第6課 トー・トルカー・ウージャ(それだけでいい)
「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」。
ただ、高度に発達した言語学は、それでもまだ文学たり得ない。
言葉を話せることと文学との間には、質的にも量的にも超えがたい溝がある。
だから、俺の物語に文学を期待してはならない。
俺は文学者ではなく、一人の言語学徒であるだけなのだから。
そこに文学はなく、ただコミュニケーションの地平だけが広がっている。
「――
日本語の「いじょうしゃ」よりも随分と軽やかなその響きを、俺は舌の上で弄ぶ。
バゾとグーマの住む家の離れ、納屋の軒先。
村ののどかな風景が見えるこの場所は、照りつける日射しを避けて時々物思いに耽るのに最高の場所だった。今も夕暮れの空と、家路につく村人が見える。
「
バゾの言葉を頭のなかで繰り返し、反芻する。
まずは意味を伴わない美しい異国の響きとして耳に入り、あとから日本語訳が追いかけてくる。
思わず飛び出した俺を、バゾは特に追いかけも咎めもしなかった。
いやに赤い夕暮れをぼんやりと見上げながら、俺は思考をまとめきれずにいた。
村の娘達が、農具をそれぞれの手に提げて明るく喋っている。
何度か話したことのある娘達だ。
言葉が分からない俺のことも、それなりに村の一員として扱ってくれた。
たどたどしいなりに何とか会話を試みようとした俺を優しく見守ってくれたし、分かりやすい言葉で話そうと心を砕いてもくれた。
それでも今は、賑やかに話す声が恐ろしい。異常者として俺は彼女らにも忌み嫌われたりするのか。
一緒に牛の世話をした村の青年たちも、何かと世話を焼いてくれたおばさん連中も。
俺が誤りなく炎を出したり消したりすることで、俺を異端の徒だと石を投げるだろうか。
「
「――
飛び込んできたのは、グーマの真剣な声。
「
「グーマ! …
「
「…
「
涙声のわずか手前、叫びの一歩前のソプラノが俺を押しとどめる。
グーマは俺を正面から見据えて、早口にまくし立てる。
「
「
「
なおも言い募るグーマを遮る。心配顔のグーマに、俺は語彙力を総動員する。
俺がこの村の人間だったら、もっと気の利いたことが言えただろう。
日本語ならもっとずっとうまく言えるのに、初学者の俺は随分と情けない。
言葉の壁はいつだってこうやって文学を蝕み、殺すのだ。文学の美しさを。
豊かな語彙の海に分け入るには、今の俺はあまりにも貧弱だった。
「
「
「
「シューマ…。 ……
「
それきり、二人は黙る。
俺のほうはもう言うべきことはないと思っていたし、グーマも恐らくは同じだろう。日暮れの冷たい風が、視界の隅に藁の切れ端を舞い踊らせた。
「………
グーマが先に立って歩き出す。
足音で俺がついてきていることが分かると、彼女は振り向かずにただ歩いた。
家に入る直前、「
夕食のスープを口に運びながら、バゾが静かに切り出した。
「シューマ。 …
「
「…
「
「
そうだ。俺の心構えだけ解決したところで、俺が異様に浮き出た存在なのは変わらない。一度もあやまつことなく炎を出したり消したりできるのは、充分に迫害に足ることなのだ。
「シューマ。
「
バゾが教え諭すような口調で言うと、グーマが引き継ぐ。
「
「…
「
「
安心すること。俺が何者で、どうして異常なのか、どうしてこんなことができるのか、はっきりさせること。
地に足をつけること、すべてを明らかにすること。
そうだ。俺は知りたい。
「
「
バゾの灰色の目が、暖炉の炎を静かに映す。
一呼吸置いてから、今までで一番穏やかな声でバゾは続けた。
「――
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