本気じゃなかったんじゃないの?
「お、お母さん! さっきの雪乃さんの話、本気じゃなかったんじゃないの?」
「あら、お母さんがさっき言った事は本心よ? タッ君が選んだ人ならお母さんはどんな人でも反対しないわよ?」
「そ、それじゃあ」
「タッ君、今のままだと多分上条さんに口説き落とされるわよー」
うふふと含みをっ持った笑みを浮かべるお母さん。
え、ええー? 何でそうなる?
女のカンってやつか?
「まぁ、今のタッ君なら他にもいい人いっぱい見つかると思うけどね」
そう言いながら、お母さんはソファーに腰掛けると静かに話し始めた。
「さっきタッ君がリビングに入ってくる前に、三十分くらい上条さんとお話ししてたでしょ?」
「う、うん。雪乃さんから入ってくるように呼ばれるのを待ってたんだけど、なかなか呼ばれなくて……」
「そうね、あれは上条さんからの意見でね、タッ君本人の足でリビングに入って来るまで、このままで待っていて欲しいって言われてたの。それで、もしかしたら色々と変な事を言い出すかもしれないけれど、最後まで話を聞いてあげて下さいって」
え、え? どういう事?
思考が追い付いて来ない……。
「今、タッ君は殻を破って変わろうとしてる時だからって、本人の意思で感謝の気持ちをお母さんに言いに来るつもりだからって、強く言われちゃったの」
そ、そんな事喋っていたのか。
会話が微妙に小声だと思ったらそういう事だったのか。
「それと上条さんは今まで研究一筋で、普通に男の人と会話した事が殆どなかったそうよ」
「まぁ、あのぶっ飛んだ性格なら会話にならないだろうに」
「そう、だからきちんと目を見てくれたのも、普通に会話をしてくれたのも、優しく背中をさすってくれたのもタッ君が初めてだ、って。これで素直に感謝が伝えられるような優しい性格の持ち主なら、全力でタッ君を口説くってお母さんに宣言してたの」
だからあの時、風景の一部になったままだった雪乃さんが、突然ガッツポーズとかしてたのか……。
「しかもこれから何か一緒に大変なお仕事するんでしょ? 吊り橋効果じゃないけど、更に距離が近くなるんじゃないの?」
た、確かに……、しかもクエストで雪乃さんのお見合いを阻止するのだから、責任取れーとか言われそうだし。
「……で、でも雪乃さん、三十歳だよ?」
「あら、上条さん大天才らしいじゃない。自分で言ってたわよ? タッ君の為に若返りの機械とか、惚れ薬なんかも作っちゃうんじゃない? うふふやだー、お母さんの分も作って貰いましょ!」
リビングからスキップしながら出て行ったお母さんの後ろ姿は、二年前に見た最後の記憶に残っているお母さんよりも若く見えた。
……言葉が出て来ない。
頭の中を色々な感情がグルグル回っている。
まぁ、とにかくお母さんに感謝の気持ちをきちんと伝える事が出来たのは、雪乃さんのフォローがあったおかげでもあるみたいだし。
感謝はしておこう。
雪乃さん、ありがとう。
しかし、若返りの機械、惚れ薬……か。3日くらいで作ってきそうだな。
お母さんと話した後自分の部屋へ戻ると、いつの間にか机の上に手紙と携帯電話が置いてあった。
<雪乃直通、ずっと持ってろよ>
先に読んだ手紙には奇麗な字が書かれてあった。……コレ、雪乃さんの字か?
そういや連絡先とか知らないし、いちいち会社に連絡するのも面倒だし助かった。
しかし、これからは暫くクエストに専念してレベル上げしなきゃな。
因みにクエスト報酬にEXPが書いてあったクエストはさっき見つけた。
サポートチーム全員に緑の『!』マークが出てたから、何人かの依頼を見てみたけれど、全員難易度☆10個で『雪乃さんの性格を何とかして欲しい!』と書かれていたので既読スルーしといた。
無理無理、時間の無駄。
まぁ、雪乃さん以外の人からもきちんとクエストが出ているという事も確認出来たので良しとしておこう。
ただ、家から出るという事が久しぶりなんだけど大丈夫かな?
今までだと家から出られる服が一着もなかったのだが、幸いな事に先程サポートチームから貰った今着ている服があるので外には出られる。
家に居るだけなら上下一着で十分だけど、来月からは学校に行かなければならない。
しかもこの四月から通う高校は制服ではなく、珍しい私服の学校。
せっかく見た目もスタイルも完璧になったので、人生初のオシャレなんかもしてみたい!
しかし、服を買いに行くにもお金が無い。
正確には部屋の何処かに136円あるらしいけど……足りないよね?
……まてよ? もしかしたら報酬に現金が貰えるクエストもあるんじゃね?
てかあるだろ、普通。
よし、そうと決まればまずは現金狙いだぜ!
世の中金だー!
今の僕は両目が¥マークだぜ!
い、いや、も、勿論EXP貰えるクエストもするよ?
あ、当たり前じゃないっすか!
僕は遂に外出している。
<今のタケルの場合、何でもない行動からでも様々なスキルが獲得出来る筈だ。色々考えて、こんなスキルがあれば便利だ! と思う物があれば、それに関連する行動を取ってみれば自分で狙ったスキルが獲得出来る筈だぞ!>
もう夕方だし今日は家でゆっくりして、明日から本気出しても良かったんだけど、雪乃さん直通携帯にメッセージが入っていたので、すでに陽が傾き始めているけど外へ出て来たというわけだ。
<分かりました。今から外に出て色々確かめてみます>
<タケルから連絡が来て嬉しい>
すぐにメッセージが返って来たけど無視しておいた。
しかしこんな簡単に家を出られるとは思わなかった。
約二年ぶりの外出。
色々不安はあったけど今は足が軽やかで、時間があれば少しでも外を歩いていたい気分だ。
こんな気持ちは今まで生きてきて初めてだ。
よし、閉め切ったカーテンの部屋の中で一日を終える生活とはサヨナラだ。
今日からは毎日が冒険だ!
しかし家の近所でさえも何があるかわからない状況だ。
いきなり近所のおばちゃんがクエスト出して歩いているかもしれないし……って、なんか急に不安になって来た。
誰もいない道の角を曲がる前に、ささっと電柱に隠れて様子を見てみる。
よし、誰もいないなと確認したら、隠密スキルという物を覚えた。
はやっ! さすが管理者権限。
こんな簡単な事でスキルを貰っていいものかとも思ったけど、こっちは命に係わる状況だ。
チート乙とか言っている場合ではない。
難易度☆10個の雪乃さんのクエストを、なるべく早くクリアしなければならんのだ。
その為にも出来る限り多くのスキル、EXPを獲得しておこうと思う。
とここで、第一町人発見! ちょっとゴツイお兄さんだ。
普段なら絶対に近寄りたくない感じなタイプだ。
遠くからこっそりステータスを確認するとレベル4でHPが50、その他のステータスが15前後だった。
おいおいおい! 待ってくれ、あんなにゴツイお兄さんがレベル4?
ステータス15前後? 嘘だろ?
見掛け倒しなのか?
いやいや、あの筋肉で攻撃力17とかあり得ん!
僕の攻撃力、確か1500くらいあった気がするけど……。
しかしヘタレ全開の僕はゴツイお兄さんから視線を外し、何事もなく無事にやり過ごした。
危ねー、僕の絡まれスキルは発動しなかったみたいだ。
その後も何人かと近所ですれ違い、その都度ステータスを確認してみたけど、やはりゴツイお兄さんはやや高めで、他の人達は更に低かった。
武器とかを装備していれば変わるのかもしれないけど、現実世界だと相手が素手の場合、ダメージを受けそうもないな。
しかし肝心のクエストを出している人がなかなか見つからない。
まだ十人くらいしかすれ違っていないからかな?
よし、ここは思い切って駅の方まで足を伸ばしてみるか!
人がいっぱい居るところに行っても大丈夫かなぁ……。
特に沢山の視線とか耐えられるのか?
とにかく行ってみよう! 意を決して足を駅の方へ向ける。
……駅って確かこっちの方で合ってたよな? 家の近所で迷子とかにならないよな?
ふ、ふははー! 居る、居るぞー!
駅が近くなって来たみたいで、頭の上にクエスト依頼の緑の『!』マークを出している人がチラホラ出て来た。
片っ端からクエスト内容を確認していくか。
どれどれ――
<妻の浮気現場を押さえてほしい!>
<隣の家の旦那を誘惑するために嫁を外に連れ出して欲しい!>
<祖父の遺産確保の為に、兄弟を亡き者に!>
<息子の保育園の先生を口説きたいのでアドバイスを!>
……昼ドラかよ!
やけにドロドロした内容のクエストが多いなー。
もうちょっと全年齢対象の健全なクエストはないのか?
とキョロキョロしていたその時――
「き、きゃーーー! ひ、ひったくりよーーー!」
人ごみの後ろの方から聞こえたので振り返ってみると、座り込んでしまっているお婆さんが、誰かーとしわがれ声で叫びながら赤色の『!』マークを頭上に出していた。
ん? 赤色? 何だコレ?
『!』マークを注視してみた。
緊急クエスト内容
・お婆さんの年金が入ったバッグをひったくり犯から奪い返せ!
クエストの依頼者
・お婆さん
クエスト成功条件
・年金入りのバッグをお婆さんに返す、ひったくり犯の撃退、(追加報酬あり)
クエスト失敗条件
・年金入りのバッグを返さない、またはひったくり犯にそのまま逃亡される
クエスト報酬
・EXP
・お小遣い(追加報酬)
・お婆さんの感謝の気持ち
クエスト難易度
・☆☆~☆☆☆
クエスト受諾条件
・なし
緊急クエストキター! キタコレ! これこれ、こういうのを探していたんだよ。
ひったくり犯退治とか超健全。
ドロドロの昼ドラ紛いとかより全然いい。
ちょっと怖いけどステータス平均1500チョイあれば怪我する事もないだろう。
しかもEXPとお小遣いの、当初の予定通りの報酬があるのもいいねー!
追加報酬ということは、ひったくり犯を撃退しなければお小遣いは貰えないという事だな。
よし、コレに決定だ!
しかし、知らない人に声をかけるのって勇気がいるなぁ……。
あー、あー、マイクテスマイクテス。今の内に発声練習でもしておくか。
イケメン初クエストを受けるべく、座り込んでしまっているお婆さんへと歩いて近付く。
そして、ここで雪乃さんの言っていた事を思い出す。
イケメンっぽい行動。
姿勢を正す。
相手の目を見て話す。
そして100パーセントの笑顔……は、まだ練習していないので5パーセントくらいの、怒ってはいないですよ? ぐらいの表情を作るだけの笑顔にしておくか。
よし! 行くぞ!
気合を入れて姿勢を正したところで、突然辺りから大勢の視線を感じるようになった。
……これ、今まで隠密スキルが発動してたな。
まあいい、とにかく背筋を伸ばして歩く。
どこかで聞いた事のある、背中に定規を差し込んだまま、頭の上を何かで引っ張られているというイメージをしながら歩く。
そして視線は一切ブレず真っすぐにお婆さんを捉える。
もう少し距離があるのだけれど、お婆さんとの間には他にも人がいて――って、あ、あれ? なんか僕の前にいる人達がみんな避けていくぞ?
モーゼみたいに、さーっと前方の人が左右に分かれ、僕専用の道が出来てしまった。
……やっちまったかな。調子に乗り過ぎてキモかったかな。
もしかしてロボットみたいにギクシャクしてたかな? い、いや、ここまで来たら後には引き返せん。
もうお婆さんの所まで続く真っ直ぐな一本道が出来上がってしまっている。
心臓が、絶賛稼働中! をアピールしてくる中、遂にお婆さんのところまで辿り着いてしまった。
イケメンっぽく、イケメンっぽくだ。落ち着け!
お婆さんの前でゆっくりと片膝を着き、右手をお婆さんの顔の前に差し出して、5パーセントの笑顔で言う。
「だ、大丈夫でしゅか?」
ぬああああああ! やっちまったーーー!
一番肝心なところで何故噛む!
全っ然イケメンっぽくないしー!
周りにいたいたギャラリー達の中にも、何人かがガヤガヤ言いながら盛大にズッコケているのか膝を折っていた。
……当然お婆さんも大きく後ろにのけ反っている。
そんなにのけ反って腰大丈夫?
「あ、あの…… 大丈夫ですか?」
「は、こ、ここは一体……いや、大丈夫、大丈夫ですじゃ!」
僕の噛み噛みが想像以上にげんなりだったのか、回復まで相当時間が掛かったみたいだった。
しかし雪乃さんに言われた通りに、相手の目をしっかりと見て会話する。
「それで、何かお困りのご様子ですが?」
「は、はぐ、そ、そうなんじゃ、困っておる。先程ひったくりにカバンを盗られてしもうた。お願いじゃ、なんとか取り戻してきてくれんかのぉ。失礼じゃなければ僅かじゃが礼もさせて貰う。この通りじゃ」
お婆さんが話し終えるのを待ってから緊急クエストを受けた。
視界には、緊急クエストを受け付けました! という文字と共に、受注クエスト一覧という文字が出ている。
これで今現在受けている最中のクエストを確認出来るんだな。
しかし、雪乃さんのクエストはなんだかんだで、まだ受付完了してなかったな。
まぁ今度会った時でいいか。
「分かりました。僕が何とかしてみます!」
「おお、あ、有難う……」
「それでひったくり犯はどっちの方へ逃げて行きましたか?」
「それが、後ろからバックをひったくられてしもうてよく分からんのじゃが、恐らくそこの脇道の方へ逃げ込んだ――」
お婆さんは震える指で一本の細い路地を指差している。
「よし、追い掛けてみます! お婆さんはここで待っていて貰えますか? それと、お婆さんが膝を擦りむいているようなので、どなたか手当てをしてあげて欲しいんですが?」
ギャラリーの方へ視線を送ると一呼吸置いてから、私が! 私が! と何名かが名乗り出てくれたので助かった。
やっぱりこういう時、女性は頼りになるなー。
取りあえずお婆さんの事は任せて、一丁行ってみるか!
僕は駆け出し、お婆さんが指差した脇道へと入った。
何処だ? 犯人は何処にいるんだ?
更に走ってグングン突き進んで行く。
……何処なんだ? ここは一体何処なんだ? だ、誰か助けて! と完全に迷子になっていると、探索スキルと索敵スキルという物がサクッと手に入った。
すると現在の位置状況や細かい情報、更には目標物の詳しい状態等が事細かく、視界一面に広がった!
ぐわー、なんじゃこりゃー! 情報が細か過ぎるぞ。標高とか北緯何度とか心拍数とか今要らねーよ!
情報過多なので、表示レベルを下げて必要最低限だけ表示するように設定する。
……よしよし、これで見易くなったぞ。
今、ひったくり犯はかなりのスピードでバイクで逃走しているみたいだ。
犯人は二人組、おお、今なら何でも手に取るように分かるぞー!
っしゃー、全力ダッシュで追い掛けるぜー! おぉ、早い早い、グングン加速し――っては、はははや、速過ぎるー! うぎゃー!
ビュンビュンと流れていく感じで景色が僕の周りを駆け抜けていく。
移動速度上昇やら身体強化やらスキルがポンポン身に付いているみたいだが今は確認している暇がない!
よそ見してたら事故ってしまう。これが本当の人身事故! ――って上手いこと言ってる場合じゃなかったな。
しかしスキル獲得のピコーンピコーンがうっせー! 集中出来ないぞ!
あっという間に犯人のバイクに追いつき、二人乗りしている座席付近の掴めそうな部分を後ろから片手で握り、両足で急ブレーキを掛ける。
突然急停止したバイクから放り出されるようにして、二人組の犯人は地面にゴロゴロと転がっていった。
あー、なんかごめん。
ちょっと止めようとしただけだったんだけど……故意じゃないよ?
「う、うぐぐ……痛ってー、お前ちゃんと運転しろよ!」
「ぐっ、ち、違う、俺じゃないッス。突然原付が止まって――」
地面に転がりながら二人は僕を見ている。
まだ片手でバイクは抑えたままだからだ。
「「て、てめー! このやろー!」」
男達は喚きながらフルフェイスのヘルメットを脱ぎ捨てた。
……あの、そんな簡単に素顔晒していいの?
顔隠すためにヘルメット被ってたんじゃないの? 馬鹿なの?
犯人達の馬鹿さ加減に呆れていると、徐々に別の感情が沸き起こって来た。
一人はガタイの良いスキンヘッドで、首筋に何やら模様が見える。
もう一人はモヒカン頭で、至る所にピアスやら輪っかがじゃらじゃらとぶら下がっている。
どこの世紀末キャラだよ! リアルにこんなヤツ居るのかよ! 怖えー!
普段なら絶対に関わらないであろう人種を前にして、恐怖のあまり足が震え出した。
だ、大丈夫だよな? 僕大丈夫だよな?
と、とにかくステータス閲覧だ!
「おい、見ろよ。こいつ足が震えてやがるぞ?」
「……あ、兄貴の足も震えてるッスよ?」
「馬鹿野郎! 俺はバイクから放り出された痛みでフラついているだけだ!」
「す、すいませんッス!」
そんな二人の上下関係が分かる会話を聞きながらステータスの確認を終え、バイクの座席をバキっとひっぺがすと、中には婦人物のカバンが入っていた。
これがお婆さんのカバンだな?
手に取ってあれこれ見てみると、鑑定スキルが貰えた。
おお、鑑定スキルと言えば異世界物のラノベでは、チート級スキルと定番だよな!
コレはいいものが手に入ったぞ。
早速カバンを鑑定して持ち主を調べてみると、やはり先程のお婆さんの物だった。
しかし不可解な事に、鑑定中に何やらスキルがガンガン手に入っている。
ピコーンピコーンとうるさい。
なんだ? いったい何が?
打撃耐性? 自然治癒? 急所耐性? 何の事?
視線をカバンから外し、前を見てみると、二人の男達がガンガン僕を殴る蹴るしている最中だった。
うえぇえぇー! 何してるのこの人達! いつの間に!
スキルの獲得、LVアップの文字が目まぐるしく視界にズラズラと羅列されていく。
あー、しかもピコーンピコーンとうるさい!
ちょっと待てってば! 落ち着けオマイラ!
ダメージはないだろうなぁとは、ステータス確認した時点で思っていたけど、まさか攻撃されている事すらも気付かないレベルだとは……。
確認の為に自分のHPを見てみるも、やはり一切減っていない。
「「こ、こいつバケモンだ!」」
これ、もはや人ではないよなと実感していると、男達も同じことを考えていたのか、震えた声を揃えながら後退りし始めた。
「「ぎゃー!」」
まずい、ここで逃げられたらクエスト失敗になるんじゃね? と思った時には、二人は僕に背を向けて全力疾走していた。
「逃がすか! 僕のお小遣い!」
あ、あれ? このセリフだと僕がカツアゲしてるみたいだな。
違った違った。
ここもイケメンっぽくいこう。
「逃がすか! この…… えーっと、なんだっけ? 弱者の敵? 世紀末キャラ? 違うな、そ、そうか悪党。この悪党どもめ!」
なんとも締まりのないセリフを吐きながら、足もとに転がっていた二つのヘルメットをかるーく、かるーく投げつける。
しかし二つのヘルメットは空間が歪むかのよなゴゴゴー! という音を発しながら飛んで行き、見事に二人の頭に命中した。
パカーンという軽い音が二度住宅街に鳴り響き、ひったくり犯が地面を転がる。
あかん、これ死んだかも? と一瞬思ったが、どうやらしぶとく生きているみたいで、近付いて確認してみると二人の顔の付近を天使やら星やらがグルグル回っていた。
ちっ、意外とコイツら頑丈だなー。
ヘルメットが直撃した時に投擲と命中のスキルが貰えてた事を確認した後、両手で二人の首根っこを掴み、ズルズルと引きずってお婆さんの所へと戻る事にする。
勿論お婆さんのカバンも忘れずに。
しかしお婆さんが待っている場所までは随分と距離があるので引き摺って行くのが面倒だと思い、二人の着ていた服で両足首をきつく縛り上げ、ズボンで電柱に逆さ吊りにし、パンツで両手首を縛った後、おまわりさんに電話しておいた。
ダッシュでお婆さんのところへ戻ると、ギャラリーだった数名の女性達と共に待っていてくれた。
「「「私が手当てをしました!」」」
女性達の謎のアピールをサラリと躱した後、お婆さんにカバンを渡す。
「あ、有難う御座いますじゃ! 何とお礼を言えばいいのやら……」
お婆さんがカバンをガサガサと漁り始めたところで、未来予知スキルが働く。
恐らく現金が入っているであろう封筒を取り出す姿がハッキリと見えた。
しかしここで思い出す。
イケメンっぽい行動とセリフだ!
「お婆さんに大きな怪我がなくて良かったですよ。それでは僕はこれで失礼します」
お婆さんの行動を手でスッと制し、笑顔で一礼してからその場を後にした。
本当のイケメンはこういうの受け取らない気がするし、下心丸出しっていうのはカッコ悪いよな。
するとその場にはキャーという悲鳴に近い声や、いいぞー! といった歓声、拍手がギャラリー達から惜しみなく送られた。
お小遣いは貰えなかったけれど、これはこれで良しとしよう!
今までこんな気分を味わった事なんてないし、お小遣いなんか貰うよりもずっと気持ちがいいぞー!
これからもイケメンっぽい行動を続けようと思っていたところで、すでに結構いい時間な事に気付いた。
「よう! 兄ちゃん! さっきの見てたぜー! なかなか出来るこっちゃねーぞ! 今度うちの店に遊びに来いよ!」
家に帰ろうとした所で、何故か尻をバシバシと叩かれた。
なんだ? 何故いきなり尻を叩くのだ?
叩いて来たのは、やたらと髭剃り後の濃ゆい、ややマッチョで薄着の三十代前半と思われる男性だった。
よく分からないが、とにかく軽い笑顔でその場を後にし、暫く歩いた所で叩かれた尻に少し違和感がある事に気付く。
ゆっくり手を当ててみると尻のポッケに、現金三万円がゲイバーの名刺と共に入っていた。
な、なんじゃこりゃー! 何のお金ー?
辺りをキョロキョロと確認――ああ、そうか、スキルを使えばいいのか。
探索、索敵スキルを駆使し、近くに人が誰もいない事を確認してから三万円をポッケにナイナイし、名刺はビリビリに破いてゴミ箱へダンクシュートしておいた。
すると、視界にクエストクリアのアイコンが表示され、EXPが加算されていく。
っしゃー 初クエストクリアー!、早くもLV3に上がったぞ!
この調子でガンガンクエストをこなしていくぜ!
どうやら追加報酬も貰えているようなので、お婆さんからのお小遣いでは無く、この怪しい三万円が追加報酬のお小遣いだったみたいだ。
あ、危ねー! お婆さんから封筒受け取らなくて良かったー!
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