II - 03
結果。
「帰ろう」
放課後、教室から出ると紫苑が立っていた。
昼休みに引き続く登場。
「先に行ってりゃいいのに」
「あとからきみが来ると思ったら内鍵が掛けづらくて」
紫苑が鞄を後ろ手に歩き出す。
背を伸ばし、時々振り返ってはそろりそろりと足を出す上品な猫みたいな歩き方で、紫苑が踏み出すたびに髪と帽子が小さく揺れる。僕を見上げる目が大きくて、それが窓を貫く西日のためにわずかに細められる。
「インターホンが使えない代わりにノックでもすればいいかなとも思ったんだけど、ノックの音って他の部屋にも結構響くからね。それに、イヤホンを着けてたり本を読んでたりしたら聞こえるかわからないから。それとも、何か放課後の予定とかあった? もしそうだったらごめん」
「いや、別に予定とかはない」
「それはそれでかなしい」
「煽るな」
階段、踊り場、階段、踊り場とぐるぐる下る。僕が自分の靴箱に向かうと、紫苑も二つ隣のクラスの靴箱にとてとて駆けていく。靴の位置的に、たぶん出席番号八番。
外靴に履き替えて、玄関ホールを歩き出す。
「行き先は昨日の部屋でいいんだな」
「他に候補あるの?」
「部屋が見つかれば」
「どうやって見つけるの」
「入居者募集の張り紙とか、チラシの溜まったポストとか、そういうのを探す。あの部屋の前は潰れたレンタルビデオ屋が近場で広くていい感じだったんだけどな、工事が始まったから撤退した」
「結構地道に足で稼ぐんだね」
「それしかないからな」
「なら、昨日の部屋にしよう。あてもなく部屋を探すよりはいいよ」
「了解」
校庭を横目に見ながら、歩き出す。紫苑の歩幅は僕より小さくて、僕は少しだけゆっくりと歩いた。ややぎこちない歩き方になっているような気がするが、別に僕のことなんか誰も見ちゃいない。
部活の時間に入り、学校全体で喧騒が響いている。
吹奏楽部のトランペット、野球部の打球音。
体育館の床をバスケットボールが突く反響。
日が沈みかけの空に紫が滲み始めている。
道中は特に喋らなかった。
学校を離れ、住宅街を抜け、昨日来たマンションに辿り着く。
灰色と茶色の中間みたいなくすんだ色の九階建て。
雨の滴った後が白く濁ったタイルがところどころひび割れ、角が剥離している。
壁が腐ったようなアパートに比べればマシだが、それ以上でも以下でもない。
集合ポストに目を走らせ、昨日の部屋の投函口が相変わらずテープで塞がれているのを確認する。廃品回収のチラシが何枚も落ちている通路を抜けて階段を上る。
昨日と同じドアを開け、壁に背を預けて僕が座り、向かい側に紫苑がぺたりと座る。
鞄から文庫本を取り出して紫苑が言う。
「では本日もよろしくお願いします」
適当な距離、各々のことで時間をすり減らす。
昨日と同じ表紙。昨日と同じように指が動いてページを捲る。
昨日と同じようにLEDライトが灯る。
紫苑は静かだ。
元気いっぱいじゃない。夢も希望も振り撒かない。
無意味に笑い声をばら撒かず、飾り立てず、囃し立てない。
ただ細い指先でページを捲る。
時間が経ち、空腹を感じ、僕は部屋を後にする。
「じゃあ、また」
僕は言う。
「またね」
紫苑も言う。
家に帰ると運よく父親がいない。空っぽの家で、何もやることがないから眠る。
翌日の昼休みにまた紫苑に会う。
放課後にまた紫苑に会い、同じ部屋に向かう。
僕が座り、向かい側に紫苑が座る。
翌々日も、翌々々日も同じように過ごした。
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