第5課 レンカール(異常者)


「シューマ、オドゥハーイきゅうけいしてサードいまオバードごはんノスティウもってきたの

「おう! グーマ、ファーラありがとう!」


――それからしばらく、俺はグーマのいる村で過ごしていた。

薪を割り、畑を手伝い、鶏の世話をする。なりゆきに任せ、日々をゆったりと過ごす。こう形容するとぼんやりした暮らしに思えるけれど、実際にやってみるとそれは充実した、地に足の着いた日々だった。

それでいて知的好奇心を刺激するものには事欠かない――というか、一定量の好奇心が必須という涙が出るような有り難い環境だ。

俺の言葉はそこそこ上手くなった。仮にも音声学は一通り修めているから、異世界の言語といえども発音はずいぶん上手くなった。何より優秀な教師が二人もいるんだから。


ただ、なにごとも前進するには推進力が必要だ。斧の刃こぼれや鶏の毛並みばかり気にして生きているぶんには、言葉はそれほど必要ない。

ファーラありがとうウ・リドゥだいじょうぶイェルうんネーいや…くらいをメインに、知っている単語の組み合わせでどうにかなってしまう。

一日の大半を野良仕事と薪割りで終えるのに、セルディアート挑発するとかオヴレカーニャ抽出なんて言葉は覚える必要もないのだ。

だが、俺はグーマ達と話がしたい。

「ご飯持ってきたよ」「ありがとう」を超えた会話をしたい。

俺はそう思いながら、薪を割り、草を刈る。




「――シューマ。ヴェトラーン・レスムほのおをポーシェたのむ

イェルはい

農作業から戻ると、バゾは静かな声でそう告げる。

火をつけるのは決まって俺の仕事になっていた。


火よイグニス来いヴェニー


俺は変わらず、ラテン語で炎を呼ぶ。

特に変わったことをしているつもりはないのに、起こる結果はまさに魔法だ。

バゾがこれをやるところも一度だけ見たから、出来ないわけではないのだろう。

俺が火をつけるところを見かけると、グーマが決まってレーパよいプロシェーニェまほうと口にして、そのたびにグーマは憧れと楽しさが混じった笑顔を見せるのだ。お世辞だとは思うが、女の子の笑顔は、まあそれだけで嬉しい。

もしかすると、俺は役に立っているのではないか。

元から火を出していた彼ら二人ほど上手には扱えていないにせよ、少しでも役に立っているのだ。野良仕事ではヘマをしてばかりだから不安だったけど、ひとつでも俺が役に立つことがあって助かった。

自分が不要な存在だと思えてしまうのは恐ろしいから。


「バゾ」

俺は短く呼びかける。「さん」をつけて呼ぶ習慣は、理解されなかったのでいつしかやめていた。不思議なもので、そう呼ぶと決めたら「バゾ」が一番それらしいように思えてくる。バゾさんでもバゾ様でもなく、この人は「バゾ」と呼ぶのが一番良い。

食事を終え、椅子から立ち上がろうとしたバゾがこちらを見返す。


「…ポーシェたのむ、バゾ、プロシェーニェまほうウーチアーイおしえてくれヤズクおれに

「……」


バゾは黙った。怒るでもなく驚くでもなく、沈黙の他になすべきことも見当たらないので、やむなく黙った――そういう風に俺には見えた。


「ンン…。シューマ。……なにをムルヴィーシュいうんだ?」


バゾの声から読み取れるのは困惑。俺はそんなに困らせることを言ったか?


ティおまえはバールジュとてもレプよくプロシェーニェまほうをロビーシュつかうス・ニ我々の中でナグレーペイサいちばんできるヤズおれイン・グーマ・インティクおまえにウーチトおしえネマギーミられない


「…カー?なんだって


思わず現地語で問い返す。客観的に見ると間の抜けたカラスのようだ。

とっさにこの言葉が出て来るくらいには、ここでの暮らしにも慣れた。


「…カーなんだ、…バゾ。 ティそっちがカーなにをムルヴィーシュいってるんだロズミートわからネマギーウない


俺も、たどたどしいながらも文を作って問い返す。語学は慣れだ。

文の意味は理解できても状況が理解できないことはある。

俺が一番できる? 俺はこの村に来て、まだひと月かそこらだ。バゾやグーマの使い慣れた様子を見ても明らかだろう。俺のプロシェーニェまほうはまだまだだ。

お世辞にしたって、限度というものはある。


ヤーズおれはネー・タケーそんなにはレーパよくないマルカーちいさいヴェトラーほのおロビーウつくるトルカーだけだ

トーそれイェスタースナすごいんだティおまえはネー・ブルーダシュまちがえない

ヤケ・モノガどれだけニーおれたちがプラホプロシェーニャーミまほうをからぶりするジェミシュリーシュおもう?」


バゾの言葉に、足元を掬われるような感覚に陥る。俺が間違えないことがすごい?


でも、…ノーでも、バゾ! ティあなたイン・グーマ・イン、…ネー・ブルーダチェまちがえないのでは

ネー・オグルダーラみなかったのかティおまえはニーおれたちインモノーグたくさんブルーダラまちがえていた


そうだったか? 最初の数回はともかく、いまや日常と化した「火をつける」なんていう行為、次第に気にしなくなっていた。言われてみれば、何度か言い直したりしていた…ような気もする。


ヤケーどうロビーシュやってるネ・ゼヴィクラーふつうじゃないバズブルーディナミスのないプロシェーニェまほうイェなんて!」

「ネ・ゼヴィクラー…?」

ネー・ロズミーシュわからんか? ゼヴィクラー・イェとは…」

ネー!ネー!ちがうちがう ザナーウしってるトーそれは! …ヤーズおれはネー・ゼヴィクラーふつうじゃない? 」

イェルそうだ…。ティおまえはイェそうだ

「…ドゥア・カーなぜ?」


心中に渦巻く疑念を吐き出す。

そのために疑問詞は存在するんだから。ドゥア・カーなぜ


イェルそうだ…、ゼヴィクルふつうはブルーダまちがう

「…ヤケー・モノグどのくらいウ・ドリャーハ・ラザハ3回やってエン・ラズそのうち1回ティルカぐらいブルーダユまちがうのか?」

バゾは、真剣な顔でかぶりを振る。

アスマー・ウ・ディセタハ10回に8回だ

10回に8回。成功率2割――ちょっと考えられない。じゃあ、俺はどうなる?


「……」

ウ・ディセタハ・ラザハ10回やってアスマ・ラズン・レスムそのうち8回はブルーダユまちがえる

カロラーン国王つきのプロシェニツァまほうつかいナヴェーでさえタケーそうだ

ヤーズおれは…、ネ・レンカーウおそれないティン・レスムおまえのことをだがイナほかのものは…。 ネ・ザナーウ知らないカン・レスムなにをヴォニかれらがティクーおまえにロビーユするかティクーおまえ…、レンカールいじょうしゃクー


――レンカール異常者


その響きがまず無意味に俺の耳に入り、

…遅れて脳に到達したその意味が俺の心を深い闇に突き落とす。


ヤーズおれはレンカール異常者


いつの間にか、雨が降り出していた。


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