第2話 一週間前……
『code:エルピス』がネットで出回り出したのは三週間ほど前。最初はタダの難解なVRゲームとして評判になり、挑戦者が増えてからも難解すぎるその内容に根も葉もない噂が飛び交い、さらに挑戦者は増えていった。朝のニュース、とまでは行かないまでも、夕方のニュースに取り上げられるくらいにもなれば、どんなにネットに疎い人間でも名前くらいは聞くようになる。僕もそんな人間の一人だ。
普通の生まれ、普通の成長、普通の暮らしに普通の人間関係……僕は至って普通の男子高校生だろう。
しかし一度思ったことからは逃げられない。僕は一度、自分を人間たらしめる何かを見失っている。自分という生物に疑念を抱いている。
そんなあやふやな状態であったからか、僕はたまたまニュースで聞いたその言葉に、いやに心惹かれた。
『人ならざるもの達に贈る、君たちのための庭だよ』
たった一言の製作者と思わしきものの言葉が、ジクジクと身を貪っては泣きわめく。
気がつけば僕はそのゲームをインストールしていた。自室に戻って電源さえつけてしまえば、その有名なゲームはワンクリックでインストール可能だった。
エルピス……希望という意味だったはずだ。まったくどうして縋りたくない名前をしている。1度だけ、この先に進むか否か、ウィンドウの上で指をさまよわせてから───それを押し込んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「───それで、噂の試練とやらを超えてきてみれば」
「───なんか変なのと鉢合わせ、です」
「いやいや、こっちのセリフだから」
……なんなんだ、この不思議生物は?
いや人間なのはもちろんわかる。ゆるーくのびた麻色の髪は顔の横で軽く波打って途切れている。眠たそうな眼や、不思議な口調を含めたとしてもまぁ可愛いと思う。多少スレンダー……というかもはや小柄なことはフォローのしようもないが、まぁ現実の範囲内であれば流石に不思議生物とまでは言わない。
しかし残念なことに、どんな美少女であろうとも、木の枝に引っかかってぶら下がって居るものには興奮も高揚も覚えない。テイクツーを要求したいほどにときめかない出会いだった。
「えーっと、下ろした方がいい?」
「いえお構いなく。この枝の細さ的にあと数分ももたないです、ほっとけば降りられるのに、わざわざ男子のラッキースケベの餌食にはなりたくねーです」
スケベするポイントがねーです、とは流石に言えないので、言葉を飲み込んでそれとなく逃げることにする。助けなくていいと言われたのだから、それはもう関わる理由もなくなったということだ。変人に構って面倒ごとになるのは……いやまぁ楽しそうだから望むところではあるけども。それでもやはり彼女からはダメな感じの空気しか感じられない。近づけば不幸になる感じがビンビンに伝わってくる。
「……お前、人を見ながらずいぶん面白い百面相を見せてくれやがるな、です」
「逆にお前は人を見ながらよくもまぁずっと仏頂面晒してやがるね、おい」
確かに表情豊かなのは認めるが、百面相というほど酷くはない
「いや、酷いよ。豆鉄砲食らった鳩でもまだましな顔をするくらいにはひどい」
……なぜ会話が成立した。
変わらずぶら下がったままの少女を見る。
たしかに僕は口数が多い。よく喋る。しかし流石に思ったことを無意識に口に出すほどじゃない。むしろ考えてから喋るようにしている。
「ほら、今だって思案顔、なんで会話が成立したかを考えている顔です」
「……表情から心が読めるのか」
「そこまでじゃねーですよ、ただお前は表情が豊かな様なので
なるほど、ね。心を読んでるわけじゃないなら、安心だ───
「────とはなんないけどな」
「自己紹介みたいなもんです。ユナもここには来たばっかりで正直心細い、ボディタッチがない範囲なら見知らぬ男の手は欲しいんですよ」
「なんだ、ここではヒトが成る木が普通のことだと思ってたけど、違ったのかぁ」
「……あれ、お前本気でガッカリしてませんか?まさかまじでそんな戯けたこと思ってたです?」
マジもマジ、大真面目に思ってた。どうせならそんなファンタジーを期待していた。そうでも無ければ、結局現実と何が違うのだろう?
あんな試験で入る人間を絞ったところで、結果なんて何も変わりはしないだろうに。
「───一応聞いておくです、お前はどんな試練を受けたです?」
「ん?どんなってそりゃ君も受けたやつだろ?ひどく退屈でつまらない面接だったよ」
難しい試練だと聞いていたから、何をやらされるのかと思えばまさかの対人スキルの調査とは驚いた。あんな退屈な試験によくもまぁ人は挑戦をやめないものだ。
「違うです」
冷たい声で断じられた。思わず視線を彼女へと戻してしまうほど、その声はヒトとは思えぬ形をしていた。
「ユナが受けたのは脱出ゲームでした。ネットではモンスターと戦ったという人もいますし、恋愛シュミレーションだったという人もいます」
……へぇ、それは少し。たしかに少し興味がそそられる。
「ユナの推理では、このゲームは特定の人材を求めてやがるです」
「面白い話だな。こんな大掛かりなことしてみんなが挑んでるのはタウンワークの片隅にでも乗ってそうな派遣のお仕事だって?」
「えぇ、ひどく愉快な話です。よもやこのユナに脱出ゲームをぶつけて来るとは。お前もそう思ったじゃないです?なんて簡単な試練です……と」
まぁ、多少思ったことも無いわけでもない。
「無論それはユナ達にとっての話、人間には到底無理な難易度です」
「まるで自分は人間じゃないみたいな言い方をするんだね」
「逆にお前は自分の試練を、人間にクリアできるものだと思ったですか?」
───道理だな。まったくもって当然の話だ。僕自身が否定出来ないことを、彼女が否定できるなんて思い込むのは傲慢がすぎる。
「でも、君には僕の試練はわからないだろう?否定はしないけど、断定するには早いと思うな」
「……何でユナにはわからないと思うです?こういうのもなんですが、人の表情から心を推理できる女ですよ?」
「お前のそれは推理だろう?言い換えれば状況が用意されてるモノに限り暴ける能力だ。当然僕が顔を隠せば心を読めない。なら、僕の試練の内容を読める道理はない」
だって、試練の内容に関する情報はただ一つだけ。信じていいかもわからない面接という言葉だけ。
「……提案です。お前はユナと一緒に行動するです」
「さっきもそれ言ってなかった?」
「さっきのはあくまでも様子見、ここのことが分かれば解散する程度のつもりでしたが、気が変わったです。なんかお前は気に食わないので、近くでユナのすごさを見せつけてやるです」
試練をクリアして、扉をくぐったと思えば投げ出されたのは無人の平野、そこに居たのは人では無い少女が一人とポツンと佇む木が一本。
あぁ、冷静に考えてみれば、これはとんだファンタジーだ。
「いいよ、僕はお前と共に居よう。これはそういう契約だ。人じゃない何かと、人じゃない何かのかたい契りさ」
「それじゃあ、さっそく行動を開始するです」
いうが早いが、彼女を支えていた木の枝が突然へし折れ、彼女は大地へと軽やかに降り立った。
「ユナと言うです。特技は推理、気に食わないのは人間です」
「奇遇だな、僕もどうも人は苦手だ。綺麗すぎて目が潰れそうになる」
まぁ、恐らく同調してくれる存在はこの世にはいないだろうが。なんともおぞましい感覚だ。
向こうにしてみればおぞましいのはどっちだという感覚なのだろう。しかしそれはどうしようもない、感じてしまうものはしょうがないし、思う事に罪はない。
「そんなクソみたいにどうでもいいことはまぁいいです」
へぇ、それじゃあ君が僕に求めるものはなんだろう。
「決まってるじゃねーですか、女に名乗らせておいて自分はだんまり……よくねーです」
……あぁ、そういえば忘れてた。自分のことはついつい忘れてしまう。ほら、自分というのは最も身近にいる他人のことだと、誰かも言っていたじゃないか。自己の事なんて紹介するほどの事じゃない……とはいえ、その通り。名乗られて返さないのは話が別だ。では答えよう。君がその口で問いかけてくれるのなら。何度でも。
「───お前は、なんて言うんです?」
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