III - 09
「お待たせしました」
そう言って、部屋に女が入ってきた。
手足が細く、髪が長い。見かけは二〇代前半くらいだったが、老成しているかのように雰囲気が変に落ち着いていた。僕があと三、四年して同じくらいの歳になったとしても、こんな雰囲気にはならない気がする。
女は黒い革の鞄を提げていて、それを床に降ろすと底に打たれた鋲が小さく音を立てた。
「そちらが木戸さんですか」
僕の方を指して女が尋ねるので、僕は小さく会釈をした。
木戸です、と僕が言うのに返して女は播磨と名乗ったが、なんとなく偽名の気がした。
「今日はご足労頂きありがとうございます」
女、播磨(仮)が僕に言い、岸田の方に向かっても言う。
「岸田さんもありがとうございました」
制服を着た僕や岸田に対して敬語を使って話す様子は、どことなくシステム的だった。丁寧な物腰というよりは、ただ職業や年齢などの背景を排除するような話し方だ。システムは敬語でメッセージを表示するが、敬意や思いやりを持っているわけではない。
播磨は足音を鳴らさずに歩き、積み重ねられていたパイプ椅子を開いた。
「お座りください」
促されるままに僕は座り、向かいに播磨が座った。岸田だけが少し離れたところで斜めに座っていて、距離をとっていた。ここまで連れてきた時点で自分の役目は終わったとでも思っているのかもしれない。
「木戸さんはトリイですね」
無駄な話を挟まずに播磨が言った。
「トリイ?」
耳慣れない単語を訊き返す僕に岸田が説明する。
「隠語。『開』って漢字の『門』の中、神社の鳥居みたいな形をしてるだろ」岸田が空中に指を滑らせる。横、横、縦、縦。「誰が呼び始めたのかは知らねえけど、解錠できるやつをそう呼ぶ。鍵屋ってのも変だし、解錠師とかロックスミスとか言うのは芝居がかってるからだろうな」
鳥居。それなら、そうです、と僕は播磨に言う。
「解錠は、独学ですか」
「独学です」
「少し、鍵を開けてみせて頂いても構いませんか」
播磨はそう言って鞄を開け、中から黒い立方体を取り出した。
一辺一〇センチ程度、ルービックキューブ大の金属の箱に錠がついていて、鍵穴がついていた。錠前師になる人間が解錠の練習に使うものによく似ていて、それをいくつか長机の上に積み上げた。
解錠に使う道具を隣に並べ、播磨が箱を一つ取り上げて平坦な机の天板に置く。
「開けてください」
テストか。
実技試験、兼、面接試験。
ブラインドの掛かった窓越しに外が暗くなっていくのをちらりと見て、僕はポケットの中のアーミーナイフに手をやる。カチ、カチ、と刃を鳴らし、鈍い刃に指を滑らせてからピックを繰り出す。与えられた道具を使うつもりはなかった。
立ち上がり、革のケースからレンチを抜いて鍵に向かった。
錠が嵌められた箱の塔、鍵穴の一つ目を持ったトーテムポールが僕を見た。
値踏みするように僕の背後から注がれる目に緊張を覚えた。
僕は深く息を吸い、ぴたりと呼吸を止めて指先の神経を緊張させる。鍵穴にレンチを滑り込ませ、炭が赤熱するように肺の中の空気をゆっくりと燃やす。拍動を小さくして、錠の機構が噛みあう瞬間のかすかな反応を拾いあげる。
長くはかからなかった。
まもなく。
鍵は僕に屈した。
鍵穴を回し箱の正面を開くと、播磨の瞳孔が僅かに広がった。
播磨が尋ねる。
「この仕事を始めた動機は?」
動機。
どう説明すればいいのか、と思った。
僕が迷っていると、岸田が答えた。「女ですよ」
「同級生ですか?」
「クラスは違いますが。同じ学年に家庭崩壊してるようなやつがいるんです。この間、部屋を借りるために名前が借りたいって話をしたじゃないですか。その部屋に住んでるのが、そいつです」
「なるほど。その子は、彼女か何かなんですか?」
岸田が視線を一瞬だけこちらに向けて笑い、僕の代わりのように返す。
「まあ、違うでしょうね」
播磨が何かに納得したように頷いた。
「岸田さん、席を外して頂けますか」
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